4、甘美なる氷菓
街は、ご神託の日というだけあっていつもと少し違った雰囲気だった。
民家やお店の軒先には女神アウラ様のシンボルである七角形の魔法陣が描かれた旗が飾られており、今日という特別な日を祝っている。
街を賑わせる人々の中には見慣れない装いの人が多く目につく。ご神託の日である今日のために国内外から集まった観光客たちだろう。
イシュタンバインという街は、このウルカシュヴァラ王国の首都ということで国内で一番繁栄している街だ。そのため観光や買い物などに訪れる人も多く、特に若いカップルや熟年夫婦、または魔法を嗜む老若男女などが頻繁に訪れる。
私は他の街のことを知らないのでよく分からないが、特に国内での衣装の流行はここイシュタンバインから生まれるとされているらしく、イシュタンバイン・スタイルを取り入れるべく流行に敏感な若者たちが好んで訪れるらしいのだ。
そして何よりイシュタンバインとはアウラ教の総本山であるため、敬虔なる信者たちが大教会を巡礼したり、魔装具をはじめとする魔法関連アイテムを求めて魔法使いたちが訪れたりと、街にお金を落としていってくれるらしい。
私には縁のない話だが、観光用の馬車便は常に満席だそうだ。
ミシェルに連れられてまず立ち寄ったのは装飾品屋だった。
がやがやと賑わう街の大通りに構える開放的なそのお店の軒先には煌びやかな装飾品が並べられ、日の光を浴びてキラキラと輝き道ゆく人々の目を引いていた。
「…装飾品屋さんですわね。」
「うん、女の子ってこういうの好きじゃない?」
「そうですわね。嫌いじゃありませんが…、あまり来たことはないですわ。」
「そうなんだ。いつもこういうの買うときどうしてるの? 今付けてるネックレスとか。」
「これは…10歳の誕生日の時に使用人のアデリナからもらったものなんですわ。それに、この手のものは大抵母が買ってきてくださいますので。」
私は身につけた銀色のネックレスを指でつまむ。
そのネックレスは、七角形の魔法陣のモチーフに赤や青などの小さな宝石があしらわれたシンプルなもの。それは魔法使いである私のために若者向けのアクセサリーをと、使用人のアデリナが見繕ってくれたものだ。名のある彫金技師が作った一品ものらしく、人に見せてもかなり評判は良かった。
ちなみに七角形の魔法陣とは女神アウラ様のシンボルだが、こうしてアクセサリーのモチーフなどとして使われることもあるポピュラーなものだった。
「へぇー、さすがお嬢様だな。自分で買い物に行くこともないのか。」
店に並べられたたくさんの装飾品を眺めながら、ミシェルは感心したように漏らす。
…確かに、私も一人の年頃の女としてこういうものに興味がないわけではなかった。アデリナからもらったこのネックレスはとても気に入っているし、こうしてたくさん並ぶアクセサリーを前にするとつい目移りしてしまうこともある。
しかし、どうも私は学校の同い年の女子たちが話しているほど、こういうものに熱を向けられるわけではないらしい。
あれ可愛いこれ可愛いと楽しそうに話す学友たちと一緒にいても、うまくその話についていけないのだ。
…私はどちらかと言うと、それよりも魔装具や魔導書などの魔法関連アイテムの方が……。
「あっでも、学校の帰りなどに筆記具や本などを買いにいったことはありますわよ。ちょうどこの近所にお店がありますわ。」
せっかく私のために気を使ってくれたのに興味なさそうな態度を見せて悪かったかなと、私はそれとなく別の案を示唆してみる。
「ふーん。あ、それじゃあ買い食いとかどう? この近くに美味しいアイスのお店があるんだ!」
が、ミシェルはそれほど気にしていなかったようで、思いついたように私に提案してきた。
その買い食いというキーワードに、私はわずかな抵抗感を感じてしまう。
…なぜなら、これまで従者と一緒に街を歩いたときも買い食いなんて一度もしたことがなかったからだ。
従者の付き添いがなくなった最近では言われることもなくなったが、これまでは「帰ったらシェフが食事を用意してくれているから」と両親からたまに釘を刺されていたことがある。そのことが影響してか、一人で歩けるようになって一年弱ほど経つが、いまだに買い食いという行為には後ろめたさを感じてしまう。
