第二章 吹奏楽コンクール 5 初めての合奏
吹奏楽部は41名。一年生6名、二年生18名、三年生17名で文化部では大所帯である。だが歴史は浅く直が入部の時は創部から9年だった。
直と同期の部員はパーカッションの和田音の他にトランペットの碇早苗と真田浩子、クラリネットの木田貴子と高嶋咲で和田以外は全員女子だった。
入部したての頃には凛以外話ができる相手がいなかったが、同期が増えるにつれ自然に会話をするようになっていった。
直は練習が終わるとミーティングが始まるまで同期の子たちと短いおしゃべりをするのが毎日楽しみだった。ただ、和田だけは男子ということもあり外れていた。彼はいつも一人でスコアを読んだりしていた。
おしゃべりといっても練習の内容とは全く関係のない昨日のテレビ番組の話とかで横で聞いてる武田と凛は少々げんなりしていた。直は練習は辛かったが友達が増えたことで毎日が楽しかった。
コンクールに向けた練習も梅雨明けが近い6月末になるといよいよ仕上げの段階になって来た。自由曲も決定し部員たちは武田美津を中心に本格的に取り組みを開始した。
直も何もわからないなりに凛に懸命についていった。すでに教則本は脱しコンクールの二曲に集中した練習に入っていた。
凛の練習は厳しかった。「練習の鬼」を直は実感した。凛は課題曲も自由曲も暗譜していて全ての音符と強弱記号、表現記号が頭に入っていた。あとは指揮者の解釈にあわせるだけだった。放課後の練習はほとんど直につきっきりだったからいったいどこで練習をしているのか直には不思議だった。
直が技術的に未熟なのは凛にもわかっていたし音楽に関してもど素人。普段はアイドル歌手の歌しか聞かないのでクラシックなんてまるっきり興味すら無かった。ある日、凛が「これいいよ」とアルフレッドリードやロバートジェイガー、ホルストなど吹奏楽の大家のCDを貸してあげたが直にとって最初はかなり苦痛だった。それでも先輩が自分のために貸してくれたのだからと、繰り返し聴いていたら結構面白いものだと思うようになってきた。中でもホルストの第1組曲がお気に入りになった。
「直、毎晩一生懸命何聴いてんだ?」ある日総司が真奈美に聞いた。
「この頃クラシックなんか聴いてるみたいよ」
「へー、直がねえ」
「今は部活が楽しいみたいね」
ただ、時折真奈美が部屋を覗くとヘッドホンをしたままベッドで爆睡してるのでそっと外してあげるのだった。
7月に入り、コンクール演奏曲の仕上がり具合を確認する最初の合奏練習が始まった。放課後音出しが終わったパートから技術室に集まった。この教室が広くて合奏に適しているからだった。全員で机を端に寄せて椅子を指揮台を中心に半円形に並べた。後ろに打楽器が配置された。
直は初めての合奏に緊張していた。今まで雨の日以外は中庭でタオルを首にかけスポーツドリンクを飲みながら練習していたのに、今日は冷房の効いた室内。テレビで見たオーケストラの中にいる初めての感覚。いつも別々で練習している同期や先輩たちがテキパキと椅子を並べ、譜面台をガチャガチャ音を立てながら組み立て、まるで林のように並べていく。フルートは指揮台から近いポジションにあるのでなおのこと緊張していた。
直は凛の隣でカチカチになっていた。それを見た凛が緊張をほぐすために話しかけた。
「直、初めて緊張しているのはわかるけど、リラックスして。そんなんじゃあ本番で気絶しちゃうよ」
「先輩、だって仕方ないよお。わたしちゃんとできるかなあ?」
「今まで一生懸命練習してたでしょ、大丈夫よ。失敗したって練習だから」
「直、これ。先生が前に立ったら出しなさいよ」
凛はそう言って小さなキャンディーを直に渡した。
「せんぱあい、ありがとう」直はキャンディーを口に入れた。ミント味でスーッと緊張がほぐれるようだった。
少し気持ちがリラックスすると周りが目に入った。同期のクラリネットの木田と高嶋もキョロキョロしていたが木田と直の目があった。
「大丈夫?」木田が声を出さずに口をパクパクさせて話しかけた。
直はウンウンと頷いた。
それにしても直には初めて見る楽器ばかりだった。特に打楽器に興味深々だった。大きなティンパニ、スネア、シロホン、自由曲で使うドラムセットはカッコ良かったが座っているのは太ったさえない3年生なのは残念だった。チューブベルは日曜のお昼にテレビで見たのど自慢にあるのと同じ。その後ろに大きな円形のボコボコした板がハンガーみたいなのにぶら下がっている。真ん中に「秦」と書かれていてそれが何かわからなかった。凛に聞いた。
「先輩、あのデカイまん丸のぶら下がってるの何ですか?」
「ああ、あれ銅鑼よ。シャアーンって音がとてもエスニックなのよ」
「ドラ?ですか」
「ここぞというときしか鳴らさないし、めったにつかわないからその時だけ借りるのよ」
「へー、そうなんだ」
「楽器って面白いよ。ホルンなんてベルが後ろ向いてるのに音は前に出るしね。あの長いエントツみたいなの知ってる?」
凛はファゴットを指差した。
「いえ、知らないです」
「ファゴットよ。あれとかオーボエなんかはダブルリードって言ってね、リードの管理が大変なのよ。いつも削ったり湿らせたりしないといけないの」
「先輩って何でも知ってるんですね」
