第4話 夜・1

何故、あんな事を言ってしまったのだろう。

初対面で、そして人間でない彼に……

あれから私が作った料理を食べて。

あの人は今、バスルームにいる。

「美味しいって言ってくれなかったなぁ……」

リビングのソファーに座りそんな事を考えていた。

彼の事を怖くないと言えば嘘になる、でもそれ以上に強く感じる物があった。

言葉では上手く言い表せない、匂いと言えば良いのかなぁ。私と似ている匂いがする気がした。

しばらく、頭の中でグルグルと思いを巡らせてみるが答えなど出てくるはずがなかった。

すると彼がバスルームから出てきた。

「お、お湯加減はどうでしたか?」

「丁度、良いな」

「そ、そうですか」

会話が続かない、それもその筈だとその時思った。

私は殆ど男の人と話をした事がない、学校でもごく親しい友達としか話をしない。

その少ない友達でさえ女の子だ。


仕方なく、立ち上がり薬箱を持って来てソファーに座り、中から消毒液と脱脂綿、ピンセットを取り出し膝の擦り傷を消毒しようとすると彼に止められた。

「風呂場で、傷口を綺麗に洗ったのだろう」

「は、はい」

「それなら、消毒は必要ない。むしろ消毒はしてはいけない」

「何でですか?」

「人間の体は無菌ではないからだ、そして人の体の菌は決して害は無いむしろ有益なのだ」

「でも」

「それに傷を修復しようとする細胞を傷つけてしまう事にもなる」

「それじゃどうしたら」

今までの常識をひっくり返された気になって戸惑ってしまった。

それに相変わらずな抑揚の無い冷たいような喋り方。

まるで怒られているみたいに感じて俯いてしまった。

「傷口を乾燥させない様にしておけば治りが早い。ラップでも巻いて包帯でもしておけばいい」

そんな事を言われてキッチンにあるラップを取りに行こうと立ち上がると、テーブルに怪我をしている膝小僧をぶつけてしまった。

「痛い……」

膝小僧を見ると血が滲み出していた。

するとテーブルの向こうから大きな溜息が聞こえたかと思うと、彼が立ち上がりテーブルを少しずらして私の前にしゃがみ込んだ。

「な、何をするんですか? まさか……」

私の頭の中はプチパニックになった。

彼は吸血鬼、そして彼の目の前には私の血が、心臓が飛び出しそうなくらい鼓動が高鳴る。

すると彼は自分の親指の先を口に含み、直ぐに握りこぶしの中に親指を入れて私の膝小僧に優しく掌を当てた。

すると不思議な事にズキズキと痛んでいたのがスーと引いていく。

彼が掌を離すと擦り傷が綺麗に消えていた。

「え? どうして」

私が戸惑っていると彼は同じ様に足にある傷に掌を当てていく、見る見るうちに足の傷が綺麗に消えた。

そしていきなり肩を掴まれた。

「嫌! 離して……」

「動くな、じっとしていろ」

彼の冷たい視線に見つめられて動けなくなる。

彼を見ると私の顔でなく肩に当てた自分の手を見ていた。

不思議に思い肩に当てられた彼の手を見ると親指から血が出ていて私のトレーナーに血が染み込んで赤くなっていた。

「そんなに心配そうな顔をしなくても服は汚れん」

「で、でも」

しばらくすると彼は私の肩から手を離しソファーに腰を下ろした。

「少しは楽になったか?」

彼に言われて気が付いた。

彼が手を当てていた肩は蹴られて内出血をして動かす度に痛みが走っていたが、今は痛みを感じなかった。

それに不思議な事に血が染みになっているであろうトレーナーには血なんて何処にも残っていなかった。

「どうして傷が綺麗に……それに、あなたの血は?」

「簡単な事だ、我々は不死身だ。よほどの事が無い限り死ぬ事はない。そんな我々の血には治癒能力がある。ただそれだけの事だ」

「でも、私の体に血なんて付いていないじゃない」

「俺を何だと思っている?」

「吸血鬼のハルトさん」

顔を上げると彼は哀れむモノを見るような目で私を見ていた。

そんな目で見ないで下さい、どうせ私は無知ですよ。

すると彼が私の目の前に親指を突き出してきた。

見ると小さな傷から血が出ている、しかしその血は見る見るうちに蒸発して消えていった。

「あまり酷くない傷ならいくらでも治せる。しかし、ヴァンパイアとて血は有限。使い過ぎれば力が弱まり回復するのに時間がかかる。傷を治したのは食事を作ってくれた礼だ。聞きたい事があれば答えるから今のうちに聞いておけ」

彼がじっと私の顔を見ている。

おそらく質問を待っているのだろう、でもそんなに見られたら言いたい事も言えなくなり。

そんな自分が情けなくなってきた。

「聞いておきたい事は無いのか?」

「…………」

「まぁ、人には出来ない事は大概出来ると思ってもらっていい」

「か、壁を通り抜けるとか?」

「俺は人ではないが幽霊でもない。ヴァンパイアだ!」

「ご、ごめんなさい」

そんな無表情で強い口調で言われたら凄く怖いです。

それはあなたが吸血鬼だからじゃなく、単純に大人に怒られているみたいで。

仕方なく私から聞いてみた。

「私に聞いておきたい事は無いですか?」

彼は少し考えてから口を開いた。

「今日は、何月何日だ?」

「えっ? 1月16日金曜日ですよ」

「何年だ?」

「西暦ですか?」

「そうだ」

「……98年です」

彼が少しだけ視線を動かして何かを考えている。

不思議に思った。

なぜ今日の日付を聞くのか、それに西暦まで。

もしかして宇宙人? 

そんな筈無いよね吸血鬼だって自分で言っているし私の傷も目の前で治してくれた。

「もしかして、ここがどこかも判らないのですか?」

「ああ」

「ここは綾音島あやねじまです」

「アヤネジマ?」

「はい、言葉の綾の綾に、音で綾音島」

「そうか……」

私は自分の耳を疑った。

ハルトさんが笑っている、それも肩を震わせながら。

初めて見た、この人も笑うんだ、人じゃないけれど。

思わず声に出してしまった。

「笑った……」

「学校は週休2日制?」

「はい」

「それじゃ、明日は島の案内と買い物に付き合ってもらえるかな?」

「は、はい! デートですね?」

「? まぁ、君がそう思うならそう思ってくれて構わないけれど。俺は人間じゃないよ」

休みの日にどこかに出かけられる。

それだけで嬉しかった。

高校に入ってからは休みの日はお婆ちゃんの家に行くか、お婆ちゃんがここに来るかで何処にも出かけた事がなかったからとても嬉しかった。

それに、今のハルトさんの瞳には冷たさの中に優しさが見えた気がしたから、こんなに嬉しかったのかもしれない。

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