本論③ みんなの憧れるもの
空気を悪くしたせいで、話す機会を逃したが。
オレがユニバーに心底憧れるようになったキッカケは、子供のとき、嫌なことがあって家出した際に、ピンチを助けてもらったことだ。
そのキッカケより前から、ユニバーは国民的ヒーローだったから、多少なりとも憧れてはいたんだけれど。それでも、今ほどではなかった。
「はぁっ……! はぁっ……!」
「ガウッ!」
「ウガァア!」
家を飛び出して雪原を歩いていたオレは、狼たちに襲われていた。
長期の家出を覚悟して、家から干し肉などの保存食をくすねてきていたのだが、干し肉の強い香りは、飢えた獣を狂わせるには十分だったようだ。
ダッフルコートの袖を食いちぎられ、腕の肉をえぐり食われ、必死の思いで木の上に登った。登って来られない狼たちが悔しそうに吠える様子に、ざまあみろと舌を出したのも束の間。
寄りかかった枝は想像以上に脆く、オレは無様に墜落した。
狼の形作る円の中心へと、真っ逆さま。
雪に埋もれながら、つまらない人生だったなぁ、と、自分の身に降りかかったこの頃の不幸を咀嚼しながら眼を閉じた。
「ヘスペラスカラー」
シルクハットの英雄・ユニバーが現れたのはそんな時だった。
召喚士であるにも関わらず、魔導書も使わずに、右手を胸に当てて念じるだけで、ユニバーは彼にしか召喚できない天使・ヘスペラスカラーを使役する。
「自然界の縄張りを荒らしたこちらに非がある。傷付けずに追い払いなさい」
視界がぼやけているのと、天使から発する光が眩しくて、ヘスペラスカラーの姿はよく見えなかった。
鐘の音と共に突風が吹くと、狼たちは理性を取り戻したように落ち着き、オレに興味を無くしたようにぞろぞろその場をあとにした。
安心してぼろぼろ泣き始めたから、そのあとのことをあまり覚えてないけど、それでもユニバーと交わした言葉だけは、胸に刻んでいる。
「足の凍傷がひどいですね……。なぜ、こんなところに?」
オレは、自分がどれだけ惨めな目に遭ったか、詳細に説明した。
子供だし泣いてるしで、全然言葉を紡げなかったオレの話を、ユニバーさんは黙って、微笑んで聞いてくれた。
「……才能も無く、期待も辛くて、飛び出してきたんですね。こんな風に一人でどこかに消えてしまう前に、事情を打ち明けられる誰かもいなくて……いや、いなくなって」
「ユニバーさん……オレ、ユニバーさん大好きです! いつも雑誌とかみてる!」
「ふふ、ありがとう」
「……だけど、でも、ユニバーさんみたいになりたいって思ってたけど……こんなんじゃ、ムリみたいだよ」
「…………」
ユニバーは、屈めていた腰を伸ばすと、カバンから指ぬきグローブを取り出した。彼自身が使っているものと同じ、手の甲に悪魔の口がデザインされたグローブだ。
また腰を屈めると、寒さでかじかんだオレの手に、丁寧にそのグローブをはめた。実際には、子供のオレには大きすぎたけれど。
「私のスペアをあげます。よく似合ってますよ」
「いいの!? もらっても!」
「はい。だから、もし君がこれからも私に憧れてくれるなら……これを着けて、まずは形から入ってみなさい」
オレがもらったものと同じグローブを、ユニバーはまた胸に当てた。
ヘスペラスカラーの放つ光が、後光のように英雄を照らす。
「理想を真似し続けるのです。いつか理想を越えた自分になれますから!」
「りそうを……」
「理想になろうとすることを諦めないでください。……そのグローブがぴったりはめられるようになった時、もう一度会えたらいいですね」
オレの、ひどい凍傷の足に魔法をかけて、ユニバーは静かに消えた。
あの日から、オレは――
#
「10階層到達で試験クリアね」
「案外アッサリだったな」
階層を進んでいくごとに、ダンジョンの壁が、土色から鈍色に変わりだす。
