咲かせてはいけない花(ホラー)10000字台

 祖父母の前の時代から続く古い我が家の庭には、可愛くて綺麗な花がある。


 何の花なのか、名前すら私は知らない。


 ただ、初夏から夏中旬にかけて紫に近い濃いピンク色の花を付ける。

 砂地に咲く可愛らしい花だ。


 ド田舎とは言わないまでも、都市部から郊外に離れた我が家は裏手がちょっとした山になっている。

 たぶん狸やなんかが棲みついているに違いない。


 山から種が飛んできたのかと思ったが、山の方で同じ花を見たことは一度もない。

 私が物心ついた時にはもう庭の片隅にあったそれは、都市部や住宅街のガーデニング好きのお宅に植えれば、ちょっとしたアクセントにもなって目を楽しませてくれそうだった。


 けれど三年前に亡くなった祖母は生前よく、


 ――芽衣子めいこ、この花は決して人様にあげてはならないよ。


 と言っていた。

 いつもにこにこしている祖母が、その時だけはとても怖い顔で。


 ――気に入らないのなら、ちょん切っておしまいなさい。


 祖母は要らないと思って切った経験があるのだろうか。


 ――この花は切っても抜いてもどこに種が落ちているのか、必ず毎年同じ場所に生えて来るんだよ。球根かもしれないと思って掘り返してみても、一向にそれらしいものはなかったんだ。だから今はもう諦めたさ。


 諦める?

 排除を、ということだろうか。


 どんな花でも大切に世話していたように見えた祖母にも、やはり好みはあったらしい。


 別に私は好きも嫌いもなく気にならないので構わない。

 根っこから特殊な成分でも出ているのか、不思議とその花の周辺に雑草は生えないし手入れ要らずってところもいいと思うし。


 まあ、と言ってもそもそも亡き祖母から庭の手入れを引き継いだのは母だし、私には大学もあるからあまり手伝えない。

 現庭主の母もそのピンクの花については構わないでいる。

 私のように祖母の話に薄気味悪さは感じていたものの、外から見える位置にもないので欲しがる人もおらず、然程気にしてもいないのだろう。


 実は、私は過去に部屋の中で育ててみたくて何度も鉢植えに移植してみたことがあった。

 けれど、結局一度も根付かなかった。


 何度目かの枯れたそれを見て不貞腐れた小学生の私に、


 ――こいつはね、生えているこの家の庭以外では育たないんだよ。


 祖母はやはり笑いもせずそんな事を言った。

 なるほど、環境の変化にデリケートな花なんだろう。

 どうせ根付かないならあげようとあげまいと同じなのでは?

