第3話

 地水駅から地下鉄桜線に乗り一駅、垂下駅の出入り口に着いたとき、時刻は午後一時を回ったあたりだった。

 地水市の図書館は垂下駅の目の前にある、石造りの古い建造物だった。あまりに古くからあるため、文化遺産に任命されるほどだという。


「さあ、探すわよ!」


 そう張り切っている日向が先陣を切って、図書館の中へと入っていった。できることならば、図書館の時くらいああいうテンションは抑えてほしいものだが、きっと彼女にそれを言っても無駄なのだろう。というよりも、守ってくれるとは思えない。元気なのはいいことなのかもしれないが元気すぎるのもよろしくない。それはどこかの人が言っていたような気がするが、日向のことを見ると、成る程、確かにそうかもしれない。

 図書館の一階、歴史書などが置かれているコーナーにやってきた僕たちはまずリーダーである日向の指示を仰ぐこととなった。別に自分ひとりで動けないことはないが、あくまでも探偵部のリーダーは日向だそうなので、日向の指示に従っておいたほうが安全という結論に至ったためだ。ちなみにもう一人の、探偵部唯一の正規部員である冨坂は「僕も普段そういう手法をとっていますよ」と笑顔で答えていた。……成る程、鉄板ネタだったか。


「それじゃこの棚から右をお願いするわね!」


 そう言って日向が指さしたのは、その棚からずっと右に伸びる棚まで、およそ五列分だった。そこにハードカバーの蔵書がぎゅうぎゅうに詰められているだけでも眩暈がするというのに、


「いい? 事細かに見るのよ。そして、吸血鬼に関する記述を見つけたらその記述の要点をまとめてメモに記すこと。いいわね?」


 そんな余計な条件までつけられたものだから、当然ながら普通に本を読んでその部分を探すだけでは不可能だ。それの数倍の時間がかかると言っても過言ではない。

 それに地水市は古くから吸血鬼の伝承が絶えない街だ。歴史書に吸血鬼の伝承が書かれていないことなんてほとんどありえない。『地水市の歴史書といえば吸血鬼』と言われるくらい、歴史書には吸血鬼の記述が絶えない。

それの要点をメモしてまとめておけ? そんなこと、当然ながら二日や三日で終わるとは思えない。

 まさかシルバーウィークすべてをこれで潰すつもりなのだろうか? 僕は何か嫌な予感がしたがそこでは日向に質問することはできなかった。したくなかった、と言えば間違いではないかもしれないが、いずれにせよ、したくなかったのが正解だ。

 だってそんなこと、できるはずがない。


「それじゃ、頼むわね」


 そう言って日向は別の棚へと向かっていった。彼女は彼女でやるべきことがあるのだろう。……たぶん、冨坂も同量の内容をこなせと命令されているはずだ。僕だけじゃないはず。そしておそらく、日向自身にも。


「やるしかない、か……」


 決心をつけるしか、これを乗り切る方法がない。そう思った僕は一番上の列の左端にある蔵書を手に取った。



 ◇◇◇



 初日はそれから図書館の閉館時間である午後五時まで居たが、吸血鬼の記述をメモしただけで、肝心の館についてはまったくたどり着けなかった。


「そんな一日では辿り着けるものではない、とは解っていたけれどまさかここまで大変とは思わなかったわ……。というわけで、明日も午前十時にここ集合! いいわね!」


 そう結論付けて、日向は垂下駅の出入り口へと通じる階段を降りていった。

 僕は垂下駅が最寄り駅なので電車に乗る必要はない。即ちここから歩けば家まで辿り着く、ということだ。便利ではあるが、このままではシルバーウィークすべてを拘束されることになると思うと、気が重い。こんなことなら普通に拒否し続ければよかったと、僕はそう思っていた。


「あれ、あなたもここが最寄り駅なのですか」


 残されたのは僕だけじゃないことを、冨坂の言葉を聞いて思い出した。

 僕の隣に立っていた冨坂は僕がそちらを振り向くとニッコリと微笑んでいた。正直そっちの気は無いので、男の微笑みを見ても何の感情も抱かない、というのが正直な感想だった。

 銀色に輝く懐中時計を見つめながら、冨坂は言った。

 なんというか、不思議な時計だ。中には三日月が描かれている……ように見えたのだが、よく見ると金属の図形を組み合わせて月の満ち欠けを再現できるようにしているらしい。

 なんだか見ていてとても吸い込まれるような……とても不思議な感じだった。


「……どうしました?」


 冨坂の言葉を聞いて、僕は我に返った。そうだった、僕は冨坂と一緒に帰ろう、という話になったのだ。まあ、まだ時間は遅いわけでもないし、ゆっくりと帰宅することにしよう。別に門限とかあるわけではないし。門限があると非常に厄介なのかもしれないけれど。

 取り敢えずここで長々と時間を潰す必要も無いので、僕はさっさと帰ることにする。僕が無言で帰ろうとすると冨坂も勝手についてきた。まあ、一緒に帰ろうといったから仕方ないことなのかもしれないけれど。でもできることなら一人で帰りたかった。いつボロが出るか、解ったものではない。


「さて、帰るとするか……」


 腹も減ったことだし、さっさと家に帰ることにしよう。あとは明日以降、また考えればいいだけの話なのだから。

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