割れ音の救急車(ホラー)4000字台

 私は人より耳が良い。


「あ、来る」


 中学の部活帰り、同じ部活でもある友人と帰宅途中、私は思わず口走っていた。


「何が?」

「救急車」

「んー?」


 しばらく耳をそばだてた同じクラスの友人は、10秒くらいそのままでいてから、


「あ、ホントだ」


 近付くサイレンがようやく聞こえたようだった。


美優みゆうってホント耳良いよねー。さっすが絶対音感っ

「絶対音感は3歳で音楽始めたから自然にだよ。それに今時そんなに珍しいものでもないし、サイレンは聴力の方だから関係ないよ。ふふん、まあ耳が良いのは本当だがね~?」

「閣下の仰る通りで~……ってあはっ何言わすのー」

「わははは――あ……」

「今度は何?」


「……また、救きゅぅ…しゃ……」


 今歩いている所は交通量の多い幹線道路沿いの歩道だから、短時間で2台に遭遇する事は珍しくない。

 けれど、私は少し躊躇ためらって言い淀んでしまった。

 友人は敏感に変化に気付いて笑いの余韻を収めた。


「美優もしかして、例の……?」

「うん……」


 そんな会話をしている間に、2台目の救急車は私たちの横の道路を急いで通り過ぎて行く。

 緊急時で一刻を争うのかスピードはかなり出ていた。

 ドップラー効果を引き連れて、その車体は瞬く間に道路の彼方に見えなくなる。

 息を詰めていた私は我知らず力ませていた肩から力を抜いて息を吐いた。


「サイレン鳴らしてたし、病院に急いでるんだよね、今の」


 友人の問いかけに私は「どうだろう」と曖昧に返す。

 行きか帰りかなんて、ちょっと見ただけなのでわからない。

 いつまでも救急車の消えた方向を見ていた友人が、ぼそりと言った。


「……乗ってる人――死んじゃうのかな」


「…………」


 私は答えられなかった。


 私は人より耳が良い……人には聞こえない音まで聞こえるほどに。


 こと、救急車に限っては。


「だって私には1台目と同じ普通のサイレン音にしか聞こえなかったのに、美優はまた違って聞こえたんでしょ?」

「う……うん」


 ぎこちなく頷く。


「確かに音が二つあったよ。普通のサイレンの高さと、それよりずっと低いのが」


 私には時々、まるで重低音を同時に鳴らしているようなサイレン音が聞こえる事があった。

 勿論、住宅街に入る時など、近隣への配慮時に鳴らす音とは全く違う。

 加えて、それは決まって救急車で、パトカーや消防車では聞こえたためしはなかった。

 今まで家族や友人に訊ねてみたけれど、皆怪訝な顔をするだけ。

 不思議にも、私にしか聞こえないようだった。

 実際今もそう。


「じゃあやっぱあの救急車に乗ってる人は死…」

「わ、わからないじゃん。たまたまなだけかも」

「でも美優がその低音を聞いた時って…」

「だから、全部が全部そうじゃないかもしれないってば!」


 自分でも思った以上に強い口調になってしまったのに驚いた。


「ご、ごめん。つい大きな声出ちゃって」

「ううん。気にしないで。うちも不謹慎だった。縁起でもない事言ってごめん美優」


 友人は自分の失言を恥じるように謝罪した。

 私は左右に首を振る。

 彼女が友人で良かったと思った。

 けれど彼女が言いたかった事はわかる。


 ――その低音が聞こえる救急車に乗る人は、死ぬかもしれない。


 その実例が私の前には積まれているからだ。

 ただそれは、私の知る限りでの話だけれど。


 目の前の友人は唯一、私のサイレンの話を信じてくれている。

 いや、最初は「全然聞こえないよー」と大して気にも留めていないようだったけれど、とある出来事が続いて、そう言う事もあり得るかもと言い出したのだ。


 去年の暮れ、近所のおじさんが救急搬送された。


 その時、私とその子は偶然にも到着した救急車内におじさんが運び込まれ、発進する場面に居合わせた。彼の顔色は蒼白で、ぐったりとして目を閉じていた

 その際、


 ――あ、このサイレン音。

 ――美優?

 ――音が割れてるみたいに、二重に聞こえる……。

 ――それって前に言ってた変な低い音がする救急車があるってやつ?

 ――うん。何でだろう? サイレンの調子悪いのかな?


 その時はまだ、予想もしていなかった。


 けれど次の日、そのおじさんが亡くなったと聞いた。


 お菓子やお土産をくれたりと、そこそこ親しいご近所付き合いをしていただけに、さすがにショックだったけれど、私もその子も救急車と関連付けるなんて事はなかった。

 ただ、おじさんの件を皮切りにして、今年の初めまでの短期間に町内会で他に二名の方が救急車で運ばれた。

 その両方の時も私はたまたま通りかかってサイレン音を聞き、音が割れているのだとその子に話した。


 そして、その二人も運ばれた先で亡くなった。


 ――ねえ、三回中三回とも二重サイレンだったんじゃない?

 ――あ、そうかも。

 ――そのサイレンの鳴る時って、もしかして、運ばれた人が死ぬ時だったりして?

 ――え……?


 突拍子もない台詞を吐く友人に驚いたものの、即座に否定はできなかった。

 何かがおかしいと、何か意味があるのだと、自分でもどこかで感じていたからだと思う。




 整然とした広い歩道に沿って建つ12階建ての大型集合住宅。


 そこが私と友人の住む大きな箱だ。

 私は六階に、友人は四階に暮らしている。

 中学校から徒歩で十分足らずという立地。


 自宅マンションに着いた事でどこか安心した私は、マンションゲートを入った先の正面玄関に音もなく赤色回転灯が光っているのに気付いた。

 思わず立ち止まって友人と顔を見合わせる。


「今日帰り道だけで三台目だね」

「うん」


 友人の言葉に私は頷いた。

 誰かが怪我をしたか具合を悪くしたんだろうか。


 すると搬入を終えた所だったのか、ゆっくりとその白い緊急車輌しゃりょうは動き始めた。


 けたたましいサイレンと共に。


「……美優、音は?」


 すぐには答えられなかった。


 息を詰めた私の態度から良くない方だと悟ってか、友人は重ねて問う事はなかった。


 やはり野次馬はいるもので、顔見知りの同じマンション住人が何人か正面玄関外に出て来ていた。


「あの、今の救急車って誰が運ばれたんですか?」

「六階の田中さんよ」


 友人が一番近くにいたおばさんに訊くと、おばさんはそう教えてくれた。


「六階って美優同じ階じゃん」

「そうだね」


 ここ数年の内に越してきた中年女性の田中さんとは顔を合わせれば挨拶はするけれど、これと言って親しいわけでもなかった。

 一人暮らしで、家族とは別々に生活していたという。


 けれど何となく気詰まりのようなものを感じた。

 最悪を願っているわけじゃない。

 なのに救急車の音を聞いてしまったから、その結末が予想できてしまうから、どうかそうなりませんようにと祈りながらも、心の片隅では罪悪感のようなものを感じていた。


 翌日、田中さんの部屋には目を腫らした親類が忙しなく出入りしていた。


 四度目の偶然……?


 偶然……ううん、きっと違う。


 人の死、私は条件付きでその予知者になったのかもしれない。


 それでも、どうか生き延びてほしいとサイレンを聞くのだ。




 音の違いを意識したのは、中学に上がってからだ。

 いつから聞こえていたのか覚えていないその音は、人様の緊急事態に大した興味もなく過ごしていたから、それまでは気にならなかったのだ。


 中学生になってからは色んな変化に取り巻かれ、サイレン音にふと違和感を覚える瞬間があった。

 耳障りだったと言い換えられるかもしれない。

 だって勉強中に家の前の幹線道路を通られれば嫌でも聞こえ集中力が殺がれる。


 そうして意識し出し、友人に打ち明け、音の差異の意味に気付き、今に至る。


 百パー信じたかと言われれば、違う。

 全ての事例を検証したわけじゃないのだし。


 時々疑問に思うのは、耳に聞こえてくるあの割れ音は、私に何かを訴えているのだろうかという点だった。




 数日後の夜、とは言ってもまだ八時前、最寄りのコンビニにアイスを買いに出掛けた私は、往復し慣れた横断歩道を渡っていた。


 車は赤信号で止まるもの。

 そう思い込んでいた。


 え?――っと思った時には遅かった。


 一瞬にして近づいたライト。

 あとは気付いたら硬いコンクリの上に頬を付けていた。

 私を撥ねたのは携帯でもいじっていたのか前方不注意の車だった。

 頭が付いて行かず、空白のような感覚の後、全身を襲う猛烈な不具合。

 耳奥に自分の鼓動が聞こえ、動くのさえ億劫になる激痛に見舞われた。

 自然と呻き声しか出てこない。


 車体への衝撃でようやく気付いたのか、やや走ってからその車は止まった。



 現場周辺に居た人達が私の周りに集まって来る。


 私は、頭を強く打ったせいで全てが遠いような曖昧な感覚に包まれていた。

 このままじゃ駄目だと思うのに、体が言う事を聞かない。

 皆が声を掛けてくれ、私を見下ろす。

 携帯で緊急の電話を入れる誰かの姿がぼんやり見えた。


 どれくらい経ったのか、遠くから、聞こえた。


 救急車のサイレンが。


 ――普通の音だった。


 よかった……。

 ホッとする私の視界の隅に、赤い回転灯を反射する路上の染みが見える。

 ああきっとこれは、私の血だ……。

 結構出てたんだ。


 担架に乗せられ車内に運び込まれた。


 再びサイレンが、鳴った。


 ……え? ちょっと待って。


 今度は――――重く低い音が重なる。


 この、音は……このサイレン音は…………。


「……っ、あぁ……いや……ぃや、だっ、おろ…て……!」

「大丈夫、すぐに病院だからね!」


 嫌がる私へと救急隊員が安心させようと言葉をくれた。


 違うそんなものは要らない。

 今すぐこの車から降ろして。


 そう言いたいのに、上手く呂律ろれつが回らない。


 このままでは……。


 揺らぐ視界、けれどしっかり耳だけ不思議と聞こえる。

 私は初めてその懐に入った事で、思い至った。


 サイレンは救急車の声のようではないかと。


 まるで救急車が死にゆく誰かを運ぶのを苦しんで嘆き悲しんでいるような、そんな呻き声のようだ、と。


 誰だって死に接するのは快いものじゃない。

 それは果たして救急車にも当てはまるのだろうか……?


 夜のしじまを引き裂くように、割れ音の救急車は私を乗せて速度を上げる。


 一体私はどうなるのだろう。

 嫌だ嫌だ嫌だ死にたくない死にたくない死にたくない。


 そう思っても、否応なしに、私の意識は薄れていく。


 神の気まぐれか、私に聞こえたのは必ず来るいつかを覚悟をしておけと言う警告だったのだろうか。









※ここからは、救いがある結末になります。

 バッドエンドで終わりたい方はご遠慮下さい。


 ……体が苦しくて薄れる意識の中、低いサイレン音だけが妙にハッキリ聞こえる。

 ピーポーピーポーと鳴るサイレンに被さるようにウゥーウゥーと極低い音が鳴る。


 私が死んじゃうからそんなにも悲嘆に暮れているような音を出すの?


 でもどうしてそんな事がわかるの?

 おかしいよ。

 決めつけないで。

 未来はまだ分からない。

 得体の知れないものに屈するなんて真っ平御免だ。


 微かな疑問が心に苛立ちを生み、それが生命の活力にもなった。


 私はまだ死なないっ。

 アイスだって食べてないし、好きなドラマだって最後までまだ観てないし、好きな人とだってもっと仲良くなるつもりなのに。


 頑張って生きるから、だから救急車、泣かないで。


 誰かに言ったら笑われるかもしれないけれど、この時私は本気でそう思っていた。


 精一杯乗り越えるから、だから君ももう苦しいなんて思わないで。


 君は大勢を救っているじゃない!


 痛みとは別の心の痛みから、涙がまなじりを伝った。


 頑張る……から……。


 完全に意識を失う直前のサイレンは、一つだけだったように思う。

 その後手術をして一週間はICU集中治療室に入っていた私は、それ以来二度と低い音が聞こえる事はなかった。


「――あ、救急車の音!」


 道端で小さい男の子が無邪気に母親に教えている。


 その言葉に一瞬どきりとした私は無意識に耳を澄ませてしまう。


 それでも、もうあの音は聞こえない

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