ねえお兄ちゃん、ちょっと異世界まで行って来て?3

 異世界日本に行くのは俺の密かな楽しみだった。

 一人でこっそり誰にも知られずに散歩する。

 遠くから彼の地の人々を眺めるだけで、当初は近くに行ったり買い物なんていう概念は頭になかった。

 これっぽっちも。

 義妹いもうとに秘密を握られるまでは。





 それから何度スイーツや美味い物を異世界日本へと買いに行かされただろうか……。

 でも届けた時の義妹の喜ぶ様を想像すれば、不思議とそんな世話焼きも今は嫌じゃない。


 え? それって単なるパシリだって?


 ははは言っとくけど俺は義妹の舎弟じゃない、舎兄こう書いて「しゃてい」と読む。

 しかもただ頼みを断れない優しい男なだけだ。


 ……。


 畢竟ひっきょう……結局異世界パシリやんけ!


 ま、まあいいんだよ。

 時々怖くたって兄貴は「いもうと」に滅法弱いもんさ。

 いもうとの願いは極力叶えてやりたいってもんさ。

 異世界の妹ものにすっかりどっぷり浸かってるなあ俺。


 ……と、いう俺の日常だったが、ある日青天の霹靂が訪れた。

 ノックもなく。


「――え? うちのリディアがですか? 特別な才能を?」


 玄関先で客人(あいやノックはしたのかも)に応対した美人な母さんが驚いた声を上げた。

 まさか親父とくっ付くなんて村の誰が思っただろうか。

 誰も、息子の俺でさえ微塵も思わなかった。

 足臭いし息臭いし親父は最悪だからな。

 え? 母さんとのデート前はミントの葉っぱを噛ん…?なんてどうでもいいわッ!


 話を戻すと、俺ん家に神殿からの使いとやらがやってきた。

 神官服が窓から見えた時点で俺は息を殺し姿を見せないよう隣室に引っ込んで盗み聞き態勢ON!


「リディアさんからはただならぬレベルで異世界の気配がするのです」

「はぁ…」


 声から察するに母さんはよくわかっていない様子だったけれど、俺はその理由に思い当たり小さく呟く。


「まさか、異世界の食べ物を常習的に摂取しているからか?」


 雑貨などと違って食べ物なら痕跡が残らないかと思いきや、そうでもなかったらしい。

 容器とかは俺が魔法で異世界に転送し、各自治体の指示通りに分別して処分しているから問題ない。

 けどさ、地域によって細かな違いがあって正直面倒なんだよな。

 その苦労を伝えて少しは自重してもらおうと思ったら、


 ――それはすごいねお兄ちゃん! 良いお婿さんもらえるよ~。


 なんて義妹に言われたけどさ、よせやい……お婿さんって何!?


 ――リディアそれを言うなら可愛いお嫁さんだ「え? 何お兄ちゃん?」ろ……。


 負のオーラを放つ義妹が何かアレで訂正を諦めた。

 ふっ因みに俺の神妹グッズは亜空間に仕舞い込んであるから神官たちに悟られる心配はない。

 唯一存在を知る義妹は「三次元よりはいいかな」とか呟いて「このまま二次元で頑張って!」と俺を祝福してくれたようだった。

 二次元で頑張る…………よせやい……。

 でもさ、とても「俺はどっちかって言うとリアル女子が良い!」とは言えなかったよ。

 空気が……。


 はいっ現在に思考を戻そう。

 神殿のお偉いさんがたまたま友人たちと王都に遠出して買い物していた義妹を見かけ、その滲み出すような異世界の気配を嗅ぎ取った。

 伝達に来た下っ端神官の話を聞いていると、そう言う経緯らしかった。


 何てこった。

 おそらく義妹にはそれだけ食べ物での異世界接触が蓄積されている。


「そういうわけで、もうすぐ神官長様も直々に来られます」


 神官長!?


 それって数少ない魔法使いの中でも更に少数の聖属性の魔法使いで作る組織――神殿組織の最高責任者だった気がするけど!?


 因みに国王直属で召喚や預言、託宣なんかも取り扱う。

 宰相と並ぶ高い地位にある者だ。


 ぬわぁんて人呼んじゃってくれてんのおっ!?


 きっとそこの下っ端がやったんじゃないだろうけど、今すぐ俺の手で異世界に飛ばすなりして八つ当たりしたくなる。

 くそ、失念していた。

 神殿勤めの魔法使いはメーターで測るような繊細な魔法的感覚に長けている。

 相対した相手を見極めるって点での確かな慧眼を持っている神殿長になんぞ見られたらいよいよ誤魔化せなくなる。気のせいですなんて言えないだろう。


 俺の魔法能力が発現してから街にも行かず今まで引きこもってきたのは、今日みたいに明るみに出るのを恐れてだった。


 表舞台に引き摺り出されるなんて御免だよ。

 どうせ魔王軍と戦えって言うんだろ?

