ラーシュくんはたたかう
その日の午後、ラーシュは一階の小窓が開いていることに気付きました。
やぬしさまが出がけに開けたのだと思いますが、いつからのことか、網戸に小さな穴が開いています。
ラーシュの背筋に、ぞくりと寒気が走りました。
気配を感じたのです。
不倶戴天の敵の気配。
そう――
「入り込みましたか、やつらがっ!」
やぬしさまの心の健康を害する恐れのある、奴の。
取り敢えずその場では網戸の修繕をするに留め、ラーシュは夜になって行動を開始しました。
やぬしさまの部屋に『奴ら』が侵入していないことは、昼間のうちに念入りに確認済です。やぬしさまがお休みになるのを待って、部屋を出ます。
部屋の出入り口にはシキワがいます。万が一にも逃げ出した奴らがやぬしさまの部屋に逃げ込まないよう、結界の維持をしてもらっているのです。
ラーシュは軽やかに階段を滑り降りました。まずは二階の確認から始めます。
「……やつらは風呂場にいることもありますからね」
二階の風呂場――ここは後でシキワの仕事場になりますから、特に念入りに確認します。
水場周りに姿は……ありません。
床にはやぬしさまが脱いで置かれた服があります。今日は剣を持って戦うようなことはなかったようで、やぬしさまの服には血の汚れや臭いが付着していません。むしろ植物由来の芳しい香りが漂っています。
そういえば奴らはこういう香りをあまり好まないと聞いたことがあります。
後々逃げ込まれないようにしっかりと引き戸を閉めて、ラーシュは再び探索に戻ります。
客間、クローゼット、トイレ、もうひとつの客間。
やぬしさま以外の住人がいなくなったこの家では、二つの客間は人の気配もなく寂しい空気です。
シキワには悪いですが、ラーシュとしてはやぬしさまが早く麗しい奥方様をお迎えにならないかと期待しているのです。
やぬしさまの寂しさを埋めて差し上げることのできる、誰かが。
どうやら二階には来ていない様子。ラーシュはそれでも警戒を怠らず、一階へと向かうことにしました。
一階に降りた途端、ラーシュの耳が異常を捉えました。
――カサカサカサ。
います。
どうやら音は複数ではないようですが、油断はできません。危険な相手です。
足音を立てないように、ラーシュは静かに音の元へと向かいます。
場所はキッチンでした。なるほど、奴らが好む場所のひとつです。
ラーシュはショートソードに手を伸ばしました。奴らの固い外皮を断ち切れるかは未知数ですが、ラーシュは自分の腕で成し遂げる覚悟です。
夜の闇の中、ラーシュはそれを見下ろしました。相手もまたこちらに気付いたようです。
伏せている状態では、視線の高さはラーシュの方が高いでしょう。しかし、全体的な大きさでいえば同程度になるでしょうか。
ラーシュは逆手にショートソードを構えました。
体の大きさが同程度であるならば、向こうもまた、ラーシュを害する力があると言えるのです。
事実、ザシの一族に伝わる昔話では、ブラウニーの死因で最も多いのが、奴らとの戦闘で敗れてしまうことなのですから。
「……誇り高きブラウニー、ラーシュ・ザシです。この家は、貴様のような不浄なる生物が住むべき場所ではありません! ……速やかに、斬ります!」
ラーシュは先手を仕掛けました。夜の闇に同化するその外観は、しかし夜が仕事の時間であるブラウニーには有利には働きません。
ショートソードで外皮の隙間を刺そうと試みますが、敵もさるもの、素早い動きでこちらの攻撃を避けます。
「ちっ、素早い!」
向こうもこちらを敵と認識したようです。こちらに体当たりを仕掛けてきますが、ラーシュはそれが一番危険であることを知っていました。
「当たるものですか!」
サイドステップでかわし、振り返ります。
恐ろしい速度であるにも関わらず、相手は急停止します。
ラーシュは今度こそショートソードを叩きつけますが、手ごたえはなく、ずるりと手が滑りました。
「しまった!」
体が流されるのと、再び体当たりされるのとはほぼ同時でした。
のしかかられます。
これは非常にまずい事態です。このままではまずいとソードの柄でがつがつと相手の顔面を叩きますが、あまり効果はないようで。
こうなれば魔法を使うしかありません。呪文を唱え終わるのと、噛み千切られるのと、どちらが早いかの勝負です。
と。ラーシュの耳が再び音を捉えました。
「うう、みず……水」
やぬしさまの声でした。ぎしぎしと足音をさせて降りて来られます。どうやら寝ている間に喉が渇いたようで、このキッチンへとふらふらと歩いて来られます。
敵の注意が、一瞬やぬしさまの方に向きました。ラーシュはその隙を逃さずにソードを突き込み、呪文を唱えます。
「パラライズ!」
ラーシュの声が、電気を点けるパチリという音と重なりました。ラーシュは慌てて物陰に飛び込みます。
明るさに目をしぱしぱさせていたやぬしさまでしたが、回復したらしく足元に目を向けます。
見つかったでしょうか……?
「げっ!」
やぬしさまが大声を上げました。慌てた様子で踵を返すと、どたどたと何かを取って戻ってきました。
「天誅!」
鋭く振り抜かれた何かが、目にも留まらぬ速さで奴を叩き潰しました。
一瞬の早業です。
「ふう、危ない危ない。……近いうちにホイホイ買っておこう」
手近なところにあったチリ紙で奴を包み、ごみ袋に投げ捨てるやぬしさま。
興奮も冷めやらぬ様子で冷蔵庫を開け、中で冷やしてあった水をそのまま口にされます。
「ぷぁぁ! 美味い!」
やぬしさまはひとしきり水を飲んで満足された後、そのまま電気を消して自分の部屋へと戻っていきました。
特にこちらに気付いた様子はなかったようです。
そんな中、ラーシュは感動に打ち震えていました。
「さすがはやぬしさま……!」
自分があれ程苦戦した相手を、あっという間に叩き潰してしまうとは!
そして、ラーシュは感激しつつも、自分の仕事を忘れることはありませんでした。
奴の動き回ったであろう場所を見て回り、痕跡が残っていないことを確認します。
そして問題ないことを確信したところで、ようやくいつもの仕事――結界の維持に移ったのでした。
そしてその後、危うくやぬしさまに見つかりかけたシキワからくどくどぐだぐだと愚痴を聞かされたのは言うまでもありません。
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