 土を変え水のやり方や栄養配分を変え試行錯誤して苦労した私としては、そう思っていたりもする。


 むしろあげた人が無事に根付かせられたなら、そのやり方を聞きたい。


 夏のある日、私は大学の映画サークルの女子メンバーを招いてホームパーティーなるものを開いた。

 と言っても仲のいいメンバーだけの小さな集まりだ。

 私を含め総勢6人。

 皆成人していたから各自好きなお菓子や料理を持ち寄っての、要は宅飲み。


 半田舎で無駄に広いうちには、二間続きの和室も来客用の布団もあるので6人でも余裕で泊まれる。

 その日の夜は日頃の愚痴やら悩み、将来の展望や恋愛話など、様々な話が飛び交った。


 次の日は曇り空だった前日と違って天気も良く、板張りの廊下から見える庭は陽光が射すととても色鮮やかで生き生きとして見えた。

 そのおかげか、


「ねえ、庭見せてもらってもいい?」


 と、同じ大学3年のY子が洗面所から出た私にテンション高め声で訊いて来た。


「うんいいよ。じっくり見てやって。うちのお母さんも喜ぶと思うから」


 何せ数日前、私が友達を連れてくると決まった日から張り切って剪定やら植え替えやら除草やら、庭の手入れを頑張っていた。

 祖母もそうだったように、母にとってもきっと自慢の庭なのだろう。

 一足先に顔を洗ってばっちりメイクを終えたY子は、意気揚々と廊下のガラス戸を開けて置いてあったサンダルで庭へ下りた。

 一人が庭先へ出ると、実は他の子も気になっていたのか、はたまた女子の気質なのか、結局私も出て全員で自由に散策する流れに。

 散策と言っても貴族の庭園のように大きく広いわけでもないので高が知れているけれど。

 皆は祖母や先祖が植え育て、現在は主に母が手入れをしている色彩豊かな庭をじっくり楽しんで眺めていた。


「訊いてもいい?」


「ん?」

「この花って何て花?」


 一番乗りのY子が例のピンクの花を示して問いかけてきた。


「ごめん私もお母さんも実は知らないの。死んだお祖母ちゃんなら知ってたと思うんだけど……。でもうちに昔からあった花だよ」

「ふーん」

「え? なになに? この花? わーいい色してるね。植物に詳しいY子でも知らないなんて珍しい花なんだ?」


 近寄ってきたのは2年のサークルメンバーR子。

 2年と言っても1浪しているから同い年なのでタメ口だ。


「そうかも。本にもネットにも載ってないし、今まで一度も移植して根付いたことないんだよね」

「へえーそうなの? 気難しい花なんだね」

「まあでも名前なんて知らなくてもね、別にね」


 R子の感想に私は微苦笑しつつそう思ったままを告げた。


「根付いたことないって、――じゃあ私にひと株譲ってもらえないかな? うち学校でも家でも植物触ってるから、もしかしたら上手くいくかも」


 農学部で専攻が園芸系のY子がやる気を出したのか頼んできた。


「うん、いいよ」


 私は即決。


「あ、じゃあ私も欲しい。綺麗だし、珍しそうだし増やさないと~。お金になるかもよ?」


 いつも場を和ませてくれるR子が「ぜにぜに~」とふざけて言って三人で笑った。


 ――――決して人様にあげてはならないよ。


 この時の私は祖母の言葉なんてすっかり忘れていた。

 いや、途中で思い出したけれど、大して気にしなかったのだ。


 最終的には遊びに来たメンバー全員――Y子、R子、M先輩、K先輩、Sちゃんに株を分けてあげることになった。


 持ち寄った材料を使ってメンバーの中でも料理好きが腕を揮った昼食。

 それを終え食後のお茶とスイーツ(別腹)も終えた午後も早い時間。

 4年の2人以外は明日の午前は講義があるので解散という流れになった。


 皆が帰り支度を整える間に私はピンクの花を5人分小さな袋に入れて用意する。


 咲く楽しみを、とわざわざ花のまだ咲いていない株を選んだ。


 母はちょうど買い物なのか外出中だったので株分けは事後報告になるかな。

 今までだって自生に任せてたし、あってないような物だったから怒らないよね。


「――お邪魔しましたー。じゃあまたね。楽しかった」

「またやろうねー。お花ありがとー」

「お母さんによろしく~」


 等々、5人は口々に別れと感想を言って乗り合わせた車2台に荷を積みこむ。

 車を持っているのは4年のM先輩とK先輩。

 ガレージをゆっくり出て舗装道路を小さくなって行く車を見送りながら、私は我知らず溜息をつく。


「あの花、誰かのとこで根付くかな……」


 最後にそう呟いて、私は家に入った。


 けれど私は、忘れていた課題だ何だで忙しく、その日は母に株分けを報告するのをすっかり忘れていた。


 翌日大学から帰ると、ただいまの声を聞き付けた母が気を揉んだようにして玄関まで出てきた。


「芽衣子、もしかして昨日庭のあの花誰かにあげた?」

「へ? あの花って……ああ、あのピンクの花?」

「そう」

「あげたよ。ほしいって言うから全員に」

「全員に……?」


 見るからに青くなり頬を強張らせる母。


「え、ごめんもしかしてあげたら駄目だった? 貴重だった?」


 顔色の変化に不安になると、母はゆるゆると左右に首を振る。


「ううん、いいの。お義母さんの言葉をちょっと思い出しただけよ」

「ああ、人にあげるなってやつ?」

「うん……」


 昔の人の教訓や経験則には何かしら意味がある。

 けれど単なる花一つに限っては当てはまらないのでは?


