3、約束




 …初めて会った時は、馴れ馴れしくて失礼な奴だと思った。

 次に会った時は、とことん失礼な奴だと思った。

 …でも、私の知らない日常を送っているらしいことや、「友だち」という不思議な関係性のことなどを聞いて、少し興味が湧いた。

 そこから何度か顔を合わせる度に、彼は冒険が趣味であり、一人でよく色々な場所へ遊びに行っているということや、その度に危険な目にあっているということ、そしてその度に何かしらの戦利品を持ち帰っているということなどを知った。

 さらに、いつかは世界中を旅して巡るのが夢だという。

 空のように澄んだ目で話すその物語は、まるで同じ世界の出来事とは思えない。


 私の日常と言えば、朝から昼過ぎまでは学校へ行って授業を受け、屋敷に帰ってからは魔法の先生から授業を受けたり、護身格闘や礼儀作法などを学んだり。夜には屋敷を訪れる来客への挨拶や社交パーティーへの出席、父からの社会や経済に関する授業などをこなし、一日を終える。たまにある休日には王立図書館に行き、のんびりと本を読む…。

 そんな私の日常と彼の話す日常とではまるでその景色が違っており、同じ街に住んでいながらこんなにも違うものなのかと、少なくない衝撃を受けた。


 そして私はいつの間にか、彼が楽しそうに話す絵本のような体験に、どうしようもなく惹かれるようになってしまったのだ…。




 彼が私の屋敷に忍び込むようになってから3ヶ月ほど。ご神託の日を3日後に控えたある日、それは訪れた。




 いつものようにミシェルが屋敷に侵入し、私の部屋で窓を挟んで話していたときだった。

 今回もミシェルは海へ行ったからと綺麗な貝殻を私へのお土産として持ってきてくれ、そのときの体験を楽しそうに話してくれた。

 私にとっては全く未知の世界であるミシェルの話に、私はどうしても興味を向けずにはいられない。

 彼はいったいいつもどんな世界を見ているのだろう。どんなものを見て、どんな音を聞いて、どんな風を感じているのだろう。…私には、ミシェルの話からただそれを想像するしかなかった。


 ふいに、ミシェルが話題を変え、休日の過ごし方についての話になった。


「休日ですか? …前にも言ったでしょう。魔法の勉強をしているか、王立図書館に行って本を読んでいますわ。」


 実際には、休日とはいっても何かしらの予定が入っていることが多く、丸一日自由ということはほとんどなかったのだ。

 ミシェルはそれを聞くと、少し考えるように頭をひねった。


「そっか……。…それじゃ、今度の神託の日は何やってる?」


「ご神託の日は…、学校も休みですし習い事も来客もありませんわね。王立図書館もその日だけはお休みですので、どうしましょうかしら…。屋敷の書庫で本でも読んでいるかもしれませんわね…。」


