かくれ隠爾

@NowHere

第1話

     か く れ オ ニ



 かくれんぼう。


 かあ。

「からすだ」

 ひとりがさけびます。

「からすがないた」

 みんな注意をひきつけられて、お空を見上げます。

 つぎのひとりはちがったほうをむいて、

「わっ、おひさまがあんなに」

「わあ、まっかだ」

「きれいなゆうやけ」

 そして、それにみとれて声をなくしていると、またからすが――

 かあ。かあ。

 山あいの西の空を見ると、夏のゆうぐれがゆったりと紫色のしらべをかきなでています。入り相(あい)の陽(ひ)は顔いっぱい赤くして、子どもたちにもうだめですよという信号をおくっているようです。

「もうかえらなくちゃ」

 すなおな子どもたち。

「うん、かえろう」

「かえりましょう」

「ぢゃあ、きょうはおしまいだ」

「おしまいだ」

 楽しい遊びももうおわり。またあした遊べばいいでしょう。みんなそのつもり。

「またあしたもいっしょだぞ」

「うん、あしたまた」

「うん、あした」

 みんな仲がよいともだちです。と、ふいにひとりの子がこう言い出しました。

「ぢゃ、おしまいにかくれんぼうだ。かくれんぼうしながらかえろ」

「そうだ、かくれんぼうだ」

 そうするのがあたりまえのように、みんな賛成します。

「ようし、かくれんぼうだ」

「でも、ちょっとうちまでとおいよ」

 いつもとはちょっとちがう。

「しんぱいいるもんか。そんなの、ひとっぱしりだ」

 でも、気にしないのが子どもたち。元気です。

「そうだ、ひとっぱしりだ」

「ぼくだって、へっちゃらだよ」

「あたしだって」

「でも、このこ、だいぢょうぶ?」

 やさしい子もいるようです。でも、このこって、どんな子?

「だいぢょうぶさ。いっぽんみちだもん」

「そうだ、いっぽんみちだもん。ばかでもかえれる」

「うん、ばかでもかえれる」

「うん、よわむしでも」

「うん、ちびのしたったらずでも」

 だんだん調子に乗ってきて、しまいに、

「にんげんだったらかえれるよ」

「ほんとうのオニでなかったら」

「そう、オニならやまがふるさとだ。オニのおやがむかえにくる」

「やだ。こわいからよしてよ」

 そう言った子は本当に身ぶるいしていました。オニという言葉だけでふるえる子はほかにもいました。こわい気持ちははやく遊びにまぎらわしましょう。

「はやくかくれんぼうしよ」

「かくれんぼして、はよかえろ」

「はよオニからにげよ」

「さあ、かくれんぼうだ」「はよ」「はよ」

 みんなもう待ちきれないように口々にさけびだしました。

 日永だといっても、まだ遊び足りないといった様子のやんちゃたち。でも、もうまもなく、星の子たちがひとりふたり、みたりよたりとお空に集まり出すころです。そろそろ遊びの主役を交代してあげなくてはなりません。真紅(しんく)のお天道様がお山の向こうへしづんでしまったりしたら、夜の世界がおとづれて、なにもかも昼間とさかさまになってしまう。これから遊び場はお空になるのです。そんな時いつまでも外に居残っていたとしたら、くらやみを楽しみに待っていて、昼間はかげにひっそり隠れていた物(もの)の怪(け)たちにいつとりつかまってしまうかわからない。それがどんなおそろしいことか体験はしないけれども、ぞっとするほど気味わるいことはたしかです。

 もちろん、子どもたちもそんなことは百も承知でした。ですから、かくれんぼうをしながらかえろうというのです。

 あぶないことなんかちっともない、ただひとりオニをのぞいて。ですから、みんな賛成です、ただひとりオニだけはづして。

「オニをきめよう」

 オニはもうきまっていました。

 実際にみんながきめるオニは、オニという言葉よりもみんな安心できるのでした。

「きめよう」「きめよう」

「きまってるけど、きめよう」

「オニもなかまにはいれよ。みんなでやるんだ」

「みんなでやってずるっこなしだ」

「ぢゃ、オニはオニだ」

「あたりまえだ。でも、みんなできめるんだ」

「みんなできめることっていいことだもんな」

「うん、いいことだ」「いいことよね」

「ぢゃ、じゃんけんだ」「みんなでじゃんけんだ」「うん、じゃんけんだ」

 じゃん、けん、ぽん。あいこでしょっ。

 みんなカミを出しました。ひとりの子だけイシでした。イシが負けました。オニがきまった。きまっていたとおりにきまりました。

「きまった、きまった、やっぱりおまえだ」

「いつもあなたね。なんてよわいんでしょう」

「たまにはかったらどう」

「オニはオニだもん、しようがないよ」

「そうだ、オニはオニにきまってるんだ」

 オニはいつもオニでした。いくらじゃんけんしてもそうきまっていました。というのは、いつも両手に石やら虫やらをにぎったままじゃんけんをさせられていたからです。年上の子の命令で、おっことしたりしたらいぢめられるのでした。

「もういいかいっていえよ、ちゃんと」

「いくらよわむしオニでも、それがしごとだからな」

「オニさん、しっかりね」

「やあい、オニオニ」

 しかたなしにオニは目隠しをしてしゃがみこみました。そして、自分のせりふを言います。

「もういいかい?」

 これでもう自分からオニになってしまった。

「さあ、オニだ、オニだ、にげろかくれろ」

「わぁー」

 子どもたちは一斉にかけだしました。おもいおもいの速さで、ばらばらに。でも、逃げる方角はみんなおなじでしたが。

「まあだだよ」「まあだだよ」

 はじめは散り散りの声が、やがてまどおになりながら一つ束(たば)になってきこえてきます。

「まあだだよ」

「まあだ・・」

 もういいよ、と言われるまで、オニは動けません。そういうきまりです。とはいえ、オニだってみんなが自分ひとりをおいてきぼりにしようとしているのはわかっていました。いつものことです。だからいつもは、きまりなんかかまっていずに、ともかくも起(た)って、ひとりとぼとぼかえるのでした。でも今は、やっぱり動けなかったのです。いつもの場合と少しちがっていました。ここはもう山の裾野(すその)のうちで、このオニには山のなかも同然でした。山はまったく知らない世界。かえり道は一本道でしたが、初めての山にひとり残されて、きた道がどうだったかふりかえる余裕もないのでした。こんなところでひとりきりになってしまった心細さに、オニはただ身をすくめるばかりです。

「もういいかい?」

 かあ。かあ。(おかあさん)

 とうとう答えるのはからすと自分の心だけになりました。でも、からすはかくれんぼうのなかまぢゃない。普通お空に飛ぶものがかくれんぼうにくわわれるはずがありません。

 オニはひとりぼっちでした。からすがのんきに鳴くほど、ひとりぼっちなのがわかります。オニはもうなにも言わなくなりました。そのうちからすも返事をしなくなりました。

 しばらく時が経(た)ちました。

 オニはその間ずっと目隠しがとれませんでした。もうとっぷり日がくれて、目隠しをとっても目隠ししている時とおなじかもしれない。それを知ったが最後、まっくらやみの世界に生きている様々な物の怪たちがおおわらいする。そのあと、実際に姿をあらわした物の怪たちにいたぶられながら自分が少しづつとって食われるような気がしました。オニはますますからだを縮こめ、目をきゅっとおさえました。

 あたりは本当に静かでした。ひとり光も音もとどかない深い谷底におちてしまったような感じです。

 オニはさすがに心細くてふっと声を出しました、言いなれたせりふで自分をひとりにしないために。

「もういい――よ」

 もういいよ……

 ところが、なんと声に出てきたのは、いままで一度も言ったことのないせりふでした。それはオニのせりふぢゃありません。でも、オニだって本当は、オニでないみんなとおなじせりふが言ってみたかったのにちがいないのです。

「なあに、だめよ、まだかくれてないわ」

 どこからかの声。

 とつぜんそう言われて、おとこの子はおもわず起ち上がってしまいました。目隠しがはづれました。不思議なことに、くらやみはまだおとづれていませんでした。むしろさっきより、薄明るくさえなっているようです。おとこの子の心のなかにはもっと明るいものが射し込むようでした。

「もういいかい?」

 いつのまにかおとこの子がそう言われる番になっていました。かれはまわりを見まわしました。でも、誰も見えない。どこからきた声かもわかりません。ひとりぼっちのところにふいに声だけあらわれて、おとこの子はただただびっくりするばかり。

