第二章 吹奏楽コンクール 9 コンクール前日
コンクールは翌日になった。
午前中のパート練習を終えて、午後の合奏練習が始まった。
この日は土曜日だったので多くのOBが来た。
直は緊張していた。初めて見る人ばかり、年齢の近そうな人もいれば、父親くらいの人もいた。
小林が来る直前、一人の上品そうな女性が凛の元に来た。
「りんちゃーん!元気だった?いよいよ明日ね、すごい、今年は後輩がいるのね」
「桜先輩、来て頂いてありがとうございます。この子は今年入部した梢直さんです」
キョトンとしていた直は凛にうながされて立った。
「こ、こんにちは。初めまして!今年入部した梢直です!」
「あらあら、元気そうな子ねえ、すごいわね、りんちゃんのとこでやめずに頑張ってるなんて」
「のんきそうですが、すごいがんばり屋さんなんですよ」
凛の元へ来たのは二つ上の先輩で桜智美だった。
「じゃあ、また後でね」
「ありがとうございます」
桜智美が離れた後、直は凛に聞いた。
「先輩の先輩ですか?」
「そうよ、わたし以上に鬼の先輩だったのよ、ニコニコしてるけど怒ったら怖いわよ」
「ええっ!先輩より怖いなんて、想像できないですよお」
OBたちも加わって技術室は賑やかだった。そこへ小林が入って来た。
指揮台に立つ前に、壁際で立っているOBたちにあいさつした。
小林が指揮台に立った。
「いよいよ泣いても笑っても明日だ。今日は卒業された大先輩方も来られている。全力で恥ずかしくない演奏をしてくれ。いいな!」
「はいっ!」
これまでで最高に気合のはいった返事が技術室に響き渡った。
「じゃあ、課題曲からいこう」
小林がタクトを構えた。
OBが見守る中、コンクール本番1日前の演奏が始まった。
小林はOBが来ているので止めずに課題曲、自由曲と、本番と同じ形で演奏を通した。
タクトを下ろした小林が美津の方を向いた。
「武田、時間はどうだ?」
美津が腕時計のストップウオッチを見た。
「はい、11分30秒です」
「そうか、30秒余裕あるか、明日もこのテンポでいこう」
コンクールには時間制限があり、12分を超えると失格になってしまう。
直は本番のステージの空気を知らないが、心臓の鼓動が最高になるくらい緊張していた。
小林が壁際に立っているOBの方を向いた。
「大先輩の皆さん、どうでしたか?現役のためにも悪いところは指摘してください」そう言ったが、時間もないことから、会長が手で「ないない」と返事した。そして〈一言だけ言い?〉と小林に手で合図して
「現役の皆さん、お疲れ様です。OB会長の福井です。今日は本番前の演奏を聴かせていただきとても感動しました。我々創部の時には、部員がいない、部屋がない、楽器がないの三ないづくしで翌年に無理やりコンクールに参加しましたが、それはひどいものでした。それからすれば格段に上手くなりました。小林先生の指導の賜物もありますが、やはり暑い中休まず練習して来たみなさんの努力の結果です。」
直はここまで聞いてなんだか込み上げるものがあり、涙が出た。慌ててハンカチで拭いた。
「私たちは、聴かせてもらった感じではもう何も言うことはありません。とても丁寧に仕上がったと思います。明日は今までの練習の成果を100パーセント発揮できるよう頑張ってください!では、貴重な練習時間です。我々がいたんじゃ緊張するでしょうからここで引き上げます」
そう言うとOBたちは出口に向かって移動し始めた。現役全員が起立した。
「ありがとうございました!」
深々と一礼した。
「みんな!明日はOBの皆さんもたくさん来てくださる。結果はどうあれ悔いのない演奏をしようじゃないか。じゃあ、最初からもう一度いこう」
小林のタクトが再び動き出した。
最後の合奏練習は午後4時に終了した。
美津が本番のスケジュールを発表した。
「明日はここに午前8時集合です。早いですが遅れないようにしてください。そして8時半から最後の通し練習をします。これは10時終了予定です。この後OBの方の配慮でトラックが来ますのでコントラバス、ティンパニなど大型楽器を積み込みます。男子は全員手伝ってください。11時昼食、12時に学校を出て電車で県民ホールまで移動します。私たちの出番は午後3時15分の予定です。午後2時にトラックから楽器を降ろして第3控え室でチューニング。2時45分に舞台袖で待機。ここからは動けませんからそれまでにトイレなどは済ませてください。終了後すぐにトラックに楽器の積み込み。男子は先に学校に戻って楽器を降ろすのを手伝ってください。残った人は客席で演奏を聞きます。4時終了、審査があって5時、審査発表です。解散は6時ごろになる予定です」
