かまくら(ホラー)約6000字

 俺の実家は雪が多い。

 近年は温暖化の影響なのか年によって差はあるが、どちらにせよ各家々はやろうと思えば余裕で雪だるまを作れる。ソリ滑りなんかも傾斜のある原っぱの雪面をゴリゴリ言わせながらよく滑ったものだ。

 もちろんかまくらだって作れる。

 だが俺は……というよりはこの地域の住民たちはあまりかまくらを作らない。

 俺自身にも一度二度しか作った記憶はないし、それは近所の同世代の顔馴染みたちも同じで、大人たちに強請ねだっても何かと理由を付けて避けられていたように思う。

 手作業でかまくら一つ作るのは案外骨が折れるから嫌がったのかもしれないが、大人たちは子供だけで小さなものを作るのにもいい顔をしなかった。

 そしてもしもどうしてもかまくら遊びをするなら昼間だけにしなさいと、口を酸っぱくして言われたものだった。

 雪だるまならいくら作っても何も言わないのにおかしなものだ。


「ねえお母さん何でかまくらは駄目なの?」

「駄目って言うんじゃないけど、天井が落ちたら大変でしょう。寒いのに雪に埋まっちゃうのよ」


 子供の頃はそれで納得した。

 だが今の俺はそれが方便だったと知っている。

 きちんと作ればかまくらは簡単には壊れない。

 上が崩れてくるなんてのはそうそうない。

 まあ当時は結局疑問にすら思わないまま気付けば大学進学で地元を離れてしまったのだが、バイトに明け暮れ帰らなかった一年二年時とは違い、三年の今年はちゃんと正月に帰省した。そこでたまたまテレビを点けた先で映っていたのを見て、この疑問を思い出したのだった。


「なあ親父、そういやさあ小さい頃かまくら作るの嫌がってたじゃん。あれ何かわけでもあったん?」


 炬燵に入って雑煮を食いながら何とはなしに訊ねると、一足先に食べ終えて茶を啜っていた父親は、やや意表を突かれたような顔をした。


「……どうして今更そんな事を?」

「ん? 何となくだけど」


 俺がキョトンとして返せば親父は小さな溜息をついた。


「心配だったからだよ」

「はは、心配って大袈裟な。庭先にかまくら一つ二つ作ったところで何が心配なんだよ」

「まあ昔、色々あったんだよ」

「昔?」


 親父もここが地元で祖父も曾祖父もここの出身で、代々農家をしている。

 都市部に進学した俺がこの辺鄙な家の後を継ぐかどうかは今のところ未定だが、この場所が嫌なわけじゃない。車でちょっと足を伸ばせば大規模なショッピングモールがありそこで生活に必要な物のほとんど全てが揃う。それに今はネット通販だってあるから趣味の物を集めるのも困らないだろう。

 ただちょっと冬は雪が多めなだけで。


「父さんが子供の頃も祖父さんたちから、かまくらは禁止されていたんだ」

「えー、禁止って、今より縛りきつくない?」

「そうだな。でもあの頃はここいらも夜はもっと暗かったからな……」

「夜? いやいや夜までかまくら遊びしないって。炬燵とか入れてイベントしてる所とは違うだろ」

「まあな……」


 茶を啜る音だけが妙に耳に入ってくる。

 台所にいた母さんが、おかわりは要らないかと顔を覗かせた。


「って、あらなあに? 久々に顔を合わせたのに喧嘩でもしたの?」


 俺たちの微妙な空気を感じ取ったのか、母さんは俺とよく似たキョトンとした顔を作った。


「違うし。かまくらの話だよ」


 ちょうどテレビ画面がかまくらを映し終えて次の企画に進んだ。


「あら、そうなの」


 それだけ言ってやけにあっさり顔を引っ込めたその笑みがどこか嘘臭い。きっと事情を知ってはいるのだろう。外から嫁いてきた母さんが、かまくら一つでやけに神経質になるこの地域性についてどう思っているのか気になった。

 とはいえ、この場で俺は口を噤んだ。

 親父がまだ辛うじて残っている湯呑みの底の水面に目を落とし、この会話を母さんの前で続けたくなさそうだったからだ。

 しばらく雑煮にかこつけて炬燵に居座ったまま、母さんが買い物に出掛けたのをいい事に俺はまだ同じく炬燵にあたっている親父に話しかけた。


「……なあ、さっきのかまくらの話だけど、ホント何か事情があるのか?」

「え? あー……」


 親父は喋らず口元だけを意味なく動かしている。

 俺が辛抱強く待っていると、観念と言うか諦念と言うか、そんなような顔付きで口を開いた。


「神隠しって知ってるか?」

「神隠し? まあ、言葉だけなら。忽然と人がいなくなるってやつだろ」

「ああ。それがあるから昔からここらでは、かまくらを作っても夜は中に入っちゃいけないって言われててな、だから父さんも言い付けを守ってかまくらには入らんかった」

「はあ? 何その馬鹿馬鹿しい規則っつか制限は。夜のかまくらで神隠しなんて本気にしてんの? 暗くて危ないっつーんだったらわかるけど。んなもん今なら明かり持ってけばいいだろうし」

