竹林の墓所(ホラー)

 田舎にある僕の祖父母の家の近くには孟宗もうそう竹の林がある。

 竹の中でも口径が太い種類の竹である孟宗竹は、毎年春にたけのこという恵みを僕たちの食卓に齎してくれる。

 いつも家族総出で筍堀りに向かうその竹林だったけれど、観光地程に手入れが行き届いてはいない。

 つまりは、適度な間伐が追い付かず、やや鬱蒼としているのだ。

 手入れされていない杉林のように薄暗い竹林内。

 ただ、そこは竹の一本一本が周囲の音を吸収でもするのか、いつもとても静かだ。

 反対に、カサカサと黄色く枯れた竹の葉を踏む自分の足音は良く聞こえる。地面に降り積もったそれらの竹の葉はゆっくりと時間を掛けて天然の腐葉土になっていくのだ。

 先祖代々と積み重なった時間の遺物でもある柔らかな地面。

 そんな土で出来ている竹林だからか、掘りやすいのは人間だけではない。

 折角のたけのこを、猪に頂戴されてしまうのは珍しくなかった。

 猪の筍狩りは、その際ちょうど僕の片足がズボリと入ってしまうような穴を掘ることもある。油断していると枯れた竹の葉に隠されていたそれにはまる。実際何度もやった。

 彼らも旬の美味しい恵みを好むのはわかるけれど、正直畜生と思わなくもない。


 そんな風に野生動物との共生いや競争をしながらの毎年楽しみな筍狩りだったけれど、祖父は一人でこの孟宗竹林に入るのを好まなかった。


 もちろん、野生動物による被害や遭難の危険を考えて、僕も一人で山の中はお勧めしないけれど、家の近くで範囲だって高が知れている竹林だ。不安はない。

 そんな慢心もあって、僕はその年の筍狩りシーズン、張り切って家族たちよりも早く支度を済ませると一人意気揚々と竹林へと向かった。

 どうせしばらくすれば皆も向かうからか祖父は止める事はしなかったが、どこか少し心配そうな顔はしていた。

 青天の下の早朝の清々しい空気の中向かった孟宗竹林。

 見上げれば遥か先の天井は高くそびえた緑の竹の葉で満たされ、それらは陽に透けて色を薄くしていた。そこに重なるようにして小さく千切れたような水色の空が見える。

 それだけを語れば自然美よろしく爽やかな情景だろう。

 けれどそれは逆を言えば地上付近には陽が遮られて明かりがほとんど入らないという意味だ。

 やっぱり今年も思うように手入れが追い付かない薄暗い竹林がそこにはあった。

 薄暮にも似た周囲はとても静かで、時に癒しを求める心にとても染み渡る。


 しかし時折り、その静寂は――死者にも通じる。


 この竹林は、昔々の本当に戦国時代とかそこら辺の時代から僕の一族の土地だった。

 昔は現代みたいに車社会ではないから、家があれば、当然その近所に墓所がある。


 ここまで言えば想像はつくと思うけれど、この孟宗竹の林にはかつてご先祖の墓所があった。


 もう墓を移して久しいらしく墓石はないけれど、ここにあってここを掘り返したのかな、という竹林の中の不自然に大きな段差や、墓石の欠片かもしれないやや大きめの岩なんかが転がっている。

 今ではその場所も大自然の一部に還り、見事に太い孟宗竹をにょきにょき生やしているけれど。

 僕はこれまで同様、特に墓の跡だとかそうでないとかを気にせずにその中を歩き回っていた。


 ふと、何となく足を止める。

 ざわざわと、少し風が出てきただけで、この孟宗竹の林は人の不安を掻き立てるような葉擦れの音を大きくする。

 まだ家族は来ない。

 周囲をそろりと見回しても当たり前だけれど、僕一人。


 生者が、ただ一人。


 ぶるりと、何故か背筋が震えた。

 意気込んで一人で竹林の中に身を投じた事を少しだけ後悔し始めていた。

 例え何が出て来てもきっとご先祖だ、といつもなら笑い飛ばすような非科学的な思考を大真面目にして、新たな筍を探し前方の地面へと目を凝らす。

 故に、灯台下暗しというか足元への注意がおろそかになっていた。

 気付けば、ズボッと踏み出した片足が猪の掘った穴にはまっていた。

 不格好によろけはしたけれど、幸い変に捻ってもなく何とか転ばずに踏みとどまった。安堵の溜息をついて何気なく足を引き抜こうとした。ちょっと猪この野郎と思いながら。


 刹那、ぎゅっと、筍の根っこが邪魔をしたのだろうか。穴の中で足首が挟まって抜けなかった。


 本当の本当に、僕は初め何の疑問もなく、単に根っこが引っ掛かったのだと思ったのだ。

 竹は地中で縦横無尽に根を張り巡らす。地震に強いと言われる所以がそこにある。

 少し力を入れて踏ん張れば抜けるだろうと、傍に生えていた太い竹に手をついて片足を引っ張った。

 しかしそれでも抜けない。

 これにはさすがに僕も危機感を抱いた。このまま抜けなかったらどうしようと一抹の不安が湧き上がったのだ。それは怪奇的な方面ではなく、単に家族に迷惑をかけるかもしれないという思いからだった。こんな所で一人きりだからか、レスキュー隊を呼ばれたら……なんて冗談抜きに想像していたのだ。