「ふーん…。」


 ミシェルは何かを企んでいるかのように、含みのある相槌を打つ。

 やがて、思いついたように身を乗り出して口を開いた。


「じゃあさセシリア! 神託の日、僕と一緒に街に出ようよ!」


「………………えっ?」


「どうせ暇なんでしょ? それなら、たまにはいいじゃない?」


 私は驚く。

 ……ミシェルと一緒に、街へ出る? …それはつまり、ミシェルが普段「友だち」とやっているように、私と遊ぼうということだろうか。

 思いがけないミシェルの申し出に、私は目を丸くした。


「…っい、いけませんわよ。ご神託の日は休息をとって祈りを捧げる日ですのよ? だから学校も図書館も休みですのに…。」


「そんなこと馬鹿正直に守ってるのセシリアくらいだよ。僕の周りはみんなどこに遊びに行こうか話し合ってるくらいだし。」


「そ、それならその方たちと一緒に行けばいいじゃありませんの! 私なんか…その、暗くてつまらない人間ですし…。」


「セシリアに断られたらそうするよ。神託の日でもお店は開いてるし、どうする?」


「あ…………。」


 大切なご神託の日を遊んで過ごすなんて、私には考えられない発想だ。

 色々と断る理由を思いつくが、どれも決定打に欠けるものばかりで、それが私の口から発せられることはなかった。

 まっすぐな目で私の返事を待つミシェルの顔を見ていると、ドクンドクンと胸がざわついて落ち着かない。

 ……私は、頭ではいけないことだと思いつつも、心のどこかでその提案を魅力的だと感じてしまっている…。


「……えっと……ん……。」


 私は胸のざわつきを抑えるように腕を抱く。

 …ただ一言断ればいいだけなのに、その言葉が出てこない。…今の私は、正常ではなかった。


「セシリア。」


「う……。」


 名前を呼ばれるだけで、体温まで上がっていくようだった。

 なおも結論を出さずにもじもじとする私を見て、ミシェルは小さくため息をついた。


「……はあ。じゃ、やめとこっか。」


「えっ!? あ、いや……ぅ…。」


 そんな! 私は嫌なんて一言も…! なんでそこで急に引くんだ…!

 私はうつむく。

 …数秒ほど経ち、ようやく小さな声を出すことができた。


「…………ど、…どうしてもというなら……。」


 声を出した自分の耳にすら届いているかも怪しいその小さな呟きをミシェルは聞き逃さず、ニコリと微笑んだ。


「よし、けってーい! それじゃ神託の日、お昼前の10時に中央区の噴水広場で待ち合わせね!」


 そう言ってミシェルはぎゅっと私の手を握り、笑顔を向けた。

 私はそんなミシェルの顔を見ることができず、ただうつむいているだけだった。

 大変な決断をしてしまったかもしれないという不安と焦燥感、そしてその日を心待ちにする期待感などがぐちゃぐちゃに入り混じり、頭の中は沸騰寸前だ。


 ミシェルは一方的に言い残し、そろそろ使用人が来そうだからと言ってさっさとその場を後にした。

 ……後に残されたのは、窓の外をぼーっと眺める私だけ…。

 さっきミシェルに握られた手だけが、異常に熱を持っている気がした。


 ばたん、と、ベッドに倒れこむ。

 あああ、とんでもない約束をしてしまった…。ミシェルと一緒に街へ出るなんて、……学校の友人たちとすらしたことがないのに、2人きりでどうやって時間を過ごせばいいんだろう。

 これが友だちっていうことなんだろうか。彼にとっては当たり前の日常なのだろうか。分からない、分からない…。

 胸がドキドキと高鳴る。この落ち着かない感覚を、私はどう処理すればいいだろう。




 それからご神託の日まで、私はどうにもふわふわとした変な気分のまま日常を過ごすことになった。

 頭には常にミシェルの顔が浮かび、約束を交わした時に握られた右手に意識が向く。

 なんとか別のことを考えて気を紛らわせても、約束のことが泡のように浮かんできては、私の心を揺り動かせた。

 勉強にもまるで集中できず、学友たちからからかわれてしまうほどだった。

「ご神託の日が楽しみなんですわ!」…と誤魔化しておいたが、凄い熱意だねと若干引かれてしまったように感じる。

 なんで私がこんな変な気分で過ごさなくてはならないんだ。

 どれもこれも全てミシェルのせいだ! あのバカ男め、今度しこたま文句を言ってやる!






 ……そして、当日。ご神託の日がやってきた。

 アウラ教を支持するこの国と街、そして住む人々にとって、女神様からのお告げが降るこのご神託の日は特別なものだ。

 ご神託の日は、一般には休息をとって女神様に祈りを捧げる日だとされており、学校や図書館、研究施設など、公的な施設は全て休みとなる。敬虔な教徒が経営する商店などもこの日は休みをとるが、それでは買い物に困るので、半数くらいの商店は変わらずお店を開けていた。

 ご神託の儀式は、町の中央にあるアウラ教の大教会にて厳かに行われる。

 基本的には教会と王政の関係者が取り仕切るものだが、一般人向けの見物席が用意されているため、敬虔な教徒や観光客などがその席を埋めていた。

 私も何度か見物したことがあるが、その厳かな雰囲気に飲まれ、つい退屈してしまった思い出がある。


 しかし今年は、これまでのご神託の日とはまるで違う緊張が、私を包んでいた。


「……セシリア、どうかした? なんか様子がおかしいわよ。」


「むぐっ。……な、なんでもありませんわ。」


 家族と朝食を食べていたとき、母が私の顔を覗き込んでそう尋ねてくる。

 私といえば、さっきからスープをこぼしたり、何も刺さっていないフォークを口に運んだり、パンにジャムとマスタードを同時に塗ってしまったりと、あからさまな挙動不審さを見せていた。


