第4話 duo

翌朝、杏が目を覚ますとそこは見知らぬ部屋だった。

「あれ? ここは何処なんだ。そう言えば昨日、羽田で逃げ出して飛行機に乗って……」

寝起きの回らない頭で考えていると玄関のドアが開く音がした。

「杏、起きたか? 朝飯だ」

「はーい、分かった」

杏がとりあえず返事をしてベッドから這い出てキッチンを見ると知らない男がコーヒーを入れていた。

「誰だ? お前?」

「寝ぼけているのか? もう昼前だぞ。杏」

「あっ、そうだ。凛だ。おはよう」

自分の状況を直ぐに思い出した。

「おはよう。ほら、カフェオーレでいいな」

「うん」

「そこの紙袋の中にパンが入っているから食べてくれ。食べ終わったら出かけるからな」

「うん、なんで凛の髪の毛濡れているの?」

「プールでひと泳ぎしてきたからな」

「プール? 私も泳ぎたい」

「明日な」

「分かった、約束だぞ」

「約束か……」


食事を済ませ午後から買い物に出かける。

市内の大型店舗の2階にある洋服売り場に凛と杏は来ていた。

「必要最小限の物を買って来い。俺は、ここで待っているから」

「一緒に回ろうよ」

「何でだ?」

「似合うか凛にも見て欲しいから」

「面倒くさい」

「面倒くさい言うな。いいじゃんか。けち!」

「判ったから、早めに切り上げてくれよ」

凛は渋々買い物について回る事にした。

「ねぇ、これどう?」

「良いんじゃないか」

「ちゃんと見てるの?」

「見たよ」

「それじゃ、これとこれと……これも。良いんでしょ」

「ああ」

「じゃ、次はあっち」

「おいおい、引っ張るなよ。ちゃんと着いて行くから」

杏は凛の手を引っ張って歩き回り下着売り場のコーナーに入っていった。

「うわぁ、可愛いのがいっぱいある。どれにしようかなぁ? これなんかどう、凛」

「俺に聞くな、判らない」

杏がブラとショーツのセットを体に当てて凛に見せるが、凛は照れる風でもなく答えた。

「ちぇ、つまらないの。凛は平気なんだね。こういう所」

「独りで来ている訳じゃ無いからな」

「私達、恋人同士に見えるかなぁ?」

「それは無いな。どこからどう見ても親子だろう」

「私は、凛はいけてると思うけど」

「言ったはずだ杏の親くらいの歳だと」

「歳なんて関係ないもん。凛は、若く見えるしね」

「煽てても何も出ないぞ。買う物は決まったか? 行くぞ」

「もう、バカ!」

杏は嬉しかった誰かとこんな風に買い物をするのは初めてで。

それに本当の素の自分で居られる事がこんなにも楽しいものだとは思っても見なかったのだった。


「ねぇ、次はどこに行くの? 洋服もサンダルも靴もそれに下着も買ったのに」

「泳ぎたいんだろ」

「うん!」

杏が嬉しそうに笑った。

凛は大型店舗を出てから車を中心街に向けて、街中にあるサーフショップの前で車を止めた。

「ここなら、この時期でも置いてあるはずだ」

「早く見に行こう。凛」

「判ったよ」

店に入ると真っ黒に日焼けした女の子の店員が出迎えた。

「いらっしゃいませ」

「悪いがこいつに合う水着が欲しいのだが」

「水着のコーナーはこちらになります」

真っ黒に日焼けした店員が指差す方を見ると、まだ時期が早い為かあまり多くは無いがカラフルな水着がハンガーに掛けられていた。

「ほら、早く選べよ」

「分かった。どれにしょうかなぁ」

杏は楽しそうに水着を選んでいた、それを凛は物静かにただ見ている。

「あのさ、凛」

「なんだ」

「こんなに色々と買ってくれたて事は私ここに居ても良いんだよね」

「まだ、決まった訳じゃない。義姉さんの許可が下りなければ東京に強制送還だ」

「えっ、そうなんだ。なんで許可がいるの?」

「昨夜、結果を連絡するって約束しただろ」

「でも、それは結果を報告する約束でしょ」

