モブ令嬢メイプル・シュガーの回避録1モブ令嬢、決意する

 これは「あの女は宰相の手駒。あなたを殺そうとしているのだ」と悪女に唆され、まんまとその嘘を信じて婚約者の少女を死に追いやった男が、その後それは大きな誤りだったと発覚し、無実の娘を死なせてしまった罪悪感に苦悩する話。

 しかしその孤独な男の前にある時純真な少女が現れ、彼を癒し、悪女からの妨害を乗り越え絆を深めて終には結ばれるという、乙女ならドキドキせずにはいられないロマンス展開が待っている物語。


 そう――展開と言って障りない。


 何故なら、起きるべく出来事が私にはわかる。


 これはとある恋愛小説の内容なんだもの。


 そして孤独な男というのは、初登場時は王子だったけど年単位の物語の進行中に王に即位する少年兼青年のことだ。

 加えて、純真な少女というのは、異世界からやってきたこの世界のお堅く古風な常識など通じない破天荒な娘のこと。

 更には、悪女と言うのは悪役令嬢ではなく、白雪姫の継母のような典型的な悪い魔女だ。継子である王子を陰から操って国を牛耳ろうと考えていた悪辣で恐ろしい野心家でもあった。


 そして、王の心の傷となった殺された令嬢は、ハッキリ言って、モブ!


 ぽっちゃりしていて三歩走れば何もない所で蹴躓いて素っ転ぶという、鈍臭く冴えない公爵令嬢だった。


 何もない所というのは実はそうじゃなくて、妖精が彼女に悪戯をするからなのだと、読者たる私は知っている。

 彼女は良くも悪くも妖精に好かれているが故に、しょっちゅうちょっかいをかけられていたらしい。

 まあ、物語の主軸からは外れていて関係ないからか、その描写は一行で終わっていたけど。


 私は長閑なベンチの上でパタリと書物を閉じた。


 小さな膝の上には不釣り合いな分厚く大きく重たい装丁の書物のせいで、些か足が痺れていた。

 それをよいしょと脇に退かして大きな溜息をつく。

 肩よりも長くカットされた、少しくるくるとカールの掛かった可愛らしい茶色い髪の毛が動きに合わせて揺れる。その頭には大きなどピンクの水玉リボンが一つくっ付いていたけど、丸々した体の大きさの方が目立って、リボンはまるで目立たないという摩訶不思議さがある。

 瞳の色は髪の色同様、特に珍しくもない灰色。


 さすがはモブ。


 だってヒロインやヒーローなんかだと、体の一部に赤とか緑とか金色とかの派手な色が入ってるのが多いしね。


 無難に目立たない色味、大いに結構じゃない。


 だけど、現在の心の中は結構じゃない。阿鼻叫喚の嵐といっても過言じゃなかった。



 だって、どうして、私がその殺されるモブ令嬢になってるのよーーーーッ!!



 時にこの世には理解できないことが多々起こるらしい。





 初めに言っておけば、私は俗に言うトラック転生じゃない。

 夜寝て目が覚めたらこの世界のこの姿だった。


 殺され役の令嬢メイプル・シュガーだった。


 でもまだ十五歳で殺されるまでは八年ある、まだ七歳のメイプルにだ。


 どうして何で? わけがわからない。そしてどうしろっちゅーねん!


 しかもしかもこのメイプルってば、既にこの激甘そうな名前に負けず劣らずな肉まん体系をしているから、これは妖精がちょっかいを出さなくても自分で勝手に転がるわーって思った。実際に私は覚醒して自分の意思で動いた直後に転がった……。

 はあ、何て動きづらい体なのよ。

 まあここ三日で多少は慣れたからいいけど。

 これが夢か何かは知らないわ。でもこの世界で三日過ごして、確実に物語が進行しているのはわかった。


 だって、何と明日がメイプル、つまり今の私を殺す男との初対面なんだもの。


 将来的なメイプルの仇――まだ十歳の王子時代のレオンハルト・ソルトとの。


 ……いやまあシュガーとソルト、砂糖と塩かいっ!


 むしろ女主人公よりお似合いだなおい!……って読んだ当時は突っ込んだわ。猛烈にね。


 あの時はまさかその太っちょメイプルの人生を体験するなんて思いもしなかったけど。

 ふう、話を戻すと、この対面で私と王子との婚約が決まる。

 かつての物語の中では同席したメイプルが両親から「それでいいか」って問われて幼いながらも従順に「はい」って同意しちゃうから成立しちゃうのよ。

 まあ子供だし政治的思惑なんてまだ良くわからなくても仕方がないわよね。


 でもそれがシュガー家とは政治的に正反対の派閥に属していた悪女たる王子の継母――王后の不興を密かに買っていたのよねー。


 そして、その王后の巧みな言葉に騙されて、王子レオンハルトはそれ以来このぽっちゃり令嬢を疎むようになる。


 まあそもそも彼はぽっちゃり系が好きじゃなかったようだしね。


 舞踏会やサロンじゃ、顔を合わせる度に嫌そうにして話しかけもしなかったみたいだし、最後の最後に崖の上でメイプルを追い詰めた時も、無慈悲とさえ言える冷めた眼差しをして観念しろとか言っていたし、彼女が足を滑らせて落ちて死んじゃったのは計算外だったみたいだけど、メイプルを悪人と思っていた間は大した感慨もなかったみたい。

 心情の描写はなかったから推測だけど、要らない荷物が一つ減って密かに清々していたんじゃないのかなって思ったわ。


 だってレオンハルトって静かな氷みたいな見た目に反して、悪には容赦しない激烈な性格だもの。残酷とも言えるかもね。


「は~~~~あ。どうしよ、明日……」


 今日もこの世界の歴史書やマナーブックを読みながら、私は自室のテーブルに頬杖をついていた。


 メイプルが将来死なないためには、そもそも王子レオンハルトと婚約しなければいいんだわ。


 明日は寝込んで顔を合わせないようにする?

 でもそうすると、勝手に話を決められちゃう可能性もあるから却下ね。

 やっぱり王宮に出向いてどうにか手を打つしかないか。

 そう決めて私は焼き立てのクッキーを三つ、立て続けにあーんと開けた大きな口に放り込んだ。


 何しろこの体の食欲は尋常じゃない。


 フードファイターもびっくりよ。

 そうだ、いっそのこと諸国食べ歩きの旅に出るなんてどうだろう。

 この国に居なければ、婚約も結婚もさせようがないし、私が元の私として目が醒めるまでこのままこの世界で生きて行かないといけないとすれば、二十歳くらいまで異国で生活した方がエンジョイできる気がするわ。

 貴族令嬢なんて窮屈な場所に留まってないで自由に生きてやろうじゃない。


 そのためには何としてでも明日は失態を犯さないといけない。


 藤で編まれたバスケットに盛られたクッキーの山から、また五つクッキーを大口に放り込む。もぐもぐもっもっと咀嚼して、そうだわこの食欲は大いに利用できるかもしれないって思った。


「ふふふ明日はお腹一杯ご馳走を食べて差し上げますわ~」


 敢えて貴族令嬢口調で言って、私はカスのくっ付いた口元をにまあ~と緩めた。

 蛙が不気味に笑うときっと同じ顔になるわ。

 だからかしらね、これまでは内向的だったメイプルの変わりようにもだろうけど、室内に控えていた侍女たちからちょっと……いやかなり気味悪そうな目を向けられた。

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