「ははは! なにか楽しみなことでもあるのか?」


 父が豪快に笑う。

 …別に隠すことでもないので、正直に話しても問題はないだろうか。


「あの、実は今日、……友だちと一緒に大教会へ行く約束をしているんですわ。」


 大教会へ行く、というのは、咄嗟に口から出た嘘だった。

 遊びに行くと正直に言うつもりでいたが、やはりこの大事な日に遊びに行くと口にすることへの後ろめたさがあったのかもしれない。

 小さくそう言うと、両親は驚き、顔を見合わせた。


「そうなのか、セシリア! いつだったか友だちが欲しいと言っていたよな。そうか、友だちができたか!」


「よかったわね、セシリア。お友だちってどんな子なの?」


 両親は共に驚き、母がとても興味深そうに私に声を尋ねてくる。

 どんな子と言ったって…、無神経で無鉄砲で命知らずのバカ男と言えばいいのだろうか…。


「…ええっと、…南区の学校に通っている方ですわ。以前に道を教えてくれて、何度か顔を合わせるうちに仲良くなりましたの。」


「そうかそうか。その子はなにか使える魔法や特技はあったりするのか?」


「魔法は…使えるのかしら。そんな話をしたことはありませんでしたわね。でも、冒険や探検が趣味とおっしゃっていて、よく色んなところへ遊びに行っているようですわ。」


 そういえば、彼は魔法を使えるのだろうか。一人で魔物の巣食う洞窟に行ったりするくらいだから何かしら使えるのだとは思うが…。

 どちらかというと印象に残っているのは、ナイフや剣を持って探検しに行くということだ。そうすると、剣術が得意なのだろうか?

 出会ってからしばらく経つのに、そういえば聞いたことがなかった…。

 言いながらそんなことを考えていると、父の顔がぴくりと反応し、無言になった。


「……待てセシリア。冒険や探検が趣味って……、…もしかしてその子は………男の子か?」


 父は何やらプルプルと震えながらそう尋ねてくる。

 対して、隣に座る母は変わらず柔和な笑みを浮かべていた。


「え、……はい。」


 私は小さく頷く。

 ……これは、まずい。墓穴を掘ってしまったかもしれない。


「お、男と二人で出歩くなんて、私は許さないぞ! ダメだダメだ! そういうのはもっと大人になってからだな…!」


 父はガタンと椅子から立ち上がり、顔を真っ赤にしてそう激昂した。


「ええっ!? だ、ダメですの!?」


「ああ、ダメだ! 男と一緒に遊びに行くなんて、10年早い! もっとお前が……いたたた! アンナ、尻をつねるな!」


 いつになく感情的に声を荒げる父に、ニコニコと笑みを崩さない母。対照的な二人の様子に、私はうろたえる。


「ふふふ、いいのよセシリア。いってらっしゃい。デート、楽しんできてね。」


「でっ…!?」


 で、デート…だと……!?

 私の知るデートという言葉は、恋仲にある男女もしくは好意を寄せ合っている男女が行う逢瀬のことだ。

 …わ、私とミシェルがデートだなんて!? そんなバカな!!


「ちっ、違いますわよお母様! 私とミシェルはそんな関係ではなくて!」


「ミシェルっていうのか! 誰かー! その男を捕らえろー!! …痛い、痛いってアンナ!」 


 私とミシェルがデート…!? ってことはミシェルは、私をデートに誘ったってこと…!? そ、そんなバカな! 別に恋仲になっているわけでもないし、そんなに仲のいい関係でもない! ありえない、ありえない!


