ねえお兄ちゃん、ちょっと異世界まで行って来て?8

 義妹いもうとの手を引き、二人して石畳の王都を駆けた。

 街角を曲がって神殿が見えなくなった辺りで足を緩め並ぶ。


「アハハ、上手く行って良かった」

「アハハじゃないでしょお兄ちゃん! どうするの! よりにもよって勇者だなんて!」

「いやごめん切羽詰まって成り行きでさ。サプライズって事で?」

「成り行きって何? そんなサプライズいらない。予定と全然違うじゃない!」


 スルーしてもらえるとは思ってなかったけど、案の定お冠の義妹は食って掛かって来た。


「失敗して良かったのに、どうして無茶したの? 目立つの嫌いなのに!」


 そう言った義妹の横顔は下唇を噛んでいる。

 違う……。

 怒ってるんじゃない、悲しんでいるんだ。

 きっと俺の心の傷を思って。

 罪の意識にも似た沁みるような酸っぱいような感情が胸を満たして行く。


「相談もしないでごめん」

「……」

「ホントごめん」

「……」

「ごめ…」

「――もういいよ」


 謝るしか思いつかない語彙力のない俺を、義妹は恨めしげな横目で見て来た。


「もう済んだ事だし、そもそも私が怒るのは筋違いだもん。……でも怒るけど」


 ホントは怒るより心配してくれているくせに、この義妹はホント出来た子だよ。


「それで? お兄ちゃんはどうして無茶したの? 一応理由だけは聞いておく」

「リディアが責任押し付けられたら嫌だと思ったんだよ」

「……!」


 俺が我慢すればいいなら、その方がずっといい。


「あとはリディアが聖女を降りられれば俺的には安心なんだけど」

「人の事ばっかり……」


 ぼそりと呟き怒ったような顔でしばし黙り込んだ義妹。

 どう声を掛けていいものか戸惑い、俺は情けなくも顔色を窺いながら黙って横を歩いた。


「私、聖女のままでいい。前に絶対になりたいって言ったよね。折角それになれたんだもん」


 やっとこさ口を開いたかと思えばまた頑固にそんな事を言う。

 聖女ってそんなにいいものか?

 名誉名声を欲しているわけじゃないだろう義妹のその思考が、俺には未だによくわからない。


「今更だけど、その理由を聞いても?」

「聖女の影響力があれば――法律を変えられるかもしれないから。前に神官長から政治的な力も持てるって、そう聞いたの」


 前ってもしかして初日の馬車の中で、とか?

 だとすれば義妹が自身のためと言って神殿に残った理由にも説明がつく。

 でも正直この宣言はかなり予想外だった。


「ほ、法律? ……って何の?」


「――義理の兄妹の婚姻に関する法律」


「……何でまた?」

「お兄ちゃんって本ッ当に頭に来るレベルだよね」

「ええっ何が!?」


 そんな……普段の俺は何処ら辺で義妹をイラッとさせているんだろうか。

 全く見当もつかない。


「だってお兄ちゃんを誰にも取られたくないもの」

「俺……を?」

「私の本当の性格を知ってもどん引いたりしなかったお兄ちゃんには随分救われたの。最近は上手く隠せてるけど小さい頃はそうじゃなかったから、みんな勝手なイメージを押し付けて来て、勝手に落胆されて随分落ち込んだりもしたんだよ」


 ……ハハハ、当時はとにかく他人と関わりたくなくてぶっちゃけ義妹の本性とかどうでも良かったなんて……い、言えない。

 表面的に可愛いとは思ってたよ。

 でも俺としては魔法能力がバレた以上、より厄介な事態にならないよう無難に接しているうちに慣れただけ、なんても言えない……。


 今は勿論違うけどさ。


「よ、世の中そう言う奴ばっかじゃないと思うけど」

「私にはそういう人がお兄ちゃんだけだったの」

「そ、そう」


 たまたま俺だったってだけだ。

 けどそれを聞いて俺の心は喜びを感じている。

 俺も大概シスコンなんだろう。


「法改正がそんなに大事なのか?」

「それはもちろん。攻める前の必須要件だもん」


 攻める?


