ねえお兄ちゃん、ちょっと異世界まで行って来て?1

 邪悪な魔王軍が勢力を増し、人類との覇権を巡るせめぎ合いが一層激しくなるばかりの、そんな戦乱と動乱の時代。

 この世界の人々は勇者……ではなく、大魔法使いを求めていた。

 栗好きだったと言ういにしえの大魔法使いマローンの再来を謳われるような魔法の鬼才を。

 えっそれを言うならマーリンじゃね?という突っ込みはしてはならない、そんな世界の話だ。

 何故勇者では駄目なのか?

 何故なら勇者とは魔法のない異世界からの召喚者を指し、基本魔法は使えない。


 そう、使えない!


 この世界の聖剣やら精霊やら聖獣やらに好かれるチートを有している場合が多いが、基本それらがなければ戦力として役に立たない。

 つまりは、使えね~って感じだ。


 故に、即魔王に対抗可能な大魔法使いを世界は欲していた。


 神殿の神託の巫女によれば既にこの世界に存在しているらしいが、雲隠れでもしているのか救世の待ち人は未だ現れず、混沌はいや増すばかり。

 加減を知らない魔王軍の脅威、熾烈を極める戦局に人々は恐れ慄き…………とか言われつつもそんな感じはしない超ド田舎の村に一人の少年が住んでいた。

 ロバが牽く荷車が水溜りをしょっちゅう作るような土の農道をのんびり歩く、キングオブ牧歌的な村に。

 英雄の物語はそこから始まる……のかはさておき、そんな村の少年Aの日常を見てみよう。






「ねえお兄ちゃん、ちょっと異世界まで行って来て?」


 近頃異世界通販と言うものを覚えた義妹いもうとは、嘆かわしいことにこれが口癖になっていた。

 まあ通販とは言っても、俺が注文を受けてせっせと買いに行くんだけど。

 はは、通販って言えるのかそれ…………いや、ない。

 ただのお使いだ。


「私ね、この雑誌に載ってるとろけ~る黄金プリンが食べたいな、お兄ちゃん?」


 小さな口元に浮かべた可愛らしい笑みと共に、十五歳になる一つ年下の妹は互いの親の再婚でできた血の繋がりのない兄である俺に小首を傾げてみせる。

 一つも絡まりのない長く艶やかな白っぽい金髪がさらりと揺れ、血色の良い色白の頬に掛かる。

 澄んだサンゴ礁の海を取り込んだような碧眼がくるりと俺の方に向けられた。


「つい三日前シューアイス買って来てやったばっかだろ。あれ結構ハードモードだったんだぞ。向こうで道に迷うし通貨単位がまだよくわからないから一万エンとやらを出して買えるだけって言ったら凄い量来て、あの荷物一人で持つの随分苦労したんだからな」


 まだ肩が凝ってる気がする。


「……ん? ってかあの量をもしかして三日で全部食べたのか!? さすがにあの量は脂肪の源だ…」

「あれ~? お父さんお母さん村のみなさーん何かうちのお兄ちゃんが凄い魔法使えるみた…もが~」

「シーッシーッ! わ、わかった詮索しない! でもプリンはもう少し経ってから買いに…」

「聞いてーお兄ちゃんが異世界転移の魔法を使え…もが~」

「ああもう買ってくる買ってくる買って来ますから……!」


 口をふさいで器用に小声で窘めれば、義妹いもうとは春の花々が綻んだような綺麗で穏やか、かつ満足そうな微笑みを浮かべた。

 村の若い衆が見たら鼻血を噴いてぶっ倒れるに違いない女神の微笑は、俺には策士の冷笑にしか見えない。

 去年までだったら俺も前者の一員だったかもしれないけれど。


「やった。じゃお願いしまーすおに~いちゃん! ハイこれ、装備」

「装備ってか財布と衣服とお買い物バックな」


 俺はがくりと項垂れて諸々が入った異世界旅の道具袋を受け取ると、義妹からやや離れた位置に立つ。


 因みにここは義妹の部屋だ。


 今日も今日とて「お兄ちゃんお兄ちゃんちょっと来て~」とやけに上機嫌で俺の腕を引く義妹に毎度のように部屋に引っ張り込まれ、ちょっと異世界に~なお願い事をされたってわけ。