「お祖母ちゃんも何を思って言ったのか知らないけど、毒とかなさそうだし大丈夫だよね。もし希少な植物でも価値を知らない人間からしてみれば重要じゃないし」

「……そうね」


 それでもどこか落ち着かない母の気持ちが感染うつったのか、私の心もざわざわしたものを感じていた。





 ――あれは余所様で決して咲かせてはならないよ。

 ――もしも根付いて咲きそうになってしまったら、芽衣子あんたがちょん切るなり引っこ抜いて枯らすんだよ。



 その日の夜、湯船に浸かりながら私は祖母のそんな言葉をふと思い出していた。

 人間リラックスしている時に予期しないような記憶の想起や閃きをする事ってあるし、その一つだろう。


「お祖母ちゃんは何をそんなに心配してたのかなー」


 私は、けれど深く考える事もなく、幾日かが過ぎた。


 母も他に何も言って来なかったし、サークルメンバーは普通に学校に来ていた。

 その日は週一の映画サークルの活動日で、私はお勧め映画のディスクを持って視聴環境の整ったサークルの部室に向かった。順番でお勧め映画や見たい映画を持ってくるルールになっている。半月に一度は映画館に行って観賞する日もある。


 部室には既に5人の他に、男子メンバーや他の女子メンバーが集っていた。

 私を見るなりR子とM先輩が寄って来る。


「ごめん芽衣子ー、あの花枯れちゃった」

「あ、私のとこのもー。やっぱり難しい花なんだね」


 2人とは学部も違うので実際に顔を合わせるのはほぼ一週間ぶりだ。


「あーやっぱ難しいんだね、あの花」


「――え、そうなの? 私の所のはまだ大丈夫よ。たぶん根付いたのかな」

「私のもです」

「うちのも枯れてないわ」


 そう言ったのは同学年のY子と2年のSちゃんと4年のK先輩。


「さすがは農学部、と工学部組はまぐれ?」

「ふふ、芽衣子もっと言ってー、しっかり面倒見てるものー」

「ひどいですよ芽衣子先輩~」

「まぐれってちょっと何よそれー」


 称賛されて調子に乗るY子。

 工学部のSちゃんとK先輩はわざとちょっと怒ってみせる口調。


「でもY子どうやったの? 今度生育の仕方教えて!」


 私はしめたと彼女にお願い。


「うんいいよ」


 化粧映えする顔でY子は微笑んだ。


 ――その微笑みが遺影の中に閉じ込められたのは、数日後だった。





 帰るなり台所に寄って突然の友人の死を報告すると、母はしばらく絶句していた。

 まだ若いのに?という顔付きだ。


「まあ、心臓発作……。芽衣子も病気には気を付けなさいね? 検診とかきちんと受けるのよ? あと無理して疲れ過ぎるのもよくないわよ」

「そうだね。そういうお母さんもあまり無理しないでよ?」

「そうね。ありがと。それでお通夜とかはいつ――」


 と、そこで母は何かに思い至ってか、言葉を切った。


「芽衣子、その亡くなったお友達って……もしかしてお花をあげた一人……?」

「え? ……ああうん。そうだよ」

「……そう」


 それきり黙りこんでしまった母。

 私も意気消沈しているけれど、娘の友人の死を悼んでくれている?

 もちろんそう言う面もあるとは思う。


 ただ、それとは少し違うものが混じっている気がした。


「どうかした?」


 私は普段能天気な母を珍しく不安にさせる理由は何かと気になった。


「ねえ?」


 顔を覗き込むと母は何の感情か、曖昧に表情を作った。


「ええ、ううん違うの。ただちょっとあの花についてのお義母さんの言葉を思い出して……。私がお嫁に来た当初からずっと言ってたんだもの」


 ――人様にあげては駄目だよ。不吉だからね。


「っていつも言ってたから」

「何の話かと思えばまたその話? それに不吉って? 私にはあげるなしか言わなかったけど。え、何だろ気味悪いね、それは……」


 でも不幸の手紙じゃあるまいし、あげちゃったものは仕方がない。

 Y子と別の2人のは枯れず、あとの2人のは枯れたという。

 6割生存。

 きっと私や枯れちゃった2人の植え方が悪かったのね。

 案外普通の花だったんだ。


「まあでもそこまで気にする必要はないと私は思うけど?」

「そうよね……」


 私はそうは宥めつつも、どこかで腑に落ちないものを感じていた。


「……もしかして、お母さんも誰かにあげたことがあるの?」

「え? ううん、私はないわ。ただ、お父さんが昔会社の同僚の人に一度だけ……」


 表情が暗くなる。

 まさか、何かあったんだろうか?

