葬儀とカカシと不可解と3(ホラー)

「そういや達彦、山岡の葬儀の時、お前香典だけ置いてさっさと帰っただろ」


 数日後。

 夕食の席で僕は父から呆れられていた。

 父は寝込んだのが嘘のように葬儀の次の日の朝にはピンピンしていた。


「は? 何で。ちゃんと式の最後までいたよ。終わってからだってそこに長居し過ぎて危うく帰れない所だったし」


 憮然とすると、父は仕方がない奴めというような顔付きになる。


「そうなのか? 悪いな寝ててわからなかったな。じゃあ単に香典返し忘れて帰ってきただけか」

「香典返し? ――あ」


 そう言えば葬式にはそんなものがあるんだっけ。

 でもそんなものは渡されなかった。

 向こうも色々あって忘れてたんだろう。


「気を遣って山岡の奥さんがちゃんと送ってくれたぞ」

「ああそうなの? ごめん」


 そういうことにしておこう。

 まだ数日だけれど、山岡さんの奥さんはどうしているだろう。

 動物も飼っていないようだったし広い家で一人は寂しいだろうな。

 夫の創作したカカシたちは少しでも慰めになるんだろうか。

 あの涙袋の優しげな、少し目尻の下がったあの人にとって……。

 田舎の一日をぼんやり思い返す僕は、ふと眉根を寄せた。


 ……あれ? 顔が、思い出せない?


 バスの運転手の顔は思い出せるのに、葬式にいた人達の顔がことごとく記憶から抜け落ちている。

 山岡さんの奥さんも礼服の男性たちも割烹着の女性も廊下にいた人たちも。

 車で送ってくれたおじさんの顔でさえ。


 何でだ?


「箸を止めて、どうかしたか達彦?」

「え? あ、いや……父さんは山岡さんって行ったことあるんだよな?」

「ああ、そりゃあ。まあ昔だけど。あいつが病気発症する前だから十年以上前か? その頃はまだあいつも独身だったしよく二人で山登りに行ってたなあ」

「独身の時? え? 結婚してからは?」

「生憎当時は仕事がすごく忙しくてな。お前が少し大きくなってからは遊びに行こうと思ってたんだけど、あいつの方が今度は病気がわかって色々と大変だったし、お前とは結局一度も会わせないままだったな」


 どういうことだろう。

 混乱する。

 だって山岡さんの奥さんは父が村に行った時に会ったみたいに言っていた。


「あいつの家な、すっごい山奥でビックリするぞ? すごく道も複雑で初めて行った時は迷ったなあ」


 砂利道は長かったけれど、そんな複雑だったっけ……?

 それに何か引っかかる言い方だ。

 ――ビックリするぞ?

 ビックリしただろ、じゃなくて?


「地図を見ても迷うレベルだ、あれは」


 僕は曖昧に笑んだ。


「とか言って父さん地図描いてくれたじゃん。山岡さんとこまでの」

「山岡んとこまでの地図? そんなもの描いた覚えはないぞ」

「え、でも確かに朦朧もうろうとしながらも描いてくれたよ」

「そうだったか? 記憶にないな」


 父は珍しく上がった熱のせいで記憶が飛んでいるのかもしれない。


「でも何で山岡んとこまでの地図なんだ? 葬儀場は麓の町中だったはずだぞ?」

「……え!? 麓の町って嘘だろ? 話し込んで遅くなったから近所のおじさんに車で駅まで送ってもらったんだよ?」

「近所? って何だお前、葬儀場の目と鼻の先の駅まで、わざわざ車で送ってもらったのか?」

「いやちょっと待って、さっきから葬儀場って何の話? 山岡さんの葬式って山奥の自宅でやったんだけど?」


 すると父はぽかんとした。


「はあ? 何言ってるんだ。不便だし、あんな山奥ではさすがにやらないぞ。山岡の葬式は町中の葬儀会場でって、そう連絡が来たんだからな」

「それ、間違いない……?」

「間違いない。達彦お前誰の葬式に行ったんだ? まあ香典は置いてったみたいだから会場には行ったんだろうが。間違えて他の家のに紛れたのか?」


 父が冗談を言っているようには見えない。

 どういうことだろう。

 それとも本当に僕は全く別人の葬儀に参加したんだろうか。

 たとえば同姓同名の人の葬儀に?