 去年再婚した現両親なんかは仲良くしている俺たち兄妹を見てとても安心したようだった。


 それまでの俺はコミュ障というかほとんど他人と話さなかった。

 無論実の親である親父とも。

 十三歳の時突如目覚めた魔法能力をひた隠すため部屋には常に鍵を掛け、外出も他者との接触も必要最低限しかしないような秘密主義者染みていたせいだ。

 親父としては村一番というか大陸全土を探しても五指には入るだろう絶世の美少女で社交的な義妹と俺が果たして無事仲良く兄妹できるのか、と不安に思っていたらしい。

 性格は正反対だしな。


「じゃあ、ちょっと異世界に行ってくるな。このことはくれぐれも…」

「――他言無用、でしょ?」


 肯定する代わりに俺は小さく息をついた。

 さてと、意識を集中して魔力を練るか。

 練ると言っても実際に動作をするわけじゃなく思考、イメージの中でだ。

 俺の魔法に呪文の詠唱はいらない。

 けれど自分の中のタイミングを計るために心の中で形だけの最終文句だけは言う。


 ――オン!


 特に何の捻りもない開始の言葉を内心唱えた俺。

 魔法スイッチ的な感覚だ。

 刹那、取り巻く空間が歪み、白く輝き、目の前で「よろしく~」と手を振る義妹があっと言う間に掻き消えた。

 向こうから見れば消えたのは俺の方だろうけど。




 次の瞬間には俺はどこかの建物の屋上に立っていた。


 一見塔のようだが高層ビルと言うらしい。

 俺の世界には建築技術的にまだまだ先にしか造れないだろう代物の床は硬く、これはコンクリートと言うものらしい。

 地上の道路も土ではなく、これと同じように硬い。


「見晴らし、いいな」


 高山に登るか飛行魔法を使わないと見られない景色が目の前には広がっていた。風も強い。

 晴天の下、しばらく風に当たっていた俺は手摺りの方へとおもむろに歩き出す。


 ここは異世界。

 日本と言う地域らしい。

 これから俺はこの世界のとある店で義妹の要望通りの品を購入しなければならない。

 正直すこぶる面倒臭い。


「綺麗な花だか薔薇にはとげがあるってのは真理だな。俺はずっとしがない村人Aでいたかった……」


 俺は義妹に弱味を握られている。


 俺が「魔法使い」だと言う弱味を。


 俺の生まれた世界には魔法が存在し、けれど使える者は極々一部。

 魔法使いは王族貴族から引く手数多でエリートとして将来を約束されるも同然。

 更には異世界に行けると言うか、異世界への道を開ける者は百年に一人いれば良い方らしい。


 つまりは、俺の能力をもってすれば一国の宰相クラスに成り上がるのも夢じゃない。


 いや、驕りじゃないけど魔王軍と比べて遜色ない力があると思う。


 けれど、俺は華々しい人生とは無縁でいたい。

 故郷の長閑過ぎる大自然の中でゆるーく生きて死ぬ。

 歳を重ねた最期は静かに陽の当たるバルコニーで締めたい。

 今だってある意味若年老後を実行中だ。


 だから絶対に皆に知られてはならないのだ。


 偶然俺の超級の秘密を知った義妹は、普段は口調も物腰も優しいし気が利くし可愛いのに、少しでも渋ると掌をかえしたように脅威の微笑みを浮かべる。


 ――村の役人に喋ってもいいのかな~?


 親にさえ知られていない高度な魔法能力をバラされたくない俺は従うしかないんだ。


「ああ、空はどこも変わらないなあ……」


 異世界の空も元の世界同様に青いのには最初驚いた。

 どっちの世界だろうとそこに浮かぶ白い雲には裏も表もないんだろう。

 その純白さを煎じてお腹が真っ黒な義妹に飲ませてやりたい。

 少しは腹黒さが薄まらないだろうか。

 現実逃避気味に見上げ、俺は切ない吐息を漏らした。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る