後日談 お待たせ皇子様、出前です!~肖子偉のプロポーズ(後)~

 二人で食事を味わって、その間料理の温かさのおかげか次第に緊張が解けて、食べ終える頃にはすっかり元の二人に戻っていた。

 雪露宮での出前の時から変わらず、茶を淹れるのは肖子偉の役目になっていて、今日も彼は手ずから食後の茶を凛風に淹れてくれた。


「あ、美味し……」

「良かった」


 一口飲めば、甘露のような味わいにほっこりとなった。

 自然と顔が緩んだ凛風へと肖子偉も釣られたように相好を崩した。


(やっぱり茶葉にはこだわりがあるのかな。子偉から淹れてもらったお茶は美味しいお茶しか飲んだ事ない)


 皇子故の贅沢としての高級茶葉なのか、宮殿での生活で培われた肥えた味覚がお手頃茶葉の中から納得するものを選んでブレンドでもしているのか。

 凛風にお茶のあれこれはよくわからないが彼が自分を持て成してくれるために選んだ物だとは、自惚れではなく知っている。

 しみじみとして内心感謝していると、


「凛風にお願いがあるのだ」


 共に静かに茶を嗜んでいた肖子偉がほとんど音を立てずに茶器を置き、そんな台詞を口にした。


「急にどうしたの?」

「……そ、その」

「うん?」

「私とっ…………」


 しかしいくら待っていても向こうから言葉が続けられる様子はなく、不自然な沈黙が不自然な程に流れまくった。

 肖子偉は膝の上で両の拳を握り締め、何故か耳まで真っ赤にしている。


「ええと、かわやなら……」

「ちち違うのだ! ……違うのだ、そうではなくて、私はそなたに……」

「私に、何?」


 余程言いにくい事なのかもしれないと察した凛風は、卓子を回って恋人の傍に行くと片膝をついて真っ直ぐに顔を上げた。目を覗き込んで、その奥の想いすら見通そうとするかのように。


「子偉、大丈夫だから言って?」

「凛風……」


 第三者が見ていたらさぞかし絵になる場面だったに違いなかった。

 凛風は必然見上げる格好になるが、そんな彼女の男前さと優しさに肖子偉は目尻を下げてゆるりと瞬くと、座ったままおずおずと手を伸ばしそっと凛風の手を掬い取って指先を握った。


「私がこれから口にする願いを絶対にきいてくれると約束してほしい」

「……私に無理な事でなければ」


 約束したわけではないが、肖子偉は前途に強烈な光明を見出したかのように顔を綻ばせた。

 自ら立ち上がるのと共に凛風の腕を支えるようにして立たせ、そして深く抱きしめる。


「え、いや、スキンシップはまあ大事だけど、今日ちょっとうちの店忙しくて動き回ってたから汗臭いよ?」

「凛風もそのような事を気にするのだな」

「いや普通気にするとこでしょそれは」


 やや呆れていると、肖子偉は首にくんくんと敢えて鼻を近づけてきた。


「しかし全然汗臭くはないが。むしろ汗ですらそなたからはいつもいい香りがする」

「ええと何なのかなその主張は」


 凛風が苦笑を浮かべると腕を解いた彼は至って大真面目な顔付きになった。


「以前、黒蛇から相手の体臭の感じ方も恋人選びの一つの目安にしていたと聞いた。だから私とそなたはとても体の相性がいいのだと思う」

「……そう言う際どい事平気で言わないの」

「際どい……?」


 小首を傾げる肖子偉には脱力を禁じ得ない。

 以前を顧みれば自分も結構無神経無自覚だったと反省した凛風だったが、最近では肖子偉の言動の方が自覚なく目に余るようになったのが悩みの種だ。

 他人に聞かれて恥ずかしいのは勿論だが、二人きりでもちょっと困る。

 そうかと思えば今のこの台詞よりも明らかに口にするにはハードルの低い言葉で尻込みしたりするから、たまに彼の羞恥の基準がわからない凛風だったりする。


(うーん、自分の気持ちを表現するのと、事実や推測を並べるのとは、感覚的な違いがあるのかも)


