ねえお兄ちゃん、ちょっと異世界まで行って来て?5

「ええと、リディア?」


 義妹いもうとの眼差しの意味がわからない。

 ただ、時々怖いってやつとは何かがちょっと違う。

 とは言えトータルするとやっぱり怖いとか思いつつ俺が狼狽うろたえていると、義妹は俺から視線を外して支度の続きをし始める。


「そんな怯えた顔しなくても大丈夫だよお兄ちゃん。ふふっでも咄嗟にお前呼びって」


 何が可笑しいのか義妹は控えめにくすくすと笑った。


「や、そのつい使っただけで、別に悪気はないよ」

「わかってるよ。でもお兄ちゃんからリディアとか君って呼ばれるよりはずっと近い気がするかな。お兄ちゃんになら向こうの世界のあれ……関白宣言されてもいいよ。お前って呼んで?」

「や、それはさすがに。でもお前呼びでもいいならそうするよ」


 俺は何だか照れ臭くて居心地も悪い。

 でも嫌じゃない空気感。

 これが兄と妹ってやつなんだろうか。

 途中から始めた俺にはまだよくわからない。

 俺の様子にくすくすと一頻ひとしきり笑い終え、義妹は思考を切り替えたように表情を改めた。


「安心してね、誰がどう振り向いてくれなくたってお兄ちゃんには迷惑掛からないようにするから」

「いや、そういうつもりで言ったんじゃないんだけど。でも聖女になってもいいだなんてリディアは魔法使えないだろ。入口部分で無理だろうに」

「それは……首尾よく行ったらの話だも~ん」


 首尾よく?


 また俺を見る義妹の眼差しは何故か意味ありげ。


「何?」

「ううん何でも~」


 けど結局何も言わないで話の続きを始める。


「身内が聖女なんて自慢だし、お金持ちにだってなれるし、お兄ちゃんとしてはむしろ私が聖女になった方が好都合でしょ?」


「――なわけないだろ。本気で言ってるのか?」


 一瞬、俺は無意識に威圧の魔法でも使ってしまったのか、義妹は息を詰まらせた。それでもなけなしの意地を振り絞ったのか、


「……本気、だもん」


 なんて言い張った。


「違うだろ」


 本音であるわけがない。

 義妹は俺を含めた家族やこの村を大切にしてくれている。

 お金じゃない。名誉じゃない。

 こんな風に見くびるはずがない。

 たとえ俺が義妹を見くびっていても、義妹は決して。


「違うだろ、リディア」


 もう一度、俺は断言した。

 義妹はバツが悪そうな顔をし、少しの沈黙が流れた。


「お、お兄ちゃんはずるいよ……」


 ややあって小さな唇を窄め更に小さくして、恨めしげな目で言葉を零した。


「お兄ちゃんは、私がいいって言っても、それでも反対するの?」

「それは……。だって聖女だなんて体の良い旗頭として戦場に行かされるかもしれないんだぞ」


 魔物との戦争の最前線に立たされ、最悪命を落とす可能性だってある。

 リディアは普通のか弱い女の子なんだから、そんなのは自殺行為だ。


「危険ならそれこそお兄ちゃんが陰ながら護ってくれればいいじゃない」

「それは……」


 その通りだった。

 俺ならそれができる。

 ……ああそうか、だから首尾よくって。

 俺は義妹の真意に気付いた。


「確かに俺のサポートで危険から遠ざけたり、リディアが魔法を使ってるように見せかける事は出来る。その結果リディアは聖女になれるかもしれない。けど正直、皆の聖女になんてなって欲しくない」


 わがままだけど、家に帰ればいつでも顔を見られる可愛い義妹のままでいて欲しい。


「――俺はリディアを世界に取られるのは嫌だ。そのためなら異世界に百万回だって買い物に行くよ」


 ハッとしたように義妹は俺を見た。


「リディアが犠牲になる必要なんてない。そもそも本来は俺が表舞台に立てばいいだけの話なんだよ」


 そう、犠牲だ。

 俺は聖女の任を犠牲と考える。

 どうしようもない面倒臭がりで臆病な俺のための。

 本当に人前に出るのは御免だ。注目されるのは真っ平だ。

 拳を握り葛藤する俺の俯き加減の顔をじっと見つめていた義妹は、傍に来て俺の手を握った。


「聞いてお兄ちゃん。これは元はと言えば私がお兄ちゃんに無理を言って招いた事態でしょ。自分で蹴りを付けるから、お兄ちゃんは今まで通り静かに暮らして?」

「だからそんなことできるわけなッ…」

「しっ、お父さんたちに聞こえちゃうよ」


 兄妹水入らずで過ごしたいという義妹の要望を両親は聞き入れ、母さんは送り出す前に食べさせようと腕によりをかけて手料理を作っている。本当なら一緒に付いて行きたいだろうに神殿側が身内の同行者を認めなかった。


「とりあえずこのまま行くから、お兄ちゃんは下手にここから動かない事。わかったかな?」

「……」

「私は平気だよ。聖女の件はともかく、もしも召喚魔法が失敗してもお兄ちゃんが助けてくれるんだろうし……なーんて?」


 冗談めかして笑った顔に、何故だか無性に胸が詰まった。

 ああ、助けに行くとも。

 絶対絶対危険な目になんて遭わせないとも。

 大事な義妹なんだから。


 ――心配するな。リディアは俺が護るから。


 そう言いたいのに、言葉が出ない。

 畜生、俺はどこまで意気地無しなんだよ。

 代わりに初めて義妹を抱きしめて自分にそう誓った。


「お兄ちゃん……ありがとう」


 意を汲んでくれた義妹は両腕の中で嬉しそうに目を細め、手を回してくれた。


 で、子供のように顔をすりすりさせてきた。


 …………え!?