杏が哀しそうな目をして凛の顔を見上げた。

「そんな顔するな、俺がなんとか説得するから」

「本当に?」

「本当だ」

「約束だよ」

「分かった、約束だ」

「やったー。それじゃ、水着これにしようと」

杏が選んだ水着はパレオ付きのオレンジのシンプルなビキニだった。


凛が亜紗に連絡を取りARIAに向かう、ARIAに着き店内に入ると楓と柚葉がホールの掃除をしていた。

「お疲れ様」

「あ、お疲れ様です。凛さん」

「オーナーは?」

「奥でお待ちですよ」

「ありがとう。杏はそこで待っていろ」

「私も行く」

「待っていろ。分かったな」

「うん、分かった」

凛が奥の事務所に入っていく、杏が凛に強い口調で言われて戸惑ったまま立っていると楓が声を掛けてきた。

「杏ちゃん、座って待ってれば」

「あ、ありがとう」

「今、飲み物持ってきてあげるね」

「お水でいいよ」

「分かった」

そんな会話を交わしていると、気を利かせて柚葉がシークワァーサージュースを持ってきてくれた。

「ありがとう、柚葉さん」

「柚葉でいいですよ。杏ちゃん」

「そう言えば自己紹介してないよね。私は雨宮 楓(あまみやかえで)、20歳」

「私は、音無柚葉(おとなしゆずは)。歳は19。よろしくね」

「俺は、葛城 真(かつらぎまこと)。24歳でーす」

葛城がカウンター越しに顔を出した。

「もう、見習いは仕込みでもしてろ!」

「見習い言うな」

「皆、仲が良いんだね」

「チームワークはどこの店にも負けないよね。柚葉」

「うん、そうだね」

「そう言えば、杏ちゃんは昨日オーナーの所に泊まったの?」

「違うよ、凛の所」

「凛の所って……ええっ! 凛さんの家に泊まったの?」

楓が柚葉と顔を見合わせて驚いた。

「そうだけど? 何でそんなに驚くの?」

「信じられない。あの凛さんの家に泊まるなんて」

「え? 何で?」

「だって、今まで誰も行った事が無いんだよ。凛さんの家に」

「そうなんだ」

「で、どんなお家だったの?」

「普通だよ、センスの良い照明とかがあったけど。1人暮らしの割には部屋も綺麗だったし」

「ふうん~」

「じゃ、今度は俺の家に来る?」

仕込みを終わらせ休憩をしにキッチンから葛城が出てきた。

「葛城の家は絶対に嫌だよね。あんなゴミ貯め見たいな部屋」

「柚葉ちゃん、酷いよ」

「だって、前に掃除したからって遊びに行ってあの状態じゃね。楓」

「そうそう、見た事の無い虫も歩いてるし」

「ごめんなさい。絶対に無理だ」

杏があからさまに嫌な顔をした。

「はぁ、向うで寝てるから時間になったら起こしてくれよ」

葛城がうな垂れながら奥のコーナーのソファーに向かって歩き出した。


「杏ちゃんて学生さんじゃないよね」

「うん、叔父さんの仕事を手伝ってた」

「そうなんだ。どんな仕事なの?」

「マスコミ関係の仕事かな」

「凄い、マスコミの仕事なんて。憧れちゃうな」

「でもね、柚葉ちゃん。どんな仕事でも裏と表があって、嫌な事も笑いながらしなきゃいけない事の方が多いんだよ」

「そうなんだ。ここは裏も表も楽しいかな、嫌なお客さんが来てもオーナーとかチーフが助けてくれるし凛さんの賄いは美味しいね」

「そうだよね、柚葉。他の所から比べたら私達は恵まれているのかもね」

「そんなに、ここの仕事って楽しいの? 接客業でしょ」

「うん、楽しいよ。仕事に来るのが楽しみでしょうがないもん」

「私も楓と同じ。お休みの日も仕事に来たいくらいだもん」

「ふうん、そうなんだ」

その時、事務所から机を叩く様な大きな物音と亜紗の怒鳴り声が聞えてきた。

「あなたって子は何でいつもそうなの、本当に責任が取れるんでしょうね。あの子はまだ未成年なのよ」

「義姉さん、少し落ちつけよ」

凛の声がする、その後の会話は聞えなかった。

