黒いまどろみ

@reizouko

黒き眠りの病

 ある街では、人々が眠気に襲われて死んだ。そのとなり街でも、やはり睡眠に侵されて大勢の命が奪われた。やがて睡眠そのものが元凶とされ、人々は眠気を恐れた。眠ることが禁止された地域まであったほどだ。それはいつしか「眠り病」と呼ばれるようになった。眠り病の患者はひと目で分かった。首や脇に大きな毒の塊があったからだ。どす黒い枝が体中を覆い尽くす。「眠り病」は感染った。患者に触れないこと、目を合わせないこと、これが庶民に出来る唯一の予防策だった。

 「あの……」
 ぼろぼろの鞄をさげた旅人の背後に、影が立っていた。全身を黒いヴェールで覆っている。顔にはレースが垂れていて性別は分からない。夕日を背に受けて、聖職者のように見える。


 「どこへ行かれるのですか」


 「何だ、お前は?」


 影が答えないので、男はそのまま歩き去った。そして、道に続く真っ暗な森に臆することなく入っていった。彼は好き放題に伸びた草の中を軽々と進んでいく。道のない地面は歩き慣れているようだった。賢明な旅人であれば、視界が悪い中で険しい森を進むより毒虫の出ない場所で夜を明かすことを選ぶだろうが。旅人は真っ直ぐ森を進む。夕闇が濃くなり、刺すような冷気が枯れ草を凍らせる。厳しい冬の始まりであった。


 「私も同行させていただきます」


 男は後ろを振り返った。さっきの影だ。頭からすっぽりと唇まで黒い布で隠した姿は見るからに胡散臭く、信用出来ない風貌だ。


 「来ないでくれ」


 「いや、行かねば」


 「お前は誰だ?」


 何も答えない。暫し、長いヴェールを足元まで垂らした影は男の後ろについて今できたばかりの獣道をたどった。男のほうはといえば、影のことは多少なりとも気になっているようだったが、あちらが返答を返すまで無言を貫いた。影の声が聞こえてくると、溜息をついた。


 「私はサタンの寵愛を受けた身。つまりは少数派、都の殿堂教会から迫害されるべき立場にいます。名はアドラメレクといいますが、ご存知でしょうか?」


 「言ってることがよくわからんが」


 「知らなければいいのです。私は都に向かう途中でしたが、道に迷ってしまいました。目指す都はこの辺りにあるのですが、もしかしたらあなたがそこに用があるのではないかと……」


 「用はない。都には向わない。故郷の村に寄るだけだ」


 男は影を振り切るようにして早足になった。変な奴に付きまとわれてしまった。太陽が溶けて、空いっぱいに滲んでいる。ミズナラの樹が黒い影を落として、夜が来ることを知らせる。男がかたい草を掻き分ける音以外は何も聞こえない。しゃがんで、ほどけた靴紐を結ぶ振りをして後ろを確認すると、影はついてきていた。

 男は旅をしていた。村や街を転々として、たまに旅芸人や商人に同行しつつ、各地を旅する生活だ。


 男が同じ街を訪れることは二度とない。街にいることに居心地が良くなったら、そこを去るサインだった。世話になった家主や庶民に少しばかりの金を残して、誰にも見られずに街を出て行くのだ。


 しかし、次に滞在した街で、出て行った街の噂を聞くことが多々あった。そういった噂の中には、自分のことや、権力者のこと、そしてまれに、そこいらの街が全滅したことなど、様々な伝聞が混じっていた。嘘かまことか。しかし事実として、ここ数年はよく村や街が滅んだことをよく聞く。悪疫、眠り病の流行があった。それはしばしば、疫病神の仕業だとされた。殿堂教会には多くの庶民が神に助けを求め、長老に接吻をねだった。



 見覚えがある道を見つけた。向こう側に民家が見える。


 男は何年も訪れていない村と、そこで暮らしている母や兄弟の顔を思い浮かべた。男は故郷を訪れようとしていた。自分とわかるだろうか。まあ、会えばすぐに打ち解けるだろう。話そうと思えば話題は沢山ある。各地を渡り歩けば、嫌でもいろんな目にあうものだ。