「リディアは魔王軍と戦わなくていいんだよ?」

「敵は魔王軍じゃありませ~ん」

「えええ?」


 意味がわからない。

 それでもいつの間にか怒りを引っ込め他人には見せないような無邪気な態度で先を行く義妹を見ていると、こっちも緩んだ笑みしか出て来ない。


「ねえお兄ちゃん?」

「うん?」

「私じゃ太刀打ちできないような遠くになんて行かないでね?」

「それは魔王軍との戦いで死ぬなってこと?」

「ううん。魔王軍程度じゃお兄ちゃんは死なないでしょ」


 えーと、どうだろう?

 まだ戦ってないからわからないな。

 じゃあ異世界って事だろうか。

 それとも別の何か?


「行かないよ。リディアが望んでくれる限りは傍にいるさ。何より君のお願いは断れないし」

「それは、義妹だから?」

「義妹でもそうじゃなくても、俺にとってリディアはすごく大事な女の子ってことだよ」


 ふふんこれだけは胸を張って言える。


 すると義妹は呆れとも照れとも寛容とも諦観ともつかない顔付きで嘆息した。


「……ホント敵わない。これだから絶対に譲れないのよね」


 いつもハッキリしている義妹が珍しくもごもごと何か小さく呟いたけれど、生憎聞こえない。

 会話のせいで注意力が散漫だったのか、通行人にぶつかりそうになった義妹を慌てて引き寄せる。


「お、お兄ちゃん!?」

「いや、人にぶつかりそうだったから」

「ああ何だ、そういうこと」


 驚いたように目を丸くして見つめてくる義妹に苦笑を返すと、義妹は頬を膨らまして拗ね顔になった。愛らしい小動物っぽいな。

 この頃こういう仕種をよく見かける気がする。可愛いからいいけど。


 俺から離れて正面に立つと、義妹は意を決したように顔を上げた。


「私はお兄ちゃんを一人占めしたいから、だからなるべく早く実行するから、それまで他の人を好きになったら駄目だからね?」

「リディ…ア……?」


 それは明言だった。

 宣戦布告だった。

 義妹から俺への。


 踵を上げて、ちょん、と義妹の唇が触れてきた。

 俺のそれに。


「――ッ!?」


 仰け反るようにしてよろける俺は、一気に心拍数が上がって……顔色は、言わなくてもわかるだろ。


 いくら俺でも、ここまでされて気付かないわけがない。






 大魔法使いに出会ったと報告して、勇者たる俺は意気揚々と戦地へと赴いた。

 はっきり言うと、魔王軍の一掃かつ戦争終結は前例のない程に簡単だった。


 人間サイドも魔物サイドも分け隔てなく、平等に、武器と言う武器を異世界スイーツに変えてやったからだ。


 プリン、マカロン、パンケーキ、クレープ、パフェ、ケーキ、羊羹、大福、まんじゅう、コンポート、エトセトラエトセトラ……。


 ――な、何だこの美味いもんは!!

 ――甘党でない者にもお勧めの甘さ控えめ、だと!?

 ――剣がお菓子に!? 何だこの長いグミとか言うやつは! こここんなんじゃ戦ってなんてもぐもぐ、いられない、もぐ、だろっ!


 ふう、これでしばらく戦いすら起こせないだろう。

 徒手空拳の泥沼の殴り合いでもいいと突っ走る奴は、ことごとくマシュマロの海に落としてやった。

 けど、命をやり取りしてきた戦場はそんな甘ったるい浮わつきにいつまでも浸っていられるわけもなく、両軍共に得体のしれない魔法の使い手が居るんだと警戒し始めた。お陰で無駄な戦闘が起きずに済んだけど。

 味方だってまさか大魔法使いが自分たちの武器にまで手を出すとは思ってなかっただろうから、勇者の俺からの「もう一人強い魔法使いがいます」って大嘘にも疑いを持たなかった。


