恋と花(後)

 当番じゃなくても普通に図書室に出入りする僕は、実はちょくちょく松永さんとも顔を合わせる。話題の本の話やお勧めなんかを紹介し合って貸し借りだってしていた。


 その日も松永さんの姿を見かけた、受付カウンター内で。

 本を貸し出している。

 疑問顔の僕に友達の代わりに出ているのだと彼女は言った。

 つまり当番の交換?

 それじゃあ彼女との当番は回って来ない?

 そんな……。


「あ…はは、何だ残念。当番一緒にできるの楽しみだったのに」

「えッ」


 彼女が急に赤くなって固まった。

 怪訝に見やる僕は、ハタと自分の発言を顧みる。


「あっいやっその変な意味じゃなくて。松永さんとは本の趣味も合うし一緒に仕事しやすいしっ、他意はないから安心して!」

「そ、そうだよね……」


 少し俯いて頬を押さえる彼女。

 でもどこかがっかりしたようにも見える。

 え、何で? まずい事を言ったっけ?


「何か……ごめんね」


 え、何がごめん?

 伏し目がちに何を憂えているのか。

 今にも涙が見えそうで、ぎくりとした。

 でもどう考えても、僕のせいだよな。

 でも思い当たる節がない。


「えっとその……私ちょっとお手洗い行ってくるね。あの、お願い、ちょっとだけカウンター見ててくれないかな? すぐに戻ってくるから」

「あ、うんお安い御用だけど……」

「ありがと」


 そう言った松永さんは、ちょっと悲しそうな目をしたまま口元だけで笑った。

 すれ違う瞬間、彼女の横顔からは完全に笑みが掻き消える。


 どうしてそんな風な顔を?

 傷付けたつもりはないのに。


 けど、だけど、こんなのは――……。


「待って!」

「瀬々くん……?」

「何か嫌だった? だとしたらごめん! 僕は松永さんが悲しむのは嫌なんだ。それどころか僕が悲しませるなんてもっと嫌なんだ」


 周囲の生徒の存在も忘れて僕は彼女の手を取っていた。


 瞬間、ぶわっと花が咲き乱れた。


「え……? 松永さん……?」


 僕たち二人を包むようにスノードロップの花が舞う。

 涙滴形の花弁を持つ白い花だ。

 あの日もこの花だったっけ。

 松永さんの恋の花。

 彼女のように。

 綺麗な。


 いくら何でも僕がこの状況下で彼女の気持ちに気付かないはずがない。


 歓喜が溢れた。


 ああ、僕は、そうか。


 きっと可憐な花のドレスに埋もれた彼女を見た時、もう落ちていたのかもしれない。


 彼女に。


 ――自分にも使えたらいいのにね。


 唐突に美月が言った台詞が耳朶の奥に甦った。

 同感だよ美月。

 もし可視化できたなら、僕の中の恋の花はどんなだろう。

 自分自身の花を見られないのを残念に思いつつ、僕はほんのり頬を染め驚いた顔をしている彼女と、あたかも時が止まったように見つめ合っていた。

 いつになく高鳴る鼓動が、どこまでも落ちない希望をこの手に落とし込む。


「松永さん、今日の帰り一緒に帰らない? 僕の手品の種明かし、したいんだ」


 彼女の手をちょっとだけ強く握りしめれば、彼女は「うん、いいよ」と微笑んできゅっと可愛らしく握り返してくれた。





 ――三日前、金曜。


「はあ……」


 二つ並んだ隣の椅子で、松永さんが溜息をついた。

 ここは図書室の受付カウンター。

 いつも落ち着いた雰囲気で、気立てのいいお嬢様って感じの松永さんにもさすがに何か悩みがあるんだろう。


 俯いた様は下向きに咲く可憐なスノードロップみたいだ。


「あっごめんね。あからさまに溜息なんてついて」

「え? いや別に」

「だって人の溜息って聞きたくないでしょ。幸せが逃げるって言うくらいだし。でも少しでも落ち込む事があったりすると気を抜くと出ちゃうんだ。嫌な癖だよね。……中学の時に好きだった人からもそれでウザがられて振られちゃったこともあったし」


 僕は目を丸くした。

 えッ、松永さんを袖にした奴なんていたの?

 彼女はいい子なのに。


「あはは、大丈夫だよ。うちのばーちゃんなんかさ、溜息はつきたいだけつけばいいって言ってたくらいだよ」


 亡き祖母の豪気なのか楽観的なのかよくわからない主張を思い出し苦笑が漏れる。


「重くて嫌な気分を吐き出して少しでも軽くなった心と体で、前を向いていけって言ってた。だから思う存分溜息つきな、だってさ」


 目から鱗とまではいかないだろうけど、何だか妙に目を丸くしていた松永さんがふふっと笑った。


「面白いおばあちゃんだね」

「うん。それもあって人の溜息は全然気にならないんだよ。その人が前向きになるまでの準備期間なんだなって思えるようになった」

「何だか、凄いね」

「あははそう? まあそれでも不快に思う人はいるだろうけどね。でもさ、僕は大丈夫だから、松永さんも他じゃ無理でもここでくらい思い切り溜息吐き出してリラックスしなよ」

「瀬々くん……」


 にっぱと破顔してみせて得意げにした僕だったけど、ハタと思い直して自分の眉間を見上げる。


「あ、リラックスとは違うか~……?」


 いい言葉が見当たらず、うーんと考え込む僕の横顔に彼女の視線が注がれている。

 大雑把とかお気楽な奴とでも思っているのかもしれない。


「……そっか、あれは瀬々くんだったんだ」

「うんむ? あれって?」

「ううん、嬉しい励ましありがと」


 よくわからない指示語にキョトンとして訊き返したけど、どこかボーっとしていた松永さんはハッとしてからふわりとはにかんだ。


 ――ジュースと奇抜な励ましありがとう。元気出そうだよ。


 あれ……?


 何故か一瞬、十四の誕生日に公園で、去り際にあの子が見せた前髪の奥の笑みと重なった。

 僕は思わず何度かパチパチと瞬いて、依然微笑んでいる松永さんを見つめる。

 だけどとうとう不思議そうにされて我に返った僕は、気のせいかと委員の仕事に没頭した。


 その日、カウンターで受け渡しをする松永さんが終始上機嫌だったのは僕でもわかったけど、理由はついぞわからなかった。まあ詮索もしなかったし。


 ただ、道端で彼女とぶつかって盛大に花を降らせたのは、その二日後の事だった。

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