 と、母が不思議そうな顔をしているのに気付いて、僕は燻るような動揺を抑え夕食を掻っ込んだ。

 ただどうしても疑問を放置できずに、夕食後こっそり父に頼んで父の書斎で山岡さんの写真を見せてもらった。


 ――やっぱり間違えてなんてなかった。


 僕があそこで見た遺影は、紛れもなく本人のものだった。

 じゃあ僕は一体どこでの葬式に行ったんだ?

 考えられる可能性としては、二つの場所で山岡さんの葬儀が行われていた説だ。

 地元集落の人たちが善意から故人を偲んでいたと考えれば辻褄は合う。


「じゃあ、あの家はやっぱり山岡さんの……?」


 気付かない内に音にしていた呟きに父が反応した。


「達彦、本当にどこかの家に上がったのか? 一体全体どこのお宅にお邪魔したんだよ? 山岡は自宅の方はもうとっくに出てて、病院に近い所にアパート借りて何年も療養してたんだよ。山奥の家はたぶんもう廃屋みたいになってるんじゃないか? 人の住まなくなった家は急速に傷むって言うしな」


 人が住まない? 廃墟? ……そんなわけない。

 あの家は綺麗に掃除されていた。

 庭だって生垣だって道だって手入れが行き届いていた。

 毎日大勢で手をかけたように。


「……家は、集落の誰かが面倒見てるんじゃないの?」

「山岡たち夫婦があの集落の最後の住人だったと聞いてるぞ。今頃あそこら辺一帯はまるっと野生動物の棲み処になってるんじゃないか?」


 そんなわけない。

 そんなわけない。

 そんなわけない。

 だったら僕の渡した香典だって誰が麓の葬儀場に置いてった?


 ――暗いし山だからここ。


 脳裏に頬の土をほろった目の細いおじさんの顔と声が過ぎる。

 どうして彼は不自然に土なんてつけてたんだろう?

 普通転んだにしても自分でその時に払いそうなものだ。


 あんなの、まるで庭先で倒れたカカシみたいじゃないか。


 そう言えば彼はあのカカシに似てなくもない。

 庭先のカカシたちの中には、割烹着のものもあったような気がする。

 って、いやいやそれは変に飛躍し過ぎか。


「ああこれも山岡のだ。夫婦で写ってるやつな」


 一人心の中で頭を振っていた僕は、差し出された写真を見下ろし言葉を失った。

 そういえば僕はあの女性ひとに「山岡さんの奥さんですか?」とは一度も訊ねなかった。

 向こうも「妻です」とは一度だって口にしていなかった。


「父さん、山岡さんはカカシをよく作る人だった……?」

「ああ、昔はな。村興しとかで張り切って製作してたな。ん? お前に話したか?」

「…………たぶん、寝込んだ時に」


 知らず息を詰めていた。

 僕はあそこが山岡さんの自宅なんだと妙な確信を得ていた。

 無難な言葉を選んで書斎を後にする。


 あの家の人たちは良い人たちだった。

 少々こちらが戸惑うような人たちもいたけれど。

 皆が山岡さんをとても慕っていた。


 不可解、不可思議、摩訶不思議。

 八百万神、付喪神、妖怪、幽霊、鬼……等々。

 世の中には知らないだけでそんな不思議なものがいるのかもしれない。

 時にそれらは人間よりも強烈に真っ直ぐに誰かを思うのかもしれない。

 不意に何者かを彼らの領域に招いてしまう程に。


 自分の部屋に籠った僕はスマホを手にストリートビューを開いた。

 あんな人里離れた田舎の道までが網羅されていたのは幸いだった。

 そして、目的地周辺の画像を、僕は瞬きさえ惜しんで凝視した。

 新芽があちこち不揃いに伸び切った生垣。

 草が生え放題の庭先。

 僕が見た山岡さんの家の別の姿がそこにはあった。

 そして、玄関先に立つカカシを見つけて、スマホを持つ手が震えた。

 目頭が熱くなる。


「ああ……」


 僕の迷い込んだあの場所は本当にどこだったのか。

 山岡さんの家の前で客人を出迎えるように立てられたカカシは、日射しや風雨にすっかり綻び色褪せてしまっていたけれど、涙袋のある優しげな面差しをしていた。

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