第6話 tre.2

少しすると店が見えてくる。

後ろからもの凄い勢いで男達が追いかけてきていた。

駐車場にスクーターを止めて2人が店に駆け込むと藤崎が怪訝そうな顔をして声をかけてきた。

「おやおや、そんなに慌てて如何したんだね?」

「チーフ、凛さんは?」

「俺ならここだが。杏? 何があったんだ?」

葛城と杏が目をやると凛はテーブルで亜紗と打合せをしていた。

「杏ちゃんが街で男達にナンパされていて、その相手がこの間の連中だったんで」

「葛城、お前。手は出してないだろうな」

「凛! 葛城さんは何も悪くないの」

杏が困った顔をして凛に訴えた。

「判った」

「凛、何があったの?」

「義姉さん、ちょっとしたトラブルだ。俺が方をつけるから」

凛が店の前に出るとガラの悪い数人の男達が待ち受けていた。

葛城や杏、そして出勤してきたばかりの柚葉も楓達と店の中から様子を心配そうに伺った。

「おっさん。今、ここに逃げ込んだガキを出せや」

凛は何も答えず左足を半歩引いて半身をとる。

男はヘルメットを脱ぎ捨てるように取り、凛に構わず喚き散らした。

「聞いてるんか! コラ!」

次の瞬間、凛が右足で片足立ちになったかと思った瞬間。

パァーーンと言う音と共に男が被っていたキャップが宙に高く舞った。

男は何が起きたのかわからず呆然としている。

凛の体が綺麗に右足を軸に1回転していた。

「えっ、何が起きたの?」

店の中で見ていた杏達にも何が起きたのか判らなかった。

「まだ、やる気か? 次はキャップじゃなくてお前の頭が宙に舞う事になるが」

男が何が起きたのか理解しガタガタと振るえ始めた。

「今度、うちの者にちょっかい出してみろ俺が相手してやるからな」

「ヤバイ! 逃げろ」


男達が一目散に逃げだすと凛が何事も無かったかの様に店に入ってきた。

「凛? 今、何をしたの?」

杏が不思議そうに聞いてきた、杏の後ろで楓と柚葉が頷いている。

「別に」

凛は椅子に座り平然とコーヒーを飲み始めた。

「帽子のつばに蹴りを叩き込んだのよ」

亜紗が平然とした顔で答えた。

「でも、何も見えなかったですよ。オーナー」

「そりゃそうよ、だって雷神の死神リンの蹴りだもの」

「えっ、雷神の死神って……」

「余計な事を、死天使アーサが」

凛が珍しく亜紗に口答えをした。

「ええっ、死天使アーサって風神の? 最強だ! この店は無敵だ!」

「ああ、見習い君が壊れちゃった」

床にへたり込んで両手を掲げている葛城を見て楓が呟き。

チーフの藤崎は何事も無かったかの様に自分の仕事に戻った。


杏が何かを決心して亜紗に近づいてきた。

凛の前の席で書類に目を通していた亜紗が杏に尋ねた。

「何かしら、私に用事でも?」

「ここで、働かせて下さい。お願いします」

杏が深々と頭を下げて言った。

「うちは、厳しいわよ」

「はい」

「あまり給料あげられないけれど」

「構いません。凛、いや凛さんにあまり迷惑や負担を掛けたくないんです」

「凛、こう言っているけどどうするの?」

亜紗が凛の顔をまじまじと覗き込んだ。

「オーナーが決める事だろ」

「私は保護者代理の凛に聞いているのよ」

「もし、甘えが出たら止めさせるからな」

「はい、判りました」

「凛がOKならいいでしょ。とりあえず今日からでいいかしら」

「はい、お願いします」

「やったー! 新しい仲間だ。それも杏ちゃん!」

「嬉しい!」

楓と柚葉が手を繋いで喜んで飛び跳ねた。

「はいはい、それじゃ楓。チーフに杏の制服を準備してもらって着替えさせなさい」

「はい、オーナー分かりました。杏ちゃん行こう」

「うん」

杏、楓、柚葉の3人が嬉しそうに歩いて事務所に向かった。

「凛、本当に良いの?」

「何でだ?」

「あなた、杏ちゃんの事を何も知らないんじゃ」

「杏は杏だろう違うのか?」

「そうね、それで良いのよね」


そして、ディナー前のミーティングが始まった。

「今日から新しい仲間が加わりました。とりあえず杏は全体の流れを覚える事、そして楓と柚葉はフォロー宜しく」

亜紗が声を掛けると「はい」と3人が嬉しそうに返事をする。

「チーフ、今日の予約は」

「ええ、今日は特に予約はありません」

「それじゃ、シーズンオフですが頑張りましょう。宜しくお願いします」

「お願いします」

それぞれの持ち場に戻り仕事を始める。

杏は楓とテーブルのセッティングの確認をして、柚葉はドリンクの準備をしていた。

「おい、葛城は何を見とれているんだ」

「やっぱ杏ちゃん可愛いすよね。堅物の凛さんにはもったいないなぁ」

「くだらない事、言ってないで仕事しろ。それから杏を助けてくれてありがとうな」

「いいんすよ、当たり前の事をしただけですから。凛さんにお礼言われちゃった、頑張ろうと」

葛城が自分の体を抱きしめて悦に入っていた。

「何を言っているんだか」

「俺も凛さんラブですから」

「気持ちが悪いから止めてくれ、寒気がする」

「もう、いけず」

「バーカ、仕事しろ」

ディナーが始まる、杏はキッチンの前でホールを見て全体の流れを見る様にオーナーから指示を受けていた。

お客様が来店し始めた。

「いらっしゃいませ」

柚葉がお客を席に案内すると直ぐに楓が水をグラスに注ぐ。

そしてオーダーを取りキッチンにオーダーを通す。

「オーダー入ります。島野菜のサラダ、ゴルゴンゾーラのパスタにペンネアラビアータ。オールワンです」

オーダーが入ると同時にに葛城と凛が動き始めた。

皆が輝いて見えた。

お客として今まで色々なレストランに行ったがこんなに輝いて見えるスタッフ達を始めてみた気がする。

それはお客の立場と真逆のスタッフの立場に立ったからかもしれない。

それよりも驚いたのは活き活きと料理を作り綺麗に盛り付けをしていく凛の姿に釘付けになった。

「杏ちゃんは何を見とれているのかなぁ」

「べ、別に」

楓が不意に声を掛けて驚いた杏が赤くなった。

「凄いよね、凛さん。私も柚葉も最初は見とれちゃったもん」

「そうなんだ」

「でも、ちゃんと私達の仕事も見ててね」

「はい、分かりました。先輩」

数組のお客をこなし店内は初めて訪れた時の様に静かになっていた。

「はぁ、めちゃ緊張する。お客に見られる数倍は緊張した」

「葛城はメンタルも弱いのかよ」

「凛さんは緊張するとか無いんですか?」

「無いな」

「即答かよ。やっぱりパーフェクトマシーンだ」

「杏、疲れたか?」

オープンキッチンの前で立っている杏に凛が声を掛ける。

「えっ、あ。凛さん大丈夫です」

「そうか。葛城、賄い作るぞ」

「はーい。杏ちゃん美味しい賄い、作るから待っててね」

「はい」

「くぅ~可愛すぎる」

「葛城いい加減にしろよ」

「スイマセンでした!」

「うふふ。面白い」

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