溶けた雪だるまと霜焼けた雪白
零真似
カタルシスイブ
忌々しいほどに残業だった。
誰もいなくなったオフィス。きっとじきに警備員から、安全上の理由だとか諭されてこの暖房の効いた室内から閉め出されることになるだろう。そうなれば残りは家に持ち帰り。寒空の下に放り出され、パソコンとにらめっこするため帰路に着く自分が目に見えて、笑えてくる。
「はぁ……」
今ある疲れと先にある疲れを思い溢したため息が消えるより先、服のポケットで携帯が振動した。
──メール。上司が労いの言葉の一つでも送ってくれたのだろうか? 部下を怒鳴り散らすことを趣味にしているような性格を考えれば端からあるはずもない期待を胸に、私は携帯を開く。
「…………」
忌々しいほどに絵文字だった。
会社の後輩──もっといえば泣きながら「できましぇーん!!」とか喚いて、結局私に余計な仕事を押しつけて帰った張本人。
『ありがとうございます』なんてひらがな十文字のタイトル欄には、様々に色づけされた顔が同じ数だけこっちを見て笑っている。泣いている顔も笑って見えた。
本文は──目を通す気になれなかった。文頭がタイトルと同じ言葉で始まっていることだけ確認して、私はそっと目に悪い光を閉ざす。液晶の明かりなんて、眼前のディスプレイだけで十二分だ。だからだれか二分もらってほしい。
…………帰ろう。私は残業のお供にと用意していた、もうすっかり冷めてしまったカップコーヒーを一息にゴクリと飲み干し、必要書類等々をバッグに詰める。
そしてもう一度吐いたため息を浴びたパソコンの電源を落とし、疲弊した身体には重たいバッグを肩にかけ、オフィスの明かりを消したところでのこと。
「……?」
すっかり夜の帳(とばり)が降りた街路から、ふとあの歌が流れてきた。
────クリスマスソング。
ワンフレーズだけ聴かせて遠ざかっていくあたり、きっとどこぞの浮かれ気分の人間が車から愉快に陽気に揚々と垂れ流していったのだろう。もし後輩だったら許さない。そんな妬みと一緒に思い出す。
「……そっか、今日、か」
クリスマスイブだった。クリスマスイブに私は一人会社に残ってカタカタとキーボードを叩き、せこせこと残業していた。
なにがメリークリスマスだ、なにがサンタクロースだ、こんなの────。
「とんだカタルシスイブじゃない」
自嘲気味に呟いて見下ろした街はクリスマスムード一色。色彩豊かにイルミネーションが煌めき鮮やかだが、それらを含めて丸々クリスマスカラーと呼ぶのだろう。──もちろん、星々の輝く夜空からポロポロと舞い落ちてくるあの白も。
──ホワイトクリスマスイブだった。
「……」
今年は雪、積もるかな? そんなことを思ってみて、なんだかちょっぴり悲しくなった。
──雪が降ると、毎回思い出すことがある。
過去に仲良くしてくれたあの人でも、赤い服を着こなし堂々不法侵入を試みるあの人でもないそれは、今日まで生きてきた私にとってあまりにも短い間だった出会いと別れ。
ちょうどこんなふうに初雪がちらついてきた夜に始まり、太陽が二度空の真上を過ぎれば終わってしまう、幼く淡い冬の幻。
あの頃の私は驚くほどなにも知らず、可笑しいほどひたむきで、悲しいくらい──今の私の心を掴んで放さなかった。
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