第5話 リバース モノトーン
大きく伸びをして目を覚ますと太い梁と板張りの天井が見え一瞬だけ思考が止まる。
直ぐに自分が置かれた状況を再認識して起き上がるとロゼの姿は既になかった。
朝飯でも作っているのかと思い寝室を後にしてキッチンに向かうが見当たらない。
「どこに行ったんだ?」
するとダイニングの方からラオウの鳴き声が聞こえキッチンから顔を出すとドアの所で小さなラオウが座っていてドアは開いたままになっている。
先に出たのかと思いドアの外を覗き身体も思考も硬直した。
錯視絵と言うかだまし絵と言えば良いだろうか。エッシャーの相対性や階段の家の様な世界が広がっている。
階段や渡り廊下が幾重にも繋がっているように見えるけれど普通の世界では有り得ない繋がり方だ。
階段を降りているように見えるが実は上がって行っている様にも見え。渡り廊下の先にある階段からは階段の裏側に繋がっていて……
「お前のご主人様はここに居るんだな」
「ナァ……」
ラオウの返答を聞いてロゼを呼んでみるが返答は無かった。流石に戸惑ってしまうと言うか一歩を躊躇ってしまう。
ドアを開けると知らない世界がとロゼが言っていたがまるで次元が違う世界で、自分自身が今いる世界も異世界かも知れないが思考なんて凌駕してしまっていて恐怖心しか湧いてこない。
「来ないで!」
下の方から確かにロゼの声が聞こえたが俺に言っているのか判断ができない。
「嫌! 来ないで」
「ロゼ!」
明らかに何かに怯えるロゼの声がしてドアから飛び出していた。
どんな構造なんて考えても答えなんかは導き出せずに取り敢えず階段を進む。上に向かっているのか下に降りているのかさえ分からない。
自分の位置を確認しようとした瞬間に目眩がして思わず吐きそうになり口に手を当ててしゃがみ込んだ。
すると視界の片隅に黒い影が見え追いかけるように進むと影が逃げていく。仕方なく別の方向に進もうとすると影が何故だか後ろを付いてくる。
上下左右も認識できず取り敢えず自分の立ち位置から頭がある方が上だと思うしか無く。
まるで無限の広がりがある宇宙空間に居るような錯覚さえ起こす。
そんな状況でも黒い影は一定の距離を保ちながら視界の片隅に現れる。
「あれってまさか」
一つの仮説が頭をよぎる。それは子どもの頃によくやったなぞなぞの様なものだった。
再び黒い影の方に視線を向けるとぼんやりとだけどそれが何だか認識できて立ち竦んでしまう。
「俺なのか?」
思わず後ずさりするとその影は俺の目の前まで近づいてきた。
その瞳に光はなくまるで人形のようだが確かに自分と同じ顔をしている。が、その顔つきは何処か幼いように感じて確信した。
この影はあの時の自分自身だと。
突然、途方も無い喪失感に出会い虚無に飲み込まれ全てのモノに対し扉を閉ざしていた頃の。
ぼんやりとしていた思考がはっきりして現状を認識しようとして息を呑んだ。
騙し絵のような階段が更に複雑になり奇怪と言うか混沌とし至る所に黒い影というか俺自信の姿がこちらを見ている。
俺自身と言っても一様ではなく幼い頃の俺から小中学校の時の俺の姿もあり同じなのはどの顔も虚ろで暗いという事だ。
背中に冷たいものが走った瞬間にロゼの泣き声が微かに聞こえ我に返った。
あれは楽しい思い出に隠れるようにしていた、忘れたくても忘れられない負の思い出の中の自分自身だった。
逃げていた訳じゃなく受け入れられなかった時のほうが多かったのだと思う。
でも今の自分はそうじゃない無駄に身体だけが成長した訳ではなく色々な経験をしてきて心も成長しているはずだ。
そう思い目を閉じて今までの負の思い出を思い返し折り合いをつけ再び目を開くと黒い影は俺の足元にあり複雑怪奇になっていた階段が僅かだけど減っている。
しかし安堵している時間などなくロゼを見つけ出すのが最優先事項なのだがこの世界でロゼを見つけ出す方法が思いつかない。
どちらが上か下かも分からず仰ぐようにすると視線の先には何処までも白い世界の中に階段が続いている。
それじゃと思い下を見ると白い世界に階段が続いているのは変わらないが階段に囲まれている遥か下のほうが暗い闇になっているのに気付いた。
戸惑いや躊躇いを切り捨てて下に続く階段を踏み外すように飛び降りた。
脱線事故に遭ったりラオウにじゃれつかれたりした時のような衝撃は一切なく。
階段を一段降りた時のような感覚で薄暗い場所に立っていた。
視線の先には頭を抱えるように蹲り何かに怯えるようにすすり泣くロゼの姿が。
そして俺とロゼを取り囲むように無数の黒い影が蠢いているのが見て取れる。