「明かりがあっても駄目なんだよ」

「……えーっと、この現代にマジで言ってんの?」


 親父自身も心の底からは信じたくないのか、答えの代わりに苦笑いを浮かべた。


「夜にかまくらに入ってそのまま消えてしまった人が、実際に父さんが子供の頃に同級生で一人いたんだよ。祖父さんたちやそれより前の時代には、もしかしたらもっと多かったかもしれない」

「単に誘拐とか遭難じゃねえのそれ?」

「そうかもしれないが、真相はわからないままだ」


 詳しく聞けば、身代金の要求もなく、春先に雪が解けてもそれらしき遺体やその一部さえ発見はされていないらしい。だから遭難の線は薄いようだ。誘拐だとすれば由々しき事件だが、もう何十年も前の話でその時の人の出入りを事細かに覚えている人間は少ないだろう。事実その線の手がかりは皆無だったらしい。

 子供とは言え、忽然と人一人の痕跡が綺麗さっぱり消えているだなんて、確かに神隠しと称するにはふさわしい気がした。


「だからかまくらは駄目っつーか、ここじゃ不吉だから作りたがらないのか」

「まあそういうことだ。十全に信じているわけじゃないが、迷信でも気分は良くないだろう。少し怖い気もするしな」

「まあ、わからなくもねーけどさ。あれ、でもそういえば駅から歩いて来る途中の新築っぽい家にかまくらあった気がしたけど。越してきた人はそれ知らねえんじゃん? 教えんの?」


 親父はさすがに渋い顔をした。今時、新しく越して来ていきなり「神隠しに遭うかもしれないからかまくらは作らない方がいい」なんて言われても困るだけだろう。

 言う方だって気が進まない。迷信深い人とか怪しげな宗教の人なんて思われてどうせ割りを食うだけだ。


「まあ、作ったところで大丈夫だろうけどさ」


 まだ全然信じていない俺は、楽観的に締め括ると雑煮で膨れた腹をさすりながら伸びをして、のんびりした実家の正月を味わった。

 翌日、自室で朝寝坊をしている俺の耳に階下で電話が鳴る音が聞こえて来た。布団の中はぬくぬくとあったかいが、室温は下がっているので正直爪先を出すのも嫌だ。

 まあ、ここまで寝起きが寒いのも明日までか。

 案外、俺の通う大学の講義開始日は早い。

 選択している科目は正月三が日が終わってすぐに始まるやつだったから、もう明日には帰らないといけなかった。

 どこか一抹の寂しさを感じながら、眠い頭で途切れ途切れに聞こえてくる母親の声を解読する。


「……いなくなった……、…本当にどこにも?」


 ええと、誰かがいなくなった?

 まだぼんやりする頭で俺は何の危機感もなくむくりと起き上がった。


「うぅ寒っ……」


 それでも布団の中に引っ込まなかったのは、母さんの声がまだ聞こえていたからだった。

 何となく耳を欹ててしまう。


「警察には届けたのよね? ええ、ええ、なら任せるしかないわね。ええ、うん、あたしらの方でも気を付けて周辺を見てみないとね。ねえ、まさかかまくらが悪さしたわけじゃないわよね。……ええ、まあそうよね」


 かまくら?

 世間話に移行して行く母さんの声が素通りして行く。

 行方不明とかまくら。

 どこか不安のようなものが心中に広がった。

 とはいえ、その後起き出した俺に母さんは特に何かを言ってくるでもなかったので、俺は高校の友人との約束のために出掛けた。

 卒業以来ぶりの楽しい時間を過ごした帰り道。

 飲みも入ったのでやや時間は遅い。

 最寄りの駅で降りた俺は、除雪済みの歩道に再び薄く積もった歩道の雪をザクザクと踏み固めながら、寒いので自然と急ぎ足だ。

 と、視線の先にかまくらが見えた。

 例の新築のお宅だ。

 駐車場で幅を取られスペースがないせいで堂々と歩道にはみ出るようにしてかまくらが作られている。歩道が比較的広いから通行に支障はないし、あちこちにある除雪の山に紛れて傍を通りかからないと気付かないだろう。

 しかもそれは誰でもどうぞとばかりに口は歩道側を向いていた。

 もしかして例の誰か家族がいなくなったって家がそこなんだろうか。

 俺の目に口から光の漏れるかまくらの横顔が近づく。

 何となく目を離せず見ていると、壁が薄いのか仄かに透けるぼんぼりのような柔らかな明かりに、何かの黒い影が過ぎった。


「……何だ?」


 中に誰か入ってんのか?