 ついでに悪事の見せしめとして魔王の中心的配下をシロップ漬けにしてやったから、もしかしたらそのうち魔物缶なんてものも出回るかもしれない。


 ――お兄ちゃん、武器がなければいいのよ! いっその事甘い物に変えるとか。


 これはどの程度の魔法を使えばいいのか、攻略方法に悩んでいた俺への義妹の言葉だ。

 きっと冗談半分だったに違いない。

 でも俺は実行した。

 憎しみや怒りのぶつかり合いと化していた戦場に、何ともふざけた終止符だった。

 俺自身もそう思っていたけど、後悔はない。

 感情の折り合いや整理は当事者たちが自分でつけるだろう。


 因みに元凶の魔王はと言うと……。


「お兄様お兄様次は何のおやつ買って来てくれるんですの~?」


 無邪気な少女のつぶらな紅瞳が俺を見上げて来る。

 髪色は黒。

 金髪碧眼の義妹とは何とも好対照な色味だ。


「え、ええと、リディアお姉ちゃんに訊いて?」

「嫌です。あの女は妹の座を争うライバルですもの」

「いや、妹に座とかないから」


 登頂した山を一座二座って数える登山家じゃないんだし。


 十歳くらいの見た目の少女は、当代魔王。

 実は世代交代すると言う魔王はまだ幼くて、魔王軍の侵略は配下が先走ったものだった。


 だから俺は魔王討伐を正確には成し遂げていなかった。


 乗り込んだ魔王城の奥で、家庭教師から宿題を出されて四苦八苦していた魔王を見た辺りから戦意が急激に萎えた。お宅異世界の小学生かって突っ込むところだったよ。

 ……俺の中にあった角の生えた強面の魔王のイメージは総崩れした。

 そんなのと対決が嫌だったから、今まで討伐に乗り気じゃなくて引き籠っていた一面もある。

 だって時々怖いのが家にいて精神すり減らしてる中で、本格的に怖いのとまで関わりたくないだろ。

 まあこれも魔王軍のイメージ戦略が功を奏してたってわけだな。


「いいえ、女同士にはあるんですお兄様!」

「あーへーそうなんだー……」


 お兄様。


 魔王は俺をそう呼ぶ。


 能力的な上下だけじゃなく、異世界のお菓子をあげたら目をキラキラさせて俺に従った。

 ……餌付けされる魔王って正直どうなんだろうな。


 しかも魔王城は彼女の魔法で即時解体。

 テーマパークとかにできそうな貴重な建造物なんだし、別にそこまでしないでもと俺は内心思ったよ。

 そんな魔王は外の世界に出てみたかったと喜んでいた。


 ――連れ出してくれてありがとうございます、勇者様。お強いのですね。まさに理想の殿方です!


 たぶん異世界のおやつに興味を持ったから、向こうへ行ける俺に目を付けたんだろう。


 ――あの、ご趣味は?


 なんて訊かれてバカ正直に「趣味? もち異世界の妹萌えだ!」って答えた俺も悪かったんだと思う。


 ――で、でしたらわたしがこの世界での妹萌えになってみせます、異世界妹など忘れるくらいに勇者様を絶対のお兄様として身も心も献身致しますわ!


 鼻息も荒く主張してきた。

 困った事にその時からずっと魔王は俺をお兄様って呼ぶんだよ。

 この子魔物だし、人間で言う妹って言葉の意味わかってるのかな?


 説得しようがないから放置。

 つまりは好きにさせたんだけど、魔王城近くの安全な場所で待っていてくれた義妹は一緒に来た幼女を訝しんだ。


 どうしたのかと問う義妹を魔王は魔王で無遠慮にもじろじろと眺め回した。


 ――彼女はリディア。俺の義妹だよ。で、リディア、この子は魔王。

 ――魔王!?

 ――ああ、でも今回の戦争にこの子は加担してないみたいだ。

 ――ふうんあなたも妹ですの? ふふんでももうお兄様はわたしの全てを受け入れてくれたのですわ! あなたよりもわたしの方が上級の妹ですわね。全身全霊で愛していますわお兄様~!

 ――えーはいはい。


 無駄に高いテンションに疲れていた俺は面倒なので頭を撫でてやった。


 ――きゃふうっお兄様ああ~ん! 一生尽くしますわ~!

 ――変な声出さないでくれ。まあそんなわけなんだよリディア。この子どうしよう?


 俺たちを見ていた義妹は、何故かにっこり微笑んだ。


 ――いいんじゃない? 萌える妹が一人増えて。


 瞬間、今までで一番、ぞっとした。


 と言う経緯もあって、始まりから義妹と魔王の仲はあまりよろしくない。


 それでもまあ魔王軍と人類の戦争は終わった。

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