5章

 ほとんど毎日部室に来る衣空だったけど、見事にぼくの作業の役には立たなかった。まずロボットの知識が全くなかった。しょうがないことかもしれなかった。なんといっても、あまりに生活に身近すぎるテクノロジーについて知ろうという人間はなかなかいないのだ。

 タンパク質の素片が自己増殖して勝手に容れ物を作る現代のロボットは、少なくとも見た目の上で人間と区別をつけることができない。肉体的な面でいえば、たとえば異常に体が丈夫で、病気にかからない、生化学的な毒薬や薬の類が一切効かないことなどがある。たとえ服用したとしても、それが命に関わるようなものであれば、ただちに全機能がフェイルセーフのためシャットダウンされるだけ。解剖してみれば、いまだに置き換えられない……脳の大部分だったり、呼吸器系、神経系の一部だったりは、機械が使われているのがわかるだろうが、なんにせよ、外見からは判別することは不可能だ。

 古い時代の未来小説……矛盾してるような表現だけど。当時はSFと言ったらしいが、それを読むと、ロボットに人権を認めるか、といった問題や、ロボットが人間に反旗を翻したら、というようなテーマが何度も何度も繰り返し現れていて、驚いたことがある。現実に、そんな擦れ違いはほとんど起こらなかったからだ。

 どうしてなのだろう、と考えるし、そういったテーマの社会学論文も数多くあるらしい。でも、問題にならなかったことを問題にするのは、学問上の手続きとしてやはり無理があったらしい。でも、あてずっぽうで述べるなら、あるヒューマノイドを、ロボットである、と明らかにするのにあり得ないほど面倒な手続きを課したからかもしれない。

 ロボットは自分がロボットであることを知らされず生まれてくる。過去を持たないことにすら疑問を持たないようにプログラミングされているかれらがロボットであることは、たとえば雇い主だとか、ロボットを使役する人間しか知らない。そして、その雇用者も、生半可な理由ではかれがロボットであることをまわりに吹聴してはならない。

 ロボットと人間は見た目で区別がつかない。その上、ロボットに感情があるかどうか、という、あのよくある議論であるが、この点についても、少なくとも哲学的ゾンビを名乗れるくらいには、ロボットには感情があるように〝見えた〟。中国語の部屋、というたとえ話がある。ある部屋の中に中国語のまったくわからない英国人の青年がいて、部屋の外からはしきりに中国語のメッセージがとどく。しかし、部屋の中には膨大な、しかし適切なマニュアルがあって、それを参照すればその英国人は〝回答〟を返すことができ、部屋の外にいる中国人は、この部屋の中の人間は中国語の出来る人間だ、と考える、という話だ。

 さて、この件で中国人と英国人はコミュニケーションが取れている、と言えるのだろうか? というのが取りざたされる問題であった。簡単な話である。この中国人と英国人のあいだにコミュニケーションはなりたっていないが、中国人と中国語の部屋のあいだにはコミュニケーションが成立している。以上。

 つまり、コミュニケーションの上でも人間と区別することはできなかった、という話だ。ただ、AI産業に長くいると、あぁ、こいつは人工知能だな、というような反応のくせを見抜けるようになるらしい。ぼくも、その境地に達してみたくてこんな部活をやっている。といっても、数年の勉強程度では、やっぱりまったく分からないのだが。

 もとはといえば、少子化の進みすぎた日本で労働力を支えるために生み出されたのがロボットであったから、気軽に無機物めいた、いかにもロボットと識別しやすい見た目の、コミュニケーション能力の、低レベルなロボットを社会に導入するわけにはいかなかった。なにより、反ロボット的な感情は――心理学用語をばらまいて説明したりはしないが――当然予測されたことで、それを回避するためには最初から人間と区別のつかないものを投入するしかなかったから。

 だから、昔にはロボットと人間の恋愛なんて考えられない話だったけれども、いまの人間にはあたり前になっている。そして……人間とロボットを区別するほとんど唯一の方法がそれだ。

 なぜかと言えば。人間とロボットは生殖できないから。セックスはできても、子どもは出来ない。人間とロボットが恋愛をして、市役所に婚姻届を持って行ったとき、どちらかが……もしくは両方がロボットであった場合、かれらははじめて自分たちのうちにロボットがいたことを知る。しかし、これも、ふたりの内のどちらかがロボットでしたよ、と通知されるだけで、自分がロボットなのかどうかを知ることはできない(もちろん、離婚歴のある人間と結婚しようとして断られれば、自分がロボットである、というのはわかるのだが)。

 ここで、ロボット相手でも構わなければそのまま結婚しても構わない。子どもを作れないのはたしかに最初のうちは問題となったが、じきにバイオ技術がロボット技術に追いついて、代理出産なり試験官ベイビーなりなんなりで子どもを迎えることは可能になったから、ロボットと社会的共生をする、という実績がすでにある人間社会は今さら強い拒否感もなくこれを受け入れた。もしこれが日本でなければ、バチカンのせいで話はうまくいかなかっただろうが、神をも恐れぬ日本の企業コングロマリットが既成事実を作ったおかげで、このやり方は徐々にアジアに広まっていった。

「で、先輩が作ってる追加パッチってのは?」

「より人間らしく、効率よくロボットが動作するように、プログラムするの」

 もちろん、ロボットも、あらかじめ記述された動作原理……人間で言う性格みたいなものだけでなくて、強化学習などのさまざまな方法を取ってるわけだが、じつは、出来上がった性格そのものを配布してインストールすることは許されていない、し、できない。ので、ぼくたちプログラマは、問題解決の効率的なアルゴリズムを開発したり、まぁそういったことをする。

「ふうん……。まぁそういうのはどうでもいいんですけど、ところでうちの学校ってロボット教師いるんですよね、誰が怪しいんですか?」

「話聞いてた? それがわかっちゃダメなんだって。……でも、どうだろう。やっぱりいるんじゃないの」

「体育の蘆川とかひとでなしっぽいし、もしかしたらロボットなんじゃ」「だから、ロボットは人間に比べて情感が劣るわけじゃないんだって」しかも、それ外で言ったら犯罪だよ。

 AI開発者は、人間が手さぐりで、無意識のうちに身につけるコミュニケーションのためのプロトコルを、ロボットに教え込むために自覚的に突き詰めて研究する。だからこそ、ロボットは人間未満、というような価値観を、一般に開発者たちは疎んじる。

 だが、どうしてもぬぐいきれない感情として、ロボットはおしなべて人間未満の人間性しかもたない、としか想像できない人は多い。人間より人間味の豊かなロボットなんていくらでもいるのに。でも、こういう感情があるからこそ、導入の最初から、ロボットの身分を民衆に、そしてロボットたち自身にすらあざむくやり方が取られたのかもしれない。政府発表によればいまや人口の二割を数えるというロボットと人間はともに暮らしながら、自分のことを人間だと思い込んでいる。

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