「もういいかい?」

 見えない声は重ねて返事を求めてきます。おとこの子に言えるせりふは二つしかありません。その一つは相手が言っていましたから、残るせりふは一つきりでした。本当は別のもう一つのせりふが言ってみたかったのだけれども、経験がないのでしようがない。

「もういいよ」

「うそ。ちゃんとかくれて」

 ようやく声は上のほうからするのがわかりました。小鳥の声のような気がする。それがとてもきれいで、そのうえおちゃめでなかよしらしいやさしい感じの声であったので、おとこの子はそれまでの怖さやひとりぼっちの暗いおもいがすっときえて、心が晴れやかに澄むようにおもいました。相手の声が自分を遊びのなかまにくわえてくれているような気がして、とてもうれしい。

「まあだだよ」

 やっと第三のせりふが言えるようになりました。

 いよいよこれで本当に遊びにくわわることができました。おとこの子はまだ言いなれていないせりふを一度言い二度言いしながら、どこかいい隠れ場所はないかと探しまわりました。

 そのようにしておとこの子は、いつのまにか山のおくふかくへ誘いこまれるようにはいりこんでしまっているのでした。もし、空を飛ぶものもかくれんぼう遊びにくわわるのなら、空をさえぎる鬱蒼(うっそう)とした樹々の杜(もり)でかくれんぼうをはじめるよりほかありません。でもおとこの子はそれを意識していたわけではなかったし、実のところ山にはいりこんだこと自体少しも気づいていませんでした。

「もういいかい?」

「まあだ・・」

 とにかくどうせ隠れるなら、とびきりのいい隠れ場所を見つけて、絶対にオニに見つからないようにしなくちゃとおもいました。自分だって隠れるがわになれば、上手に隠れてオニをあざむくことができるはずだとおもいました。

 なにもできないよわむしぢゃない。オニでさえなかったら、ぼくだってみんなとおんなじようにちゃんと隠れることができるんだ。ばかなオニに勝つくらい、ぼくにもできる。

 おとこの子は初めてオニの立場から解放されて、人並みに自信を意識したようです。

 そうやって自分にだってちゃんととおもいながら、だからこそ本当にそれを証明するために慎重になって、なかなか隠れ場所を見つけることができません。まだ探しあぐねて、「まだだよ」「まだだよ」と自分にも言いきかせるようにくりかえしていましたが、さすがに「もういいかい?」と何度も呼びかけられながら一向によい隠れ場所を見つけられないことに焦りをおぼえてきました。隠れる準備ができるまでオニを待たせる権利が自分にある。いよいよちゃんと「まあだだよ」と相手に言わなくちゃとおもいます。何度目かの

「もういいかい?」

に、しっかりしたおおきな声で言おうとしました。

「まあだだよ」

でも、それを声に出す前に、

――不意に、

「もういいよ」

という声。誰かに先に言われてしまいました。

 誰かに? 誰?

 それは、声?

 それは、ただの声でしょうか。ただの声にしては、音色が美しすぎるようでした。一体誰の声というのでしょう。

 しばらくの間おとこの子はその場に立ちすくみました。

 なんてやさしいきれいな声なんだろう。ちかくに誰かいる。まだかくれんぼうの誰かいる。

 でも、こんなきれいでかわいらしい声ってあるだろうか。

 ともだちの声ぢゃない。しらない子だ。しらない子だけれども、素晴らしく素敵な子だというのがわかる。きいたことのないきれいな声だもの。きっと見たことのないきれいな子にちがいない。でも、本当にきれいっていうのは、どんなお顔をしてるのかな。まるでおもいうかばない。かわいいっていうならわかるんだけど……。ああ、お顔を見てみたい。会ってともだちになりたい。

 声がきれいっていうことでは、さっきの小鳥のような声――おとこの子に初めて「もういいかい?」ってきいてくれた声もそうだったのだけれども、今きいた声はそれよりもずっと、いえ世のなかにどんなに美しいものがあったとしてもこんなにまで美しいものは想像できないというくらいまで素晴らしくきれいな声だったのです。

 おとこの子は、今の声の響きの残り香がまだただよっているような方向へ誘(いざ)なわれるように歩いていったのでした。不思議なことに、耳も鼻もとても敏感なのに、目だけはほとんど見えていないといった感じ、それでも美しいものは十分に感じられています。本当に美しいその子を一目見るまでは目など働かないでもいいといった感じでした。ですから、わけのわからぬまま方向をおぼえぬままに、しまいにあるおおきな樹にごつんと行き当たってしまったとしても、それはやみくもな衝突ではなく、きちんとお目当てのものに行き着いていたのです。今までオニとしてなにも見つけたことのないおとこの子だったのに。

「あら、みつかっちゃった」

 今きいたきれいな声だ。木の反対がわからした。

「こんにちは、オニさん」

 きれいな声が続けてあいさつをしました。

 重ねてきれいな声。それも身近に。その声を耳にするだけで、この上なくきれいな姿が立ち現われるように感じます。まだ実際には目にしていないけれども、目も耳もからだのすべての感覚が幸福な感動に満たされる。

 自分なんかとても言葉をかわせないほど、つまり自分とはまるで住む世界がちがって、近くにいてもその天と地ほどのへだたりは絶対のものであって決して越えられないくらいに、その美しさはおとこの子の身でさえまぶしいかがやきを感じるものなのでした。したがってそれに接してはどんな言葉も失われてしまうわけなのですが、不思議なことにおとこの子の気持ちは一番自然になって、口からふっと言葉がながれでたのでした。

「ぼく、オニぢゃないよ」

 もうオニぢゃない。そうおもいながらもなにか自分をごまかしたような気になって、ちょっとどきどきしました。でも、本当はその美しい声の子と話ができたうれしさで胸がはづんでいたのでした。

「ごめんなさい」

 相手もちゃんと承知してくれました。そして、

「一緒にかくれません?」

 おとこの子に誘いかけの言葉をくれたのでした。すると、それに呼応するように……

「もういいかい?」

 小鳥たちも一緒のなかまにちがいありません。

「もういいよ。――さあ、はやくはやく」

 もうおとこの子はひとりぼっちではない。そしてオニでもない。一緒に隠れるおともだちが、それもとびきりの素晴らしいおともだちがいます。

 本当にうれしくなっておとこの子は「もういいよ」と声をはりあげます。そして急いで樹の向こうがわへまわる。もう梦中(むちゅう)でした。でも、梦・中だからこそ、そこでその子と出会えるはずでした。だけど、そこには誰もいない。

「ここよ」

「どこ?」

「みつけて。みつけて、オニさん」

 オニ? でもその声はおとこの子に向かって言っているようです。

「ぼくだよ。ぼく、オニぢゃないってば」

 まだ会ったこともないのに、おたがい信じあうともだちどうしのような言い方――おとこの子はすっかりその気でいたのでした。

「だって、わたしかくれているんですもの。みつけるとしたら、オニさんしかいらっしゃらない」

 どうも、さっき「どこ?」ときいた時から、おとこの子は見つける役割――つまりオニにもどってしまったようでした。

「でも……」

 もちろん突然のことですから、おとこの子に心の準備はできていません。

「あら、おあそびに『でも』なんてしらないわ」

「おあそび?」

「だから、ふたりでかくれんぼうするの」

「ふたり? ほんと? ようし、ぢゃあ」

 ふたりだけで遊びができるなんてなんという幸せなんでしょう。それに今度はオニになったって、そんなきれいな子を見つける役なんだから、とっても楽しいこと。

 そうはおもっても、おとこの子はいつもオニで、しかもだれも見つけたことのないオニだったので、オニの役には自信がありません。いくら今度は楽しくできるオニでも、見つけられなかったらなんにもならない。

 そこで、小さな子どもにも知恵がまわったようです。

「まって。でも、ぼく、オニにはあきた。かわってちょうだい」

「はい」

 相手の子はすごくあっさりひきうけてくれました。

「ほんとに? ほんとにいいの?」

 信じられないおとこの子は念をおさずにいられません。

「ええ」

 とてもやさしい声のその答えにかわりはありませんでした。さらにいっそうやさしく、

「ぢゃあ、上手にかくれてね」

 この上なくきれいでかわいらしい声の、まるで期待と応援の気持ちをこめてくれているような呼びかけに、

「うん」

 勇ましい返事。

 おとこの子はすっかりはりきっています。はりきらないでいられるものではありません。それだけ途方もないうれしさがからだ全体に元気をみなぎらせるのでした。

 でも同時にやはり相手の子のことが気にかかりました。

「ところで、きみはかくれてないでいいの?」

「まあ、ふたりのかくれんぼうですのに」

「あ、そうだった」

 おとこの子はおかしくなってわらいました。それについて相手の子もわらってくれているようでした。

「でも、きみ、オニになったことあるの?」

 おとこの子は、相手の子がオニとはまるで正反対の美しさを持っているようにおもわれるので、そうきかずにおられなかったのでした。

「あら、また『でも』ですのね」

「あ、そうだ」

 また、ふたりでわらいました。

 だけど、やっぱりちゃんとオニがつとまるのか心配です。オニの先輩としておとこの子は忠告をはじめずにはいられませんでした。

「あのね、オニはね、ちゃんとめかくしするんだよ。そして、イチからヒャクまでかぞえるの。ヒャクまでかぞえたら、もういいかいってきくの。それで、ぼくがもういいよってゆったら、めかくしとっていいよ。まあだだよってゆったら、もういちどはじめからかぞえなおして。いい? わかった?」