「か、買い食いなんてしたことありませんわ! 食事はいつもシェフが用意してくださいますし、お腹を満たして帰ったらシェフの面子が立ちませんもの。」
「そういうもんなのか。じゃあ今日は大丈夫? アイス食べに行こう!」
私の言葉にさらに言葉を重ねてくるミシェル。
そ、それは……いいのだろうか? 私にはどうしてもイケナイコトというイメージしかなくて、正直やましく思ってしまう。いや…でもそれを言ったら、今日こうしてミシェルと二人で歩いているのもイケナイコトなんじゃないだろうか…。お父様からも「ダメだダメだ」とか言われたし…。
「きょ、今日は……まあ、お昼はいらないと伝えてありますが…。」
今日はご神託の日ということもあり、うちで雇っているシェフにも母が暇を与えている。そういう日には母が食事を作ってくれるのだが、出かける前に母が「お昼、セシリアの分はいらないわよね?」と確認してきたとき、私はつい「はい」と答えてしまった。
…私はあのとき母に「デート」となどという刺激的な言葉を言われて動揺していたから、正常な思考ができなかったのかもしれない。本当なら休日でも昼食は屋敷に戻って食べているのに、今日みたいな非日常的な約束の上にさらに非日常な決断をしてしまうなんて…。
「よし! けってーい!」
ミシェルはそう言って、こっちこっちと私を手招きながら歩いていく。
私はドキドキと胸を鳴らしながら、その半歩後ろをついていった。
いかにも若者が好みそうな、カラフルな布や小物などの装飾で飾り立てられたカウンターが目立つ小さなお店。そのカウンターに設置された立て札には、話で聞いたことのある「アイス」とやらの絵が描かれていた。
コーンと呼ぶらしい逆三角錐型の持ち手の上に、球状のアイスが段になって乗っかっている。この絵を見ただけでは、とても私の知っている「アイス」とは到底結び付けられない。
アイスというと、これまでに屋敷での食事の後にシェフがデザートとして出してくれたことがある。
その経験で私が知っているアイスとは、お皿の上に載っていてスプーンですくって食べるものだ。…それがどうして、わざわざこんな変な持ち手の上に乗せているのだろうか。世間の人たちにとっては、むしろこっちの方が認知されているのだろうか?
私は常日頃から父や周りの人から社会のことなどを教わっているが、その話の中にこんな食べ物の存在は影も見せなかった。
…同年代の子よりははるかに知識も豊富であろうという自負があったのだが、実は世間のことを知らないのは私の方だったのか…?
「これが、アイス…ですか?」
「そう、何食べる? おじさん僕バナナね!」
「はいよ。そっちのお嬢ちゃんは?」
ミシェルはまるで当たり前の日常のように、カウンターの向こうにいる店主に注文を投げかける。
可愛らしく彩られたお店とはおよそ似つかわしくないがっしりとした体格の中年男性店主は、ミシェルの注文を受けるなり何やらゴソゴソと作業を始め、私に尋ねてきた。
カウンターに置かれた立て札にはバナナやメロン、ミルクなど、いくつもの味の種類が書かれており、この中から選んで注文するらしかった。
しかし私はこうして外のお店でアイスを注文するなんて初めてなので、どうすればいいのか分からずにうろたえる。バナナを頼めばバナナ味のアイスが出てくるのだろうし、ミルクはミルク味のアイスが出てくるのだろう。どれが美味しいのだろうか。屋敷でアイスを食べたときには味の注文なんてしたことないし…。
「わ、私は…。どうやって選んだらいいのでしょうか…。」
注文した通りの味のするアイスが出てくるのだとすれば、どれも美味しそうに見えてどれか一つを選ぶのを躊躇してしまう。
そんな私の様子を見てミシェルは不思議そうに、そしてどこか呆れたかのようにその視線を向けた。
「本当に何も知らないんだなぁ…。じゃあおじさん、この子はストロベリーミルクで!」
「ははは! 世間知らずのお嬢様か! こりゃいいや、サービスしとくぜ!」
注文を決められない私を見かね、ミシェルは私のアイスを勝手に注文してしまう。それを受けた店主まで、おかしそうに豪快な笑い声を上げるのだった。
「…………。」
(うう…、明らかにバカにしてますわね…。)
