11章
猶予はなかった。衣空を、この小さな地獄から保護しなくてはならなかった。
いじめはもともと、必要悪ですらないのだ。自尊心とアイデンティティの正のフィードバックが確立されていない子どもを多く集めて、そこでコミュニティを作るとしたら、誰もが思いつくバッドノウハウだった。
都合よくなにも起こらなかったことになんてできないからには、状況は改善こそすれ、完治はしない。衣空は一生傷跡を抱えて生きる。じゃあ、なにをすればいいんだ。
一瞬、ぼくが一年B組の教室に乗り込んで怒鳴って説教して、ついでに一発ぶん殴るところを想像してしまった。渇いた笑いしかでてこない。じゃあ、衣空を休学させる? 転校させる? それとも、教員に密告する? いっそのこと、かれらを退学させるような手段でもないだろうか。
あるわけがない。役に立たない。首を振って、これから自分のすることのばかげた、大それた危うさを振り払う。
けっきょく、ぼくにできることはこれしかないんだろう。〈紙背〉を開いた。
佐伯衣空を殺す。
かれらが衣空に牙を立てるのは、それが闘争本能と結びついているからだ。ならば、衣空を殺してしまえ。犬に、お前が噛んでいるのはおもちゃの人形だと教え込むようなものだ。いかに自分たちの行動が代替的で、本道を外れているか認識させてやろう。
放送部のメールフォームに投稿を入れる。どうせ元からラジオコーナーに寄せられるお便りの少なさに、自分のところでねつ造を始めるような部活だ。この投稿が読み上げられないということはないだろう。
翌日の昼の校内放送には、ぼくが考えた堂々たるデマが読み上げられた。
「さて、次のお便りは匿名希望さんからの――匿名希望だなんて、ずいぶんベタなラジオネームだね。投稿で……」
愚かしい放送部員の声で、ぼくが練り上げた嘘が述べられる。
「……学校にもロボット教員が何人かいることはみなさんご承知の通りでしょうが、じつは生徒にもロボットが混じっているんです。おやおやあ、これは……とんでもない投稿だ! さて、続きを読もうか……。これは労働省の補助労働力庁からの情報のリークなんですが、いま現在試験的に、生徒の中に、ロボットが送り込まれているらしいんです。かれらは、まとまりのないクラスをみればクラス委員長に立候補し、ピアノを演奏できる子がいなければ合唱コンクールではピアノを弾き、いじめが起こりそうなクラスならば自らがすすんでその標的になる――」
白々しく驚いたように、ふたり目の放送部員が合いの手を入れる。「え、うそだ、ロボットは基本的に労働者ばっかりで、子どものロボットはほとんどいないって聞いたことありますよ」
「だから試験的なんじゃないですか?」
「これ、どれくらいほんとうなんだろうねぇ。でも、ほんとうにロボットって区別つかないからね。これは、噂話だけど、畑野先生がなんども結婚に失敗するのはプロポーズする相手がことごとくアンディーだったからだとか」
「それって、アンディーを結婚相手に選んじゃうんじゃなくて、畑野先生がレナだからじゃ……」
ここで放送部員は口をつぐむ。誰か特定の人物をロボット扱いすることはどんな侮辱よりも白眼視される。
もうこのあとの放送は聞かなかった。いまからの、詰めが大事なのだ。
〈紙背〉を開いてうちの学校の掲示板にアクセスする。先ほどの放送で蒔いた種を育てなければならない。
衣空が、標的だという噂を作らなければならない。
果たしてこんなことでうまくいくのだろうか。ぼくがやってるのは、ただの人権侵害なんじゃなかろうか。
それでも、アクセス元を何度も偽装しながら、掲示板に書き込みを続けていく。今の放送を聞いて、みんな自分の端末からアクセスしているのだろう。平日の昼間だというのにスレッドはにぎわっていた。
衣空が、仙台から転校してきたこと。そのため、中学のころからの友だちがいないこと。それは、ロボットだからだ。ある種不可解でもあった、いじめの発端となった鞄の事件。衣空がわざと鞄をひっかけたのではないか、とスレッドの流れを誘導するのは簡単だった。抵抗しないはずの標的ロボットが、服を脱がされそうになって抵抗したのは、金属部分が露出するのを怖れたからではないのか? ロボットを全裸に剥いても金属なんて出てこない。ぼくは知っていても、ふつうのひとはそんなことに興味もないし、知識もないのだ。
ロボットとの結婚には面倒が伴う、そう言った。人間とロボットの結婚なら、子どもは代理出産などの方法になると言った。
ここに、都市伝説の入り込む隙があった。ロボットとロボット同士の結婚だと、子どもは、どうやって作る? そう、ロボットとロボットの夫婦には、ロボットの子どもが与えられる。両親には、試験官ベイビーだと偽って。衣空は、そうやって、自らがロボット同士だと気付いていないロボット夫婦の家庭に、はじめから、成長させて、いじめのターゲットになるために送り込まれたのだ。そんな、悪臭の漂うストーリーだった。
そんなことがあるわけないだろう。でも、この〝おもしろい〟話を、高校生たちは受け入れた。
ぼくの、身元を偽装したIDが並ぶスレッドは、まともな頭の持ち主なら、もはや一年B組の生徒総数よりも参加している人数の方が多いことに気付くはずだった。だが、みんな、下らない議論に熱中している。議論、議論だって。引き攣った笑みが浮かぶ。なにが議論だ。同じ方向を向いておしゃべりができれば何でもいいんだろう?