「はい」

 おとこの子は、いま初めて見つけてもらう人間になってたいへんうれしいのでした。でももっとうれしいのは、ものをおしえてあげられることです。オニについてはおとこの子は経験者でしたし、相手の子はあまりにきれいで清潔すぎてオニのことなんかなにもしらないような気がしたので、ここがおしえどころだとおもったかのように相手の子にていねいに言ってきかせました。でも、こんなことくらいなにも特別な経験者でなくったって百も承知のことなのですが。

「ぢゃ、めかくしした?」

「はい。もういい?」

「まだだよ。はやいよ。『もういいかい』はヒャクまでかぞえてからゆうの。ひとぉつ、ふたぁつ、ってゆって、ヒャクまでかぞえていくんだよ。そのあいだにぼくかくれるんだから。わかった? ほんと、いちいちゆわないとわからないオニなんだから」

「ごめんなさい」

 相手の子はとても素直でした、おとこの子のほうがひとり合点(がてん)して意味をとりちがえていただけで、別にあやまる必要なんてまるでなかったことなのに。

「あのさ、きみ、やっぱりオニになったことないんぢゃない?」

 ほんと、声をきけばきくほどきれいすぎてオニに似合わない、いえ、まるで無縁な子におもえるのです。そんな子をオニにしてはわるい気もします。

「いまそうよ。いつもそうです」

 意外な答えでしたが、そう素直に言われてはそうおもうよりありません。

「へえー、なあんだ、きみもオニばっかりなのか。ぼくとおんなじだ」

「おんなじね」

「うん」

 うれしそうにおとこの子はうなづきました。

「でも、いやにならない?」

「ええ。いつもたのしい」

 相手の子はまた意外なことを言いました。

「へえー、かわってるね。でも、いぢわるされてオニになるんだろ?」

「いぢわる? わたししらない」

「よっぽどドンカンなんだね。声きいてたってわかるよ。のんびりしてるもん」

 それに、きっと小さくて弱いから。だからオニにされる。でも、こんなかわいいきれいな子、誰がいぢわるするんだろう。とおもったところで、自分もこの子をオニにしようとしてることに気がつきました。自分もいぢわるなんだ。

 それに、ドンカンなんてひどいこと言った。いぢわるする子はいぢわるされてもしようがない。でも、この子、少しもいぢわるぢゃない。それなのにいぢわるしちゃいけない。ぼくはわるい子になりたくない。

「オニ、かわってあげようか」

 すんでのところでそう言いそうになりました。でも、それをおもいとどまったのは、相手の子が、いつもオニだけどたのしいと言ったことをおもいだしたからでした。それに、おとこの子はやっぱりもうオニにはなりたくないのです。

「ねえ、ほんとに、オニするの、たのしい?」

 そうはいっても、ほんとの本当にそうなのかやっぱりちゃんとたしかめてあげないと、とおとこの子はおもいました。でも、そうきいたほんとの本当の理由は、相手の子ともっと話をしていたいからでした。話をしているあいだ、相手の子と一緒にいられます。まだ姿を見ていないけれども、その声だけで相手の子のきれいさは十分つたわります。うっとりするような気持ちよさにひたることができます。

「ええ。なんでもたのしい」

「なんでもたのしいなんていいな。でも、ぼくもきみといっしょならいつもたのしい」

 そうおもうと、相手の子の言うのもわかる気がする。いつもたのしいっていうのも本当にそうなんだ。

「かくれんぼはどうしたの? ちゃんとかくれなきゃだめよ」

 急に、さっきの小鳥たちが声をそろえておとこの子にたづねかけました。

 おとこの子はびっくりして、そしてちょっぴりはづかしくなりました。相手の子と少しでもながく話していたいために、さっきからかくれんぼう遊びをひきのばしていたのだから。

「ふたりだけのかくれんぼうがはじまったなら、楽しくご観戦させていただこうとおもっていたのに、ちっともはじまらないんだから。かわいいオニさんがかわいそうよ、オニさんにはやくあなたを見つけさせてあげなさい」

 そう言われると、さっそくにもはじめないわけにゆきません。たしかに相手の子も、いつまでもオニの役をしないオニのままぢゃかわいそうです。

「ごめん、ごめん。ぢゃ、はじめよ。ぼくかくれるから、きみかぞえて。いい?」

「はい」

「ぢゃ、はやくかぞえて」

「はい」

 おとこの子はようやくかくれんぼうをはじめる気になりました。ほかの子に数をかぞえさせて自分が隠れるのは初めてのことだったので、とてもどきどきしました。さあ、どこにかくれよう。

 その時になって初めて、おとこの子は自分がいつのまにか山の高いところへのぼってきてしまっていることに気がついたのでした。地面はかたむいているし、まわりは樹ばかり。なぜ今まで気がつかなかったのでしょう。そういえば今までずっとなにを見ていたかというとなにも見ていなかったのかもしれません。ただ相手の子のきれいな声をきくだけで十分な気持ちになって、なにも目にしなくて平気だったようです。そう、相手の子と一緒だという気持ちになるだけで、美しいものは存分に目にしていたもおなじだったからです。

 初めこそ隠れ場所を探そうとしたおとこの子でしたが、まもなく相手の子を見つけてやりたいという気が起こりました。はやく相手の子の姿を見たい、しかも相手の子が気づかないうちにこっそりと。それに、おとこの子はいつもオニだったけれども、みんなのいぢわるの犠牲にされていたため、ちゃんと誰かを見つけた試(ため)しがなかったので、なおさらこの機会に見つけてみたいとおもったのでした。人間、あるいはオニにしても、身についた習慣からなかなか自由になれるものではないようです。

 もちろん、それは声を目当て(耳当て?)にさがせばいいとおもいました。ところが、よく耳をすませ、声の方向をめざしてゆくと、また別の方向から声がきこえてくるようなのです。山には木霊(こだま)というのがあるというけど、それとはちがうようです。おなじ声が反響してきこえるのではありません。だって、相手の子は数をかぞえているのですから、そんなことはすぐわかります。

「おかしいよ。きみ、ずるくない? かぞえながらあちこち歩いてるの?」

「いいえ」

「うそ。きみの声、あっちからもこっちからもきこえるよ」

 でも、かんがえたら、そんなにはやくあっちへもこっちへも動けるわけないって気もする。それに、こんなきれいな子がうそをついたりするだろうか。

「だって、ここってどこもおなじですもの」

 おとこの子はなぜか安心しました。相手の子に言われると、どういうことなのか意味はつかめなくてもなんとなくわかったような気になるのが不思議。

「わかった。ぢゃあ、もういちどかぞえなおして」

 相手の子はまたひとつからかぞえなおしはじめました。

 おとこの子はそのあいだに相手の子を今度こそ見つけようと、もう一度声をたよりに歩きだしましたが、やっぱりおなじおもいにとらえられました。

「やっぱりきみ、歩いてるんだろ。目かくしとって歩くなんて、……」

「ずるいや」と言おうとしてすぐその言葉をのみこんだのは、おとこの子だって、隠れるほうがオニを探すなんてずるいことしてると気がついたから。

「いいえ。わたし……」

「ううん、いいんだ。ごめん。そのままつづけて」

 おとこの子のほうからあやまったのは、こんなやさしい子を責めてきずつけたらかわいそうだし、なによりやっぱりふたりなかよく楽しく遊びつづけたいからでした。それからもうひとつ、おとこの子にある知恵がうかんだからです。その子と出会いたいなら、なにも自分で探さなくても、相手の子のオニに自分を見つけてもらったほうがずっと早いにちがいないと。なにしろ自分はオニを何度もやっているといっても、誰も見つけたことのない、かぞえることは得意でも探すことにかけてはまるで能がないだめなオニだったからです。

