恋と花(前)

「あっすいません」

「私こそごめんなさい」


 日曜休日、街中で肩がぶつかった相手に振り返って謝ると、同じ高校、同じ図書委員一年の松永まつながさんだった。


 知り合いだった事に互いに驚いたけど、向こうも会釈みたいにちょっと頭を下げ謝罪の意を示した。

 前方不注意。

 手元のスマホに気を取られていた僕が悪い。

 いつもなら危なくてこんな歩きスマホなんてしない。

 だけど今画面にはどうしたって目を離せない重要な情報が映し出されている。

 似たようなサイトが幾つもある中からようやく探し当てた、きちんとした内容の世界の不思議能力なんちゃらってサイトだ。

 どこか落ち着ける場所でじっくり読むべきだよなあ。


 前に向き直って歩き出しながらそんな事を考えていたら、後方で「きゃあっ何これ!?」と悲鳴が上がった。


 ……松永さんの声だ。


 恐怖じゃなく不可解や困惑に満ちたこんな悲鳴を僕はもう何度も聞いている。

 心臓がドクリと鳴った。

 まさか……。


「多量の花が降ってきたように見えたぞ?」

「でも突然どこから?」

「お花~!」


 通行人たちの声に、浮かんだ可能性に、僕は振り返らざるを得ない。

 とは言え往生際悪く錆び付いたブリキ人形よろしく首を動かした。


 案の定目に入ったのは――花、花、花。大量の花の山だ。


 茎も葉もないまさに「咲く」部分だけの。

 その花に埋もれるようにして松永さんがへたり込んでいた。

 こんもりと積もった白い花弁は、あたかも純白のドレスを形作っている。松永さんはほっそりしていて綺麗系だからお姫様みたいで似合ってる。こんな時なのに僕は彼女についつい見惚れてしまった。

 ……ってそれどころじゃないだろ。


 僕はまたやってしまったらしい。


 仄かな罪悪感と己の迂闊さに苦い思いが込み上げる。

 なんて事だ。


 松永さんはまだ大丈夫だと思ってたのに……。


 金曜まで一緒だった図書当番までは平気だった。

 人の気持ちは予測不能だと、僕は改めて微かな憂鬱と共に思い知った。

 とりあえず、何食わぬ顔でこの場を立ち去るべきだろう。

 ってか立ち去りたいっ。

 去らせてっ!

 松永さんには悪いけど!!

 どうせその花たちは半日もすれば泡のように勝手に消えてなくなるし。


 と、きびすを返そうとした僕の日和ひよった目と、松永さんのすがるような目が合った。


 ああしまった。


 図書当番の仲ってのもあって、結局僕は知らん振りを決め込む事もできず、彼女を手伝って道端の花を処理した。





 人の恋心が手に取れる形でわかるって、それは極めて厄介だ。――by僕


「いやーごめん手品の練習しててさ」


 なわけない。


「ああそうそう、実は僕手品師志望で」


 なわけない。

 いやそれはそれとして自分の努力と才覚で以って観客を驚かせ魅了さえする素晴らしい職業だとは思うけど、僕の志望は安定の公務員だ。


「どっさり? ホントだよね。さすがに自分でもこれには辟易しちゃったよ」


 本当は全部君の心の花だから持って帰っていいよ……なんてぶっちゃけられたらどんなにいいか。

 でもそんな事を言えば途端に変人認定されるのがオチだ。

 いやそれよりも極秘でどこぞの政府機関の研究所に連れてかれて、人体実験の日々を送らされる可能性だってある。

 先のような台詞を口に、今まで僕は何とか周囲を誤魔化してきた。


 だって僕には人にはない異能があるんだから。


 その能力は、ある日突然、突発的に生じた竜巻みたいに僕を混乱の渦中に引き摺り込んだ。


 ――十四の誕生日に授かる能力で、将来の嫁っこをゲットせい。もしくは有力そうなのに唾付けとけ唾。我が一族のみに伝わる思春期の間だけの特権だぞい。


 とは、霊媒師だった祖母の予言というか半ば命令だ。

 当時小五だった孫に言う台詞か。まだそういうの早くない?

 祖母が余程の心配性だった可能性もあるけど、その一月後には鬼籍に入ったわけだから、良い猫は自らの死期を悟って姿を消すって言うように、祖母も自らの天命を知っていて、だから執拗に念押ししてきたのかもしれない。

 ……身内ながらその霊媒能力にはかなり胡散臭いものを感じてはいたけど。


瀬々せせ、次移動教室だぞ~」

「あーそうだった。サンキュ」


 友人の声に促され筆記具と教材を手に教室から出ようとした僕の目の前に、突如松永さんの姿が現れた。

 飛び出したつもりはなかったけど、びっくりしたように両方の目をまん丸くしている。


「ご、ごめん松永さん」

「謝らないでよ。瀬々くんに用事だったからちょうど本人がいて凄いタイミングって感動したのに」

「ははっ感動って。ところで僕に?」

「うん、昨日は片付け手伝ってくれてありがとうって改めて言いたくて」

「別に気い遣わなくていいよ。昨日も充分聞いたし、元々は僕のせいだし」

「でもあの時頭真っ白になってて、しかも一人だったし、わけがわからない状況の中で混乱もしてて、だから瀬々くんがいてくれて本当に助かったの。瀬々くんが原因だったとしても感謝するのとは別の話でしょう?」

「や、ええと……」


 僕は何と返していいのかわからず曖昧に小さな笑みを貼り付けた。

 僕だって驚いた。


 まさか一日二日であれほどの花を出すくらいに君が誰かを……――


「……好きになったなんて」

「え?」


 え、あ……声に出してた?