 心臓がどくりと嫌な音を立てた。


「その時はお義母さんが物凄い剣幕と形相でお父さんを叱ってね、それであげたお宅に取り戻しに行ったのよ」


 母はその時の様子を思い出し緊張感が蘇って来たのか、両腕を抱いた。


 まさか……、


「……誰か、亡くなったとか?」


「ううん。誰も」


 私は恐る恐るした質問の答えが予想と違って心底ほっとしてしまった。

 祖母の言葉を大きくは信じていないくせに、どこかでは信じている。


 人の心とは実に揺らぎ易い。





 Y子の葬儀が済み、私たち残された仲良し5人は三日と経たないうちに彼女の実家に線香をあげに伺った。

 若い娘を突然亡くした両親はまだ憔悴していて、けれど訪ねてきた娘の友人たちを見ると優しく迎えてくれた。


 初七日もまだなので簡素だけれど白い祭壇があり、正規の位牌ができるまでの仮の位牌と微笑む遺影に線香をあげ、手を合わせた。納骨は葬儀の日に済ませてあった。

 それが済むとおばさんにY子の部屋に案内され、私たちは主のいなくなった寂しくもどこか空虚な部屋に足を踏み入れた。


「あ」


 私は鉢植えに植えられ花を咲かせている例の花を見つけて、思わず声を上げてしまった。

 結局根付かせ方を教えてもらえなかったのは残念だった。


「あ、この花咲いたんだね」


 R子が感嘆したように言って近寄って行く。


「ああ、そのお花ね。もらって来てからY子が大事に育てていたのよ。……少しの間だったけれど」


 おばさんは寂しそうに笑った。


「私たちも育ててたんですよ同じの、でも私のは枯れちゃって。ちゃんと育てられたY子ちゃんは凄いです」


 R子が言っておばさんは少しだけ笑んだ。

 その後は思い出話を皆でしてY子を偲んだ。


 帰りがけ、玄関で靴を履く私たちにおばさんはピンクの花の鉢植えを差し出した。


「この鉢植え誰かもらってくれないかしら。娘の思い出ってわけじゃないけれど、随分気にかけていたし、私や主人じゃ育て方に疎くて。見た事ない珍しそうな花だし」


 私たちは顔を見合わせて、


「なら私が」


 名乗りを上げたのは私だった。

 気持ちのどこかで母の様子が気になっていたから、引き取る方がいいように思えたのだ。


「元々うちに生えている花なんですそれ。だから私が」

「そうだったの」

「だね、芽衣子の家に戻るのがいいかも。私じゃもらってもまた枯らしちゃいそうだし。あ、でもM先輩いる?」

「ううん、私もいいわ。水やりに失敗しそうだから」


 枯らした2人からも異論はなく、鉢植えを受け取って私たちは家を後にした。

 帰る途中、後輩のSちゃんとK先輩が、私が抱える鉢植えを一瞥。


「Y子さんのは咲いてたんですね。私のはまだ小さくつぼみを付けたところですよ」

「えーSちゃんのは生長遅いねえ。うちのはもうそろそろ咲きそうだよー?」


 K先輩は「個体差あるんだねー」と不思議そうにし、私はY子の花を見下ろす。


 Y子の、花……。


 Y子の……。


 自分で思って何故か薄ら寒くなる。

 持つ手に我知らず力が入っていた。

 けれどピンク色の花は物言わず、私の歩みにただ揺れるだけだ。


 持ち帰ったY子の花は、次の日には何故か萎れてしまった。

 我が家に帰って来て、まるで溜めこんだ養分を全て吸い上げられでもしたみたいに。