 土や雨でぼろぼろになった道標を通り過ぎ、先程見えた家の側に立った。村の入り口に着いたようだ。木々は村のために脇に避け、頭上にはもうすっかり暗くなった空が広がっている。遅い時間だからか、外へ出歩く村人はいないようだった。


 夜らしい夜、男は故郷の村の小石だらけの道を歩いた。とても静かで、都では考えられない静寂だ。男はかつて暮らしていた家へ向かった。もうずっと離れていた村だったが、家への道は足が覚えていたようだった。家畜が藁を食む音、柔らかな草地、水車が畑に水を送り込む風景を、思い出す。硬貨など存在せず、ただ神へのささやかな感謝さえあれば、村人はそれだけで幸せであった。


 しかし気づけば暖かい灯影もなく、煙突からは煙も出ていない。持ち手の無い薬缶が道に転がっていた。死んだように静かで何も聞こえない。


 鍬は錆付き、井戸は枯れ果て、鼠の死体が横たわっている。男の鼓動が早くなる。そういえば、灯りがない。漏れ出る声も無し。煉瓦の壁をよく見れば、いくつか抜け落ちて、真っ暗な空洞が開いている。さらけ出た継ぎ目を、苔が覆っている。恐る恐る煉瓦の無くなった暗闇を覗いてみるが、男の目には暗闇しか見えない。あらゆるものが錆付いていた。人の気配はおろか、獣の鳴き声さえ聞こえない。怖いほど見覚えがある光景。不吉な動悸。


 歩いているうちに、懐かしい風景が見えた。彼が母や兄弟と暮らしていた家だった。小さな家だが、それは周りも同じだった。小さな村の小さな家。それは男にとっての幸せの象徴だった。


 錆びついた戸に手を触れると、背後から、囁くような鋭い声が飛んできた。


 「開けてはいけません」


 またあの影だ。影は男の手をとった。反射的に振り払う。窓を見た。月を反射するばかりで、内側には黒い布が貼り付けられている。男は噛み付くようにして影の喉元に掴みかかった。


 「お前、知っていたな」


 影は何の反応も示さない。


 「疫病みです」


 「それを知っていて、俺について来たのだな」


 「その通りです」


 影の頭上には月。教会の聖像イコンのような配置だと思った。


 「何の病かは知っていますね」


 男は大きなため息を付いた。


 村はとうに息絶えていたのだった。家財道具一式も投げ出されて、家畜も置いてけぼりにして。病に侵されたものは壁ごと漆喰のなかに塗り込められた。


 「いつごろ流行ったのだ?」


 「もうかなり経ちますよ」


  これも疫病神か。家畜小屋に馬の骨が散乱していた。溜まった水に、小さな蛆が蠢いていた。


 「私をそんな目で見ても、何も取り返せませんよ」



 隣街も同様に朽ち果てていた。悪疫は村を覆っている森を駆け抜け、近くの街にも瘴気を吐き散らかしたのだ。小さな街や村などきまぐれに葬れてしまう。疫病神でも神は神だ。圧倒的な力の前では、人間には成すすべも無い。石畳の隙間から、ここぞとばかりに、道には雑草が伸び放題になっていた。窓枠にはバツ印の木の板が打ち付けられている。かつて紡績女工が行き来した工場は屋根が煙突ごと崩れて陥没していた。人が捨てた建築物は、窓が割れて、壁が腐食する。朽ちて誰かに荒らされるのを待つだけだ。


 街の中央にある教会とて例外ではなかった。白い壁はひび割れ、蔦がびっしりと教会を覆っている。


 扉の鍵はかかっていなかったので、重い扉を体で押し開けて、寝床を探すことにした。聖堂の内部は男が思ったより損傷は少なく、説教を聞くために座る長椅子はいまだにつやつやして、天井にあるステンドグラスもそのまま残っていた。男はさっさと腰を据えて夕食を摂った。