 は!?

 何これ!?

 何この超絶可愛い仕種!?


 一気にシリアス感なんてぶっ飛んでった。


 ああ義妹いもうとよ、汝は兄をどうしたいのだ?

 正直このまま放したくない。

 良い匂い~。

 抱き心地いい~。


 っていやいやいや義妹相手に俺は何を考えているんだ!

 いや「いもうと」と言う、げに神々しき存在だからか?

 ノーノーノー異世界の妹萌えは、この時々怖い義妹いもうとには当てはまらないはずだろ俺。

 じゃあ何だこの気持ちは?

 何なんだよ?


「ごごごごめんリディア! 今ちょっと急に何か……悪い!」


 まさかの緊張と変な汗と賑やかな脳内思考のせいで居た堪れなくなった俺は、とうとう義妹を引っぺがし大慌てで部屋を出た。


「――うーん、嬉しくてつい調子に乗っちゃった」


 一人残された義妹がぽそっとそんな事を呟いていたなんて知る由もない俺は、自分の部屋に閉じこもって深呼吸。

 いつになく不自然に顔が熱い。


 そしてその思い当たるもっともな理由に愕然と頭を抱える。


「何てこった。ここまで女子に飢えてたのか俺は……!!」





 時間が経ってようやく落ち着いた俺は、母さんの手料理を義妹と一緒に食べながら、改めて義妹の存在の大きさを感じていた。

 この家からいなくなるのは俺にとっては光が消えるようなものだ。


「お兄ちゃん、じゃあ行って来ます」

「あ、ああうん……」

「もう、そんな不安そうな顔しないで。胸を張って行ってこいって背中を押してくれなきゃ」

「そう……だな。気を付けてな。もしもの時はその、俺がちゃんとリディアを……」

「うん、わかってる。だから安心していられるんだよ?」


 義妹は俺を信じてくれている。

 きっと俺が思う以上に。


「……風邪とか引くなよ。さすがに病気は治せないからさ」

「それはお兄ちゃんも。お父さんとお母さんにも挨拶して来る。二人をよろしくね」

「ああ」


 結局引き留める術も思い付かない俺は、迎えの神官に見られないよう家から出ないまま、義妹の乗る馬車を窓の陰から眺めるしかなかった。


 異世界との接点はもちろん重要だろうが、その類稀なる美貌に目を付けた神殿サイドにより義妹は聖女候補にされたんだと俺は思う。

 その頃、魔王軍と戦う人間側の戦果は思わしくなく、兵士たちは前線からの撤退を余儀なくされ、続く負け戦に人々の不安とそして不満も大きくなっていた。

 それ故、どうにかして兵士たちの士気を高める必要もあったに違いない。


 その方法の一つが聖女の誕生だ。


 現状果たして義妹が正式に聖女に格上げされるかはわからない。

 けれど候補が現れただけでも大ニュース、神殿側はどうにかプッシュするつもりだろう。

 あの実は食えなそうな神官長なんかそういう根回しが得意そうだし。

 権謀術数渦巻かないわけがない国の上層部の人間が、のほほんさんなんて信じる程俺はお気楽じゃない。


 丘の向こうにどんどん遠く小さくなって行く隊列。

 兵士の列に護られた馬車の中、義妹は何を思っているのか。

 寂しさ諦めはもちろんあるに違いない。

 単なる村人の少女が国の決定に逆らえるはずもないからだ。

 下手に拒否して反逆罪になんてなったら大変だから、お咎めのないよう従った一面もあるんだろう。


 全部、俺のせいだ。


 後にも先にも魔法なんて使えない義妹は、不甲斐ない兄を庇って嘘をついてくれたに過ぎない。


 少しだけだけど、義妹は知ってるから。

 魔法能力発現後の警戒ってだけじゃなく、俺が人に好奇の目で見られるのを本当に心底大嫌いなんだって理由を。


 昔、旅一座の舞い手だった実母は俺をよく人前に立たせたがった。

 だけど俺は一芸の才もなくことごとく実母の期待を裏切り皆の笑い者にされていた。

 幼い子供ながらに俺だって笑われるのは嫌だったよ。

 でも実母が望むから、今度こそ成功すれば笑ってくれると思ったから、立ち続けたし成果の出ない練習だって必死に積んだ。

 ……無駄だったけど。

 いつまでたっても失笑の的だったそんな俺に嫌気が差したのか、自分のプライドが許さなかったのか、実母は俺を遠ざけるようになりある日とうとう俺を捨てて舞い手として生きる道を望んだ。


 ――この子はだあれ?


 どっかの流れの魔法使いに頼んで記憶の封印だか消去だかをして、俺を忘れて。


 ショックを受けた俺は一座の芸人だった親父に連れられ、一緒に親父の故郷に戻ったってわけだった。

 その頃には親父と実母の間も冷め切っていた。


 誰かに注目されると過去の嫌な思い出がセットで甦って来る。


 最初のうちは何故か興味を持って注目してくる義妹が鬱陶しかった。

 気にはなったけど、義理の兄妹になったからだろうし、そのうち飽きると放置した。

 まあそのせいで魔法使いだって秘密がバレたわけだったから、若干後悔はしている。

 でも今では、嫌じゃない。

 義妹にだったらいい。

 頼れるあにだって思われたい。


「ああくそ、何やってんだよ俺はッ。……やってやる、もうとことんやってやるさ!」


 自己嫌悪と焦燥の中、遅まきながら俺は腹を決めた。

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