第二章 吹奏楽コンクール 10 コンクール本番

 コンクール本番の朝、直は自分でセットした目覚まし時計より早く目が覚めた。いつもなら二度寝するところだが、寝坊の危険を考えると起きざるを得なかった。

「よしっ!」直は自分に気合を入れてベッドから降りた。

「おはよう!」元気よく階段を降りるとすでに食卓には朝食の用意がされていた。目玉焼き、焼いたベーコン、サラダ、ひじきの煮物、わかめと豆腐の味噌汁、焼き海苔、そして白いご飯。真奈美が早く起きて用意した心づくしの朝食だった。

「うわあ、おいしそうだあ!おかあさん、ありがとう」

「直ちゃん夕べはよく眠れた?」

「うん、ちょっと寝付くのに時間かかったけど眠れたよ」

「そう、良かった。今日は見にいくけど私たちのことなんか気にせずに精一杯頑張りなさい」

「うん!」

「時間はあるからゆっくり食べなさいね」


 直は朝食を済ませると、自分の部屋で着替えを済ませた。ブラウスとスカートは昨日のうちに真奈美が洗濯してきちんとアイロンがかけられていた。白いソックスは新しいものが用意されていた。忘れ物がないかカバンの中を確かめた。楽器は昨日許可をもらって持ち帰り、シリコンクロスでピカピカに磨き上げた。キイの具合を確かめ、紺色の「YAMAHA」と刻印されたケースにしまってカバンに入れた。


 クローゼットの鏡の前で身なりを確認し、「よしっ!」とカバンを持って階段を降りた。7時になっていた。


「じゃあおかあさん、そろそろいくね」

 玄関にはさっき起きたばかりの総司もパジャマのまま見送りに出た。

「直、今日は悔いのないように頑張れよ!」

「うん、ありがとう!」直の靴がピカピカに磨き上げられていた。

「お父さんが昨夜磨いてくれたのよ」真奈美が言った。

「靴磨きなんて営業にとってはお手の物さ、俺が娘の晴れ舞台にしてやれるのはこれくらいのもんだよ」総司が照れながら言った。

「おとうさん、ありがとう!」直はその磨き上げられた靴を履いた。

「行ってきます!」ドアを開けると早朝の爽やかな空気が直を包んだ。



「おはようございます!」技術室に元気に入った。

「おはよう!元気だねえ」美津と凛がすでに来ていた。

 直の後に部員が続々と入って来た。昨日までは普段着だったのに今日は制服。〈これが本番の雰囲気なんだ〉直は緊張していた。

 8時の集合時間には全員が揃い、チューニングを始めた。

「おはよう!」小林が入ってきた。

「おはようございます!」

 本番前の通し練習が始まった。

〈練習はこれが最後なんだ〉

 直は、この技術室での合奏が最後なんだと思うと一音一音を大切にしなくちゃと、あらためて感じた。


 午前9時半、合奏を終え、小林は話し出した。

「みんな、よくここまで仕上げました。今日まで本当にご苦労様でした。特に三年生、君たちにとっては最後のコンクールになった。泣いても笑っても今日で終わりです。悔いのない演奏をしてください。そして、一、二年生は先輩が恥をかかないようにしっかり支えてください」