「ええと、これは皆には言わないでおこう……。この、へそまがり」


 私は花に向かってそう悪態をついた。


 その翌日。

 朝、K先輩から、


 ――花が咲きそう♪


 とラインがあった。


 ――咲いたら写メ送って下さい。あと根付かせた方法も教えてほしいです。

 ――いいよ。今から出掛けるからたぶん夕方になるけどいい? きっとその時には咲いてると思う。


 ――了! 待ってまーす。


 けれど、その日はいくら待てど暮らせどとうとう夜まで連絡は来なかった。


「どうしたんだろ? 忙しかったのかな」


 疑問に思っていると、風呂上がりにR子から着信。


「――芽衣子、さっきM先輩から連絡があって、K先輩が、K先輩がね……」


 その声は震えて弱々しく、伝えた。

 私は呆然として床に座り込んだ。


 ――K先輩が、死んだ。


 自分で車を運転中に崖から転落したのだと、電話の向こうでR子が泣きながら話していた。


「後はSちゃんに伝えないとなんだけど、バイトなのか繋がらない。既読も付かないし。芽衣子ももし繋がったら伝えて?」

「わかった」


 さすがにこういう案件はメールやラインじゃなく直接電話に限る。

 私もR子もそれぞれの端末から至急連絡をと言う旨のメッセージは送った。


「また、お葬式なんて……」


 ――花が咲きそう♪


 唐突に、K先輩のメッセージが浮かんで、私はハッと顔を上げる。


「花、咲いたのかな……」


 何故か無性に気になった。

 何かの予感と言うか、追われるのにも似た衝動に突き動かされ急いで外出準備をすると、私はタクシーを呼んでK先輩の自宅に向かった。

 そこではまだ葬儀諸々の準備が整っていない、しんみりと悲しみを味わっている暇のないバタバタしている頃合いだった。


「あの私、K先輩と同じサークルの者です。すみませんがK先輩が育てていた鉢植えがあるはずなんですが見せて頂けませんか?」


 不幸に駆け付け、家で待機中の親族には怪訝な顔をされたけれど、私の様子が必死過ぎたのかやや非常識な申し出にも応じてもらえた。


 たぶんこれだろうと持って来てもらった先輩の鉢植えを私は見て、両手で口元を覆った。


 咲いている。


 とても綺麗に。


 夜のせいか、うちにあるピンク色よりも私には色が赤く濃いように見えた。


 まるでK先輩が流した血でも吸ったみたいに。


「……お手間を取らせてしまって、すみませんでした。失礼します」


 私はそれだけ言うのがやっとで、踵を返すとふらふらと覚束ない足取りで待たせていたタクシーに乗り込んだ。白髪混じりの頭の運転手の男性は案じるように見てきたが、余計な言葉をかけるのが憚られたのだろう、詮索はせず黙って私の行き先指示に従った。

 車窓から流れる住宅街の景色。


 花が咲いて、人が死んだ。

 それとも、死んだから咲いた?

 ってまさか、そんな事あるわけない。

 でも、もしも祖母の言葉に何か意味があるとしたら?

 ううん、そんな非科学的で非現実的な事有り得ない。

 有り得ない……。


 その時着信音が鳴って、音を高く設定していた私はぎゅっと心臓を鷲摑まれた心地でビクついてしまった。


 ――Sちゃん!


 通話ボタンを押す。


「もしもしSちゃん?」

「あ、良かった~、繋がった。R子さんもM先輩も出なくて」


 ?