 思わず一旦立ち止まってしまった俺だが、気にせず歩き出す。

 夜の住宅地のかまくらは、俺が傍に寄るのを待つように沈黙している。

 興味本位。

 この家の子供が中でまだ遊んでいるのかと、通りがてらにさらりと視線を落とした。


「え……、誰もいねえ」


 影は錯覚だったのか。

 きっと光源である電池式ライトの電池がヤバくて明滅をしたんだろうと現実的な結論を導き出した。


「電池勿体ねえな」


 無駄に一晩中明かりを点けておくつもりだろうかと人様の電池の心配をしつつ、ほとんどかまくらのなかった子供時代の反動か急激に中に入りたい衝動に駆られた。

 親父の話を思い出したが、


「夜に入ったからって何だっつーんだよ」


 鼻で軽く笑った俺は全く危機感を持っていなかった。

 幸か不幸か時間的に耳目はない。入口の大きさも大人が入れるくらいにゆったりしていた。

 念のために一度辺りを窺ってから、俺はそそくさと身を屈めた。


「はあー何かすっげえ安心感」


 かまくら内部は入ってみると何もなくても案外楽しい。

 電池式のライトを前にしゃがんでいるだけなのに、妙な安堵が湧き上がった。

 その時だった。

 何かの影が過ぎったのは。遠目に見た時と同じような感じだった。

 俺はぎくりとして硬直した。誰かに見られてたならマジで恥ずかしいじゃんと思ったが、外から中に影を及ぼせるだろうかと冷静な部分が違和感を湧き上がらせた。

 外を探っても誰かの気配はない。

 その時もう一度不可解な影が走って、明らかな内部の現象だと悟った俺は悲鳴を呑み込んで忙しない目を内部空間に向けた。

 影がまた過ぎった。


「……なっ…何なんだよ……?」


 もちろんここには俺しかいない。

 だが俺は動いていない。

 そして再度現れた影に、とうとう俺の視線も体も思考も凍りつく。

 それはまるでライトの真下から墨汁が滲み出るようにしてにゆっくりと拡がってきた。

 足下に近付いて来る。

 昔、よく横断歩道で白線以外を踏まないように渡っていた。子供時代の遊びの一つだが、黒いアスファルトを踏んではいけないような楽しい危機感を伴っていた。

 一瞬の間に何故かそんな事を思い出し、この黒に触れてはいけないとそう思った。

 踏めば恐ろしい事になる、と。

 どんどん近付く黒。狭まる足下。早く動かなければ入口からも出られなくなる。

 黒が迫る。だが足は動かない。

 じわじわじわと黒、黒、黒、黒が拡がって……ハッと気付けば、眼前にも黒――――……。


「うわああああっ」


 俺はあわや漆黒に呑み込まれるかという所で火事場の何とかを発揮して、背後のかまくらの壁をぶち破って這うように外に出ていた。

 追われる心地で振り返る。


「――え!?」


 幸い崩れなかったようだが、かまくらの中に光はなかった。

 確かに直前まではライトは点いていたはずだ。

 積もった雪の白さと周辺の家々や外灯から届く薄らとした光の紗が辛うじて俺の視界を確保してくれている。

 呆然とする俺はもう息さえし忘れてかまくらを見つめた。

 しばらく見ていたがそれ以上は何も起きなかった。

 どこをどう通って実家まで辿り着いたのかほとんど覚えてはいない。見慣れた軒先に我に返って泣きそうになったものだった。

 まだ起きていた母さんは、酔いがすっかり覚めた俺の顔をまじまじと見つめると静かに言った。


「追い焚きしたお風呂であったまりなさいね」

「……あ、うん」


 小さな子供のような返事で応じ、俺は言われるままに風呂に入るとすっかり冷えてしまった体を湯船に浸からせた。

 気付けば、心地よく解れていく全身が気持ちも緩めて、深い深い溜息が零れていた。

 ホッとしたどころじゃない、今までの人生で一番の安堵が漏れたと思う。

 叫びたいような泣きたいような衝動が込み上げて、パシャリとお湯を顔面にぶつけた。

 結局行方不明になったっていう人は、同じ町内の認知症で徘徊癖のあるご老人で、ご老人は自らでタクシーを拾って近郊の旅館へ行き、亡き妻との思い出のその旅館のラウンジで一人ぼーっと座っている所を保護されたらしい。何とも傍迷惑でボケているのかいないのかよくわからないご老人だ。

 今回、かまくら云々と失踪には何ら関連性はなかった。

 なら、あれは何だったんだろうか。

 混雑する上りの新幹線内で立ちながら、ぼんやりと思った。

 俺の見たもの感じたものは果たして……。

 以前、カエルが蛍を丸のみして腹が光っている動画を見たが、何故か今、俺はかまくらの中の明かりが、カエルに丸呑みされた蛍に似ていると思ってしまった。本当にどうしてか。

 静かな黄色い温もりを漏らしているかまくらは幻想的ですらあったが、大事に大事に腹の中の明かりを抱え込んでいる姿にも思えた。

 蛍は逃げようと暴れてもきっとカエルの方が折角の栄養を逃さないだろう。

 光はやがて消えるのだ。

 もしも俺があの得体の知れない黒い影に呑まれていたら、果たして今頃は――……。

 俺はたぶんきっと、運が良かっただけだ。

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