「ごっ、ご馳走様ですわ! 私、出かける準備をしてきますの!」


 とてもこれ以上この場にはいられず、私はガタンと席を立ち、食堂を出る。

 後ろ手にバタンと食堂の扉を閉め、私はその扉に背中を預けた。


「はあっ、はあっ、はあっ…。……もう! なんなんですのこのモヤモヤは…!」


 自分の今の心の状態が全く分からない。これまでに経験したことのないような不安定さで、ズキンズキンと胸が痛む。


「アンナ! 止めなくていいのか、私のセシリアが…!」


「はいはい、あの子もいい年頃なんだから、ボーイフレンドの1人くらい作りますよ。」


 後ろの扉からは父の悲痛な叫びがこだまし、それをたしなめる母の声が聞こえてくる。


「……ああもう……!」


 私はモヤモヤを振り切るかのように駆け出し、そのままの勢いで自室へと飛び込む。

 ボフンとベッドへ身を投げ、枕に顔を埋めた。


「はあ……。……準備、しなくては……。」


 今から準備を済ませて屋敷を出ると、待ち合わせにちょうどいい時間だろう。

 私はしばらくベッドで悶々としたあと、起き上がって髪や服装を整えるために部屋に備わっている衣装室へと向かった。

 …いつものように髪をブラシでとかして服を見繕うだけなのに、セットした髪型がいつまでもおかしく見えたり、服の着合わせや色使いが変に見えたりと、その効率は普段より数段悪かった。




 なんとか準備を済ませ、屋敷を出る。

 両親に声をかけた際、父にはまた怒鳴られるかと思ったが、父は何かを諦めたかのような顔でぼそりと「いってらっしゃい」と言うだけだった。

 母と一緒に送り出しをしてくれた使用人たちは、いつもの笑顔で「いってらっしゃいませ」と私を送り出してくれた。

 一人で図書館へ出かけるときとは違う、こそばゆい感覚を抱きながら、私は待ち合わせ場所である噴水広場へと向かった。


「……まだ、着いてませんのね…。」


 噴水広場に着くと、まだミシェルは来ていないようだった。

 キョロキョロと辺りを見渡すが、それらしい影はない。

 広場の地面に設置された日時計は、10時より少し前の時間を示していた。

 仕方なく噴水前のベンチに腰掛け、読みかけの魔導書を取り出してページをめくる。

 この噴水広場はこの街の名所の一つで、待ち合わせによく使われる。

 噴水の内部には水の魔法が付加された魔鉱石が埋め込まれており、その魔力で水が循環しているのだ。

 毎日決まった時刻になると噴水からはいくつもの水流が伸び、その優雅な演出はまるで水芸のように、町民や観光客たちを楽しませた。


 5分くらい経っただろうか、正面から私の名を呼ぶ声が聞こえた。


「セシリア! お待たせ!」


「っ…!」


 ドキンと心臓が鳴る。

 忘れていた活動を思い出したかのように、私の心臓はその鼓動を早めていく。


「…っお、遅いですわよミシェル…! 女性を待たせるなんて……。」


 魔導書を閉じ、顔を上げると、そこにはいつもの笑顔があった。


「ごめんごめん、でも待ち合わせ時間より早く来てるし、勘弁してよ。」


「ん……まあ、いいですけれど……。」


 彼の顔を見るとどうしても声が小さくなり、その勢いもなくなってしまう。

 この数日、ミシェルのせいで授業にも集中できなかったということや、両親にも変に気を使わせてしまったということなど、ぶつけてやりたい文句がたくさんあったのだが、ミシェルの顔を見ると全てどこかへ吹き飛んでしまった。


「それじゃ、行こっか!」


 そう言ってミシェルは歩き出し、私はそれに従いついていく。


「……言っておきますけど、貴方がどうしてもって言うから来たんですからね! ちゃんと楽しませてくださいな!」


「はいはい、ありがとう。まずはどこへ行こうかなー。セシリアがあんまり行ったことなさそうなところがいいよな。」


 私の悪態もまるで風のように聞き流すミシェル。

 …私の感じているモヤモヤは、私だけのものなのだろうか。この男は何も感じていないのだろうか。

 ……だとすれば、一人で勝手に悶々としている私は一体なんなんだ…。


 行き場のないわだかまりを胸に秘めながら、私はミシェルの後ろをついていった。







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