 声に違和感。


 億劫そうというか、ハキハキ喋るSちゃんらしくない。


「すいません、私も早く折り返し連絡したかったんですけど……」

「その声どうかしたの?」


 普段と違う疲弊したような喋り方と声音に言い知れない不安が背筋を撫でた。


「ちょっと何か具合が悪くなっちゃって……」


 Sちゃんは確かアパートに独り暮らしだ。


「大丈夫なの? 病院には?」

「行けるくらいは、元気なくて……寝てようかと」

「だったら誰か呼ぶとか救急車呼びなよ!」

「ですかー……?」


 酷くか細い声がそこで力尽きたように途切れて、電話は繋がっているのに応答がなくなる。


「Sちゃん! Sちゃんってば!? すいません行き先変更で!」


 運転手に焦燥に駆られた声で頼んだ。


 Sちゃんのアパートに着くとピンポンを何度も鳴らし、ドア越しに呼び掛ける。

 割と古い建物だったのでオートロックじゃなかったのは幸い?だった。


「Sちゃん! いるんでしょSちゃん!!」


 反応がない。

 電話を鳴らすと中から音が聞こえた。

 中にいるのは間違いない。


 ドアを叩き散々喚くと、さすがに隣人が何事かと出てきた。

 事情を説明するとここの一室に住む大家が合いカギを持っていると教えてくれ、急いで呼んで来てくれた。

 漫画なんかで見る典型的な大家と言った具合いの中年女性と共に中に入る。


 夜なのに電気も付けずにSちゃんは部屋にいた。


「Sちゃん!」


 けれど床に倒れ伏し意識がない。

 呼びかけに応じないけれど、辛うじて息はしているようだった。


「こりゃ救急車だね!」


 大家が即座に連絡して、Sちゃんは到着した救急隊員によって担架で運ばれて行く。


 そうだ皆に連絡しないと。あとSちゃんの家族にも。


 担架の後を心配で付いていこうとする私は、ふと感じるものがあって立ち止まった。

 第六感とでも言うのだろうか?


 え……何だろう? この奇妙な感じ……?


 気になったのは閉められたカーテンだった。


 バルコニーと言うかベランダに通じるガラス戸の方のカーテンではなく、小さな出窓を隠す丈の短いカーテンの方だ。

 Sちゃんの家には何度か来た事があるので間取りは知っていた。


 私はそろりと窓辺に近付いて、そっとカーテンの端に手をかける。

 引いて、その向こうの出窓には、一つの鉢植えが置かれていた。


「――ッ」


 日中はよく日の当たるだろうそこにあったのは、紛れもなくあの花だった。


 ついこの前小さくつぼみを付けたって言ってたのに、もうこんなに大きく膨らんで花を開かせようとしている。

 K先輩のとほとんど変わらない。


「え、生長速度、早過ぎない……?」


 思わず呟く私はハッとして凝視する。

 目の前で、それは見せつけるように蕾をどんどんと膨らませていくではないか。

 花に詳しくなくても、常識的にわかる。


 有り得ない。


「何…これ……」


 その間にも、あと少し、あと一息で花が咲くところまで膨らんで……。

 まさに開花直前。


 ――あれは余所様で決して咲かせてはならないよ。もしも根付いて咲きそうになってしまったら、芽衣子あんたがちょん切るなり引っこ抜いて枯らすんだよ。


 祖母の言葉が脳内にこだまする。


 呼気が引き攣ったように酷く乱れた。

 拳が小刻みに震えた。


 そうだ、これは根付いた3人のうちの唯一まだ残っている株。


 花がまだ咲いていない……。

 けれどあと僅かの時さえ経れば咲いてしまう。


 死んだ2人の友人。

 険しい顔をした救急隊員に運ばれるSちゃんの姿。

 それらが残像のように目の前をぐるぐると回った。


 ――――――――っっ!!