 血生臭いのは家畜を肉にする時だけで十分間に合ってるよ。


 太陽が雲間に隠れ窓外の日差しが弱まった。


 平穏が崩される、そんな予兆。





 程なく神官の言葉通り小さな村には神官長一行が訪れ、その高貴なるお方の護衛兵士たちで村中が溢れかえった。

 大半は俺ん家の前に待機。


 実家の狭いリビングに置かれた四人掛けの木の椅子とテーブル。


 そこに神官長だと言う中年のおじさんと義妹が向かい合って座っている。


 いや、おじ様と言った方がいいかもしれない。

 確か出自は片田舎の農家だったはずだが、あなたは貴族かと言うような品の良さが放出されている。太陽のコロナかってくらいに。

 さすがは神殿を束ねる神官長様様だな。


「あなたは異世界に行った経験がおありなのですか?」


 落ち着いた優しそうな眼差しを義妹へと向ける神官長。

 俺はこっそり鍵穴から覗き見ている状態だ。

 透視魔法使えって?

 論外論外。察知されるよ。


「いいえ」


 義妹はゆっくりと首を振った。


「では、異世界の何者かと会ったことは?」

「いいえ」

「そうですか。では別の問い方をしましょう。何らかの形での異世界との接触はありますか?」

「あります」


 神官長の問いに義妹は正直に答えた。

 部屋の隅で待機している彼の部下数名がどよめいた。

 驚きとも感嘆とも取れる声を上げた周囲とは裏腹に、神官長は穏やかな表情を変えずに「そうですか」とだけ頷いた。


 俺は依然隣の部屋から盗み見盗み聞きはするものの、決して姿は見せない。

 義妹の隣に母さん、母さんの隣に急遽呼び戻した親父が椅子を置いて座っている。

 構図的には一対三。

 ただ、同席していたものの両親は口を挟まなかった。

 義妹の言葉に戸惑っている。


 にしてもどうしようか、もしも義妹が俺の魔法事情を喋ったら……。


 俺は自分の魔法能力を客観的に見て、大魔法使いの範疇にあると思う。


 異世界に行けるのが最たる証左だ。

 きっとそれは義妹も感じているだろう。

 でも俺は「我こそは!」と世界を救うために魔物と戦うなんて御免だった。

 目立って今の生活を壊したくない。

 それでもいつかは誰かがどうにかしなければ、この村の平穏だってなくなるんだろう。

 そこはわかってるつもりだ。それでもギリギリまで嫌なんだよ。


「それは、どのような形で?」


 神官長の問いかけに、俺は拳を握り内心身構えた。

 頼むからチクらないでくれよ。


 果たして義妹は静かに小さな唇を開いた。


「ええ、実は異世界の主にスイーツが、勝手に召喚されてくるんです」


 え。……はい~?


「と言っても私は魔法なんて使えませんが。どういう原理か、異世界のスイーツ食べたいな~って口にするとそれが私の前に現れるのです」


 ……。


 まあ、半分真実だ。

 俺が義妹の前に現れさせているからなー。

 はあ。


 ……何て言うか、全くの想定外。


「ほう……! 異世界産のスイーツですか!」


 もう一つ完全予想外にも、神官長が身を乗り出し興味津々で食い付いてきた。

 顔にまんま似合って甘党なんですね。


「それで、異世界のお菓子はどのようなお味なのか伺っても?」

「はい、もちろん」


 その後、スイーツ談義が小一時間続いた。

 ……もう帰れ神官長あんた






「それは何と! そういう製法もあるのですか!」

「ええ、そのようです。是非こっちでも試してみたい作り方ですよね」

「ええ、ええ」


 義妹がスイーツを思いうっとり微笑めば、神官長も同種の恍惚に微笑んだ。


 一体何なんだこの会談は……。


 さすがに一時間もドアに貼り付いて観察していた俺は疲れていた。

 幸い間もなく話は終わって、その日は一旦話を神殿に持ち帰ると言って神官長一行は帰って行った。


「ごめんねお兄ちゃん、不安にさせたよね」


 俺の部屋に入って来た義妹は疲労を浮かべる俺の顔を見て眉を下げる。


「でも何回来たってお兄ちゃんのことは絶対何も言わないから、安心してね」

「リディア……」

「ホント大丈夫だよ?」


 嘘偽りなく見上げてくる澄んだ青い瞳。

 自分のこの先の心配よりも俺の心を気遣ってくれるのか。

 俺が人前に出るのを心底嫌っているのを知っているから。


 義妹いもうとは破格ないい子だった。

 ……いつもはこの秘密で強請ゆすってきて、時々怖いのに。


 俺を売るかもだなんて思った俺は、最低の義兄あにだ。


 ありがとうとも、ごめんとも、わかったとも言えなかった。込み上げた罪悪感が咽に詰まって返事が出来なかったから。

 だから俺はせめてもと、無言で義妹の頭をポンポンした。

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