「直もそういう勉強したら面白いよ」
そう言ってるうちに小林が入ってきた。ザッと全員が立ち上がった。直もワンテンポ遅れて立ち上がった。キャンディーは口の中ですでに溶けていた。
「おはようございます!」全員が一礼し、小林もあわせて礼をした。
小林は指揮台に立ちタクトを置いた。
「いよいよコンクールに向けて最初の合奏だ。1年生にとっては初めてだから緊張するだろうが、失敗してもどこやってるのかわからずに譜面見てうろうろしてもいい。失敗は本番までにやり尽くせ。先輩はしっかりフォローしてあげてほしい。いいな!」
「はい!」広い技術室に返事が響き渡った。直は再び緊張した。
「じゃあ、チューニング」
オーボエの2年生が立ってB♭の音を出した。それに合わせて全員が合わせていく。
直は前日に凛に教わっていたが自分の音が高いのか低いのかわからなかった。凛が
「直、ちょっと低い」
「はい」ジョイント部分を少し動かした。もう一度吹いた。
「うん、いいよ」
大きな音の塊が少しずつ小さくなった。チューニングは終わった。
「よし、じゃあ課題曲、シルクロードラプソディから」
小林がタクトを構えた。全員がさっと楽器を構えた。
「最初は打楽器だけだけだからな。構えるのは自分の出番の3小節前からにしよう」
タクトがゆっくり振られた。打楽器群が真剣にタクトを見つめ、シンバルを静かに鳴らし出した。ゆっくりとしたテンポが流れ少しずつ音が増えてゆく。そしてクラリネットが入ってきた。
直はすでに今どこなのかがわからずにいた。それを察した凛が直の譜面の最初の全休符を指差した。
小節のカウントができずにオロオロしている直のために凛は隣から譜面の小節を指差し数えていた。そして自分たちの出番が近づくとさっと楽器を構えた。直もやっと追いつくようになり合わせて構えた。
木管群の音が重なって行き、思ってもいなかった大きな音の塊が直を包み、時間とともに変化していった。初めて聞くメロディーに直は練習して来たパッセージを必死に吹き続けるのが精一杯だった。冷房の効いている技術室なのに汗が噴き出して来た。タオルで拭う余裕もなかった。汗が紺色のスカートにボトボト落ちてシミを作っていった。
木管群のメロディーに金管群のフォルティッシモでダイナミックな音が重なっていった。ティンパニーの合図で銅鑼が鳴り響きシロホンとクラリネット、フルートの掛け合いに引き続きトロンボーン、ホルンが奏でる。終盤に入り全パートが主題を変化させながら奏で、打楽器で締めて課題曲は終わった。
汗びっしょりになっている直を見て凛は自分のガーゼのハンカチで直のひたいの汗を拭いてあげた。
「先輩、ごめんなさい。ハンカチが汚れちゃうよお」
「いいよ、何枚も持ってるから」
凛の優しさに直は泣きそうになっていた。
小林はしばらくスコアを見ていたが顔を上げて話し出した。
「よし、注目。みんなよく練習して来たな。手を抜いているものは一人もいないと思っている。特に一年生は初めての合奏だったけどどうだったかな?梢、お前かなり緊張していたなあ」
小林は笑っていた。周りから笑いが起きた。
直はハンカチで口元を押さえて顔を赤くしながら頷くのが精一杯だった。
「だけど仕上がりはまだまだだ。明日からパート練習もしっかりやってくれ」
小林が課題曲の最初から各パートに気づいたことを指摘していった。
「フルート、Bから3小節目のゆるやかなメロディーは見せ場だぞ。まだまだぎこちないなあ。
梢も譜面通りにやればいいってもんじゃないぞ」
「はい!」直は初めての指摘に緊張した。
凛は直に小声でそっと言った。
「怒られたんじゃないから、大丈夫」
そのあと気づいたことを全てのパートに伝え、自由曲を一回通してこの日は時間となった。
「うーん、やはり平日は時間が足りないなあ、よし、次の合奏まで各パートはしっかり練習しておくこと、じゃあ終わろう」
「では、今日の練習は終わります。明日も頑張りましょう!」武田が締めて合奏練習は終わった。
後片付けが終わって解散した時、凛が直に声をかけた。
「初めての合奏だったね、どうだった?」
「うーん、自分の音っていうのがほとんど聞こえなかったです」
「ああ、周りの音でね、でもそのうち自分の音も聞こえるようになるわよ、でも本番のホールなんて周りも自分の音も前に飛んじゃうから本当に自分の音も聞こえなくなるよ」
「そうなんだあ」
「明日からまたできていないところ練習しよ、じゃ、お疲れ!」
凛が先に教室を出た。
直はいつものように美沙と合流した。
「今日ね、合奏やったんだよ、すごい迫力だった」
「へー、かっこいいなあ。一度直の吹くところ見たいなあ」
「秋の学園祭で見られるよ。それまで上手くならなくちゃねえ」
「そうなんだ。文化部はいいなあ、そういう発表の場があって」
「水泳部だってインターハイとかもしかしたらオリンピックとかあるじゃん!」
「あは、そんなのまだまだ無理だよ」
美沙は毎日の練習ですっかり日焼けしていた。直も日焼けしてはいたがもともとが色白で赤くなる程度だった。
7月は夕方でもまだ太陽は高く、蝉の大合唱の中、半袖の二人が坂道を歩いていた。
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