 おとこの子はもう隠れないでいいとおもいました。それよりはやく見つけてほしい。でも、一応は隠れるふりをしなくちゃ。だって、相手の子はオニで、おとこの子は隠れる役なんですから。そうでないと、さっきの小鳥たちみたいに、ちゃんとかくれて、って注意される。

 その言葉をおもいだすと、おとこの子はまたまじめにもちゃんと隠れなくちゃという気になってしまうのでした。

 その時おとこの子は、こうして隠れ場所を探している自分がなにかしらとってもみっともない格好をしているような気がしてきました。相手のオニの子や小鳥たちがその声だけでもう十分に美しくかろやかと想像される姿なのとくらべると、たしかに自分はとてもつりあわないみじめな格好をしている。その情けなさは、実際に身を隠さずにいられないほどではないか。おとこの子は、遊びではなく本気にこのからだを隠してしまいたいとおもいました。とてつもなくはづかしい気持ちが起こったのでした。その気持ちがおとこの子をにわかに駆けさせました。

 どこでもいいからはやくかくれたい。

 それはどこかにひっそりとうづくまって、自分の目から自分のからだを隠してしまいたいということでした。

 おとこの子はふと近くにある樹で一番おおきそうな樹の根方にうろを見つけて、そこに隠れに行こうとしました。

 斜面を駆けおりるのはなれないことなのに、実際走ってみると、おもいのほか軽快におりられました。自分のからだがこんなにかろやかに感じられるのはびっくりするほどです。なにか山の子になったような気さえしました。そうおもうと、たちまちうれしくなってきます。それではと、ほかの樹に向かっても駆けてみました。走れば走るほど、おもしろさが増しました。身のかろやかさがこれまで以上に感じられる。もうみっともないからだなんてどこにもないような感じです。樹々の間を縫うように走ることもできました。走るというより飛ぶよう。もうみじめな肉体から解放されて風の精になったようにも感じ、これならどこにでも隠れられる、樹の上の葉のしげみにだって身をひそめることができるとおもいました。いつも弱気だったおとこの子はこの時初めてからだ一杯自信にみなぎるという感じをおぼえました。

 もうぼくはみっともなくも弱くもない。なにもできないぐづでもない。そうだ、ぼくは本当はトリやカゼのなかまなんだ。

 そうおもった、ちょうどその時でした、

不意にオニの子の声が

「もういいかい?」

ときいてきたのでした。

 おとこの子ははっとしました。ちょっといい気になったのをはづかしくおもいました。そういうのをテングになるというのだ。かくれんぼうをしている最中に、別のことに梦中になっていたことをわるく感じました。

 すると、おとこの子は自分をふりかえってびっくりしました。自分が本当にテングに、いえ、テングの出来損ない、それも年老いてからだの縮んだチビテングに――口のまわりは白いヒゲが生え、腫(は)れ上がったようにおおきい鼻は目ざわりで、皮膚はしわしわ、背中が曲がって縮かまったようにからだがかわっている。テングだから翼はあるのかもしれませんが、あってももうぼろぼろでしょう。足も弱って、全身よぼよぼしたように重く感じられました。一息つくのにも肩全体で力をいれてしなければならないようです。寿命ももうながくないかもしれません。こんな楽しい遊びがはじまった今という時に、人生が最期(さいご)になろうとしているなんて、あまりにも情けなく、かなしくなりました。

「もういいかい?」

 もう一度オニの子がその素晴らしく美しい声でたづねてきました。おとこの子はわれにかえりました。そうだ、かくれなきゃ。そうおもった時、子どものままの自分にかえったのを知りました。おとこの子はさすがにちょっと安心しました。

 かくれなきゃ。ちゃんとかくれて、はやくみつけてもらわなくちゃ。さあ、はやく。

 でも、かくれんぼうだから、「まあだだよ」って言えば、またかぞえなおしてくれます。とにかくまず返事をしなくてはいけません。

 そして、おとこの子は叫びました。

「もういいよ」

 なんとおとこの子はとんだ言いまちがいをしてしまいました。自分でもびっくりしてしまって、そしてあわてました。

 おとこの子はその時、古くてとっても太い根がいくつも地上に張り出しているものすごくおおきな樹のそばにいました。そんなところであわてて駆けだそうとしはじめたら、いやでもつまづかずにいないはずです。そして、案の定――


「きゃっ」

 おとこの子は自分のからだがくるりと一回転したようにおもいました。でも、それからさらにどうなったかわかりません。ただ同時におんなの子の悲鳴をきいたのでした。

 その声は、まちがいなくオニの子のものでした。そう感じるのと一緒に、おとこの子は目の前についにおんなの子の姿を見つけたのでした。

 おんなの子は目をおさえていました。悲鳴をあげてびっくりする時は、ふつう頭か両耳をおおうものだけれども。――それはもちろん、その子がオニの子だからにちがいありません。

 なんてきれい。

 本当にきれいっていうのは、このおんなの子のことなんだ。

 目の前はかがやきで一杯でした。おんなの子がもう目隠しをとってきれいな顔をあらわしたので、なおさらでした。おとこの子はもうまばたきもできないまま、おんなの子のこれ以上考えられない美しさに魅入られてしまいました。耳がいつも開いたまま総(すべ)ての音を受け入れるように、おとこの子の目もまぶたなどもとからないかのように開きっきりで、それは光を迎えいれる扉になったのでした。いえ、からだ全体が目そのものになって全身で美しいかがやきにひたったのです。けれども、おんなの子の美しさはとてもやさしく、光はうるおいに満ちているので、おとこの子はちっともつかれをおぼえないし、目がかわくということもないのです。きれいとか美しいとかよくしらず、想像がつかなかったおとこの子も、こうして本当にきれいなおんなの子に出会って、美しさが幸せと一緒なことを知り、うっとりと気持ちよくなる感動に身をまかせました。

「まあ、ここに隠れにいらっしゃったの?」

 おとこの子は初めて対面しておんなの子の声をぢかにきくうれしさに胸が一杯。

「いいえ。そうぢゃないわね。わかった。あなたはかりゅうどさんなのね」

 かりゅうど? かりゅうどって、かわのふくきててっぽうもった、こわそうなおぢさん? えーっ、ぼくがあ?

「かりゅうどだからいつもオニ」

 その時おんなの子はうふっとわらいました。秘密を知ってるわらい。オニの秘密。でも、オニはそんなこと気づきません。

 オニは狩人のことを考え、ぼくがどうしてとおもう。狩人もオニに当てられて、わけがわからない。わかっているのは、それを言ったおんなの子がとても素敵できれいでかわいいということ。意味なんかわからなくても、おんなの子のことだけおもっていれば十分。

「かりゅうどさんはいつも見つけるほうですから。かりゅうどさんがきたら、みんな隠れるのはあたりまえね。そしていつもかくれんぼうがはじまります」

 どうせおとこの子は理解できっこありません。理解よりも興味が先です。おんなの子の言うこと一つひとつがまあたらしくて不思議で……だからその不思議にちょっと首をかしげる(意味を考えるわけぢゃなくて、おんなの子のくれる不思議を大事にするために不思議だから不思議らしくうけとめて)――首をかしげると、一緒に目もかたむくのでちょっと焦点がずれたりなんかして、すると見えるものも……たしかにスキができたのです、そのスキに大好きなおんなの子の姿が……。

「ほら、あんまりねらうと的がはづれるわ」

 おんなの子の素敵なわらい声がきこえたようでした。

 スキスキスキスキおんなの子に対してスキつくしのおとこの子。でもスキすぎて目の焦点がはずれてはステキなおんなの子に対してテ抜かりです、そんなスキ、おんなの子のほうだって目くらましします。

 あれ、どうしたの? どこ? 隠れたの? えーっ、またオニ?