だが、好都合だ。もっと、ほんとうか嘘かわからないくらいになれ。この嘘を信じ込んでもらうことが重要なんじゃない。もっと意図は別のところにある。
今はまだ、衣空がほんとうにロボットなのかどうか、という話題で盛り上がっているかれらだが、すぐに悟るだろう。
はたして、衣空がロボットだったとしたら、彼女をいじめることは、彼女の思いどおりなのではないか?
スケープゴートを欲しがってるみたいだから、お望み通り与えてあげましたよ。そう言われているのに、それでも迫害をすることに興味を持てる人間がいるだろうか? もし、衣空がロボットでないと思っていたとして、自分がスケープゴートを欲していたことに気付いた上で、それでも衣空をいじめることができるだろうか?
これまで、かれらはなぜ衣空をいじめるのか、と訊かれたら、自信満々に答えたいただろう。あの子が悪いのよ、と。でもそれも大嘘であることがわかったはずだ。相手がロボットであるかどうかも見抜けずにいじめるということは、相手の人間性なんかまったく気にしていないのと同じことだから。
こんなやり方がうまくいくのかどうかわからなかった。うまくいかないなら、それはそれでいい気がした。ただ、疲れていた。
午後の授業をさぼって、何時間も掲示板に張り付いて印象操作と誘導を続ける。いつ疑われて、これが衣空を擁護する立場の行動だとバレやしないか、いつぼくよりも優秀なコンピュータギークがこの偽装に気付くか。ひょっとしたら、警察がこのスレッドの存在に気付いて、あまりにあからさまなロボット呼ばわりに、指導を加えるかもしれない。ここまで意識的にやらかしたことだし、ひょっとしたら、逮捕まで行くかもしれない。おびえながら、これまで意識して使ったことのないような汚い言葉をつづっていく。
しかし、ふたつ目の目的は、騒ぎをできるだけ大きくして、教員の目に留めることだった。放送部員がさっき、畑野先生のことを話題にしてくれたのは助かった。実は、投稿メールのうちに畑野先生のことも書き入れておいたのだ。それに引っ掛かってくれたのかはわからないが、教員のうち一人がロボットであると疑われたとあれば、座視するわけはないだろう。この悪質なデマについて調べ、もしかしたらこのスレッドの存在にたどり着くかもしれない。教員に救ってほしいと思ったわけではない。そんな期待はしていない。だが、教員がこのスレッドの存在に、ひいては衣空に対するいじめの存在に気付いたそぶりを見せれば、それを使って、いじめグループの行動を抑えることができるだろう。
掲示板には、どうやらもう、一年B組の生徒以外の書き込みの方が多いようだった。ロボットと人間の関係について、やはりみんな興味があったのだ。
ロボットに対して、差別が存在するわけではない。繰り返しになるが、決してそのような事実はない。それでも、好奇心をあまりに惹くそのテーマは、今まで無意識のうちに避けられていたぶん、一度加熱すると止まらない。
もういいだろう。ぼくのやることは終わった。放課後になるとすぐに、ぼくは家に帰り、泥のように眠り込んだ。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます