スライムと猫についての僕のとある葛藤(異世界ファンタジー)約6000字
魔物が
これは冒険者をしている僕がまだ故郷の村に居た頃の話。
一時期魔物であるスライムから日々の生活を脅かされていた僕が一念発起し、スライム撲滅を主とする冒険へ旅立つ前のある出来事だ。
詳しく言えば、実家の排水管に棲み付いていたスライム共を一掃し平穏を取り戻していた頃の……。
――猫は液体か?
どこかの異世界でそんな科学論文を書いた研究者がいたらしい。
異世界から漏れて来た情報を受け取るとかいうこの王国の王家専属の託宣者が、嘘かホントかそんな言葉を呟いたんだとか。
まあ田舎の僕の村まで噂が回って来たのはそれが呟かれて随分経ってからだろうけど。
これは、箱や容れ物に入るのが大好きな猫が、色々な形の容器にぴっちり器用に入るのを考慮すると、猫の柔らかい体は固体じゃなく液体なんじゃないの?っていう趣旨のものだ。
水を例に取ればわかると思う。
水は入れられた容器の形に自在に変形する。それが液体の定義の一つ。
だからサラダボウルや筒状の容器の中なんかに難なく収まってしまう猫も、短時間では固体に見えても長時間的に見れば容器に合わせて形状を変化させる液体の定義が当てはまる。
……つまり猫は液体だ、と言えてしまうのだ。
そこでだ、それを聞いた僕は一つその概念で別の問いかけをしたい。
それは「スライムは液体か?」というものだ。
因みにここで言うスライムは単なるスライム状の物体という意味じゃない。
僕たちの住む世界で魔物として存在するスライムのことだ。
目と口があって「にたあ~」とか笑って襲ってくる、小憎たらしい魔物の。
答えは是。
スライムは液体だ。
猫の液体論同様に、ロングスパンで見ればの話だけど。
しかも猫よりも早く形状を変えられるに違いない。
以前ハート形のバケツを上から被せて踏ん付けたら、ハート形になって出て来た……。
ということは、だ。
猫も液体。スライムも液体。
猫=液体=スライム
猫=スライム
故に単純に考えて「猫はスライム」もしくは「スライムは猫」ってことになる。
でもだからと言ってまんまイコールで結び付けるのは早計だ。
数多に存在する液体の組成や常態、性質は実に多様。
だからこれはまだ真偽を論じるべき「問い」でなければならない。
猫はスライムか?
スライムは猫か?
……と。
そして現在僕は猛烈にこの難問の答えを求めている。
何故どうしてこんな下らない命題を追究しているのかって?
事の発端はとある科学雑誌に掲載されていたとある研究論文だった。
「なあアル、ちょっとこれ見て見ろよ」
村の高校の図書室で調べ物をしていた僕に暇で付き合ってくれていた親友ジャックが、僕が座る閲覧机にやって来るなりそう言った。
ジャックはジャックで雑誌やら小説やらをパラ見していたみたいだけど、何か気になる記事を見つけたらしい。
「ん? ……ってそれ科学雑誌!? ジャックがそんな知的な本読むなんて今日はスライムが降るんじゃないの!?」
「それは槍が降るよりも降ったら降ったで厄介だな。農作物とかに被害出そうだ」
僕の半端ない驚きにジャックはやや呆れた顔をした。
僕は僕で「室内は静かに!」の掲示物が目に入って慌てて口を押さえた。近くに読書をしている人がいなかったのは幸いだ。
スライムは空腹だと何でも
想像するだに憎らしや、スライム!!
だから農家向けにスライム駆除剤や忌避剤なんてものが巷では売られていたりする。
僕はジャックから手渡された科学雑誌の表紙にデカデカと印字されている巻頭特集のタイトルを読んで目を剥いた。
因みに僕たちの科学は魔法科学だから、正確には魔法科学雑誌というべきかな。
長くて面倒だから短く科学呼びになっているだけだ。
「ちょっこれ……新種の毛生えスライム、ついにネコ型形状固定化に成功!?」
毛生えスライムはつい最近氷河地帯で発見された新種のスライムで、スライムの癖に……全身にふわふわモフモフの毛が生えてるらしい。
大きさはまさに丸まった猫くらいだそうだ。
最早スライムじゃねえだろッ! てめえらはイエティか何かかッ!?
毛皮必要なくらい寒いなら氷河に棲んでないで山下りてこいやあああッと思う僕は心が狭いのかな、ハハハ。
とにかく、一時世間を騒がせた毛生えスライムは何体か捕獲されスライム研究所……通称「
雑誌を読み進めて行けば、毛生えスライムが猫のような形を保つのに成功した実験結果とその過程やなんかが記されている。
形状が犬でも兎でもなく猫なのは、単に研究員の好みだとか。
写真まで掲載されていて、本物の猫と見分けがつかないモフモフぶり。
お菓子の缶にピッタリ入るわ、研究員のバッグに入って顔だけ出してるわ、普通の猫がやったら可愛い!と思うような事を毛生え猫型スライムがやっている。
「これ、本当の猫じゃないよね?」
「さすがにこの権威ある科学雑誌でそんな茶番はないと思うぞ」
「だよねえ……」
ってことは、このキュートなキュートでキュート以外の何物でもない写真は全てスライムか……。
ああ、その証拠に毛のない肉球が薄水色の透明だ。鋭い爪もないらしい。ヒゲも肉球と同じ色の透明だし。
くっそおおおっスライムでありながら猫の姿をしているなんて、何て狡猾な……!
僕は閲覧机に打ちひしがれたように両肘を突いて頭を抱えた。
僕はスライムが大嫌いだ、世界から撲滅を願う程には。
けどさ、猫が大好きなんだよおおおっ!
最早こうなればこいつらは「新定義の猫」なのかもしれない。
とすれば、これはスライム撲滅という目標を掲げる僕にとっての弊害であり由々しき事態。
猫スライム、いや、スライム猫?
まあどっちでもいいけど、そいつを僕は討伐対象に出来るかという問題が生じるわけで……。
嗚呼、写真を見れば見る程に、猫ッ!
モフモフふわふわの猫を攻撃なんて……無理だ……。
「ジャック、僕こいつらだけは無理かもしれない……。このままじゃスライム撲滅ができないかもしれない……!」
「アル……」
雑誌を返しながら目頭を押さえる僕へと、ジャックは返された雑誌に目を落として何かに気付いたようにハッとした。
「なあアル、ここを読んだか?」
「どれ? 連絡先? ……そこまでは読んでない。何か面白そうなこと書いてあるの?」
するとジャックは僕に見えるように雑誌の向きを変え再度差し出してきた。
丁寧にも口で説明もくれる。
「S研の毛生えスライムを一般公開で見学できるらしい。しかもモフモフに直接触れるんだと」
「え!?」
「見極めに行くか?」
ジャックもジャックでスライムには酷い目(結果として恋人リリーと別れた)に遭わされていたから、スライムには恨みつらみを抱いている。
つまりまあ同志ってやつだ。心強い。
「なあ、行こうぜアル。見学は年中無休だし、諦めるには早いって。諦めたら……何事もそこで終了だろ」
「ジャック……! 君って奴は……!」
感動の助言ありがとう。
やっぱり今日はスライムが降ってくるね!
そうして、直接この目と肌で接して結論を出すべく、早速と直近の休日にわざわざ高いお金をかけ公共交通機関を使ってS研へと出向いた僕たち。
王国五大都市の一つ「ララ」にS研はある。
下りる研究費が少ないのか割かし高めの見学料を払って入った僕たちだけど、最弱の魔物と言われるスライムは新種が出ようと人気がないのか、見学者は疎らだった。
「良かったねジャック」
「だな。少なくとも客の回転よくするために檻の前を素通りだけーってことにはならなそうだ」
僕たちは人数が少ない方がより多くスライム猫と触れ合えると計算してほくそ笑んだ。
さすがスライム研究所なだけあって触れ合いコーナーまでの展示はスライムオンリー。
様々な色のスライムの写真やイラスト、説明書き、果ては等身大模型まである。魔物は死ぬと宝石になるから
壁には「君もスライムにオンリーワン!」とかいうわけのわからない標語も掲げられていて、僕とジャックは首を傾げた。
……
どこもかしこも、土産物も館内喫茶店メニューすらもスライムを模したもの。
スライムづくしに苛立ちを覚え始めた頃、ようやく触れ合いコーナーに辿り着いた。
逃げ出さないようにしっかり施錠できるラボの一室の専用区画。
強化ガラスの檻の向こうに飼われている毛生えスライム共と対面した。そいつらの部屋というか檻の入口(これも強化ガラス)で担当の研究員が簡単な説明をくれたけど、僕の耳は余計な説明を右から左にスルー。
だって一目見た瞬間から何故か目が釘付けで、視線を剥がせない。
「本当に見た目猫だねジャック……。ハハハ
「すげえ美人な研究員のお姉さんだな、アル」
「君は何しにここに来たの?」
「ああいや、つい……。にしてもすげえ、極めて猫っぽいけどこの柔軟さは猫以上だろ。まあこれが液体の概念に当てはまるってことか。よし早速触らせてもらおうぜ」
「そうだね。お願いします」
心の準備ができた旨を担当の女性研究員に伝えると、その若い研究員は愛想よく微笑んで入口扉を開けてくれ、ガラスの檻(触れ合い部屋としても機能)の中へと促してくれる。
「今は満腹で襲ってくることはないので安心して触れ合って下さいね。最弱の魔物ですので触る時も叩いたりせず優しくお願いします。抱っこする時も同様でーす」
「その前にお姉さんに触らせて下さい!!」
「え? ええと……?」
僕は鼻息を荒くするジャックを完全無視して一人で先に入った。
じりじりと獲物……じゃないや、見極め対象に近付く僕。
心なし殺気立っていたかもしれない。
だって元はスライムって考えるとさ、いくら新定義の猫かもって思っていても簡単には討伐意欲を抑え込めない。くくっ。
「……こいつが、スライムの猫かぁ」
毛生え猫型スライムを前にした僕は、高揚に笑いが込み上げ声を立てずに笑った。不気味な笑みを浮かべ無言で肩を小刻みに震わせる様子は、傍から見て相当危ない奴に映っていたのか、先に入っていた一般見学者たちはそそくさと部屋の外に出て行ってしまった。
しかも後からも中には誰一人として入って来ようとしない。
ちょっと傷付くなあ。
まあでも気にしない気にしない。
「はあはあお願いですお姉さ~ん! お姉さあああ~ん!!」
しつこく食い下がるジャックはとうとう駆け付けた警備員に脇を抱えられて連行されていく。
完全に変態の領域に踏み込んだ僕たち。
涙を呑んで友を見送る……わけでもなく存在をもうすっかり忘却していた僕は、手を伸ばして毛生えスライムのその柔らかそうな体に触った。
もふっ!
もふもふっ!
両手で抱え上げると、のびーる。
でもふわッふわ!
まさに本物としか言いようのない猫っ毛。
肉球はスライムなのにぷにぷに。
両腕の中にしっかりと抱き上げて力を抜いて和む僕。
僕の人生の中で後にも先にもこれがスライムに和んだ唯一の瞬間だろう。
と、ここでジャック退場でホッとしてた女性研究員が慌てふためいたように声を上げた。
執念深くジャックが戻って来たとか?
「ちょっとそこの君スライムをすぐに放して! 早く!」
「はい?」
「様子がおかしいから早く放しなさい!」
何かの異常を察知したのか触れ合い部屋内に掛け込んでくるお姉さん。
僕は彼女が示す僕が抱くスライム猫へとようやく目を落とした。
「え……?」
スライム猫は何故か僕を血走った眼でガン見している。
困惑する僕と謎の様相を呈するスライム猫はしばし見つめ合った。
そして、にたぁ…「――早く放すのよ!」
けどそいつが何かを表現する前にお姉さんが僕の腕からそいつを叩き落とした。
「あ」
「え? ――あ!」
強烈な平手を食らわしてから彼女は自分の行動の迂闊さに気付いたのか、蒼白になった。
叩かれるまま床に跳ね返ったスライム猫は、憐れ、ボワンと宝石へと変じた。
「あ、ああ……貴重なサンプルが」
研究員としての致命的なミスにお姉さんは口から魂のようなものを吐き出して放心。
一方、部屋内に残っていた他のサンプルスライムたちは仲間の消滅に色めき立った。
一斉に僕たちの方を見るもふもふスライムたち。
そして一糸乱れぬタイミングで、笑った。
――にたあああ~、と。
「これは……!」
スライムに関する基本事項としてこの「スライム笑い」が見えたら用心するという教訓を僕は骨身に染みて理解している。
だってそれはスライム的臨戦態勢かつ敵認識ロックオンだ。
「あのっこのままじゃ戦闘になりますよ!」
「ふええ~貴重なサンプルをどうしようどうしよう~」
幸か不幸か檻の中には僕たち以外誰もいない。
お姉さんはショックの余り冗談抜きで使えそうにない。
なら、武器はないけどここは僕がどうにか対処するしかない。
猫の姿で目と口をスライム仕様に戻した敵たちがこっちに飛び跳ねてきた。
その口を大きく開けて噛みついて来ようとする。
「いやいやいやその見た目はアウトだろ!」
僕はお姉さんを両腕で抱え上げるとその場から回避。うち一番近い一匹に蹴りを入れてやった。
ぐにゅっ、ボワン!
「一匹完了……ってうわああああ久々の気持ち悪い感触!!」
背筋が震えた。
実家に巣食っていたスライム連中を一掃して以来スライム討伐と縁がなかったからブーツの底を通しての感触にも過敏に反応してしまう。
でも僕はようやく悟った。
猫の姿をしていて、猫のようにもふもふ体をしていて、のびーる柔軟性まで細かく再現しているくせに、やっぱり所詮は魔物のスライム。
スライム以外の何者でもないッ!
絆された僕が愚かだった。
見た目に騙されて危うくスライム撲滅という崇高な一念を永遠に達成できないどころか貶めるところだった。
「猫要素があるスライムでも、猫だろうとスライム属性なら、それすなわち――スライムだろこんちくしょおおおおお!!」
本当は一匹残らず始末したかった僕だけど、お姉さんの安全優先でガラス部屋から出るやその扉を即行閉めた。
勢い余って扉に激突した何匹かが昇天した光景がガラス越しに見えた。
結局、この騒動があって一般公開は取りやめになった。
人知れずモルモットとして扱われるのが、奴らにはお似合いだよね。
飼い馴らされていた様子だったのに暴走したのは、僕の抑え込んでいた殺気を本能的に感じ取ったからだろうか。
実家で培われ染みついた僕のスライムスレイヤーとしての気配を嗅ぎ取ったんだろうか。
わからない。
確かめるのは面倒だからラボ部屋にはもう入らないけどね。
お姉さんからはハグまでされて感謝され、白衣の下の意外に大きな胸の感触に赤面した僕だけど、その事実はジャックには一生伏せると決め素知らぬ顔で警備員室の彼を引き取りに行った。
こっぴどく説教されていたようで帰り道は沈んだ空気が気まずかった。
――猫はスライムか? スライムは猫か?
そんなものは初めから考える余地なんてなかった。
そもそも僕は目が離せないと感じていたじゃないか。
スライムにどんな要素や特徴がプラスされていたとしても、無意識に討伐対象として見ていたってことだ。
スライムはスライム。
猫は猫。
そういうこと。
あの後、S研の毛生えスライム共は毛が全部抜けて普通のスライムになったらしい。
元々氷河地帯の超極寒厳寒な気候から温暖な研究所内に移されて、その気温に慣れてしまったが故に、毛の必要性がなくなったかららしかった。適応早っ!
のちに発刊された科学雑誌は「スライムと進化論」とかいうタイトルのそんな論文を掲載していた。
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