「や、あの、うちの弟にさ、好きな子できたみたいで、兄としてはいつの間にって思ってさ」

「そうなんだ? ふふっお兄ちゃんだね」


 松永さんは全く脈絡のない僕の言葉に軽く首を傾げたものの、僕の小脇に抱えた教材を見て取ると、今更思い至ったように入口脇に寄った。


「引き留めちゃってごめんね。移動教室なんでしょ」


 僕は彼女が折角退いてくれたにもかかわらず、その場を動かなかった。

 だってまたぶつかったら大変だ。


「瀬々くん?」

「あ、ちょっと机に忘れ物」

「そっか。それじゃあ」

「うん」


 中へと取って返そうとする僕へと彼女は素直に頷いて、自分の教室へと帰って行く。

 そろりと廊下を覗いて密かにその背を見送ってから教室を出た。

 そんな僕は僕で、駄弁りながら廊下を並んで歩く女子や、ふざけ合う男子にぶつからないように上手く緩急を付けて廊下を進む。


「待ってよ瀬々~!」

「いつもの事だけど先行くなんて冷てえなあ」


 不意打ちで左右から圧し掛かられた。

 ああもう気配を消して近付くなんて詐欺だ。

 右に同じクラスの修二しゅうじ、左に同じクラスの美月みつき

 二人は自称忍者の末裔だ。だから抜き足差し足忍び足は御手のものらしい。

 厄介な。


「ああまた出た花! さすが手品師志望」

「違うって言ってるだろ。あれは不審がられないようにって建前だよ」

「にしても俺様の気持ちがこの程度だと? おい瀬々もっと花出せ!」

「無茶言うな修二。ってか美月は恥じらいとかないの!? 胸当たってるんですけど!」

「うっは~そこハッキリ言っちゃうんだ? にゃにゃにゃにゃ~? 言っちゃうんだあああ~~~~!?」


 ……鬱陶しい。

 僕は修二の頭から落ちかかっていた一つの花をポンと改めて彼の頭に乗っけてやった。

 修二は二つ上の先輩に焦がれているらしい。


 恋に浮かれる人間を頭の中がお花畑なんて言うけど、あながち間違っていない。


 ――僕は誰かに恋する人間に触れると、その相手のお花畑具合に応じて花を生み出してしまう。


 これが祖母が予言した能力だ。確かに十四の時に発現した。

 何故って?


 誕生日当日にうっかりぶつかった相手から見事に花が出た。


 お互いに俯いて歩いてた前方不注意同士だった。

 花に埋もれた相手としばしポカンと見つめ合って、あれは非常に気まずかった。

 幸い他の中学の制服を着た知らない子で、痛かったのか長い前髪の奥に涙が見えたから、近くの公園のベンチで慰めたんだよ。


 よくよく聞けば失恋したらしく、溜息を沢山つくからジュースを奢ってやって、更にはばーちゃん直伝の持論で元気出せ的な事を言った気がする。


 その日以来その子とは会ってないから、花の出現について追及される事はなかったけど、今思えば失恋って結果に終わったとは言え、彼女はあそこまで強い気持ちで誰かに恋していたに違いなかった。

 今頃はどうしているんだろう。

 まあ僕もあの頃はガリベン眼鏡だったし、今はコンタクトに変えて見た目の印象も違うから、仮に道端で会っても向こうは気付かないだろうけど。


 その後、うちの事情を知る腐れ縁の修二と美月の協力もあって、僕は何度か検証と失態を繰り返し僕の能力を把握した。


 恋心の大きさで花の量が変化するのはもう知っている。


 仄かな想いだと一輪や二輪だけど、大好き!って自覚していると多量の花が出る。

 松永さんに起きたような事が実際過去に間々あった。


「いつ見ても俺の恋心は綺麗な黄色い薔薇だよな。まっこの花半日で消えんだけどな~」


 嫌がりもせず頭の花を手に取りしげしげと眺める修二。

 美月から出た試しはない。


 ――いいじゃん別に、恋の大きさは必ずしも時間の長さとは比例しないもの。いつかあたしも一瞬でドーンと大きな恋に落ちるかもしれないしー?


 なんて言ってたっけ。

 まあそういう恋もあるのかもしれない。


「ねえ瀬々。さっき松永さんとな~に話してたの~?」

「何だよ美月そのにやにや」

「いいじゃんいいじゃん、ようやく瀬々嬢にも春が来たのかなあ~って!」

「もう美月、瀬々嬢はやめてよ。今はどこからどう見ても男だろ」

「そだね~」

「くっ……俺の初恋返せ!」

「勝手に女の子って勘違いして僕に初惚れして勝手に絶望したのはそっちだろ」

「鬼畜野郎め~!」


 修二が思い出した心の傷に耐え切れず、忍術なのか人外の俊足で走り去っていった。きっと先に移動先の教室に行ったんだろう。


「で、真相は?」

「昨日道端でぶつかっただけだよ。そしたら花が……」

「松永さんって好きな人いたんだ!?」

「まあ、そうなんじゃないのー」


 心無し抑揚に乏しくなった。他に余計な事は言わないよう注意し、冷静さを顔面に貼り付けたけど、美月は急に白けた目付きになって僕を追い越した。


「その変な力、自分にも使えたらいいのにね」


 変って……。

 僕は前半部分に気を取られて、美月の言わんとしている後半部分は素通りした。


 そういえば次の図書当番はいつだったかな。

 松永さんとの。

 初めは当番があるから委員なんて気乗りしなかったけど、偶然とは言え彼女と組んだおかげか今は嫌じゃない。

 楽しみな先の予定を考えるように、僕は不思議と心待ちにしていた。

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