あの数えきれない無数の黒い影がロゼのモノだとしたらロゼはどれだけ負の思いを受け続けていたのだろう。
一歩を踏み出そうとするとロゼの声が漏れてくる。
「ごめんなさい、生きててごめんなさい」
イジメを受けていたのかそれとも親から虐待を受けていたのかもしれない。なんて事が脳裏を掠めるが俺自身には関係ないといえば語弊があるだろうか。
それでも今一番なのは目の前で泣いているロゼだ。
片膝をつきロゼの肩にそっと手を置くと一瞬だけ身体が強張り恐る恐るロゼが顔を上げてくれた。
「ロゼ、頼だけど分かるかな?」
「頼? よ、頼!」
迷子になっていた幼子が母親を見つけて泣きながら母親に抱きつくようにロゼが俺の首に両腕を回して飛び込んできた。
尻もちを付く形になりロゼを優しく抱きしめることしか出来ない。
どれだけ時間が過ぎたのかさえ曖昧だけど確かなこともある。それは泣き叫ぶようにしていたロゼが落ち着きを取り戻し俺の腕の中で鼻をすすっていた。
「ロゼ、帰ろう」
「う、うん」
帰ろうとロゼに言ったものの帰り方を俺は知らない。そんな俺の思考を蹴り飛ばすように解決してしまった。
顔を上げると無数の黒い影も奇っ怪に続く階段すらなく真っ白な世界で木製のドアが開け放たれている。
そのドア下ではラオウが不思議そうな顔をして首を傾げていた。
ロゼの屋敷に戻り簡単なもので食事を済ませ風呂に入り身体を温めて早々に休むことにする。
先に風呂に入れと言ったのにロゼは頑として聞き入れず仕方なく俺が先に風呂に入り寝室のラグの上で胡座をかいて思いを巡らす。
ドアの外の世界がもしも深層心理の世界だとしたらあれはロゼの深層心理だったのだろうか。
そう考えたが俺自信に迷いが生じた時の世界の変化は辻褄が合わなくなる。
もしかしたらロゼの目には違う世界に見えていたかもしれない。考えれば考えるほど俺の想像の域を出ることはない。
立体的な迷路の様な世界だったけれど有り得ない世界で方向感覚や平衡感覚さえ失わせてしまう場所だったことには間違いがなく溜息しか出て来なかった。
「頼、助けてくれてありがとう」
不意に弱々しいロゼの声がして小さく息を吐いた。
「まだ大丈夫そうじゃないな」
「でも、大丈夫。頼が助けてくれたから」
心許ないと言うか危なかしいと表現すれば良いだろうか。出会った時のような覇気がまったく感じ取れないがやり過ごすしか無いだろう。
「もう、寝よう。おやすみ」
「う、うん」
ラグに横になってもロゼがベッドに向かう気配がなく見上げると揺れる瞳が力なく閉じて。
鈍いと言われている俺にでさえロゼの表情から心情を読み取ることが出来る。
体を起こし頭を掻き毟りながら立ち上がった。
「不安なら傍にいてやるから。今日だけだぞ、一緒に寝てやる」
「うん!」
表情が一気に明るくなりロゼがベッドに潜り込んだ。
男には二言は無いがこういった経験が乏しい俺は二の足を踏んでしまう。
こんな時は開き直るしか無いのだろう加速度をつけてロゼが潜り込んだベッドに横になるとロゼが身体を近づけてきた。
「ロゼ、近くないか」
「頼が不安なら傍にいてやるって言った。だから傍に寄ってみた」
「まぁ、そうなんだけどさ」
あの世界にロゼは何度も足を踏み入れたのだろうか。逃げまわり押し潰されそうになり泣き続けていたのか。
聞きたいけれど口に出すのを憚る自分がいる。
その理由として一つ引っ掛かることが、それは俺の影は俺の容姿と似ていたがロゼの影はロゼの容姿に似ていなかった。
俺とロゼを取り囲んでいた影は黒く長い髪の毛だった。あれがロゼの本当の姿なのだろうか。
「頼、何を考えている?」
「別に何も」
「破廉恥なことを考えているんじゃないだろうな。まぁ、吝かではないが」
この状況で破廉恥な事やら吝かでないなんて本気で勘弁して欲しい。
「自らを由とすると言うことが必要なのかなって」
「頼は哲学者か何かになりたいのか?」
「いや哲学とかじゃなくてさ。異世界と言うか自分の常識を遥かに凌駕するこんな場所では自分の拠り所を自分自身の中に置くというか過去の事でも自分自身で認めるっていうか」
「難しいことは分からん。寝るぞ」
そう言い切ってロゼは寝息を立て始めてしまった。
俺は折り合いをつけたがロゼはどうなのだろう、泣くことによって発散されたというか少し楽になったのかもしれない。
そうあって欲しいしもう一度あの世界にリトライなんて全身全霊を持って拒絶したい。
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