第三章 もうひとりの吹奏楽部員 5 学園祭3

 病室にいた四人は光代の声に驚いた。

「おかあさん…今日は来れなかったんじゃないの?」

 浩子は不審な眼で光代を見た。

「あなたたち、浩子の病気のこと、わかってて言ってるの?」

 美津と凛は黙り込んだ。直は泣きそうになっていた。

「この子は体が弱っているんです。外の空気にさらすなんて、できないんです!」

 光代はたたみかけるように言った。他の患者がいることなんて関係なかった。

「ヒロのお母さん、ごめんなさい」

 美津がその場の空気を感じながら小さく言った。美津は言葉を続けた。

「わたしたちは決してヒロのことも考えずに言ったわけじゃないんです。ただ、彼女が長い入院で部活から離れた寂しさをなんとかしたいと、思っただけで。外出許可とれば、なんていうのは確かに勝手でした」

 光代のそれまでのこわばった表情は少しおだやかになった。だが、浩子の光代を見つめる不審な目は変らなかった。

 直は自分の言った言葉で大変なことになったと後悔し、真っ青になった。

 浩子は直を心配そうに見て、光代に言った。

「お母さん、美津たちを責めないで。私が学祭を直接見たいって、おねがいしたんだから」

 光代は浩子の方をちらりと見たが、意に介さずにいた。

「あなたがたの気持ちはわかりました。でも、私に断りもしないで勝手なことはなさらないでくださいね」

 直は冷や汗が出るばかりでひとことも言えなかった。

「ヒロのお母さん、本当にごめんなさい」

 美津が頭を下げ、続いて凛と直も頭を下げた。浩子はまた暗い表情に戻ってしまった。

「では、わたしたち、失礼します」

 三人は病室を出た。



 凛は廊下を歩きながら直の肩を抱いた。直はひっくひっくと涙をぼろぼろこぼしながら歩いていた。

「直、気にしないの」

 凛の声はやさしかった。その後ろを美津が黙って歩いていた。

「わたし、わたし、あんなこと言わなければ」

 直の涙は止まらなかった。

「いいんだよ。直の一言でヒロの顔も明るくなったじゃない!あれはあのお母さんがたまたまいたからそうなっただけだよ」

「そうですか…」

 直の涙は止まらず、ハンカチでは足りなくなって左腕でぬぐっていた。紺のブレザーの袖に涙の染みが出来ていた。

「直!あんたは泣き虫だけど、笑顔が一番いいよ。だから今からミスド行って、美味しいドーナツで笑顔になって!」

 美津が二人の前に立って言った。

「いいね!いこいこ!」

 美津と凛は直の両側から肩を組んで足早に病院を出ていった。




「え?うそやん」

 一万田和子は、ナースステーションで驚いた。

 松浪恵子が一枚の書類を見せながら困惑していた。

「まさかなあ…あの子のんが合うなんて。うちの勘が当たってしもたやん」

 和子は腕組みをして考え込んでしまった。

「でも、師長、16ですよ。検査は師長がごまかしてやりましたけど、どうします?」

「うううん、まずは朝倉先生やなあ」

「怒られますよ!」

「それくらいやったら全然かまへん!うちはな、浩子ちゃんをなんとかしたいんや。クビになってもええねん!」

 恵子が持っていたのは直の血液検査の結果だった。検査報告書は内科医長の元へ行くようになっていたが、郵便物を担当していた松浪恵子が察知して抜き取ったのだ。恵子は勝手に封を切ってしまった。この時点で解雇されてもおかしくない行為だった。


 検査結果は98パーセント合致。すなわち浩子と直は血縁者でもないのに白血球の型がほとんど同じという信じられない関係になった。

 この結果を見てしまった以上、和子は法律の壁があっても骨髄移植を押し通さねばならない。そうでないと遅かれ早かれ浩子は死んでしまう。おそらく主治医の朝倉も医師として同じであろう。だがそれはあまりにもリスクの大きいことであった。それはドナーになる直の身体に大きな負担を与えることだ。骨髄は脊髄に穴を開けて採取する。その時点で事故が無いとは言い切れないのだ。それゆえに血縁者以外は18歳未満のドナーを認めていないのである。


 和子は命がけで浩子を救う行動に出ることを決意した。


「松浪、うち今から朝倉先生とこ行くわ」


 和子は検査報告書の入った封筒を持ってナースステーションを出て行った。




 ミスドで美津と凛は泣きじゃくる直をなだめるのに必死だった。店の隅のテーブルで大泣きする女子高生を同じ制服を着たふたりが説得する様は周囲から見れば奇異だった。心配そうに見る大人もいたが、おおよそは見て見ぬふりをしていた。1時間ほど経ってようやく直は落ち着いた。涙で制服の袖はぐしゃぐしゃになり、顔にも涙の跡がしっかり残っていた。

「ごめんなさい、先輩…」

「やれやれ、やっと泣き止んだね、しかしあんたほんとに泣き虫だねえ。でも人のためにそんなに泣けるなんて、まあいないよ」

 凛が半ばあきれるように言った。

「あのおかあさんじゃあ、ヒロを連れ出すなんて無理だね」

 美津がアイスティーを飲みながら言った。

「うーん、やっぱりビデオかあ」

 凛が天井を仰ぐように言った。

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