トラジェディークリスマス

──


────七歳になってからもうすぐ二ヶ月が過ぎようという日のこと。


退屈なだけの終業式が終わり、嬉しい冬休みがやってきて、でもそれより待ち望んでいたイベントが目前に迫った夜。


ようやく“イブ”だなんてオシャレな言葉を覚えた私の瞳には、ガラス戸を挟んでいくつもの白い天使が映っていた。


良くも悪くも、その『雪』を私は一番よく覚えている。


「お父さん! 雪だよ雪ぃー! 積もるかな? 雪合戦できるかな!?」


「どうだろうなあ? このままだと積もるとは思えんが……」


「ええーっ!?」


「でも天気予報の人が言うには、これから明日の朝にかけて目一杯降るそうだ」


「やったぁ! ならきっと積もるね、お母さん!」


「ええそうね。きっと明日はどこもかしこも真っ白よ」


「うわーい!」


「おいおい、父さんの見立ては無視か?」


「だってテレビのほうが信用できるんだもーん!」


子供らしく無邪気にはしゃいで。そんな私を見て、父は苦々しく笑いながら提案した。


「よーし。ならこうしよう。もしも明日積もっていたら、父さんが戦う以外の雪との接し方を教えてやる」


「ホント!? それって楽しい!?」


「ああ楽しいとも。だけどそれより、今年のサンタクロースは心配しないでいいのか?」


「うん。だって私は今年も変わらず良い子だもーん」


「はっはっはっ、言うじゃないか。あるといいな、プレゼント」


「あるもーん!」


そんな会話をして、私は終始浮かれた気分で布団に入り、気づかぬうちに寝息をたてていた。



――


──夢で見たような。そんな一面の銀世界が、翌日、私の目の前にあった。世界が雪に覆われていた。


枕元にあった綺麗な梱包の施されているプレゼントを確認して喜んで。願った通りの玩具だったことを喜んで。サンタクロースはやっぱり本当にいるんだと喜んで。


「お父さァーん!!」


私はいびきで滑稽な音楽祭を開催していた父を文字通り叩き起こし、「もう少しだけ……」と、未だ微睡みの中で発せられた願いも無視して強引に外へと引っ張り出した。


「うわぁ……!」


地面も屋根も門も家の外にある電柱も──全部が一様に白を纏い、太陽の光を反射し輝いて映る。寒さなんてこれっぽっちも気にならない。むしろ快くさえあった。


「さっむ……っ!」


父は違ったようだけど。


「教えて! 遊び!」


せがむ。するとやれやれ、なんて。くたびれたように息を漏らしてから、父は約束通り“それ”を教えてくれた。


まず雪を固め、それをコロコロ転がしながら得意気に話す父は、なんだかんだ言って結局最後まで付き合ってくれるつもりだったのだろう。


けれど私はそれを拒んだ。どうしても一人で、自分だけの力で自分だけの“それ”を完成させたかったから。


やり方だけ聞いて、あとは父を家に押し戻し、それからずっと黙々と、本当に黙々と何時間もひたすら雪を転がし固める作業を続ける。


そしてまだ顔を出して間もなかった太陽が天高く昇った頃、ついに“それ”は出来上がり、私の前でニコニコと微笑んでいた。


「へへへっ……」


忘れるはずもない。雪だるまの"ゆきんこちゃん"との出会いである。


今にして思えばその身形みなりはなかなかに醜悪で、指で雪を彫って描いた顔もとても人に見せて誉められるものじゃなかったけれど。


私はこれ以上ないくらいに充足していた。やり切った。やり遂げた。きっとそんな思い故だろう。


それから日が落ちるまで、私はゆきんこちゃんと遊び続けた。具体的になにをしたかと問われれば、言葉にできる名前のついた遊びなどきっと一つとしてやっていない。


けれど──それでよかった。幼少の時分、そこにいることを楽しむことそれ自体が遊びであり、自由を妨げるルールなど必要ない。


夕食時、両親にそれはそれは事細かにゆきんこちゃんのことを話したのが懐かしい。主述の関係なんてあったもんじゃない。整理することを忘れた滅茶苦茶な説明。それでも二人は笑顔でそれを聞いてくれた。笑顔の大輪が咲いていたクリスマスの夜。


少しして、明日も早くからゆきんこちゃんと遊ぶために私は眠った。決まりきった──そうなるより他にない、他にあるはずもない結末を知らないまま。


根拠なんて持ってすらいなかった。にも関わらず、一瞬は永遠で。あるものがなくなることはないと。そう──信じていたんだ。



──


────昨日そこにあったものは、翌日微かな跡形を残してなくなっていた。


雪は太陽に照らされて水に戻る。


知っていた、そんなこと。そんなことを知らないほど無知じゃなかった。けれど────。


「ゆきんこ……ちゃん……」


……認めたくないじゃない。認められるわけないじゃない。ゆきんこちゃんもただの“雪”だと理解していたとして。


私は昨日『雪を使って遊んだ』んじゃない。『雪と一緒に遊んだ』んだ。そしてその日一緒に遊んでくれた存在が…………消えたんだ。


少なくとも私の中でゆきんこちゃんはゆきんこちゃんで。それ以外の何者でも何物でもなくて。だから『雪が溶けた』で済ませられるわけが──ないじゃない。




────泣き止むのにそう時間はかからなかった。父の困ったような顔を見て、幼いながらに『泣く』という行為の卑怯さを自覚したのも理由の一つ。でも、本質は違う。



切なかった。



この世にあるあらゆる一切が変わらずにはいられない。そんな真実が。霜焼けのヒリヒリする痛みをいつの間にか忘れていた手が。なんだかとても切なくて────言葉にできない悲しみは形にすらできないのだと、漠然と悟った人生最初のトラジェディークリスマス。



泣いて、知って、諦めて。私は少し、大人びた。

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