モヤモヤしっぱなしの探索だったけれど、10階層の魔法陣を使ってアカデミーに帰還すれば、試験合格だ。
オレたちは2段飛ばしで10階層への階段を駆け下りた。
「うあぁああっ!」
最後の段を降りたとき、人影が吹っ飛んできた。
試験官の先生だ。出血こそしていないものの、だいぶ痛めつけられている。
「なんだ!?」
≪どうしました!? あっ……この反応、もしかして!≫
「会長?」
「危ない、伏せろ!」
シフトとアザレアの頭を思い切り下に押し込み、自分も倒れ込む。
元の顔の位置に向かって飛んできていた岩は、ダンジョンの壁を破壊し、クレーターを作った。
「ス」
短い音を連続的に発している、巨大な蛇髪女の魔物。
普通ならこんな低級ダンジョンに出現するはずのない上級魔物、メドゥーサが白い蛇付きの髪を振り乱していた。
「なんですか、これ!」
≪昨日、私たちが封じた魔物です!≫
「封じたって……」
「出てんじゃん!」
10階層は、この【フール】の第一チェックポイントだ。大きい円形ホールになっており、入口への帰還が行えるほか、イレギュラーな上級魔物を封印するための棺桶が備え付けられている。
しかし、奥を見る限り棺桶は無残に破壊されている。メドゥーサが破って、這い出して来たのか。
≪先生にも手伝ってもらった強力な封印を破るなんて、危険すぎます! 帰還魔法を使いますから、10秒ほど時間を稼いで……≫
「ス」
「うあぁ!?」
無数の蛇のうちの1本が、素早くアザレアの腰を捉える。
巻き付いて、そのままグルグル巻きにしてしまった。
「ス」
「まずい……! モンスターと接触してる状態では、帰還魔法は使えない!」
≪奴の弱点は本体よ、大量の蛇じゃなく女の体だけを狙ってください!≫
蛇が邪魔して、本体に近付けない。
オレは片手剣での攻撃しかできないし、これでは届かないだろう。
「シフト!」
「ああ、任せて!」
薬品の詰まったバッグから取り出されたフラスコには、ブランヴィル塩のラベル。
思い切り投擲、メドゥーサの本体に直撃。フラスコが割れて中身の塩が出てくると、バチバチッ、と火花が散るような音がして、メドゥーサの本体が燃えた。
「……ス」
「よし! 蛇の勢いが止まった、チャンスだ」
「おっけー!」
剣を振り回し、モーゼの如く蛇の海を突き進む。
アザレアを縛る蛇の目玉に剣を突き刺すと、その1本だけが灰になって消えた。解放されたアザレアの手を取り、一旦離脱する。
「ありがとう!」
「会長! とっととやれ!」
≪次元転移――≫
は、成らなかった。
蛇が、今度は大群でオレの体に襲い掛かり、きつく締めあげた。
「があぁっ!」
バキ、と、嫌な音がする。
……折れた。腹のあたりか、どこかの骨が。
≪田丸くんッ!≫
「サン!?」
「今度は私が助けるからっ」
アザレアは、魔力量がない故に1日に1度くらいしか使えない水魔法を発動するべく、サーフボードを構えた。
「やめろっ!」
≪魔法を使ったら試験失格で落第ですよ!?≫
「ここでサンを助けられないなら、冒険者なんか一生目指せないでしょうが!」
「援護するよ!」
アザレアの魔法準備を邪魔されないよう、蛇の群れの中に飛び込んできたシフトが薬品をまく。
サーフボードの周りから、高圧の水が発生した。
「【オオアメ!】」
高圧噴射する4つの水柱が、大量の蛇の頭部を貫いて消し去る。
サーフボードに乗ったアザレアが、水柱の1本に乗る。オレの方へ近付くことのできる、最短のコースだ。
「手を伸ばして、サン!」
悪寒。
アザレアの背後を取ったメドゥーサの本体が、赤黒い魔力球を作っていた。
「危ない、後ろ!」
しかし。
「う……あっ……」
警告は間に合わず、発射された魔力球に焼かれて、アザレアはサーフボードと共に落ちて行った。オレと同様に蛇にキャッチされるが、ぐったりしていて、意識はなさそうだ。
何もできない自分に歯噛みしながら、オレは蛇の縄から逃れようともがき、下を向く。
「シフト! 頼む、アザレアだけは!」
「うっ、あああっ……」
ダメだ、足がすくんでしまってる。
薬品を投げて、自分の身を守るので手一杯なんだ。
≪シフトさんだけでも、一度帰還してください!≫
「っ!?」
「てめぇ! オレはともかく、アザレア見殺しにする気か!」
≪放送部の生徒に先生を呼びに行かせました、じきに応援も来ます、だから……≫
「……スペースちゃんは」
≪えっ?≫
シフトのカバンが全開になり、宙に浮く。
少ない魔力を使って、カバンとその中身を操っているんだ。
小さいヒーローは、目を見開いた。
「スペースちゃんは、仲間を見捨てるなんてことしないんだぁぁぁっ!!」
魔法によって操られた大量の薬品が、オレを捕まえる蛇と本体、2手に分かれて飛んでいく。
まず本体にダメージを与え、末端の蛇が影響を受けて力を失う。そこに猛毒が直撃して、オレを縛っていた数十匹の蛇が消滅する。
「……魔力切れ、か。無理しすぎたね」
「シフト!?」
「あとは頼んだ……」
ゆっくりと地面に膝をつくシフトも、蛇は容赦なく攫っていった。
唐突な静寂が場を満たす。
地面に立つのは、手負いのオレ一人。
空中には、仲間2人を捕らえたメドゥーサ。
≪……勝てません、撤退を≫
「うるっせぇぇっ!! 黙ってろ!!」
ああそうさ、勝てるワケねぇ。
それならせめて、仲間と一緒に死んでやる。
メドゥーサは、オレが何もできないのを分かっているからか、手出しはせずに延々と吃音で笑っている。
咳き込んで血を吐き、オレは笑った。
「……なぁ覚えてるかよ、カトリー」
≪えっ?≫
「どうせ忘れてるだろうな」
最後だ。最後くらい素直に。
「子供の時だ。才能検査、一緒に行っただろ?」
≪……!≫
「お前が町を出て、ここに通い出す前。お前はオレの近所に住んでた。子供たちは8歳になると、ダンジョンの入り口に立たされて才能検査を受ける」
カトリーとは、毎日一緒に遊ぶ仲だった。
今みたいに嫌いじゃなかった。好きですらあったかもしれない。
「オレは、無才なんかじゃない。才能を奪われたんだ」
カトリーの家は、有力な冒険者を多く輩出してきた家系だった。
そして、カトリーの母親の才能は……。
「検査が終わって、お前が無才であることを知ると、お前の母親は怒り狂った。今でも覚えてるよ、『こんな貧乏人の子供に、才能は相応しくない』って言われたの」
≪そんな、じゃあ、この才能は……≫
「お前の母親の才能によって、俺の才能は奪われ、お前のものになった」
……そろそろヤケクソの準備をしないとな。
オレは、ユニバーのグローブをはめ直して、剣を握った。
「お前を恨むのは筋違いだろうけどさ。アカデミーでお前に追い付いて、幸せそうに生徒会長してるところ見たら、どうしても腹黒いモン隠せなかった」
≪……太陽≫
今さら思い出すのかよ。
「ごめんな。お前は頑張って、ユニバーみたいになれよ」
≪私が憧れているのは、英雄です≫
「……」
≪ユニバーでもコスモでもスペースでも。誰かのために戦う英雄が好きなんです≫
オレは、剣を下ろした。
≪その指ぬきグローブ、ユニバーの物よね?≫
「……」
オレは、地面に剣を突き刺した。
オレは、胸に手を当てた。
≪今さら厚かましいし、こんな時に何言ってんのって思うけど。
君が、私たちが憧れたユニバーは、こんな時に諦める人?≫
「……」
ユニバーは諦めない。
オレは……。
≪あなたから奪った才能は強力です。でも、私はそれ以上に自分の努力を信じてるし、自分の理想を信じてる!≫
≪あの日2人で真似した大英雄を、理想を、真似し続けてる!≫
「ああ」
オレは、目を見開いた。
≪だから……≫
オレは、口を開いた。息を吸った。
≪諦めないで! 理想を信じて!≫
――理想を真似し続けるのです。いつか理想を越えた自分になれますから!
