12章
しばらく仮病で学校を休んだ。ぼくのやったことが効果を発揮したのか、確認しに行くだけの気力はもう残っていなかった。
人間としての佐伯衣空を殺したも同然だったからだ。
生きているだけで恥だった。あんな方法しか取れなかったのか。あんな方法なら、取らないほうがましだったんじゃないのか。一時の激情で、取り返しの付かないことをしたのではないか。もし、ロボット認定を下された衣空が、今まで以上に苛烈ないじめを受けていたらどうする? 思いついたときは成功率が高そうに思えた計画も、今では深慮の欠けた、机上の空論にしか見えなかった。
布団にくるまってひたすらなにもしないで、ぐるぐると輪を描き続ける思考から逃れられないでいると、〈紙背〉が、久しぶりに着信の光を灯した。反射的に手を伸ばしてから、実際の内容を確認するまでに一分はかかったような気がした。
……衣空ではなかった。当たり前のことだが、哀しみともあきらめともつかなくて、手をパジャマのズボンの裾で拭く。それは、教育指導科からのメールだった。
息が詰まりそうになりながら内容を確認すると、例のラジオ投稿が、ぼくの手によるものだったことが、放送部が口を割ったことで明らかになったらしい。そのため、いま校内を席巻しているうわさについて、責任があろうということで呼び出されている。どうやら、掲示板の件についてはまだぼくの仕業だとは分かっていないらしい。
そうだ。掲示板。数日開いていなかったそれを見ると、なんと、スレッドは削除されていた。エラーメッセージを見るに、申し立てにより削除、ということは、学校側が運営サーバのほうに連絡して消させたらしい。と、いうことは、誰もが、このことを学校側も知った、ということを認識したに違いない。わずかな希望が芽生えてきた。
のろのろと服を着替えて時計を確認すると、朝の十時だった。いまから出頭すればいいんだろうか。
うつろな足取りでモノレールを乗り継いで、学校まで到達したとき、自分が鞄すら持っていないことに気付いた。もうそれはどうでもいい。数日登校しなかっただけで、なんだか校門をくぐるという行為が、抵抗を持って感じられるようになった。
校門を入ったぼくが最初に目にしたのは、信じられないことに、衣空の姿だった。あんぐりと口を開けて眺めてしまう。まるで、待ち構えていたかのような。
「……先輩。おひさしぶりです。まさか、引っ掛かるとは思いませんでした。あれ、生徒指導じゃなくて、わたしが送ったメールですよ。ちょっとした名義の偽造とかはしましたけど」
まさか、そんな。反射的に〈紙背〉を取り出して、いま衣空が言ったことを確認する。……ほんとだ。大したテクニックではない。誰でも検索すればすぐにできるようなレベルのことだ。だが、まさか、ロボットやコンピュータのことについてあれだけ詳しくなかった衣空が、そんなことをするとは思っていなかった。
「ぼくとはもう会わないんじゃなかったの」
からからに乾いた口の中から、ねばついた言葉をひねり出す。校舎に向かって歩き出す衣空のあとについて歩く。
「あは、もうわたしといても先輩に迷惑はかからないですから。……ありがとうございます。先輩。なんとか、なっちゃいました」
ぼうっ、と一瞬連続した思考の流れが途切れた。「なんとかなったっ……て」
「うん、だから、もう水鉄砲で追い回されたり、授業中にものを投げつけられたり、スカートのまま逆立ちさせられたり、授業中に先生にあてられて立っただけで教室中が爆笑の渦に包まれたり、しなくなりました。……先輩のおかげです」
嘘じゃないだろうか。最初に思ったのは、怪訝な考えだった。そんなに、うまくいくはずがない。
「よかったじゃん、でも、どうして?」
「とぼけなくてもいいんですよ。先輩、わたしに部室の鍵をくれたでしょう? 部室のコンピュータをいじったら、守柄先輩がなにをしてくれたのかは、すぐわかりました」
あぁ……だから、発信者偽造なんていう発想に至ったのか。
ほかの教室は授業中で、誰もいない廊下をぼくと衣空はひたすら歩いている。そういえば、なんで衣空は授業をさぼってるんだ?
