第三章 もうひとりの吹奏楽部員 4 浩子と直 2 

「あなた、三高のフルートの梢さんだよね」

 直は目の前にいるコンビニのユニフォームを着た店員の顔を見て思い出した。

 コンクールの日、トイレで声をかけてくれた高津理恵だった。

「あ、高津さん、ですよね」

「覚えていてくれたのね、ふふ」

 理恵は直の置いたカゴから商品をひとつづつ手に取り、ハンドスキャナーでピッピッとバーコードを読み取ってレジに登録していった。

「3560円になります」

 そう言うと商品をレジ袋に手早く詰めていった。

 直は浩子から預かった青いカードを差し出した。

「プリペイドね、ここにあてて」理恵はレジの横から出っ張った四角い箱を指差した。

 直がカードを当てるとピピッと音がした。

「高津さん、ここで何しているんですか?」

「アルバイトよ、練習が終わったらここで働いてるの」

 直はアルバイトの意味がわからなかった。決められたお小遣いの範囲でしか使わないし、欲しいものも特に無かったので、する必要もなかったからだ。それにアルバイトは真奈美からもきつく禁じられていた。

「梢さん、この買い物は入院してる人から頼まれたの?親戚の人?」

「はい、先輩が入院してるんです」

「あら、もしかしたら内科病棟の加羽沢浩子さん?」

「そうです、知ってるんですか?」

「よくここに来るからね、自然と話すようになったの」

 そこまで言うと次の客が来たので理恵は「いらっしゃいませ」とすぐに対応を始めた。

「お仕事中、すいません」

 直はぺこりと頭を下げレジ袋を持ってコンビニを出て浩子の待つ病室へ向かった。



「浩子、すまない。お父さんはお前の役に立てなかった」

 直と入れ替わりに病室に入ったのは父の晴久だった。浩子は晴久と会うのが楽しみだった。離婚していても浩子にとっての父には変わらない。

 来るなり頭を下げた父に浩子はとまどった。

「お父さん、どうしたの?」

「もう主治医の先生もいいと言ったから言うが、浩子の病気は白血病なんだ」

 浩子は今まで自分の病気がなんであるか知らなかったが、ネットで調べて最近おおよそわかっていた。

「ありがとう。うん、でもわかっていたよ」

「お前の病気に有効なのは骨髄移植なんだ。だけどお母さんも型が合わないし、お父さんもこの間調べてもらったが合わないことがわかった」

「そうなの」

「でも浩子、諦めるな。今主治医の先生も全力でお前の治療法を考えてくださっている。そして、お前に合う型を探してくださっている」

「うん、それはわかっている」

「信じろ、お前は絶対元気になれる」

「うん、わかった!私絶対に学校に戻るから!」

「じゃあ、お父さんは仕事に戻る。お母さんをよろしくな」

「うん、ありがとう」

 晴久は浩子の頭をなでて立ち上がり、病室を出て行った。

 入れ替わりに直が入って来た。

「あ、直、ありがとう」

 直はポロポロ泣き出した。

「どうしたの」

「ごめんなさい!わたし、わたし、外で聞いちゃったんです!わあー!」

 直は浩子のベッドに泣き崩れた。レジ袋から商品が飛び出た。

「直!いいのいいの、泣かないで!私は大丈夫だから!」

 浩子が直の背中をさすった。直の背中は暖かかった。浩子の手はやわらかかった。

 ぐじゃぐじゃになった直がやっと起き上がった。

 浩子は手元にあったガーゼで直の顔を拭いてあげた。

「浩子先輩、わたし、わたしなにもできない!」

「ううん、いいの。こうやって来てくれたじゃない。それだけでわたしは元気になれるよ」

 浩子は直をぎゅっと抱きしめた。

「わたし、大変な病気だけど負けないよ、先生も看護師さんも一生懸命頑張ってくれているから大丈夫!きっと楽器持てるようになってみせるから!」

 浩子は優しい目で直を見つめていた。直はようやく落ち着きを取り戻した。

「浩子先輩、ごめんなさい。わたし、また来るから。何でも言ってください」

「うん、ありがとう。買い物してくれてうれしかったよ!」

 直はそれから浩子から直の知らない凛や美津とのことを聞いた。直も浩子もすっかり笑顔になっていた。時間も忘れていていつの間にか夕食の時間になった。

「あ、いつのまにかこんな時間、先輩、ごめんなさい、帰ります」

「直、ありがとう。また凛と美津と来てね」

「はい!」

 直は病室を出た。そして1階に降りたところでポケットに青いカードが入っているのに気づいた。

「しまった!返すの忘れちゃった」

 直は急いで病室に戻った。

 カーテンをめくろうとした時、中から浩子のすすり泣きが聞こえてきた。

 直はカーテンを開けることができなかった。

 直はそっと病室を出た。

 そこに一万田和子が立っていた。

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