 だから何の心構えもなく、どう根が張られているのか、もしかしたら引っ張る角度が悪いのか、とよくよく下を覗き見た。


 穴の中の自分の足先を。


 血の気が、引いた。


 悲鳴を上げたかもしれないし、上げなかったかもしれない。

 実は意識が飛びそうに恐ろし過ぎてよく覚えていなかった。

 とにかく渾身の力で自らの片足を穴から引っこ抜いて、ただただ拘束から逃れたいという一心だった。


 足首を摑んで阻んでいたのは、古びた白骨の手だった。


 抜けた勢いで尻餅をつき、不規則に引きままならない口呼吸を何度も何度も繰り返して、からからになった咽に唾を送り込む。


 穴の中には、確かに人の骨があった。


 きっとご先祖の。

 墓を移した時に漏れていたのかもしれない。

 何しろ何百年と前からの墓で、当時は明確だったものの徐々に竹林に呑み込まれてわからなくなってしまった墓もあるだろう。

 遺骨がこんな浅い場所にあるわけもないから、きっと竹が地中で押し上げてきたに違いなかった。

 人生史上かつてない恐怖と動転に見舞われ、上手く力が入らない四肢を叱咤してゆっくりと立ち上がる。

 はまった穴を恐る恐る見下ろして、確認する。


 ――っ!?


 また尻餅をつきそうになった。


 一瞬、そこに人の顔が見えた。


 目元だけだったけれど、青と言うか白と言うか薄い紫と言うか、そんなような死者の色をした男性が暗い小さな穴の底から明らかにこちらを見ていた。


 まるであの世からこの世を覗くように。


 呼吸を止めて瞬いた間にその顔は消えてしまったから、もしかしたら恐怖が見せた幻だったのかもしれないけれど、人骨の方はやっぱり現実だった。

 家族を呼んだ方がいいのだろう。

 いや呼びたい。

 なのに呆然と立ち尽くす僕は、そこに背を向けるのが何だか酷く恐ろしくて、しばし動けずにいた。

 足が墓石のように重く、それに抗ってまで急いでその場を離れる勇気が出なかった。

 結局どうも出来ず、僕は家族が来るまでそうしていた。

 それほど時間が掛からなかったのは幸いだった。

 家族も騒然となったけれど、その中でも青い顔をした僕をずっと最後まで心配して背中を摩ってくれていたのは、意外にも祖父だった。


 その後、その遺骨は無事にきちんと今の墓所に納められたらしい。

 らしいというのは、僕が都会に帰ってから諸々がなされ事後報告だったからだ。


「――実はな、オレも子供ん頃ご先祖さんの骨を見つけた事があったんだよ」


 今はお盆に家族で来ていた。

 畑の収穫を手伝う僕の方へ寄って来た祖父が、苦笑いを浮かべてこっそりとそんな秘密を打ち明けてくれた。春先に言わなかったのは、僕の精神が落ち着くまではと気を遣ってくれたに違いない。


「筍に引っ張られてご先祖さんが地面から出て来ててなあ。そん時少し怖い思いをしたんだが、誰も信じてはくれんだろう。お前はどうだった?」


 僕は両目を驚きに見開いて祖父を凝視した。


「だから、じいちゃんは一人で竹林に行きたくないんだ」

「まあな。あそこはただでさえ薄暗いから気味が悪いしな」


 今まで、家の傍だと言うのに竹林の間伐が思うように進まなかったのは、そんな裏があったらしい。

 力仕事に向かない祖母を無理に誘うのも躊躇ためらわれ、後回しにしているうちにどんどんと新たな竹が伸びてしまったのだ。


「じゃあ、日当たり良くしに行こうよ。いいでしょ、二人でなら」


 僕も一人では行きたくないと告げると、ようやく同志を得た祖父は「そうか」と嬉しそうに苦笑した。


 もしかしたらまだ取り残されているかもしれない遥か過去のご先祖が、また僕たちに何かを訴えてくるかもしれない。


 願わくは、竹よ、静謐せいひつに身を埋めるご先祖を起こすような真似は止めてくれ。


 祖父と並んで立つ孟宗竹の林前。

 青く澄んだ空と微風に揺れる竹の葉を見上げ、僕はそんな事を思った。

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