ねえお兄ちゃん、ちょっと異世界まで行って来て?9

 武力衝突というきな臭い雰囲気が消え、ひとまず平和を取り戻した世界。


 義妹いもうとは聖女を続けている。

 当面の脅威はなくなって、降りたければ降りられたのに、だ。

 それもひとえに、とある目的のため。

 達成のためには勇者をび出し結果的に魔王軍撃退の始まりへと導いた功労者――聖女という立場で事を運ぶのが一番有効なのだ。


 義理のきょうだい間の婚姻を可能にする。


 義妹はそのために連日東奔西走して根回しに躍起になっている。


 そんなにも、あの子は俺との未来を望んでくれている。


 一方、勇者認定されている俺は、極力王都周辺や主要都市には近付かないようにしていた。

 広く顔を知られたら勇者を降りると神殿側を脅し、役目を終えた後この世界を出歩けない事態だけは何とか避けたとは言え、関係者は俺の顔を知っているからだ。


 ――え、あれ? 異世界に帰ったはずじゃ……!?


 みたいな混乱を招きたくない。

 因みに「大魔法使いは静かに暮らしたいらしくどこかに消えました」と告げてある。

 勇者の俺の証言だけで神殿の誰も姿を見た事がなかった大魔法使いは、そうして再び歴史の流れの中にその存在だけを明記される事だろう。


 ふう、長閑な故郷に戻って暮らす俺の日常は、これですっかり元通り……なわけはなかった。


「――ねえお兄ちゃん、今すぐちょっと異世界まで行って来て?」

「う、は、はい行って来ます行って来ます」


 ここは実家。

 義妹の部屋。

 義妹の台詞に俺は冷や汗をだらだらと垂らして首振り人形よろしく何度も頷いた。


 そんな俺の左腕には幼女魔王が絡み付いている。

 名前はないと言うから、魔王と書いて「まお」と呼ぶ事にした。安直だけど。


 魔王まおの事は両親には孤児だと言ってあった。

 まさか魔王本人だなんて明かせないだろ。

 お兄様お兄様って俺からどうしても離れようとしない魔王まおを見て、両親ももう一人子供が増えても構わないと同居を許してくれたんだ。


 で、しかも近い将来更にもう一人俺たちには家族が増えるらしかった。

 どうやら弟らしい。

 今だから言うけど両親からデレデレで報告を受けた時は、正直こっちが何とも言えない照れ臭い気分になったよ……。


「はあ!? そんなの自分で行きなさいよ。お兄様はわたしの相手で忙しいのですわ」

「お兄ちゃん、頼んだ物だけじゃなく、スイーツ雑誌の最新号も買って来てね?」


 義妹いもうとは激高する魔王まおを完全シカト。

 魔王城時代には有り得なかった無視をされ眉をピクピクさせる魔王まおは、むううっと頬を膨らませるやこれ見よがしに俺の腕を強く抱きしめて来る。


「お兄様お兄様、どうせなら異世界にわたしを伴ってみませんか? 自力で異世界に行けない以外はどこかの義妹いもうとと違って足を引っ張るような無能じゃありませんので、色々とお役に立てるかと! 向こうでめくるめく二人のピンク色の時間を過ごしましょう?」