「あちゃ~。オーナー激怒ってるよ」

「私のせいだ。私がここに居たいって言ったから」

「そんなに、東京の叔父さんの所が嫌なの?」

柚葉が不思議そうな顔をして聞いてきた。

「う、うん。自由になりたかったの」

「そうなんだ」

奥のソファーから葛城の声がした。

「大丈夫だよ。凛さんに任せておけば。そうだろ楓、柚葉」

「そうだね」

「そうだよね」

「ええ、2人ともなんで言い切れるの?」

杏が不思議そうな顔をした。

「実は、私。少し前まで凄く荒れていて凛さんに救われたの」

「楓ちゃんが荒れてたって信じられないよ」

「金髪で凄かったんだよ」

「柚葉だって助けてもらったんでしょ」

「うん、お家の中がメチャメチャで死のうと思ったときに凛さんに助けてもらって。今は凛さんのお陰で楓と共同生活しているんだ」

「そうなんだ、だから2人は仲良しなんだね」

「でも、初めは喧嘩ばかりしていたんだよ。そんな時も凛さんに助けてもらったの。楓には楓の私には私しか持って居ない良い所がある、そこをお互いに見つけなさいって。冷静になって考えてみたら2人は全く正反対の人間なんだって。そうしたら何だかお互いを認めあえて仲良しになれたんだよね。楓」

「そうだね、あそこで寝ている見習いは店の前で行き倒れていたのを凛さんに拾ってもらったんだもんね」

「うるさいな。今に見てろ、一人前になって凛さんに恩返しをするんだ」

「頑張ってね。見習い君」

「見習い言うな」

「でも、凛さんは不思議な人なの。あまり人付き合いしないし、いつも一定の距離を置いて見守ってくれている。近づきもせず離れもせずにね、凄く寂しい感じがするけど理由は判らない」

「そうなんだ」

杏が感じていたものと同じだと思った。

決して自分から踏み込んで来ない、だから初対面の凛でも平気だと思えたのかもしれない。


「凛の口から約束の言葉が聞けたからそれでいいわ。何か問題が起きた時は」

「それ以上言うな。判ってる」

事務所から亜紗と凛が出て、今まで一度も聞いた事の無い様な凛の声に皆驚いていた。

亜紗は携帯でどこかに電話をし始めた。

「凛さん。休みの所悪いんですが味見をお願いしたいんですけれど」

「判った、葛城」

葛城がソファーから起き上がり凛に声を掛けると凛と葛城がキッチンに向かう。

「凛?」

杏が椅子から立ち上がり不安そうな顔で声を掛ける。

「大丈夫だよ。OKだ」

凛のいつもの顔を見た杏の体から力が抜け椅子にへたり込んだ。

「よかったね、杏ちゃん」

「うん」

「凛さんと一緒のお家か良いな」

「今度、遊びにおいでよ。柚葉ちゃん」

「本当に?」

「凛に頼んでみる」

「じゃ、楓も」

「そうだね。あのさ、凛さんの奥さんって亜紗さんじゃないの?」

「えっ、違うよ。ねぇ、柚葉」

「うん」

「だって、凛の部屋に写真が……」

すると後ろから亜紗の声がする。

「それは、私の双子の妹の双樹よ」

「ええ! オーナー双子だったんですか?」

「あまりこんな話はしないからね。さぁ、お2人さん掃除は終わったのかしら?」

「きゃー、こんな時間だ。準備! 準備! 柚葉急げ」

「はーい」

楓と柚葉が慌しく仕事を始めた。

「あの、亜紗さん。お話が」

「何かしら?」

「実は私……」

亜紗が人差し指で杏の口を塞いだ。

「あなたが誰であろうとそんな事は問題じゃないわ。ここはそういう島なの、特にこのお店はね。皆何かしら問題を抱えてたり、人に言えない事がある人間が集まっている。でも、私や凛がバックアップするから大丈夫よ、安心なさい」

「ありがとうございます」

「私は仕事があるからこれで失礼するわ」

そうして杏の自由な一日は終わって行った。

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