「ね、こういうときって、そっと抱きしめて頭なでてくれるもんなんじゃないですか」
くすくす笑いながら衣空は言う。「ばかじゃないの」「いやですか?」「……べ、べつに、いやってわけじゃ」
衣空は振り向いて、ぼくの腕の中にするっと忍び込んできた。腰に手が回されて、ぼくの顔の下にちょうどつむじが見えた。そうするつもりじゃなかったのに、鼻を鳴らしてしまって、気まずくなる。体が触れた部分が熱くなる。
頭に手を乗せた。わずかな身じろぎで衣空がどうしてほしいのかが伝わってきて、ゆっくりと、かきまぜるように髪に手を差し入れる。
「ね、あったかいでしょ? ちゃんと。頭に機械とか入ってないでしょ? ……わたし、ちゃんと、人間でしょ?」
手が凍りついた。ぼくと衣空の体のあいだに、すこし空白が生まれた。衣空の表情を、まともに見てしまった。
「……先輩、大成功ですよ。みんな、わたしのことレナだと信じ込んでくれたんですかね。いじめがすっかりなくなった代わりに、全員がわたしのことを、腫物でも扱うみたいになってくれました」
ぼくが逃げるように浮かせた体に、ぎゅうとおしつけるようにして衣空が引っ付いてくる。シャツに押し付けられた彼女の口から、声が、ぼくの胴体から頭までを突き抜けて響く。
「最高でしたよ。先輩。いじめられるより、無視されて、遠巻きに気持ち悪い目で眺められる方が気が楽ですよ。わたしがごはん食べてるだけで、みんな不思議そうに見てくるんですもんね。あいつ、ロボットのくせにごはん食べるのか? ロボットのくせにトイレ行くのか? 人間の振りをするためにそんなことしてるんじゃないのか? いつかボロを出すんじゃないか? ってね」
誰だって、ロボットが人間と同じように、〝生きる〟ために食事もすれば、排泄もすることくらい知ってるだろう。それでも、一度ロボットだと思ったものが、人間らしいふるまいをするたびに、引っ掛かるような気分になるのは、当然のことのように思えた。
「ねえ、わたし、ほんとはロボットなんですか? 守柄先輩は詳しいからわかりますよね? どうなんですか? あんな風に扱われたら、わたし、なんだか自分がロボットのような気がしてきました」
……政府が躍起になってまでロボットの身分開示についての禁則、罰則を強化した理由は、これなのだ。
「ロボットって、感情はないんですよね? 感情があるように振る舞えるだけなんですよね? じゃあ、わたしが今こんなに苦しいってことは、わたしが人間だからなんですか? ……それとも、このセリフも、そういうプログラムが言わせてるってことなんですか?」
「い、衣空が……ロボットかどうかはわからない。ぼくは、実際のところ、AI工学についちゃ落ちこぼれなんだ。まったくわからない。……でも、どっちだっていい。衣空がもし仮に、ロボットだとして、それをぼくが知っていたとして、……同じことをしたと思う」
考えうる限り最低の、でも正直な返答だった。「ごめん。でも、あれしか思いつかなかったんだ。そんな風になるなんて……思ってもなかった。言い訳にならないのは、わかってるけど」
「怒ってなんかないですよ。許す、許さないの話でもないです。感謝こそすれ、先輩に文句を言える筋合もなければ、理由もないです」
鵜呑みになんかできなかった。ぼくは、必死で、衣空を、この世界につなぎとめておかなくちゃいけなかった。このままだと、どこかに行ってしまうような気がした。
「そうです、よね。ロボットは、CDを聴いて喜んだりしませんよね。わたしは人間、人間なんですから」
それも誤解なのだ。ロボットを、そういう表層的な手段で見抜く方法は、何ひとつない。「そうだ、先輩、結婚してくださいよ。責任取ってください。……それに、そうしたら、人間かどうか簡単にわかるじゃないですか」
「なに言ってるの……年齢が足りてないから。無理だよ」
「そう、でしたね」
「……ねえ、やっぱり、逃げ出そう。転校しようよ。ぼくもついていくから。誰も衣空のことを知らない街で、やり直そう」
大それたことを、実現の見込みもないことを言っている自覚はあった。
「うれしいんですけどね、先輩。そういうんじゃないんです。――この学校に居たくないんじゃないんですよ」
この世界に、居たくないんですよ。そう言わせるのが悲しくて、衣空を引き寄せて、ぼくのシャツに押し付けて、その口を塞いだ。
「あの、もう大丈夫です。教室を出ても、先生も含めて、誰も文句を言いませんでしたけど、そろそろトイレに行っていたとも言い難くなってきたので、教室に戻りますから」
衣空はぼくからゆっくりと体を離す。両手で口角を上げて、しっかりと笑顔を作ると、ぼくに手を振ってかけていく。
「……もしわたしがほんとうにロボットだったなら、先輩の好きなように書き換えてくれて構いませんよ」
言い残した衣空の声を頭に反響させながら、ぼくはぐしゃぐしゃに湿ったシャツを見下ろしていた。
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