「分かりました」
オレは、今この瞬間だけは、ユニバーでありたい。
憧れだけじゃない。
みんなを守れる、英雄になりたい。
「来てください……奇跡を起こしてください……!」
胸に当てた手が、優しい光を放った。
「ヘスペラスカラー!!」
視界が、白い光に覆われる。
まるで最初からそこにいたかのように。或いは、いまこの瞬間に生まれ落ちたかのように。白い光が収束して、学者帽を被った機械仕掛けの天使が、姿を現す。
出現しただけで、光を浴びただけで、何十匹かの蛇が死んだ。
≪太陽……!≫
「……やった……」
大英雄ユニバーの天使・ヘスペラスカラーは、オレの召喚に応じてくれた。
喜んでばかりいられない。倒れた仲間を縛り付けるメドゥーサを消し去ってしまわないことには。
「お願いします! 仲間を守って、魔物を倒してください!」
こくり、と頷いたように見えた。
「ス!」
焦ったように、メドゥーサは生存している全ての蛇をこちらに向けてきた。
その中にはもちろん、アザレアとシフトを捕らえた蛇もいる。オレは青ざめたけれど、ヘスペラスカラーは不動のまま、光を放つのみ。
光は、邪悪な蛇には毒となって、最後の蛇まで全てを灰に変えた。
光は、オレの仲間には薬となって、蛇から解放された体を優しく包んだ。
≪すごい……!≫
「行けぇぇぇぇぇぇっ!!」
機械の脚で跳躍した天使は、全ての蛇を失ったメドゥーサの成れの果てを両腕で掴んで、そのまま投げ落とした。
オレまで吹き飛んでしまいそうな衝撃。
「ス」
地面に叩き付けられ、痙攣するメドゥーサを上から見下ろし、ヘスペラスカラーは腕を振り下ろす。すると突如、天使の背後に出現した幾千もの光の矢が、メドゥーサに向かって一斉に降り注ぐ。
頭を、腹を、首を、足を。
貫かれていない場所がないというほどに、メドゥーサの体に全ての矢が命中して、視界を白い光で染め上げる。
あまりの眩しさに目を瞑って、また開いた時には、メドゥーサもヘスペラスカラーも最初からいなかったかのように消え失せてしまっていた。
「…………」
≪目標、消滅……やったぁ!≫
カトリーの嬉しそうな声が聞こえて、オレはキレた。
「あっ」
いや、ブチギレたとかそういうことではなく。
≪たいよ……田丸さん?≫
頭の中で何かが切れて、全身の力が抜ける。
そのまま、ダンジョンの床に倒れ伏せた。
≪だ、大丈夫!?≫
「……たぶんもうちょいで意識無くなるから、帰還魔法……頼みます」
≪は、はい!≫
……やることは、やった。
つーか、生まれて初めて、やるべきことをやれた気がする。
満足感が胸を満たすのを感じながら、暗くなっていく視界に、オレはユニバーの笑顔を見た気がした。
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