 おとこの子はたいへんとまどいました。でも、おんなの子はちょっと隠れただけで呼びかけたら返事はしてくれると信じきっていたので、今度は自分から言葉をかけようとおもうのでした。おんなの子はいぢわるなんか決してする子ぢゃない。

「ねえ、またかくれんぼうがはじまったの? ぼくはオニ?」

 その呼びかけにおんなの子も返事をくれました。

「そうよ。――いいえ」

 おんなの子が「いいえ」と言った時、おんなの子の姿があらわれました。だけど、おんなの子の声はまるで木霊のような響きをもってまた「そうよ」ときこえてきます。すると、おんなの子の姿はきえるのでした。でもまた「いいえ」と響きかえします。おんなの子の姿が再びあらわれてきます。

「そうよ」

「いいえ」

「そうよ」

「いいえ」

「そうよ」

「いいえ」

 おんなの子の姿、きえて、あらわれて、きえて、あらわれて……まるで星のまたたき。かがやきはもちろんどんな星の光よりきれい。おんなの子のきれいな顔はそのままだけれど、美しいかがやきは、いろんな光をくりだしながら、おんなの子のまわりをめぐり、めぐり、それがおんなの子の姿をきえたりあらわれたりするように見えさせているのかもしれない。みえたり…きえたり…みえたり…きえたり……おとこの子はいつしか自分もおなじようにまばたきをくりかえしていることに気がついて、途中で意識的にまばたきを止めてみました。でも、それはおんなの子がきえたりあらわれたりすることとちっとも関係がないことでした。

 みえたり…きえたり…みえたり…きえたり…、そうしてだんだんみえているほうになれてくる。やっぱりみえているほうが素敵だから。そのほうがずっといいから。でもちょっと遠くなった感じ。そして高いところにいるよう。見上げていると、お祈りをするような気持ちになる。なんといってもきれい。

「そうよ。オニさん。あなたはおいかける。わたしを見つけるために。わたしは隠れましょう。あなたに見つけられるために。さあ、見つけて」

 おんなの子はまたきえました、後ろのまぶしい光のきらめきだけ残して。

 ――ようし、見つけるぞ。

 おんなの子の呼びかけに一度はそうおもったおとこの子でしたが、今度はおんなの子がしばらくきえたままになったので、ものすごく不安になってしまいました。それに、さっきまでおんなの子が見えていたところも、かがやきはかわらないのでずっとおなじところのようにおもっていたけれども、だんだんと高い位置に上がっている感じで、実は少しづつはるか遠くのほうへはなれていっているのではないかという気もしてきました。それでもし再びおんなの子の姿があらわれても、もう今度こそ本当のお星様みたいに天高く上ってしまって、絶対行き来できないかなたの世界に遠ざかってしまうんぢゃないかという心配が心を締めつけてきます。よびかけなくちゃ――おとこの子はおんなの子とはなれないためにはそれしかないとおもうのでした。

「ねえ、待って。おねがい。ぼく、ほんとにオニ?」

 そうきいてしまってから、もしまた「そうよ」って答えられたら本当におだぶつになっちゃうことに気がついて、おとこの子はぎくりとしました。いいえ、それよりもっと怖いのは、おんなの子の返事がかえってこないこと。おとこの子は、ぞっとしながらおんなの子の返事を待たなければならなくなりました。

「いいえ」

 その最初の一言をきいて、おとこの子はどんなに胸をなでおろしたことでしょう。そして、おんなの子の姿がまたあらわれているのを知った時、それはなによりの喜びでした。その喜びは絶対失いたくないとおもいました。

「本当は隠れるほうがオニ」

 姿をあらわしたおんなの子が奇妙なことを言いました。

「え? ……きみがオニ?」

 どういうことかわからないけれども、今のおとこの子にはおんなの子とお話ができるだけでも幸せです。

「ええ、そうよ」

「ちがう。きみがオニのはずない」

 こんなにきれいでかわいい子がどうしてオニなのだろうか。

「いいえ。わたしはオニ。でも、あなたもオニさん」

「ぼくもオニ?」

「あなたもわたしも」

「きみもぼくも? ああ、きみと一緒なら」

 おんなの子も自分も一緒なのは、たとえオニだと言われても、おとこの子にはうれしい気がします。

「だから、かくれんぼう」

 おんなの子が続けて言います。

「だから、かくれんぼう?」

 おとこの子がくりかえしました。

「かくれんぼうはオニさんどうしのお遊びなの。みんな、本当はオニさんなの。オニさんのみんなが一緒になってできるお遊びがかくれんぼうなの」

「それがかくれんぼう?」

 こうしておんなの子となかよく話をしていると、かくれんぼうも本当に楽しい遊びのようにおもわれてきます。

「さあ、かくれんぼうはもうはじまっていますよ」

 あたまの上のほうからやさしいきれいな声がしました。ふっと見上げると、何羽もの小鳥たちが飛びかっています。小鳥たちの顔を見ると、どれもきれいなやさしい顔でした。どこかで見たことのある顔にも見えました。

「あっ」

 おとこの子ははっとしました。おんなの子の姿は見えなくなっています。

「ちゃんとみつけてあげてね」

 小鳥たちは楽しそうな囀(さえづ)りのなかでおとこの子にやさしく声をかけました。

「わあ」

 おんなの子が見えなくなって、おとこの子はおもわずわめきました。

「ふふふ。そんな大声、いっときのことで、どこにもとどきはしないわ。言ったとたんそのそばからきえてしまう。隠れているものには静かな世界のなかで、心の声でよびかけて、心の目でみつけなくちゃ」

 そう言うと、小鳥たちも素早い動きのなかで見えなくなってしまいました。

「さあ、重さもないかたちもない静かな世界へ。ほら、あなたも風になれば。自由な心で火花を発して、かたちなどけしとばし、からだごと風におなりなさい。こころもからだも一緒に、命の息吹(いぶ)きだけになっておしまいなさい」

 最後に、もう見えない姿の小鳥たちはそう声だけ残しました。

「かぜ?」

 おとこの子はひとりつぶやきました。

 すると、そよ風がどこからか吹いてきて、おとこの子のほほをやさしくなでました。

「ひゅう。あなたは風の見習いさん? それぢゃあ、わたしたちの姿が見えますか?」

 ひょう。ぴゅう。

 おとこの子のからだは風にやさしく抱き上げられています。一筋のながれをおよぎただようような感じでした。そばには別のながれで、小さな花やかずかずの花びら、葉っぱ、綿毛、花粉などがおどりを舞うようにただよっていました。その動きは風の動作でした。風の姿がかたちのないままにわかってくるような気がする。しだいに、そこにさっきの小鳥たちの姿が見えてくる――

「あっ」

「まあ、みつかっちゃった」

 茶目っ気あふれる小鳥たちの声がしました。すると、たくさんの小鳥たちがおとこの子のまわりを飛びかいはやしたてます。

「やさしいでしょ。みんな一緒とわかれば、見えてくるのよ」

 そして、

「ほら、ごらんなさい」

 言われるまでもないことでした。おとこの子はおんなの子と出会っていました。

「みつけてくれたのね、風さん」

 おとこの子は喜びで一杯です。

「わたしもみつけることができたわ、ありがとう」

 おんなの子はお礼を言いました。

「きみ、喜んでるの?」

「ええ、うれしい」

「ぼくもうれしい。きみがうれしいって言ってくれるから、もっとうれしい」

「わたしも一緒よ」

「わあ、すてき」

 おとこの子は本当にうれしくてたまりませんでした。

「でも、きみ、いまもお星様みたいにきらきらしてる」

 たしかにおんなの子の姿はさっきとおなじようにきれいな星のまたたきのようにきらきらしています。

「そんなにきらきらしなくても、きみはきれいなのに」

 おんなの子のきらきらしてるのがおとこの子にはなぜか不安でした。

「もっと近くにきて」

「近くも遠くもないのよ。ずっと一緒よ。いつもこのままここに。かわりはないの」

「ううん。きみ、だんだん遠くなっていくよう。お星様には手がとどかないよう」

 おとこの子はなげきうったえました。

「ねえ、おねがい。もっとそばにきて、ぼくと手をつないでよ。本当におねがいだから」

 もし手をつないだら、絶対はなさないつもりです。

「おねがい?」

「うん。一生のおねがいだよ」

「どうしてわたしにおねがいするの?」

 おねがいという言葉におんなの子は少しとまどったようでした。

「きみがきいてくれなきゃ、神様にもおねがいするよ」

「神様、って?」

 おんなの子は、神様という言葉も不思議そうにききかえしました。

「神様におねがいして、ずっときみと一緒にしてもらうんだ」

 おとこの子は必死です。

「わたしいつも一緒よ」

「ううん。きみ、隠れるぢゃないか。ぼく、神様におねがいして、絶対にきみがきえたり隠れたりしないようにしてもらう」

「隠れていてもいつも一緒よ。だからだいぢょうぶ。あなたなら見つけてくれる」

「本当に見つけられるの?」

「いつも一緒だもの。だから、隠れなきゃならないし、見つけることもできる」

「本当に?」

「ええ。わたしもあなたを見つけます。あなたのこと、わすれませんもの」

「きみも?」

 おとこの子はおんなの子の言ったことがとてもうれしくて、どきどきしながら問いかえしました。

「はい。お遊びはおあいこですから」

「おあいこ?」

「ええ。あなたもわたしもご一緒に」

「やっぱり一緒?」

「おたがいに隠れあい、見つけあうの。だから、かくれんぼう」

「だから、かくれんぼう」

「だから隠れたら見つけてね」

 おんなの子はかわいくおねがいしました。でも、隠れることを言われると、おとこの子はどうしても不安になってしまうのでした。

「うん。見つける」

 いったんはそう言ったおとこの子でしたが…

「――ううん、だめ。隠れたらきみがきえる。そんなのやだ。ちょっとでもきみがきえるなんて。ぼくだって、隠れやしないよ。いままでだって隠れたことなかったんだ。隠れることなんかしやしない。絶対するもんか」