 「これからどうされるつもりです?」


 「今まで通り旅を続けるしかない」


 「どうしてあの村に戻ろうとしたんですか」


 「お前に教える必要はないだろう」


 男は苛立っていた。そもそも故郷に戻ろうとしたのも、あの悪疫があってのことだった。あの村で暮らす家族が心配になったのだ。これまで、母に何もしてこなかった罰か。家族が眠ったまま動かなくなったのか、病から逃げおおせたのかは、もう永遠にわからないだろう。


 「俺は明け方出発する。この森を一人で抜けるのは難しい。この辺りに都があるという話は聞いたことがないが、とりあえず、森を出るまでは共に行こう。仕方がない」


 「祈れば必ずやお導きが」


 男は小さな革の鞄を枕にして横になった。天井に張り付いた玻璃がわずかにきらめくのを見た。土に散った窓硝子の破片。「疫病神」か。男は村に転がっていた錆びた鉄鍋を思い出した。どうしたって取り戻せないものが出来てしまった。母や兄弟が死んでいようが、万が一生き永らえていようが、どうせ二度と夕食を共にすることはないのだ。村の終わりの情景が次々と頭に浮かんできて、慣れ親しんだ親族の苦しむ顔が男に何かを訴えかけてくる。小さな母の背が遠ざかってゆく。兄弟たちが走り去って、靄の中に消える。神よ、我が愚行を、我が錯誤をお許しください。男は旅をするうちに神への敬意を捨て去るようになっていた。それでも、家族だけは神のご加護の元に幸せでいて欲しかった。霞が溶け出し、現実と無意識が混ざり出す。それから驚くほどなめらかに眠りに落ちていた。

 目が覚めた。しかし、朝の光は感じられない。自分の影が教会の壁にぼんやりと大きく映されている。背後で赤い灯が揺らめいていた。男はそっと寝返りをうって、長椅子の下から光源を盗み見た。


 獣脂のランプが六つ円を描いている。傍らには、光をすべて吸収してしまったかのように黒く重い影が佇んでいる。ランプの中央には何かが積まれているが、よく見えない。


 影が起伏のない声で呪文らしきものを唱え始めた。男は目が離せないでいた。影の正体、それは夕方自分と同行していた、あの聖職者ふうの人物だろう。いや、人物なのか?影は微動だにせず呪詛を途切れることなく続けている。何分過ぎたか、それは長い間続いた。よく見るとランプの下には魔法陣とおぼしき線が綿密に引かれていた。影は魔法陣の中には入ろうとしない。


 次の瞬間、ひときわ明るい炎が陣の中央で吹いた。男が食い入るようにしてそれを見つめると、何かがあちらから駆けてきて、男の前を通り過ぎていった。小さな鼠だった。


 影が手を掲げた。その瞬間、火が一瞬にして掻き消えた。闇が辺りを満たし、何も見えなくなる。男の頭上で何かが割れる音がした。ぱらぱらとステンドグラスの灰が降り注ぐ。向こうで衣擦れの音がして、男は慌てて目を瞑って丸くなった。
 終わったのだ。あれは何かの儀式だったに違いない。魔術だ。今見た魔術は本物か?奴は何をした?目的を探る前に、再び眠気の波がやってきた。


 目蓋に光を感じて目を開けた。男に美しい玻璃の色がきらめいて落ちていた。朝が来た。影はすでに起きて朝食を摂っていた。とはいえども、昨夜の凝乳を切ったものだけだったが。


 昨日のことは夢だったのか?ガラスの破片も見当たらない。影に聞こうともしたが、やめておいた。


 棄てられた街の朝は寂しげで涼しい。教会の裏の庭にぎっしりと墓石が立てられているのを見つけた。大量の墓石だが、この墓の倍は死者が出たことだろう。やがて死体を埋葬する土地もなくなり、スール達は旅立ったのだ。男と影は教会をあとにした。この街の最後の訪問者たちはまた森のなかへ消えていった。