 これには義妹の柳眉が小さく痙攣けいれんした。


「無能……? うふふふ、無能と言うならそれこそどこかのちんちくりんの自称妹と違って、私はお兄ちゃんの頭の中の色~んな望みに応えられるよ? ねえお兄ちゃん?」

「ぶほッ! は!?」


 挑発的に魔王と逆の右腕に抱き付いて来た義妹は不機嫌そうな半眼で、随分と近い位置から俺を見上げて来た。

 うう、何でそんなに怒ってるんだよ。


「ええとあの、リディア?」

「お兄ちゃんは…………………………何でもない」

「へ」

「ちょっと? 頭の中の色んな望みって何ですの?」


 意味深な発言をしてくる割には情操教育がまだ微妙だったらしい魔王が頭に疑問符を沢山浮かべたような怪訝な顔をしている。

 義妹は嘆息すると「大人げなかったかな」とややしょんぼりしたように俺から離れた。


「私今日から神殿だから準備するね。お菓子くれぐれもよろしくだよ? お兄ちゃん」

「え、あ、ああ。リディアが帰って来るまでにはちゃんと全部買っとくから」

「うん!」


 一転満面の笑みを向けて来ると、義妹はさらりとした金髪を翻した。


 勇者をび出し帰還させた奇跡の聖女は、実家暮らしだった。

 なんて事はどうでもいいけど、家族と暮らしたいと言う希望を神殿側は当初渋ったが、義妹は功績を盾に押し切った。


 この調子で法律も変えるんだろうなあ。




「もう準備いいのか?」

「うん。行って来ます」


 迎えの馬車が家の前には停車している。

 俺はうっかり外に顔を出さないよう注意しつつ義妹を玄関まで見送る。

 魔王まおは義妹の留守を嬉しそうにしているのかと思いきや、何だかつまらなそうな顔で俺の横に立っている。

 そのくせ義妹と目が合うとまだない胸をふんぞり返らせ余裕の笑みを浮かべた。


「お兄様の事はわたしが面倒見ますから、リディアはずっと神殿に住んでいていいんですわよ!」

「まお、寝言は寝ている時に言って?」


 静かにバチバチ火花が散った。

 魔王まおに構って疲れたわけじゃあないだろうけど、俺は義妹の表情にやや疲労の色を見てとった。

 さっきまではそう気取られないように気丈に振る舞っていたんだろうけど、もう出るってところだし気を抜いたのかもしれない。

 そういえば昨日までは根回しの一環として各地を精力的に回っていたんだった。


「リディア実は疲れてるだろ。ちゃんと休みも入れないと駄目だよ? 馬車に長い時間揺られるの体に負担掛かるし、転送するから神殿の部屋で少し寝ると良いよ」

「え、えと大丈夫だよお兄ちゃん」


 不調がバレたのが多少気まずいのか誤魔化すように取り繕う義妹。


「ちょっと行ってくるな、魔王まお。外の連中には適当に言っておいてくれ」

「……お兄様の望みなら仕方がないですわ」

「えっちょっとお兄ちゃ!?」


 ぎょっとした義妹は逃げようとしたけど、俺は有無を言わさず彼女の手を摑んで空間を飛んだ。


 神殿内部の聖女の私室。

 俺まで来る必要はなかったと言えばなかったけど、義妹をちゃんと休ませたかった俺は強引にも付いて来た。


「お兄ちゃん、気持ちは有難いけど折角迎えに来てくれたのに……」

「いいから少し寝ること」

「大丈夫なのに……」


 とは言いつつ俺の顔付きが変わらないので渋々備え付けのベッドに潜り込む。


「リディア、無理し過ぎるのは良くないよ」


 俺の小言に、横になったまま義妹はゆるゆると首を左右に振ってみせた。


「これはね、無理って言うんじゃないの。ただの村娘の私が正当な手段で夢に近付けるなら、今の自分の持てるものでそれが叶うなら、労力を惜しまないよ。私はこの世界で家族からも皆からも偽りなく祝福を受けられるような環境を作りたい」


 ハッとした。

 そんな俺を知ってか知らずか、義妹は俺を見つめて頬をやや赤らめる。


「私がどれだけ切実で真面目な気持ちでお兄ちゃんと向き合ってるのか、行動で証明するから。そうしたら誰にも文句言われないでお兄ちゃんは私の好きな人ですって言えるもの」


 言葉が出なかった。


「だから、お兄ちゃん、その時また告白します」


 布団を顔半分まで引き上げて、義妹は火照った顔を隠した。


 こんなのもう二度目の告白だ。

 一度目の、キスを伴った告白はどちらともなく保留という扱いになっている。


 一度目の堂々とした義妹の姿はとても眩しかった。

 二度目の今は状況もあってかとても可愛らしい。

 どちらも、胸が痛いほど。

 どうしてこんなにも泣きたいような気分になるのか。

 義妹の言葉に感動したから?

 自分がこんな良い子に思ってもらえる奇跡に涙?

 こんな俺となんて釣り合わないと嘆いて?

 全部だ。

 そう思う根底にはたった一つの感情が横たわっている。


 俺は義妹が……リディアが好きなんだ。


 異性として。

 彼女がこの上なく尊いものに思える程。


 それに気付いた明確な瞬間はよくわからない。

 街路でのキスから?

 たった今?