 いつもと違う丁寧な言葉で淡々と話した。

 技術室に静かな空気が張り詰めた。誰もがまっすぐに姿勢を正して小林の話を聞いた。

「じゃあ、終わろう!後は本番一回だ、みんな最高の演奏を頼むぞ!」

「はいっ!」

 美津が前に出た。

「では今から楽器を片付けて全員で大きな楽器の運び出しをします」

 テキパキと楽器をケースにしまい、終わった者から打楽器、コントラバスなどの大型楽器の運び出しを始めた。

 直も凛と一緒に手伝った。エレベーターで降りると首からタオルをかけたOB二人がトラックの扉を開けて待っていた。

 男子が中心となって次々と楽器がトラックに積み込まれていく。30分で搬出は終わった。

「じゃあ、県民ホールに行きます」

「日曜なのにありがとうございます。よろしくお願いします」

 小林と美津が見送ってトラックは学校を出て行った。


 直は県民ホールの前に着いた。いよいよ本番なのだといやが上にも気持ちは昂ぶっていた。

「直、あまりカチカチになると今度は卒倒しちゃうわよ」

 凛が直の背中をポンと押した。

 地区予選とはいえ、大勢の人がいた。小学校から高校までの予選である。

「ウオー!」

 ロビーのあちらこちらでそれぞれの学校が輪になっては気合を入れていた。


 午後2時前には駐車場でトラックが待っていた。OBが殆どの楽器を降ろしていて部員を待っていた。

 美津が駆け寄り「ありがとうございます!」と頭を下げた。

「俺たちはこれくらいしか役に立てないさ。本番、頑張ってよ!」と、タオルで汗を拭いてトラックに乗り込んだ。

「ありがとうございました!」部員全員で出て行くトラックを見送った。

「みんな!第三控室よ!急いで楽器を運んで!」

「はいっ!」男子は大型楽器、他の部員がテキパキと駐車場から楽器を運んで行った。

 第三控室で準備が終わった者からチューニングが始まった。

 和田音がデジタルチューナーを片手に音をあわせていった。

〈へー、和田くんが、すごいなあ〉直は感心していた。


 大型の楽器はすでに舞台袖に運ばれていた。

 ティンパニとコントラバスは控え室で念入りにチューニングが行われていた。


 舞台袖への移動時間となり、係員が控室に呼びに来た。


 県立第三高等学校吹奏楽部は舞台に向かって移動を開始した。

 廊下では演奏が終わった団体やこれから演奏する団体とすれ違ったりしたが、皆無言だった。

「県立第二が前から来るわよ」凛が直にささやいた。

 規律正しく歩いて来る団体が前から来た。白い半袖の制服は同じだが、直たちは紺のスカート。県立第二はグレーのスカートだった。


 直はその中でフルートの女子とすれ違った時、目が合った。同じ年か一つ上の感じだったが長い髪で凛と同じようなキリッとした目だった。お互い移動中なのでほんの短い時間だったが、直には忘れられない出会いになったような気がした。


 舞台の裏に入った直が見たのは全てが初めてばかりのものだった。

〈これがステージなんだ〉

 高い天井、壁に何本も走る紐、床は木貼り、あちこちに白い線やら赤い線が引かれている。

 空気はひんやりとしていて二つ前の団体が演奏中だった。

「直、大丈夫?」凛が小声で聞いた。

「はい、だ、大丈夫です」

 だが直の心臓はドキドキしていた。必死に今まで注意された点などを思い出して落ち着こうとしていた。

「もうあと1回演奏したら終わりだよ、開き直っていこうね」凛がにっこり言った。

 二つ前の団体が終わり、一つ前の団体がステージに入った。直たちも舞台袖に進んだ。

 袖ではインカムをした係員が何やら機械を操作していた。舞台や客席の映像が映されたモニタが何台もあった。

 木管が先頭に入るので直の待機位置から幕の間からステージが見えた。照明がまぶしかった。


 総司と真奈美もすでに客席で待っていた。

「おかあさん、いよいよ次だな。直、大丈夫かね」

「ステージなんか初めてだからちょっと心配だけど大丈夫よ」

「しかしみんないい楽器持ってるねえ」総司が言うと

「最近は両親がいい楽器を買ってあげるみたいそうね、昔は錆びたポンコツの楽器が当たり前だったけどね」真奈美が呆れたように言った。


 いよいよ出番となった。緞帳が降りて係員が譜面台と椅子を素早く並べ直した。

 ティンパニ、シロホン、銅鑼、ドラムセットなどが運び込まれた。

 直も凛と共に自分のポジションに座った。準備は完了した。小林が指揮台に立った。


「プログラム32番、県立第三高等学校吹奏楽部、課題曲A、自由曲『CからFへの印象』、指揮、小林涼介」

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