 おそらく山を超えたあたりに都があるだろう、と影は言った。二人は三日三晩森をさまよい歩き、頂上を目指した。この森は平地の中に連なる低い山だった。東には険しい山があるが、都があるのは当然平地だ。頂上に行けば、平地を見渡せる。そこから件の都が見つかると考えたのだ。


 旅につきものの追い剥ぎや盗賊とは、一度も遭遇しなかった。この森に迷い込む者など滅多にいないのだろう。それどころか、獣も鳥も、一切姿を見せない。何か不思議な力が働いているように感じられた。不思議というか、不気味だと男は思った。生命の兆しがなにも感じられない。この世界で、自分の後ろにいる影と二人きりのような、なんとも不安な気持ちにさせられる。


 影はといえば、相変わらず男の後ろにぴったりついて絶対にはぐれない。都に行って何をするのか、なぜこのいでたちで自分の後ろを弱音も吐かずについていけるのか(幾多の悪道を通ってきた旅人でさえ息切れがするような森だ)、男なのか女なのか、そもそもこいつは人間なのか、とにかく得体が知れず、また影も絶対に明かそうとしなかった。姿勢は丁寧だが、強硬だ。


 男がある異変に気づいたのは街を出て四回夜を越した頃だった。違和感がある。首の側面が熱を持ち、指先で触れると、不自然な盛り上がりがあった。不快な熱さに男の動悸が早くなる。


 忌まわしき「腫れ物」。


 首から太い血管が浮きあがり、どす黒いものが枝を伝うようにして、腫れ物から小枝を伸ばしていた。男が見てきた「眠り病」の感染者と同じものが首に巣を張っていた。


 「間違いなくあの村に蔓延った病でしょうね。早く街に行って、治療せねば」


 「ここに蛙を当ててか?この病で死んだ者たちを腐るほど見てきた。祈ったところで治るものではない。運が良ければ助かるかもしれんが」


 「きっと助かりますよ。今は都に早く着くことだけを考えましょう」


 影が本当に彼の身を案じているのかは分からないが、男は黙ってうなずいた。まさか自分が罹るとは。疫病神は自分を放っておかなかった。


 日を追うごとに男の病状は悪化した。腫れ物はやがて脇、膝の裏に広がり、足を曲げるたびに激痛が伴う。やたらに喉が渇いた。二人は淡々と歩き続けたが、男は頻繁に休憩を要求した。


 影は男に合わせた。男の休憩に合わせて睡眠をとったから、たちまち昼夜はごちゃまぜになり、昼でも夜でも歩ける時に歩くようにした。眠る度に死に近づいているような気がする。男は、自分のことに関しては諦めが早かった。自分はもう助かる身ではない。そして、これは神に課された修行でもない。自分が見てきた中では、病に冒されたものに祈った聖職者はほとんど皮膚が赤黒くなって死んだ。


 どうしようもない。


 何日目かの夜、数時間ほど歩き続けたところで、男はとうとう限界を感じ、近くにある大きな樹の幹に身体を預けた。頭が重い。病状の悪化とともに休憩時間は長くなり、ついには一日の半分ほど寝転がるかして死んだように眠った。全身に毒がまわっているのがよくわかる。そのせいで意識は混濁し、正常な判断が難しくなった。
 目の前が回っていた。手足を動かす気になれず、働かない頭をもたせかけて、よりかかっている幹の一部になったかのようにぐったりしていた。


 影が男の顔を覗きこんだ。どうやっても影の顔は見えない。


 「俺と目を合わせないほうがいいぞ」


 「感染るからですか?」


 「神の加護じゃこれは防げないよ」


 投げ出した脚には赤黒い斑点がいくつも浮かんでいた。さながら海に浮かぶ孤島だ。孤島がいくつも浮かべば、大陸になる。斑点どうしがくっついたいびつな痣。首に出来た腫れ物はいまや全身に広がり、邪悪な枝を伸ばし続けていた。