 そう叫んだおとこの子の目の前で、いつのまにか舞いおりてきていた小鳥たちが一瞬のこと、はじきとばされるように左右にわかれていなくなりました。おとこの子もびっくりし、そして少しおびえました。後に、小鳥たちの声だけ残りました。

「ちょっとでもですって? いつもずっとと言ってるのに、ちょっとでもってどういうことでしょう」

「それに、隠れたことないなんて」

「かわいそうなわからずやさん。わたしたち、ずっと隠れているっていうのに。初めからずっと。いまもいつも」

「見つけたとおもったときも、隠れてることにかわりない」

「見つけるのは一瞬。でも、その一瞬のいまが大切。とりわけあなたにはね」

「その一瞬を、いまの一瞬を大切に。いつもということはいまそのものなのだから」

「さあ、よくごらんなさい。いまを見失うまいとおもうなら。けれども、いまだって、見えているようにおもって、本当はやっぱり隠れてるのよ」

 そう耳にきいた時、じっと目をこらして見つめていたおんなの子の姿が一瞬きえたのでした。でも、すぐあらわれました。またきえて、またすぐあらわれ……さっきとおなじように、星のまたたきみたいに、あふれかえる光のなかで。いえ、いま突然そうなったのではありません。さっきから、いえ、初めから、おんなの子はずっとそのように見えていたのでした。それにいま初めて気がついただけです。おとこの子はおんなの子の様子を見て、隠れることと見つかることがおなじ意味だということにはっとしました。

 それでもまだ、「かくれないで」というおもいがつよく残ります。

 一枚の花びらが目の前をはらはらと舞いおりてきました。

 おんなの子のまわりにいつのまにかたくさんの花びらがきらきらと舞い動いているのに気がつきました。そのどれもが、まるで冬の夜空の星々のような透きとおったかがやきをおびて光っているようでした。それらの花びらは、どれものびやかな空気と戯れ舞いおどっているように見えましたが、実は散っているのにちがいありませんでした。やがてそれらは、一枚一枚池の水面(みなも)におりたようにひととき静止して、おのおのそこにとどまりました。まわりはいつか夜の星空から池の水面にかわったようです。

 花びらはとてもおおく、たくさんの花びらが池の水面にとらえられたというのに、まだまだ一杯の花びらが舞い散っており、また池の水面もそれらをうつしかえして、花びらの姿であたりはおおいつくされたようになりました。池の水面は、散りおちて動かない花びらと、のびやかに宙を舞う花びらの水にうつる姿の動きとがまじりあって、またそれぞれの光がたがいに響きあいもして、とても美しい宇宙をかたちづくっているようでした。

 それでも、少しづつ水面にうかぶ花びらの数がふえて、自由に舞い動く花びらの姿が少なくなってきました。するとそれらは池の水にひきこまれるように一枚づつしづんでゆくのでした。花びらの姿とその光はめっきり少なくなりました。それに応じて、豊かにたたえられていた池の水も徐々に減って、干上(ひあ)がってきているようでした。あとに見えたのは、黒っぽい泥田でした。それでも、おんなの子とそのまわりには光がかがやきあふれていたので、その光はやがて雨のように静かにそこに降り注ぎました。

 たちまち一面透きとおった水で満たされます。いつのまにか睡蓮が生えだし、茎があちらこちらに伸びてきて緑の葉が広がると、きれいな花がゆっくりとあちらこちらで綻(ほころ)びました。睡蓮の花はやがて一斉に閉ぢ、またしばらくおいて一斉に開きました。それが三度くりかえされると、とうとうしぼんだきりになって花はばらばらに水面に散り、すると水にしづんでいた睡蓮の根茎が一度に水面にあらわれてきたように見え、それほどに池の水面がぱっと明るくなったかと見ると、それは青くすみきって高い空にかわっていました。睡蓮の根茎もさらに細くわかれて、おおきな樹の枝にかわり、水面に散った花びらはそれぞれの位置で一つひとつがふくらみ開いて、八重(やえ)に咲く桃の可憐な花となりました。

 それがまたいま、一斉に散りはじめ、花びらが一枚一枚きらきらしながらながれるようにあたりを舞い出しました。さっき一枚の花びらに気がついた時とおなじ光景があらわれたのです。

 それはとてもゆっくりした時間のなかでの静かなできごとのようにも、一瞬のうちに起こったはげしい變化(へんか)のようにもおもえました。それでも、おんなの子に少しもかわりはなく、おとこの子もいま初めて気づいたことだけれども、実は初めからここではそうしたできごとが続いていたのだとおもい、ごく自然にうけとめてあまりおどろきもしていないのでした。おんなの子がかわりないので、まわりがどんなに移りかわろうと気にはならない。おんなの子と一緒なら、そのあいだに宇宙をひとめぐりしたってきっと気がつかないか、あるいはそれがわかってもちっとも気にならないにちがいないと、おとこの子はおもいました。

 目の前をはらはら花びらがおちてきます。おんなの子のまわりはいっそうおおくの花びらが舞い光っています。おんなの子がかるく手を上にさしあげると、そこに一枚の花びらがゆっくりおりてきて、まるで蝶々がとまるようにおんなの子の細く美しい指先にとどまります。おんなの子は静かにほほえんでいます。おとこの子もおなじように花びらをつかまえてみようとおもいましたが、花びらはするりと指のあいだをすりぬけていってしまいました。おとこの子もおんなの子に向かってほほえみました、もっともそれは照れ隠しのわらいでしたけれども。

「この花びらもほんとはかくれてたんだね」

 おとこの子はなにかがわかったようにつぶやきました。

「お空にかくれてお星様になる。お池にかくれて睡蓮の花になる」

 花が星に、池が空にかわるのも、隠れているものがいろんな姿としてあらわれるだけのことだとわかりました。それはたいへん美しい世界だとおもいました。でも……。でも、もっと美しい、なによりきれいなおんなの子は……。

「でも、きみは……」

 それでも、おんなの子にはいつまでもかわってほしくないし、隠れてもほしくはない。おんなの子はいつまでもおんなの子のまま、そしていつも一緒にいてほしい。

「もう、かくれないで」

 おとこの子がそう言おうとおもった時、目の前をまた一枚の花びらがとおりすぎました。また別の一枚も降ってきたのでおもわず上を見上げると、空とおもったところに池の水がたたえられて、いくつもの睡蓮の花がふくよかに開いていました。おとこの子が「あっ」と叫ぶと、睡蓮の花はねむるようにゆっくりその花びらを閉ぢました。

 おとこの子はおんなの子のほうに目を転じると、その優美で小さな指先にとまっていた花びらがひらひらとゆっくり動き出し、本当に蝶々になって舞いはじめました。おんなの子のまわりの花びらはいま一枚、つぎもう一枚とゆっくりおりてきてはとまり、そこで美しい變身(へんしん)をくりかえして蝶々になって舞うのでした。

 おとこの子の目の前にも一羽の蝶々が舞い飛んできました。おとこの子はこの指にとまれというように一本指を立てて蝶々のほうに向けました。蝶々はなおもひらひらしていましたが、おんなの子が合図をおくるとちゃんとおとこの子の指先にとまってくれました。おとこの子はおんなの子とおなじになったのでとてもうれしくなりました。にこにこしてもう一度おんなの子のほうを見ると、おんなの子は一面の花園のまんなかにいて、たくさんの蝶々が舞っていました。おとこの子の指先にとまった蝶々もそのなかまのほうへ飛んでゆきました。おとこの子は自分も蝶々になっておんなの子のほうへ飛んでゆきたいとおもいました。そうおもうと、たしかに飛んでいるような気分になりました。本当に蝶々にかわってしまったような感じです。

