第二章 吹奏楽コンクール 8 あと1週間

 コンクールはあと1週間と迫っていた。


 合奏練習が始まった。小林が指揮台に立った。

「みんな、あと1週間でコンクール本番だ。暗譜しているものも多いと思うが、楽譜は常に見るようにしてくれ。楽譜は大事だ。そこには君たちがこれまで書き込んだたくさんの注意点があるはずだ。それを常に確認しながら練習してくれ。それといつも言うように自分の視界に指揮者と楽譜が一緒に入るように譜面台の高さを調節することだ」


「はいっ」返事をするたびに空気がピリッと変わる。

「よし、じゃあ課題曲からいこう」


 直は毎日緊張の連続だった。凛のスパルタレッスンでできないところは無くなっていた。

 凛は吹きながらでも直の音をきちんと聞いていた。一つでも間違えると必ず指摘された。


 冷房の効いている技術室だが、若い熱気に満ちていた。


「トロンボーン!Dの4つ目、ちょっとファーストのピッチが低いぞ」

「打楽器!八木節じゃないぞ!」

「チューブベル!タイミングを外すな!」

 小林の厳しい指摘が飛ぶ。


 直が倒れて以来、必ず水分補給の時間が設けられた。学校にゴミを残してはいけないのが吹奏楽部のルールだったので、家で麦茶を詰めた水筒派が多かった。


「ねえねえ、聞いて聞いて。今日ね、直、ひとつもミスしなかったんだよ!」

 直は毎日学校であったことを夕食の時に報告するのが小学校からの習慣だった。

 総司も真奈美もそれを聞くのが楽しみだった。

 高校1年生の彼女に反抗期は無縁だった。


 凛は帰宅しても家には誰もいなかった。

 父は県立病院の内科医。

 母は同じ県立病院の小児科医だが、病院が大きいので顔をあわせることも少ないらしい。

 兄は医大生だが京都にいた。


「ただいまあ」と言っても誰も返事はしない。

 薄暗い家の中、凛は1階の灯りを全部灯してテレビをつけて寂しさを紛らわしていた。

 ダイニングに凛のための食事の用意すらない。凛は中学に上がった頃から自分で料理をしていた。

 凛が小学校の時は母が何かしら作って置いていたが、凛もキッチンで色々料理をするのが好きだったので、自然と自分でするようになっていた。

 一時、家政婦を雇った時期もあったが、凛と折り合いが悪くなり辞めていった。


「今日は、肉じゃがだよ」独り言を言いながら下校の時にスーパーで買った食材をキッチンに置き、ジャージに着替えてエプロンをつけ、キッチンに立つ毎日。凛は帰宅の遅い両親の分も作る。


 両親が忙しいので家族旅行なんて行ったことがなかった。直の家で家族写真を見た時にとても羨ましかった。

自分は絶対医者になんかならないと心に決めていた。

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