 辺りはまだ暗い。森のなかを空気が通り抜ける音がする。男はずっと空を見つめていた。脳が食いつくされて、からっぽになった気がした。これが屍の見ている景色か。


 男の視界の端で、黒いヴェールがひらめいた。「どこへ行く?」見上げると、影はいない。滑るように森の頂上へ上がっていく。見捨てるのか?男は慌てて足音の後を追った。視界がゆらめく。影のあとを頼りにして這い登っていくしかない。あとものの数時間で死ぬ男には苦しすぎる傾斜だった。すぐに息が切れて、休みたくなる。にもかかわらず、男は影を追った。自分を看取ってくれるものだとばかり思っていた。


 影のあとを追っているうちに、木々が途切れた。頂上についたのだ。幹の間から白い光が差し込んでいる。夜明けにはまだ早いはずなのに、刺すような光が男を貫く。強烈な光に思わず目をしばたたいた。


 白夜だ。


 暗かった空がだんだん明るさを増していく。青空が広がり、やがてそれも真っ白な光に塗りつぶされていく。太陽が近づいてきて光に殺されそうになる。
 その中に、目が潰れそうになるほどどす黒い影が立っていた。


 夜よりも恐ろしく、死体の眼のあったところに開いた穴よりも暗かった。男は目が離せずにその邪悪な影を見つめた。


 男は影の落とす陰の中にいた。


 「もう病に苦しむことはありませんよ」


 影が顔を近づけた。シルクのヴェールが男の額を撫で、中に詰まったどろりとした闇が哀れな旅人の眼を見据えた。頬と思われる箇所は、死んでしまったかのように黒く、そこから死が根を張っている。男は、全てがわかったような気がした。首に出来た腫れ物そっくりな醜いものが、影には数えきれないほどあった。忌々しくて見たくないもの。母と兄弟をどこかに葬ったもの、全てを壊したもの、それはやはり悪魔の仕業だったのだ。「疫病神……」男は逆らえない。首の痛みがひいていく。身体の末端が動かせなくなって、感覚が消えていく。


 癒やしか、呪いかは、この瞬間に考える必要はなかった。




 男は都にいた。影の言っていたことは本当だったのだ。


 華があり、活気にあふれた都に見える。しかし、人々の表情はどこか不安げだった。皆、男から目を逸らして、巨大な運河に浮かぶ岩のように、人々は男を避けて流れた。


 旅人の首には相変わらず大きな腫れがあり、細かな枝が全身を覆っていた。だが痛みは全く無かった。あの悪疫を乗り越えたのだ。


 男は都の殿堂教会に向かっていた。きらびやかな十字架は威厳を感じさせるに十分だ。だが、男は見向きもしない。


 殿堂教会の重たいドアをくぐりぬけ、男は隠れるようにして長椅子の端に座った。なるべく暗くて、目立たない場所へと。それでも、頭上のステンドグラスはしつこく光を投げつける。


 男は呪われたのだ。あの影こそが疫病神だった。儀式を見てしまった時点で、呪いをうけたのだ。男はもうあの病で死ぬことはなかった。完治したのだから。だが、この黒い腫れは死ぬまで残るのだった。「眠り病」をしめすこの痣は一生体じゅうに貼り付き、もう元には戻らない。人々は旅人を厄介な、近寄りたくない存在として見るだろう。


 まるで俺が疫病神じゃないか。


 でも、俺は違う。

 
前を横切った修道女が、憐れむような視線をこちらに投げかけてきた。どう見ても俺は眠り病に侵された哀れな旅人だ。今もきっと、死ぬ間際に、必死に眠気を耐えていると思われている。


 男は、聖堂の片隅に放置されていた黒いヴェールを盗んで被った。もう誰にも咎められないように、顔をすっかり覆い隠して、教会の外へ出た。真っ暗な影が、男の全身を覆っていた。

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