 多分違う。

 きっとそれよりも前、いつからか曖昧模糊として俺の中にその恋情はあった。

 けど俺が明確な方向性を持って気持ちに目覚めたきっかけはキスだと思う。

 だからあの時の勇気をありがとうリディア。

 こんな煮え切らないようなおとこを想ってくれてありがとう。


「じゃあ俺、戻るから」

「うん、ありがとうお兄ちゃん」

「あっ、これ魔王まおには内緒な? 疲れが酷い時にでも食べてくれ」

「飴玉?」

「そっ異世界の金太郎あめ。それじゃ」


 彼女はまだ俺の気持ちを知らないけれど。




 数日後、義妹は神殿から馬車に乗って無事に帰って来た。

 向こうでも気付いた周囲から休息と栄養を取らされたのもあって、顔色は良い。良かった。

 で、今は帰って来た義妹とテーブルを挟んで午後のまったりタイム。

 頼まれていた異世界スイーツのチーズタルトを小皿に切り分け持て成しながら、王都での土産話を聞いている最中だ。


「お兄ちゃんに送ってもらったでしょ。実はあの後、神官長が部屋に飛んできたの」

「え」


 ――今ここから異世界スイーツの波動を感じました!……ってリディアさん!? 何故ここに? まだ道中のはずでしょうに。……まさか空間転移ですか? でも貴女は使えないですし…………ハッもしや、再び身を隠したという大魔法使いの魔法ではないですか!?


「なんて、バーンって扉が開いて開口一番に叫んできたからびっくりしちゃった」

「い、異世界甘味に敏感だし、読み鋭過ぎだろ神官長……」

「飴あげて気を逸らして何とか誤魔化したけど、気を付けてねお兄ちゃん。私のために安息を手放すような事態になりかねないし、嬉しいけどやっぱり神殿にまで来るのは駄目だよ?」

「まあー…どこかで見られたらアウトだろうけど、必要な時は労力を惜しまないさ」

「もう、お兄ちゃんは人が良いんだから。でもその時は私も誤魔化すの手伝うね」


 義妹がテーブルに両肘をついて手に顎を乗せ、口元を緩ませる。

 小首を少し傾げたとこがまたぐっとくる。


 ところで、今日もついさっきまで、帰宅した義妹と早速萌え妹年齢の適正値で張り合っていた魔王まおは、異世界スイーツをたらふく食べて満足したのか義妹のベッドですやすやお昼寝中。


 ――適正値って別にないと思うけど。


 そう言ってやったら静かになった。

 義妹とは敵対しつつも女子同士同室だし何だかんだで姉妹っぽくやっているようだ。


「その時はよろしくな。んーまあでも、それよりもさ」


 義妹の力添えの言葉を嬉しく聞きながらも俺はある意味一世一代の勇気を出して提案する。

 俺の秘密がバレて騒がれた時は……。


「もしも収拾つかなくなったその時は、二人で異世界に行こうか」

「お兄ちゃん……?」

「美味しいスイーツがいつも食べられるって特典の他に、俺って言う基本根暗なしょうもない男も付いて来るけどな」


 俺の言葉に義妹は目を丸くする。

 まだ真意を測りかねているんだろう。

 俺もハッキリ言ってやればいいものを、男らしくないな。


「リディアの法整備が待ち切れない場合もこれに準ずる、だ」


 今度こそ義妹は瞳を揺らし、目元を熱くして俺を見つめた。


「お兄ちゃん……」

「ええと、二人の時はもうお兄ちゃんじゃなくても、もごもご」


「……うん、その時は妹の座は魔王まおに譲ってあげようかな。ねえ――……」


 真っ直ぐに俺の名を音にして、義妹は光を振りまくような屈託ない笑顔を浮かべた。





「何となくそれも駄目ですわ~……むにゃ~」


 程なく隣の部屋から魔王まおの大きな寝言が上がる。

 何の夢を見ているんだか。


 穏やかな昼下がり。

 外から射し込む陽光がとても明るい。


 これは勇者と聖女の話じゃない。

 勇者の皮を被った大魔法使いと、兄の協力で聖女を演じた村娘の話。

 そしてこの先も色取り取りの日常が続いていく、一人の少年と奇しくもその義妹だった少女のちょっと変わった話でもある。

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