直は初めてのことなので訳のわからない顔をしていたが横から凛が
「とりあえず、明日は8時に遅れないようにね、後は一緒に動くから大丈夫」
「は、はい。わかりました」
最後に小林が前に立った。
「じゃあ、解散!今日は早めに寝て明日は体調万全で来てくれ。梢!大丈夫だな?」
直は突然振られて戸惑ったが、顔を赤くして下を向くしかなかった。
「ただいま」
直は帰宅して自分の部屋に入ったまま夕食の時間になっても降りてこなかった。
昨日までなら「お腹空いたよう」と急いで降りてくるのだが今日はその気配すらないので、真奈美が心配して部屋を開けた。
部屋着には着替えていたが、机に向かったままうなだれていた。
「直ちゃん、ご飯よ、どうしたの?」
直の肩が震えていた。よく見ると机の上に涙が落ちていた。
「どうしたの?」
「おかあさん!直、明日が怖い!」
直は回転椅子を回して立っている真奈美にすがりつき、泣きじゃくった。
「そう、明日は本番だものね」
真奈美は直の頭を撫でた。
「あなたにとってコンクールに出るのもステージに立つのも初めてだもの、不安で仕方ないのはよくわかるわ。でも、それは1年生ならみんな同じよ。他の子だって直ちゃんと同じように不安で仕方ないと思うわ。それに朝倉さんだって同じだと思うわよ、ステージ慣れなんてしてないじゃないかな。毎年が真剣勝負だものね」
直は真奈美の言葉で、たかぶった不安がすうっとおさまってくるのを感じていた。
「ご飯にしましょう、お腹がいっぱいになったら不安もおさまるわよ」
直はうんと頷いて机から立った。真奈美と下に降りると総司がビールを飲んで赤い顔をしていた。
「直!明日はいよいよだな!頑張れよ!お前もいっぱいやるか?」
直はやっと笑顔になった。食卓には、真奈美が揚げたカリカリの大きなカツの上に食欲がイヤでも出てきそうなカレールウがたっぷりかけられたカツカレーがおいしそうな香りを立てていた。
直の顔がほころんだ。
「うわあ、美味しそうだあ」
「明日はコンクールにも自分にも勝ってほしいから、カツカレーにしたのよ」
「おかあさん、ありがとう!直、明日頑張るからね!」
直はカツカレーを頬張った。
「ところで、直、明日のコンクールにはお父さんとお母さんも行っていいのかな?」
総司が聞いたところで直はハッとした。そういえば家族が来てもいいとか何にも説明がなかったのだ。
「え?うーん、ちょっと先輩に聞いてみる」
直はスプーンを置いて自分の部屋に戻って携帯電話を持って降りて来た。
凛はテレビを見ながら一人で夕食をとっていた。両親は仕事。県立病院に土曜も日曜も無い。
そこへ携帯が鳴った。
「はい、あら、直。どうしたの?え、明日のコンクール、両親が来てもいいかって?うーん、おんなじ曲ばかり演奏するから退屈だよ、うちの学校の時間だけ来てもらってもいいけど、確か入場料千円だからもったいないかなあ?それに高校生ばかりだしねえ、それでよければ。予定は3時15分ごろだよ」
凛は電話を切って直から大した用事でないことにホッとしたが、〈そうかあ、ご両親が来るのかあ〉と少しうらやましかった。
「そういうことだって、どうする?でもお、おとうさんとおかあさんが来たら直、緊張しちゃうよお」
「直の晴れ舞台だしなあ、でかい横断幕でも作っていこうか?『ガンバレ梢直』って」
総司が茶化すと直は顔を真っ赤にして「ばかあ!やめてよ!」怒ってはいたがうれしそうだった。
「おかあさん、明日は6時に起こしてね!」
「直、高校生なんだから自分で起きな!」
総司が夕刊を読みながら言った。
「はいはい、じゃあおやすみ!」
そう言いながら直は2階へ上がった。
あの落ち込んでいた直はどこへ行ったんだろうと真奈美はおかしかったが、アラームをセットした。
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