13章

 それから、衣空はほとんど部室に来なくなった。来ても、部室にあるCDを難しい顔で見比べて、何枚か置いていっては、何枚か持ちかえり、すぐにいなくなってしまう。なにをしているのかはよくわからない。一度だけ、彼女の持つ〈紙背〉をクラックして――もう罪悪感なんてものはなかった――GPS情報を閲覧すると、どうやら、物理市P. M.にいるらしくて、CDでも買っているんだろうか、と思うと、少しは気が楽になった。もうぼくを必要としないなら、それはそれでいい。

 そう思っていたある日、衣空から突然メールで誘われて、また物理市P. M.に行くことになった。その文面の、あまりに以前と変わらない文体に、ぼくはどう捉えたらいいのかとまどってしまう。

 物理市P. M.で会った衣空は、いかにも楽しげにぼくの手を引いて、この前行かなかった方のCDショップにぼくを連れて行き、ゲームセンターという場所でプリクラを撮ろうと言い出した。あまりに屈託のないその様子に不審感は持ったものの、衣空なりに、なにかを取り戻そうとしているのかもしれない。そう思い込むことにした。

 なんでも中古のCDやらなんやらのアンティークなものにはまる若い女子(レトロガールとかなんとかいう名前がついていて、ちょっとした流行だったことを初めて知った)の間で、プリクラというものを撮るのが流行っているという。

 そのゲームセンター、は実にくたびれた内装で、一階部分にはそのプリクラ機というものが立ち並んでいる。じつは、昔からあるとかではなくて、最近になってからこういったレトロブームを受けて、わざと古びた建物を新築したらしい。そんな無駄が許されるのも、ある意味物理市P. M.だからと言えた。

「なんで、ゲームをするのにわざわざ出かけなきゃいけないんだ?」

「昔は、家にはゲーム機がなかったり、貧相だったりして、こういうところに行ってゲームをするのがふつうだったんですよ。家庭にゲーム機が普及するようになってからも、一種のコミュニケーションの場として機能し続けたんです」

 それで、コミュニケーション機能の最たるものがこのプリクラ機です。そういって衣空は小さな機械の中に入って行った。「……なにぼーっとしてるんですか。先輩も入るんですよ」

 え? そういうものなの?

「ほら、こうやって、写真を撮るんです」

「……それ、〈紙背〉じゃダメなの?」

 わかってないですね~と言いながら、慣れた手つきでパネルを操作していく。画面にはごちゃごちゃとフレームが追加され、コスチュームらしきものまで映っている。「ほら、ここの部分に顔がくるようにして。もっと近く来てくださいよフレームに入んないでしょ」

 なんだか馬鹿にされているような気になってきた。まるで、ぼくが時代遅れみたいじゃないか。ぱしゃり、音がすると同時にフラッシュがたかれる。

「そしたら、ほら、いま撮った写真に文字とかを書き込めるんです」

 備え付けのペンで、画面に直接文字を書き込んでいく。

――I am a Skala, I am an Isola.

「……不定冠詞はいらないんじゃないの?」

 そういうと、衣空は目をしかめて、「先輩、自動翻訳機は切って、って言ったでしょ」と苦言を呈した。どういう意味だろうか。このとき、もっと注意していればよかったのかもしれない。

 機械から吐き出された写真は、お世辞にもサブカルチャー的としか言いようがなかった。不適当なまでに小さい画面の内に、フレームと、ぼくらの顔と、その上に手書きで書かれた英字。ごちゃごちゃとした色使い。昔の女子高生は、グループの結束の維持にこの写真を使っていたという。

「先輩、デカ目にするとかわいいですね」

「いや……なんか、整形とかそういうレベルじゃないと思うんだけど……」

 さっきからぼくがどう文句を言っても、衣空はそういうもんなんですって、とぼやかすばかりだった。

 そのあと、疲れたからといって休みたがるぼくを無理やりカラオケルームの一室に押し込んだ衣空のオンステージを聴かされる。強いて元気に振る舞おうとしているんだろうか。ぼくに心配をかけまいとして。衣空の性格からすれば、ありそうなこととは言えた。でも、気持ちよさそうに歌う衣空の表情からは、そういった重たさは感じられなかった。

――Sail on silver girl,

  Sail on by.

 ぼくにほとんどマイクを渡すことなく、古臭い洋楽をひたすら歌い倒した衣空は、最後に「明日に架ける橋」を歌い終わると、そろそろ時間ですね、といってソファにどさっ、と座り込む。

「……はあ、なんか、もう未練はないですね」

「縁起でもないこと言わないでよ」

 いやほんとに、と衣空はほとんど手を付けていなかったドリンクをストローで吸いながら話す。

「気が楽になったからですかね、ひさびさに難しいこと考えないで遊べた気がします。付き合わせちゃった先輩には申し訳ないですけど」

「いや、ぼくも楽しかった、よ。正直、家でゲームして、AI組む以外の娯楽はなかったから」

「そう、ですか? ならよかったです。……いま、すごい悩んでることがあって。でも、なんだか踏ん切りがついた気がします」

 ずぞぞっ、と薄められたコークを吸い上げた衣空は、上着を羽織る。部屋の備え付けの電話からの着信に出て、退出する旨を伝える。

「……帰りましょうか」

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