第三章 もうひとりの吹奏楽部員 2 浩子 7
光代は悩んでいた。
去年まで夫であったとはいえ、今では他人になってしまった男に血液検査、さらに型が合えば骨髄移植などお願いできるだろうか。しかしそんな男であっても最愛の娘、浩子の実の父である。
娘の命のためなら聞いてくれるかも知れない、いや聞いてくれるはずだ。でも無情にも断られたらどうしよう、浩子は死んでしまう。そんな思いが頭の中をぐるぐる駆け巡っていた。
光代は携帯電話の画面に元夫の番号を表示させたまま通話ボタンが押せずにいた。
「美津!凛!ありがとう!」
親友の訪問に浩子の顔はほころんだ。
「来てくれて嬉しいよ、昨日メールもらってから楽しみにしてたよ」
「しばらく来れなくてごめん」美津が言った。
「あら、その子は?」浩子が美津と凛の後ろに立っていた直に気づいた。
「紹介するわ、今年の新入生の梢直さん、凛の後輩だよ」
「ええっ!じゃあフルートなの?凛のとこでよく頑張ってるわね!」
「こらこら」凛が口を挟んだ。
「凛のしごきにも耐えている期待の新人よ」
「そんなんじゃ…あ、初めまして、梢直です」
「私、加羽沢浩子、現役の時はクラだったけど去年病気になっちゃって、この通りずっとここにいるの」
「そうなんですか…辛いですね」直の目が潤んで涙がすうっと流れた。
「あらら、どうしたの?」
「いえ、ごめんなさい」直はハンカチで目元を抑えながら後ろを向いた。
「この子、涙もろいのよ。すぐに泣いちゃうの」凛が言った。
「直、こんなとこで泣いちゃダメよ。浩子だって頑張ってるんだから」
「凛先輩、ごめんなさい」
「直、あれ見せてあげてよ!」美津が空気を読んで話を切り替えた。
「ああ、そうですね」直はカバンからスマホを出した。画面をスワイプしてコンクールの動画を表示させて浩子に渡した。美津と凛と直はベッドサイドの長椅子に座った。
「コンクールの動画よ、直のお父さんが撮っていたの」
「うわあ!すごい!いいなあ。あら、今年も結構増えたのね」
浩子は満面の笑顔で動画を見た。
「ウンウン、クラの子たち頑張ってるねえ、すごいなあ、上手くなってるよ」
「でも残念ながら今年も銀賞だったの」美津が言った。
「そうかあ、悲願の金賞、今年も逃したか」
動画を見終わって浩子は直にスマホを返した後、ポツリと言った。
「出たかったなあ」
その言葉を聞いて美津も凛もハッとした。喜ぶと思ったことがかえって浩子を寂しい気持ちにさせたのではないかと。その空気を感じたのか浩子はニコッと笑った。
「ううん、でも嬉しかった。ありがとう。あたし病気になんか負けないよ!」
「そうそう、早く退院して一緒に頑張ろうよ!」美津が浩子の手を握った。
美津の手は日焼けしていたが浩子の手は透き通るように白かった。
その様子を見て直はなんだか心が温かくなるのを感じた。
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