第5話 tre.1
午前9時。他に誰も居ないプールで泳ぐ男女の姿があった。
「めちゃ、気持ち良い!」
オレンジ色のビキニを着た女の子が言った。
「ねぇ。凛てば」
男は黙々と泳ぎ続けていた。
「もう、仕方が無い。私も泳ごうと」
杏が泳ぎ始める。
小1時間ほどでプールから上がった。
「ねぇ、凛は毎日こんなに泳いでいるの?」
「そうだ、体が資本だからな」
「4月なのにプールやってるんだね」
「3月が海開きだからな」
「凛、お腹が空いた」
「帰って朝飯にしよう」
「賛成!」
プールから上がり更衣室で着替えを済ませ入り口で待ち合わせをする。
「杏、ここのフリーパスだ、これがあればいつでも来て泳げるからな」
「ありがとう」
朝食を済ませると凛が出勤の準備をし始める。
「今日から、仕事なんだ」
「働かないと生活出来ないからな」
「そうだよね」
「これが、部屋の鍵とそこの自転車の鍵だ。出るときはちゃんと閉めろよ。それとこの財布に1万入っているから自由に使っていいが無駄遣いはするなよ」
綺麗なキーホルダーが付いた鍵と茶色い財布を凛が差し出した。
「もう、子どもじゃないんだから大丈夫だよ」
「それと、これを使って良いから」
凛が携帯を杏に渡した。
「携帯? それも最新機種じゃん」
「俺のプライベート用の携帯だ。殆ど使っていないから」
「凛はどうするの?」
「仕事用の携帯があるから大丈夫だ。何かあったら必ず連絡する事。いいな」
「うん」
「それと、ここで暮らす上で必ず守る事が1つだけ。絶対に俺のノートパソコンには触れるな、寝室のデスクトップは自由に使って構わないからな。もし、守れなかった時は追い出すからな」
「わ、判った」
凛の真っ直ぐな瞳におされ了承するしか杏には選択権が無かった。
「それじゃ、行って来るからな。街中はこの先の道を下れば直ぐだから見て回るといい」
「うん、行ってらっしゃい」
凛を見送って杏はとりあえずリビングに座り込んだ。
「なんで、凛は何も聞いてこないんだろう。私の事、何も知らないくせにこんなに信用して。そう言えば着かず離れずって言ってたなぁ」
2つ折りの茶色い財布を見ると確かに1万円が入っていた。
「携帯のアドレス帳は……」
杏がアドレスを開くとそこには凛、亜紗、お店・楓・柚葉・葛城の電話番号だけが登録されていた。
「プライベート用って本当に? 友達居ないのかなぁ」
「それに1万円なんて多いよ。とりあえず部屋の掃除でもしようと」
杏は料理は苦手だったがそれ以外の家事は得意中の得意だった。
凛はスクーターで店に出勤した。
「おはよう」
「おはようございます」
「さぁ、葛城。準備だ」
「了解です!」
葛城と2人で準備を始める。
しばらくすると楓が出勤してきた。
「おはようございます」
「おはよー。今日は楓が早番か」
「そうです。凛さん、杏ちゃんは?」
「部屋の掃除でもしているんじゃないか」
「そうなんだ、つまんないの」
「店に連れて来る訳にも行かないだろう」
「俺は、杏ちゃんならOKす」
「葛城は女なら見境無いからな。楓ちゃんも気を付けろよ」
「見習いは眼中に無いですよ。凛さんならOKなんだけどな」
「冗談は程々にして仕事を開始する」
「はーい。本気なのになぁ、ちぇ」
「楓じゃ無理だよ」
「何を! 見習いが」
「コラ、2人とも何を騒いでいるの」
葛城と楓が睨みあっているとオーナーの亜紗が現れた。
「すいません、オーナー」
横目で楓が葛城を睨む、葛城はしらんふりした。亜紗はそんな事は気にも留めず声を掛けた。
「ランチ、オープンするわよ」
「判りました」
「いらっしゃいませ」
オープンと同時に数組のお客が入って来た。
杏は一通り部屋の掃除をして、キッチンの片付けも終わらせて暇を持て余していた。
「1人ってこんな感じなんだ。なんだかつまんないなぁ」
東京では杏の周りには必ずいつも誰かが側に居た。
マネージャーやスタッフ、叔父さんや叔母さんが……
「街でも見てこようかな」
玄関に置いてある自転車を見るとサドルが杏に合わせて下げてあった。
「本当に、近くも無く遠くも無くなんだ。歩こうと」
杏は部屋にあった凛のサングラスを掛けて歩き出した。
「確かこの先の道を下るんだっけ、こっちだ」
暖かい島の風が杏のウェーブのかかった長い髪を揺らして頬をすり抜けていく。
ノーメイクで街に出るなんて今まで考えられなかった。
しばらく歩くと人が多くなってきて郵便局の前を過ぎて大きな交差点に差し掛かると建物の間から海が見えた。
「海だ、港かなぁ。行ってみよう」
そこには、離島航路の船が沢山停泊していた。
「す、凄い! エメラルドグリーンの海だ。綺麗! ここから、島に行くんだ。今度、行って見たいなぁ」
何艘かの船が離島に向かって出港して行くのが見えた。
少し戻ってアーケードのある通りにでると観光客が買い物をしているのが見える。
不意に声を掛けられた。
「彼女、1人?」
「俺達と遊びに行こうよ」
「あれれ、良く見ると夏海 杏に激似じゃん。ラッキー」
「嫌です。近づかないで下さい」
ARIAではランチタイムが終わり片付けをしていた。
「やっと終わったぁ。ああ、しんど」
「葛城は若いんだからもっとシャッキとしろよ」
「凛さんはいつも元気ですね」
「鍛え方が違うからな。葛城、ちょっと市場に行ってきてくれ。これが買い物のメモだ、それとスクーターの鍵だ。ほれ」
凛が葛城にスクーターの鍵を投げる。
「凛さんのスクーター使っていいんですか、やったー。行って来まーす」
「飛ばすなよ」
「判ってます!」
葛城が嬉しそうに店を飛び出して行った。
「凛さん。良いんですか? 前みたいな事になったら」
「大丈夫だよ、楓。あいつも子どもじゃないんだから」
「本当に、凛さんは甘いんだか優しすぎるんだか、まるでドルチェみたいですね」
「そうかなのか?」
「違うのよ、鈍いの」
オーナーの亜紗が突っ込んだ。
「どうせ、ニブチンですよ。義姉さんには敵わないさ」
葛城がアーケードの中の市場で買い物を済ませ店に戻ろうとすると、数人の男に囲まれている女の子が見えた。
「あれ? 杏ちゃん? それに周りの連中はあの時の……クソ! なるようになれ!」
葛城がスクーターに乗り男達に突っ込んだ。
「このガキ、何するんだ!」
「杏ちゃん、早く後ろに乗って」
杏が葛城に気付きスクーターの後ろに乗る。
男達がスクーターをつかむより早く葛城がスクーターをだした。
「あいつ、この間の野郎だぞ。追え!」
男達が側に止めてあった大型スクーターで2人を追いかけてきた。
「葛城さん、追いかけて来たよ」
「大丈夫、凛さんのスクーターなら追いつかれないから」
「でも、なんであんなに追いかけてくるの?」
「前に、奴等と喧嘩になって凄く凛さんに迷惑を掛けた事があるんだ。2度目は店に居られなくなるから。しっかりつかまって飛ばすから」
「うん」
杏は葛城の体にしがみ付いた。
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