「ま、まあいいけど、それよりお願いって何?」


 再度腕を回してぎゅ~っと抱きしめてくると肖子偉はそのままの体勢で口を開く。


「実は次の任地は国の端っこだから、皇都からもそなたの地元の緑安からもかなり遠いのだ」

「そうなの?」

「金兎雲を使っての出前の距離としても、国境までは少し厳しいと思う」

「あはは変な心配は無用だよ。子偉がいるなら隣の国にだって出前に行くよ。ちょっとやそっとの長旅なんてへっちゃらだもの」

「そなたに無理を掛けるのは私が嫌だ。だから、辺境の任地に居る間は出前はしない」

「え……?」


 出前なしという事は、肖子偉と会えないという意味だ。


 凛風は急に不安になった。

 それは無意識に表情にも表れていたようで、肖子偉はそんな恋人の気持ちを察して何だかとても申し訳なさそうに、しかし同時にすごく嬉しそうにした。


「もう、どうして笑うの?」

「いや、その、やはり寂しいと思ってくれているのを実感すれば、そなたに好いてもらえているのだと感動して……」

「そんなの当たり前でしょうに。そうじゃなかったら恋人なんてやってないよ。全く、人の気も知らないで」


 ジト目になって凛風が立腹すれば、肖子偉は一層柔らかに目を細めて喜色を浮かべた。


「だーかーら! 笑うな子偉」

「す、すまない。でもそなたがいつになく可愛くて。それに人の気も知らないのはそなただって同じだ」


 肖子偉はまだぷんすかと怒ってみせる凛風の腰を抱くと、乗り出すようにして正面から覗き込む。

 不意打ちのような接近には凛風はややびっくり眼だ。


「私だって会えないのは嫌だ。というよりそなたと離れているのも嫌だ。ずっとこうして触れられるくらい近くにいたい」

「子偉……」

「うん……」


 肖子偉の気持ちを聞けば凛風も怒りを解いた。そもそも元からさして怒ってもいなかった。

 凛風は互いの眼差しの熱を散らそうと少しまぶたを伏せて目線を下げた。

 この距離がいつの間にかもうとても心地良い。

 それでいてまだまだドキドキもするのだ。


(密着してるわけじゃないから心臓の音は聞こえないだろうけど、脈拍を測られたら困るなあ。絶対に今の私のは飛び抜けて速いもの、恥ずかしいよ)


「あのね、本当は私だってこのままでいたい」

「良かった」


 凛風が努めて落ち着いた声音を心掛ければ、肖子偉は心から安堵したように息を吐く。

 凛風の素直な気持ちの表明は、彼の何かを後押ししたようだった。


「凛風、二人の想いは同じなのだ。だからこの機に、そろそろ……そろそろ…………」

「そろそろ?」


 肖子偉は俯きぎゅっと目を閉じ一度言い淀んだものの、彼は今ここが一世一代の決め所と、ここ一番の切実な眼差しを持ち上げた。


「――私と結婚してくれないだろうか!」


 凛風は一瞬呆けたようにポカンとなった。

 しかし、声を、言葉を絞り出す。


「………………けっこん?」

「そう、結婚」

「ああ、けっこん……ケッコン…………結婚んんんんっ!?」

「一緒に任地に付いて来てほしい」

「……」


 実家の店もあるし、正直なところまだそんな気はなかった凛風は、咄嗟にどう答えればいいのかわからず黙してしまった。


 彼の事は好きだ。


 それを前提としたお付き合いでもあったし、ゆくゆくはそうなる可能性も考えた事はある。


 その沈黙に迷いを感じ取ったのか肖子偉が腕を解いて、凛風の両手を祈るように両の掌で包み込む。


「お願いだ、結婚してほしい。そなたと寝食は元より、同じ日と来ないこれからの毎日を共に過ごしたい」


 肖子偉は、両目をうるうるとさせて捨てられた子犬のように切なげに揺らした。


(うっ……)


 凛風は彼のこんなお願い顔にすこぶる弱かった。


 最近の彼はそれをわかった上でこの芸当をやってのけるのだから参る。

 それでもどうしても無理なお願いは決してしてこないので、怒る事も出来ないでいるのだった。


 きっと今も彼にはどうしても無理だとは思われていないに違いない。


(くっ見抜かれてる)


 そこが少し悔しくもあり迷いとは別の意味で言葉を詰まらせていると、そのまま向こうが顔を近づけてきて凛風は唇を重ねられた。

 拒まず受け入れ、二度三度ついばまれ顔を離した凛風の頬は熱い。

 もちろん向こうも同様だ。

 いや、誘惑する気なのか散り際の桜の美しさのような儚げな色気すら纏っていた。


「駄目だろうか、凛風?」


(うぐぐぐその表情は卑怯だわ~っ)


 彼はまずは耳から懐柔してやると言わんばかりに、耳たぶを甘噛みしてきた。

 いつだかの耳餃子の時とは攻勢が逆だった。

 何か攻めの切り替えスイッチでもあるのか、肖子偉は時々こんな風だ。

 くすぐったくて思わず「ふふっ」と笑ってしまったら、その流れで首筋を辿られ耳の後ろの髪の生え際に……。


「……っ、またそういうことする……っ」

「目立たない場所になら怒らないと思ったのだ……すまない…………」


 しょんぼりされて、凛風は即座に落ちた。


「ああもうわかった。いいよ。そんなにしょげないで、怒らないから」

「本当に?」

「本当に」

「よかった……」


 どうせ目立たない場所だし、付けられてしまったものはどうしようもない。

 最近肖子偉はすごく甘えてくるし少々節度がない気がする凛風だが、彼から注がれる愛情が溢れているのはまあ実感している。

 しかも、かなりセーブされているのだろうと感じてもいる。

 もしもその制限を取り払ったなら、その時はどうなるだろうと考えてしまえば、やけに恥ずかしくなった。


「……本当の本当は目立つ所に付けたいのを我慢しているのだ。……勿論目立たない所にも」

「も、もう……」


(あああ心臓に悪いでしょこれ~っ。確かにね、付き合ってそろそろ一年近く経つけど、良い雰囲気になっても何だかんだで邪魔が入ってずっと我慢させてたからね、うん)