「あれ、ぼくもかわってる。ぼくもなんでもあるんだろうか」

 そう考えると、いま、ぼくの姿はきえてるんだ、蝶々になっているから、もうどこにもぼくの姿は見えないんだ、と知りました。すると、ぼくは隠れていることになるんだろうか。ぼくはちゃんといるけれども、ぼくの姿は見えなくなり隠れてしまっている。隠れることになってもなくなることにはならないことがわかりました。それはそれで安心したのですが、でも、隠れてるぼくをおんなの子はちゃんと探してくれるだろうか、一杯いる蝶々のなかからちゃんとこのぼくを見つけ出してくれるだろうか、とおもうとやっぱり不安でした。飛んでいる気分は楽しいものです。頭で考えることはないようにおもいます。でも、もしも、とおもうと、どうしても頭が働きました。そして、また不安が頭をもたげてくるのでした。

「やっぱりかくれんぼうはいやだ」

 おとこの子はおもいきるように絶叫しました。そう言うと、おとこの子は前のめりになって顔から前におちました。おちる瞬間、自分の姿は前のような年をとった羽ぼろぼろのチビテングにかわったように見えました。それも自分のなかに隠れていたものなのか。

 さて、たおれたおとこの子はさっそく小鳥たちが集まってやさしく抱き起こしてくれましたが、その一瞬でも、おんなの子がきえてしまうかとおそれずにいないのでした。おとこの子はすぐ顔を上げると、おんなの子に向かって叫びました。

「ねえ、もっとそばにきてよ。そんなにはなれないで、きみからぼくのそばにきてよ」

 その叫びにおどろいて小鳥たちが一斉に飛び去ると、おとこの子は今度はあおむけにたおれてしまいました。それでも、やっぱりそのひとときの空白が怖くて、すぐに起きなおったおとこの子でしたが、

「あっ」

 おとこの子は目の前に見る光景にびっくりしたのでした。

 おんなの子のきらめくかがやきが一つはなれ、小さなともし火となって近くにともりました。すると、そのともしびからまた一つのともし火が生まれ、またその新しいともし火からつぎのともし火がつくられ、そうしてかずかずのともし火がつぎつぎに生まれて、お星様のような高みにあるおんなの子のきらめきがかずしれず続いて、ついにおとこの子とおなじ高さまでおりてきているのでした。どれにも初めのおんなの子の清らかなかがやきが移され伝えられて、小さいともし火ではあるけれどもどれもおなじかがやきを保って、それが近くまでおりてきていることにおとこの子は感動しました。そして、おんなの子が自分の呼びかけに応えてくれたようで胸が一杯になりました。

 その時、一番手前の小さなともし火がやさしいほほえみをなげかけてくれました。

 おとこの子ははっとしました。そのともし火には美しいおんなのひとの顔がありました。見ると、どのともし火にも美しいおんなのひとの顔がうかびあがっています。もちろん、おさない、かわいいおんなの子の顔もあります。小鳥たちに見た顔のようにも見えます。いづれもが、どこかで見たことのあるおもかげを宿した、なつかしい美しいあこがれの顔なのでした。近くそばにきてくれたのはおんなの子自身ではないけれども、そうしたなつかしい、そして美しいおんなのひとたちの列が、自分のつい近くからはるかへとずうっとおなじかがやきの清らかなそのともし火をかかげ、そうやって天高くおんなの子につながっているのが、おとこの子の心にもとてもありがたいことだとおもいました。

「わかった? ね、お花はいつもここにあるのよ。ただ姿をかえてるだけ。姿をかえるということはその姿を隠しているということ。いつもここにあるために。反対にね、いまという時がかわるから姿もかわる。そして、隠れているものは、いつもいまという時と一緒。そして、ここに。わたしはいつもあなたからはなれてはいないわよ」

 一番身近なおんなのひとがお花を示して言いました。

「あ」

 おとこの子はその時それが誰だかおもいだしたようにおもいました。でも、おもっただけで結局誰だかつかめませんでした。ただずっとながい間、隠れていたひとだということだけわかりました。それはいつまでもかわらない姿のままだということでした。だからなつかしい。いえ、なつかしいを通り越して、おとこの子は心なついて身を委(ゆだ)ねんばかりでした。かわらない時のふところをゆりかごにして、憩(いこ)いねむってしまいそうです。

「さあ、おねむりなさい、よい子だから」

 おとこの子は本当にねむってしまいたくなりました。でも、おとこの子はおんなの子のことをわすれていず、ずっと気にかかっていました。そして、かくれんぼうのことがやはりひっかかっていました。

 ねむっている間にみんな隠れる。目がさめたらみんなきえている。そしたら、再びいまのようにみんなを見つけ出せるだろうか。もし見つからないとしたら。たとえいっときでも、みんなを見失うのはいやだ。何度もくりかえし、のがれられないこのおもい。おとこの子にもわかっているけれども、心の不安はどうしようもないのでした。

 そして実際に、おんなの子の姿はまたたきのなかでしだいにきえてゆきそうな気配に見えました。

「おねがい。きえないで」

 おとこの子はおんなの子にうったえかけました。

 しかし、その声はおんなのひとのながいともし火の列をかき乱してしまったのでした。列は乱れ、おおきくうねり、おとこの子のそばからもはなれてしまいました。とうとう、おとこの子はおんなの子を見失いました。

「ああっ」

 おとこの子はがっくりして力が抜けました。

「どうしたの? どうしてみつける喜びをおぼえないの? きっとみつけられるというのに」

 あの小鳥たちのやさしい声がおとこの子を励ましました。おとこの子はもう一度目をこらしました。たしかにおんなのひとのかかげるともし火の列をずっとたどれば、おんなの子に行き着くとおもいました。でも、いまその列はおおきくうねって、その長さははてしなく、どこまでもきりがなくおもわれます。どこまで求めても、おんなの子までは果てしがないのです。そして、おとこの子は無限大の宇宙のうねりのなかに巻きこまれ、距離の感覚も時間の感覚も途方もなくなって、ただめまいをおぼえるだけです。

「ああ、ここはどこ? ぼくはどこにいるの? いまという時はどうなったの?」

 おとこの子はむなしい問いかけをするばかりです。

「そう。あなたはどちらの星にいるの? かぞえきれないいくつもの星のどのひとつ?」

 向こうからもおなじような問いかけがかえってきました。と、おとこの子のほうこそいっそうそういう気持ちがするのでした。おんなのひとたちのかかげるともし火はいまはるかな星でした。それは無数にあって、金銀の砂子(いさご)をちりばめたようにきらめき、まるで銀河のようであります。その数かぎりない星のどれがおんなの子のかがやきをあらわしているのでしょう。一番明るい星でも一番遠くにあれば、どれがどの星か区別がつきません。

「どちらかの星にいらっしゃるにはちがいないわといっても、どの星もとても遠い。星の遠さははてしない時間をあらわしてもいる。もし、あなたをどこかの星にみつけたとおもっても、その時はあなたにとってはもう別の時。ふたりがぴったり一緒にならなければ、いまという時も別々ではないかしら。目で見るいまはもういまではないし、目で見たものはそれそのものでもない。あなたの目にとどく光は相手の姿の本当をおしえてくれてはいないわ。だから、本当のものはみんな隠れるのよ」

「小鳥さんたち。きみたち、一体どこから声をかけてるの? ぼく、見えないよ。星ばっかりで、ほかにはなんにも見えないよう」

 だけど、どうしてこんなに星が数かぎりなくあるのに、お空には光より暗いところが一杯あるのだろう。おまけに、銀河の一部に明るい星の集まりをさえぎるように黒い炭のかたまりのようなものまである。おとこの子はとても不思議におもいました。けれども、そういう暗いところにもぎっしり星がつめこまれているのにちがいない。そうやって星にもあらわれている星と隠れている星がある。おとこの子は不満におもいながらもそう感じずにはいませんでした。

「きみたち、ずるいんだ。なんにでも姿をかえて。そうして、おんなの子まで隠して。きみたちがなんと言ったって、ぼくは知ってるんだ。さっきまでおんなの子はそこにいた。きみたちがあれこれかわった姿であらわれたりきえたり、ぼくをからかって遊んでいるうちにとうとうおんなの子を隠してしまったんだ。いま、いまといって、きみたちはいつもからかってる。いまがいつもだなんてあるものか。さっき、おんなの子のいたさっきをかえしてよ」

 おとこの子はとうとう見えない小鳥たちに文句をつけました。

「ああ、そうなのね、あなたのいまっていつもかわってしまうのね。本当はかわらないいまという時も、あなたにはかわってみえる。そして、なつかしんだり、おしんだり、くやんだり。あなたは自分から、いつかの時、どこかのところに紛(まぎ)れていらっしゃる」