 気付けば、私は衝動的にその花を引き千切っていた。


「あ……?」


 自分の暴挙に我に返り、無残に千切られた葉や折れ曲がった茎や握り潰されたつぼみで汚れた掌を見下ろし呆然とする。


 一人Sちゃんの部屋に突っ立っていた私は、


「ほらっ友達の救急車に乗らないのかい!?」


 と玄関から顔を覗かせた大家に急かされ慌てて手を握り込んで外に出た。


 Sちゃんは、一命を取り留めた。

 どうやら数日前から脳内で出血をしていたらしく、あと少し遅ければどうなっていたかわからなかったという。体調不良を感じていたが無理していたらしかった。


 同じサークルの仲間が、立て続けに2人も……。

 そしてあわや3人目と続きそうになった。

 それぞれ原因は異なるし絶対ないとは言えない偶然だったが、確率的にはかなり低いだろう。


 3人に共通しているのは…………。


 Sちゃんは出られなかったけれど私はK先輩の葬儀に出席した。

 そこで私は例の鉢植えを形見にとお願いし、家族は元々が私の家からの株分けと知っていたので快く了承してくれた。


 持ち帰った翌日、案の定、鉢植えの花は萎れてしまった。


 でもきっと、これでいいんだろう。

 人様のお宅で咲き続けていたらどうなってしまうのかわからないし。

 自室で萎れた花を見下ろし、定かな根拠もないままに、私はそんな風に思った。





「Sちゃんだっけ? 良かったわね」

「うん。順調に回復してるみたい。後遺症とかもないって話だし」


 休日。日中。

 私は家の居間で父と母と団欒をしていた。弟がいるけれど今は高校の部活動に行っている。

 天気もいいので母が庭の手入れへと出て行く。


 私は父からはあの花の話を聞いたことがなかったなと、他に話題もなかったので訊ねてみた。


「お父さんは庭の花の話、お祖母ちゃんから聞いた事ないの?」

「庭のって、ピンクの花付けるやつか?」


 頷くと父は何故か溜息をついた。


「耳にタコができるほど聞かされたけど、どうせ迷信だよ。真面目に聞くだけ無駄だよなあ。だから昔欲しいっていう同僚にあげたらすごい剣幕で責められてなあ、挙句の果てには折角あげたのに取り返しに行っちゃったんだよー。あの時はしばらく会社で気まずかったなあ~」


 ――お前は言い付けを忘れたのかい!

 ――あの花はこの家の人間以外の人間を食う不吉な花だから決してくれてやるなと言っただろう!?


「母さんにはそうドヤされたよ。またあげたら勘当だってまで言われたんだぞー? あの時は話の内容も意味不明だったし本当に怖かった。我が母親ながら鬼ババだって思ったな~、あははは」


 心霊や幽霊を全く信じないタイプの父は、苦笑交じりにそう教えてくれた。


 ――人を食う。


 それは人の「命」を食うと言う意味だろうか……。


 そう考えれば、枯れた方が生きていて、花を咲かせた方が死んでしまったのに理屈が通る。


 花に命を食われたから死んでしまったのだと。


 じゃあ寸でのところで助かったSちゃんはかなり危なかった?

 もし私が引き千切っていなかったら、どうなっていたんだろうか。


「……ってまさか、そんなことあるわけ……」


「どうかしたか芽衣子?」


 否定はできるけれど自分自身心からそう思えるかと問われれば首を横に振るしかない。

 だって私はあの花を引き千切って良かったと本気で思っている。


 この世は知らない事が溢れている。

 いまだ解明されていない不可解な事象も沢山あるのだ。

 有り得ないと否定しても無意味なのかもしれない。


 あの花はいつから庭に根付いたのか。

 祖母はいつそうだと気付いたのか。

 もしや祖母よりももっと前の先祖から伝えられてきた警告なのか。

 祖母も他界し、祖父はそれよりももっと前に鬼籍に入っているため、知る者がいない今となってはわからない。


 もしも、そうもしも祖母の言うようにピンクの花が人を食う不吉の花なら、私は友人を死に追いやったことに――――……。


 敢えて考えないようにしていた罪の意識と言い知れないものへの恐怖が競り上がって、


「――ッ、お母さん! お母さん!!」


 私は堪え切れず母を呼んだ。


「め、芽衣子?」


 父が驚いたような顔をしている。

 きっと父にはこの手の話は通用しないだろう。一笑に付されるだけだ。

 父がこんなだったから祖母は慌てて花を回収しに行ったのかもしれない。


 とにかく、私はもうあの花を見たくない。


 私は必死で自分のせいじゃないと言い聞かせ、庭先の母に縋り付いて泣いた。





 ――以来、もうここ何年とあの花を見ていない。


 何故ならあの花が芽を出すなり、毎年母が除草剤で枯らしているからだ。


 私がそうしてくれるように頼んだ。


 本当に可愛く綺麗で人を惹き付ける――悪魔のような花。


 私は今でもどこかで似たような花を見る度に、ゾクリと背筋が寒くなる。

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