 肖子豪や黒蛇に言わせれば「恐ろしく遅い! 化石か!」という自分たちの交際模様だが、それは互いに距離も仕事もあるし自分たちのせいではないと思う凛風だ。

 それに結婚まで貞節を守るのがこの国では古風ながらも美徳とされているのだし、文句を言われる筋合いもないのだが。


「そなたに改めて願う。――私の妻になってくれ」


 駄目押しのように額をくっ付けられて乙女上等な上目遣いと間近で見つめ合った。


「凛風」

「……」


 うるうるの目。


「私の妻になってほしい」

「…………」


 きらきらの目。


「お願いだ、凛風。時々帰って白家の店の方は続けてくれて構わないが、同じ家に住んで寝食を共にしたい」

「…………………………」


 真っ直ぐで懸命で率直で、そしてきっとしたたかにも答えを確信している目。


 ハッキリ言って、もう駄目だった。


 端から逃げ道なんて、あるわけがなかった。


「…………わ、かった」

「ありがとう凛風っ!」


 あたかも、まんまと敵の策士に嵌められ苦渋の選択を迫られた指揮官の気分で呻くようにして応じると、肖子偉はこの上なく喜んで凛風の腰を抱き上げてくるくると回った。


「えっちょっと危ないよ」


 自分が彼を抱えて回すなら安定するのにと思いつつ慌てると、案の定彼はつまずいた。

 よたよたよたと何歩か転ばずの移動の末、腹の底が浮いて血の気が引くような浮遊感の後に、二人してどさりと寝台に倒れ込む。

 その勢いのままごろごろと布団を巻き込んでしまった。

 二人で包まったまま、互いの驚いた顔を見つめた。

 どちらからともなく忍び笑いが飛び出して、くすくすとした笑声が寝台に大きくなった。


「びっくりした~。でも良かった、偶然とはいえ柔らかいとこで。ね?」

「……うん」


 床だったらさぞ硬くて痛かっただろうと思っていると、自分を見下ろす肖子偉が急にフッと真顔になった。


「凛風……」


(あ、何かこれはまずい)


 本気の口付けが落とされる前にサッと彼の下から抜け出した凛風は、それを見た彼がまたもやお願い顔になるギリギリ前に寝台からも降りた。

 赤面している自覚はあるが何事もなかったていで襟元を整えると、つかつかと方卓に歩み寄って岡持ちに食後の皿を仕舞った。いつものような作業をしていれば気持ちも落ち着いて来ると思ったのだ。


(だってねえ、私だってこのままイチャイチャしたいけど、父さんが帰ってきたらどうするのって感じだし)


 一方、ちょっと拗ねたように寝台の端に腰かけていた肖子偉は、そんな恋人の姿を眺めた。


「それじゃあちょっと皆の所に顔出してくるね」


 後片付けを終え、壁際の卓子に置いていた包子入りの岡持ちを手に部屋を出ようとする凛風へと、肖子偉は慌てて立って戸を開けてやる。


「お、ありがとう」

「凛風、行く前にもう一度口付けを」


 感謝の言葉を口に微笑む恋人へと彼は甘えるような声を出し、


「しません!」


 ピシャリと叱られ、すごすごと引き下がった。





「…………――でも、戻ってきたらね? 今度は私から」

「えっ」


 部屋を一歩出て振り返った凛風が何気なく呟いた。

 何が、とは言わなかったし問わなかったが口付けの事だろう。

 肖子偉は引いていた頬の赤みがぶり返すのを感じた。

 彼女は自分を甘えさせてくれるのが恐ろしく上手い。

 旦那様呼びなどと珍しくも可愛い悪戯を仕掛けて来たかと思えば、いつもの如くとても鮮やかに凛々しい笑みを浮かべてお預けをしてくるのだ。そのくせ不意にまた掌を翻す。飴と鞭をよくよく使い分けている。


 完全に振り回されていた。


 しかし、ちっとも嫌ではない。

 ともかく結婚の承諾は得られた。

 この先自分たちはもっともっとかけがえのない関係になるだろう。


 だからと言うわけではないが、その身分が現実になったらとことん甘えてやろうと、彼は心に刻むのだった。


 一方、岡持ちを手に外廊下を進む凛風は、自分から口付け云々を言い出したものの内心少しだけ臆していた。


(ああ~ドキドキする~! どうしよう、歯止めが利かなくなったらああ~……)


 肖子偉の事を時々食べちゃいたいと思う凛風だったので、そちらはそちらで忍耐を要する事になるのは自分でも目に見えている。


「でも、子偉と朝も昼も夜も一緒か…………ふふっ」


 思い描けば、心は天まで舞い上がる。

 まだ見ぬ自分たちの可能性が光を纏って眼前に広がる。


 出会って好きになった相手が肖子偉で心から良かったと、凛風は袖を揺らす夜風の中を颯爽と歩むのだった。





 ……余談だが、雷浩然は思った以上に早く帰宅した。

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