 小鳥たちの声があわれむように言いました。

「だからこそあなたは、かくれんぼうのお遊びにくわわって、かわりないいま、ここをみつけてくださらなくちゃ。ほら、あなたはかくれんぼうのお遊びでわたしたちと一緒にいまここにいらっしゃるのよ。いつものいま、どこでもあるここに」

「ああ、だけど、あなたにはわからない。あなたのここはすぐおなじでなくなってかわってしまう、移り動いてゆく。あなたのいまという時はどんどん過ぎ行きて、移ろってしまいます。ああ、どうしてあなたは、おなじところにいつもかわりなくいらっしゃるわけではないのでしょう? あなたのいまはなぜ、いつもかわることのないおなじ時ぢゃないのでしょう? あなたの世界はわたしたちにはわからないことです」

「だから、どうぞ、かくれんぼうでわたしたちの世界へ。いつもどこもかわりなくそのまま一緒の世界へ。いつもご一緒だから、かくれあってみつけあうこの世界へ」

「この世界ではいまここにそのまま一番いい幸せをおもうこと」

「そうおもったら、ほら、」

 小鳥たちの言葉にしたがっておとこの子もだんだん安心した気分になり、身を委ねてもよいように感じていると、おとこの子の目に自然とおんなの子の姿もうかびあがってきました。やはり身近にも、ともし火をかかげ花を持った、あのやさしく美しいおんなのひとの姿もよみがえっています。

 おとこの子はうれしくなっておんなの子に呼びかけようとしたとたん、おんなの子の姿はきえてしまいました。

「待って」

 おとこの子は悲鳴にも似た叫び声を上げました。おんなの子を見失うたび、おとこの子はどきっと胸が震え、心が凍るおもいがしました。ちっともそれになれるどころか、たび重なるごとに激しくなるようでした。

「ああ、あなたは、かわりたくない、かえたくないとおもって、反対にいまという時を動かし、時を過ぎ去るだけのものにかえてしまう。遠い近いという区別をして、反対に距離をつくってしまう。距離を縮めようとしたら、時間はどんどんのびていってしまうわ。そういう世界にあなたはいる。待って、なんて、時が過ぎ、相手が行くのを認める言葉。なぜ逆のことをおっしゃるの?」

「いやなんだ。なんと言おうといやなんだ。きみが隠れるなんて、絶対に。ああ、神様、どうにかして」

 おとこの子はもう見失ってしまったおんなの子に対して、ききわけなくわめきました。

「ああ、神様おねがい。ぼく、いい子になります。ぼくオニではありません。かくれんぼうなんてもうごめんです。絶対いい子になりますから、あのおんなの子を……」

「ああ、あなた、神様もいつもそのお姿を秘めていらっしゃるのに」

「そんなことあるもんか」

 おとこの子は自分の叫びで一番身近でともし火をかかげたおんなのひとが持っていた花を散らしてしまったのを知りました。と同時に、風が乱れ吹き、そのおんなのひとをはじめとしておんなのひととともし火の列まで目に紛れてしまいました。「しまった」とおもってももうとりかえしがつきません。

 おとこの子の散らしたおんなのひとの花びらが何倍もの数になっておとこの子のまわりにたくさんながれおちてきました。おんなの子のいた高みにはあいかわらず花園のようにきれいでいろんな種類の花花が咲き、樹樹に咲く花も爛漫(らんまん)と天までおおってにおいたつようです。枝をはなれた花びらも光に映(は)え、宝石がきらめき揺れるように見えます。そう見ると、そのまんなかに美しいおんなの子の姿が見えました。けれども、おんなのひとのともし火の列がきえたためか、今までのように清(さや)かには見えないのが気がかりです。さらにおとこの子の目の前におちてくる花びらが邪魔でした。それらは吹きすさんだ風に散らされたはずなのに、元気なくのったりとただおちてくるばかりであっていっそう邪魔なのです。

「散るな」

 おとこの子は心はさらに騒いで、目の前をおちる花びらを手で払いのけるしぐさをくりかえしました。すると、それがかえってさらに花を散らせたように、いっそうたくさんの花びらがおちて目の前をさえぎります。

「そうするとどんどん時を動かしてしまいます、あなたのお気持ちと反対に」

 見えない声にはっとして、おとこの子は花びらを払いのけるしぐさをぴたっとやめました。ひょっとすると、この花びらの一枚一枚は、あのおんなのひとたち、小鳥たちかもしれない、とおもうと、もうそれ以上乱暴なことはできませんでした。

「そうしてあなたはかわってしまうわ。あなたのいまという時はもうおなじでなくなってしまう。あなたがどんなに一緒でいようとしたって、もう移り過ぎてかわってしまいます。時の動きにあなたは乱れ、いまをかきけす」

 ああ、神様、この世界はあなたが守ってくださっているのではないのですか。

 かなしいことに、もうどうしようもないようでした。いくら神様におねがいしようとしても、もう世界がかけはなれているようです。もうどうしたって、いま淡い姿で見えているおんなの子が再び隠れずにいないような感じがしました。おんなの子は最後のお情けであらわれてくれたように感じます。おんなの子とのあいだを結ぶおんなのひとのともし火の列がきえてしまった今となっては、もうここに見えるおんなの子の姿がきえれば二度と会えないかもしれないような気がするのでした。とうとうそういう時が……。

「そんな、時、なんて」

 おとこの子はくやしそうにそう言いました。おんなの子はまだ隠れずにいました。静かにだまったまま見守っているようでした。

 突然――

「時、とまれ」

 おとこの子はおもわず叫びました。

 おとこの子にはようやくわかりました、かくれんぼうの遊びでなくてこんなきれいなおんなの子といつも一緒にいるためには、時間が永遠に止まってしまうしかないっていうことが。

 でも、それはできない相談でした。

 時を止めて。その叫びには、神様さえ否定する響きがありました。しかし、おとこの子はなにもおそれていませんでした。むしろ、いまここで世界が終わりになることのほうが、おとこの子の本望にかなうことなのかもしれません。

 おとこの子はその時、心臓がぴくっとふるえたのを感じました。そして、ふるえたとたん、急にきゅんと締めつけられるような痛みをおぼえました。

 おとこの子は泣きました。おしだまったまま、なみだだけながして。声をたてない初めてのなみだ。痛いために出たなみだぢゃない。なみだの痛み。なみだが血よりも濃く、心臓よりもっとおくふかいところからおしだされてくるのを感じました。おとこの子はそれまで、空気に錆(さ)びていない、からだのなかを生きてしんから真っ赤な血を見たことがないように、そのように濃くふかく、命とおなじだけ重いなみだを知ることがなかったのでした。

 そのなみだは、おんなの子の目にも光っていました。はかりしれなく美しいなみだでした。おんなの子はなにも言いませんでした。けれども、おとこの子はおんなの子のなみだから「かなし」という言葉を読みました。

「かなし」――それはおとこの子の知らない言葉でした。「いたい」とか「いやだ」とか、「きつい」「くるしい」などとかというのとは、全然種類のちがう言葉。それらはなみだが出る時の言葉ではあっても、なみだそのものの言葉ではありませんでした。なみだでおしながす必要のあったごみに近いものでした。それがなみだにまじって、なみだの言葉と見えただけかもしれません。でも今、おんなの子のなみだから読んだ「かなし」という言葉――しかしそれは「言葉」でしょうか――は、なみだそのものの芯(しん)にきらめく光に見えました。心の深い底に隠されたはかりしれない秘密に接して、おもわずなみだの玉に凝(こ)ってあらわれた美しい言葉にちがいありませんでした。

 おとこの子はなみだをながしながら、そこにおんなの子の光を宿し続けていることを幸福に感じました。最初こそ痛みをおぼえたけれども、今はとっても幸せな気分でした。

 おんなの子は安心したようにほほえみました。そして、なみだに光る目を手でおおって目隠しをすると、なみだの光と一緒におんなの子の姿も隠れてしまいました。それと一緒に、おとこの子のなみだも止まりました。かくれんぼうの遊びをするのに、泣いてなんかいられません。

 そうだ、かくれんぼう遊びしているんぢゃないか。

 おとこの子はもうオニがどうのとおもいませんでした。どちらが隠れ、どちらが見つけるのでもない、どちらも隠れ、どちらも見つけるんだ、だからいつも一緒なんだ、自分の時は移りかわっても、かくれんぼうを続けているかぎり、いつもおんなの子の、いま、ここ、にかえれるんだ。もう、どこもいつもかわりはない。

 おとこの子はおんなの子に呼びかけるように静かにささやきました。

「かなし」

 一緒にね。(さあ、みつけて)

 そして、続けて声をはりあげました。

「もういいよ」

―終わり―

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かくれ隠爾 @NowHere

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