私は街の外に出たことがないから、街の外のことは知らなくて当然だ。だからいつものミシェルの話も素直に耳を傾けられるのだが、街の中のこととなると話は別だ。
私も普段からここで生活しているし、学校にも通っている。それに父からはいつも色々なことを教わっているので、それなりに教養は身についているはずだと高をくくっていたのだが、実際には街の中ですらまだまだ私の知らないものがたくさんあって、こういった場面ではその知識のなさが如実に表れてしまう…。
あろうことか店主には「世間知らずのお嬢様」とまで言われる始末。
……くそう、悔しい。
何も言い返せない私は羞恥にうつむき、ただ黙って出来上がるのを待つしかなかった。
アイスという食べ物は、牛乳や砂糖や卵、そして果物をすりつぶしたものなどを混ぜて材料として金属製の筒の中に入れ、氷でキンキンに冷やしながらその筒を振っていると次第に凍り、アイスとして完成するらしい。
出来上がったアイスは水系の魔法を付加した容器に筒ごと入れて冷やし、凍った状態を維持して保存するという仕組みのようだ。
店主は冷えた筒の中からアイスをすくい取り、持ち手のコーンの上へと器用に乗せていく。
「はい、できたよ。二つで400Gだ。」
「ありがとう。…はい、これセシリアの。」
店主は出来上がったアイスを二つ差し出し、ミシェルはそれと引き換えに代金を手渡す。どうやら私の分まで奢ってくれるらしかった。
これが二つで400G…。一つあたり200Gだ。この街の一般的な料理屋での食事の値段は一食あたり300Gくらいらしいので、そのボリュームと比較するとこのアイスの値段は少し高めなんじゃないだろうか。また今度お返ししなくては…。
「は、はい…。…私のは随分たくさん重なってますのね…。」
受け取ったアイスは立て札の絵の通り、コーンの上に球状のアイスが段になって乗っていた。本当に、お皿などには載せずこのまま食べるらしい。
しかし異様なのは、私の分だけその段数がミシェルの倍もあったことだ。ミシェルは2段なのに、私のアイスは4段もあった。
気を抜くと崩してしまいそうなほど高く積み上がったそのアイスに、私は目を丸くする。
「サービスしてくれたんだ。ありがたく食べよう。」
ミシェルはそう言って、自分のアイスを口に運ぶ。
…なるほど、お皿の代わりにコーンに乗せるのは、こうして立って食べることを想定しているからか。
パーティーなどで何度も立食形式の食事をとったことはあったが、その際も料理はお皿に載せてフォークなどで食べていた。こんな風に立ったまま直接かぶりつくなんてはしたない真似、これまで一度もしたことがない。
買い食いに加えてさらにイケナイコトをしているかもという背徳感が私を緊張させる。
…は、早く食べないと溶けてしまうかも…。
「か、かぶりつけばいいんですのね? ……あむっ。」
私は思い切ってアイスの最上段にかぶりつく。
「…どう、美味しい? ストロベリーミルクも美味しそうだなぁ…。」
「………………!」
ひんやりとした柔らかな食感が唇に触れ、歯を立てるとアイスはほんのわずかな抵抗だけを見せて切断された。
その欠片は体温によってたちまちに溶け出し、苺とミルクの合わさった濃厚かつ豊潤な香りを立たせて口内の隅々までを満たしていく。
ふいに小さな粒々が混ざっていることに気づく。それは苺の果肉と種で、噛むときゅんとした酸味が立ち上り、甘さの中にアクセントを加える。
苺とミルクの甘さは雪のように溶け合い、わずかな酸味が彩りを加え、さらに上品で複雑な色彩となって私の口の中に一つの物語を紡ぎ上げていく…!
スプーンですくって食べるアイスとは違ってこうしてかぶりつく食べ方だからこそ、唇に伝わる感触から飲み込んだ後に残る香りまでを一つの体験として堪能することができるのだ。
「…………! お、美味しいですわ…! 甘くて、冷たくて…!」
「そう? そりゃよかった。」
外で食べるアイスとは、こんなにも美味しいものなのか。
私はすっかりその甘露の虜となって、口の周りがアイスでべたべたになることも厭わず夢中でアイスに噛み付いていった。
ミシェルはそんな私の様子を満足そうに見つめながら、自身のバナナ味のアイスをペロペロと舐めるのだった。
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