2章

――And a rock feels no pain

  and an island never cries

 困ったことに、当然家にはCDを再生できるような環境はなかった。自室で衣空に借りた『サウンド・オブ・サイレンス』を鞄から取り出すと同時にそのことに気付いたぼくは、持て余したそのディスクの穴に人差し指をはめてくるくると回してみた。

 倉庫にも音楽プレイヤーなんか残っていないだろう。といって衣空にプレイヤーを借りるというのもなんだかめんどくさく、というか、なんとなく気恥ずかしく。ネットで検索すると、二束三文のような値段で中古品が通販されていたので、それを注文する。

 よく商品キャプションを読まなかったせいか、三時間後に届いたプレイヤーには説明書が付属していなかった。ここ数年使っていなかった自室のコンセントのほこりを払って電源ケーブルを挿入し、苦労しながら初期設定を済ませ、これまた手間取りながらCDを再生する。

 衣空が使っていたイヤフォンはあれでも相当音質がよかったのかもしれない。ぼくが買った安いCDプレイヤーから出る音は、どの音がどの音だかわからないくらいごちゃごちゃしていた。

 最後の、十一曲目。「アイ・アム・ア・ロック」。衣空の言いつけに逆らって自動翻訳を付けながら聴いていたんだけど、直訳で意味のとれる素朴な、でも強がって孤独な歌詞と曲調が変にミスマッチで、そこが気に入ったのだ。

 なんども繰り返される“I am a rock, I am an Island.”というフレーズ。それを受けるように「そして岩は痛みを感じないし、島は絶対に泣かないから」とつぶやくように曲は締めくくられる。

 余韻に浸りながらプレイヤーの前から離れて、勢いよくベッドに倒れ伏すと、ちょうど衣空からのメールが入っているらしく、通知ゾーンが光っていた。なんとなく、衣空ならビデオ通話は使わないような気がしてたけど、その予想の通りだった。

〔今日はすいませんでした。そして、ありがとうございました。そういえば、プレイヤーをお貸ししていませんでしたね。必要なら持って行きます。〕

 面と向かって会話するよりは、丁寧な口調だった。返信しようとしてメーラーを立ち上げると、連続して衣空からメールが届いた。〔言い忘れてましたが、わたしのことが迷惑で、もう関わってほしくないなら、返信しないで無視してくれれば、もう二度と連絡はしません。〕

 思わず苦笑してしまった。衣空はおそらく、最大限ぼくの意思を尊重しようとして、こういう文言を書いたのだろう。「関わってくれるな」と直接言うことは難しくても、返信を送らないことで間接的にその気持ちを伝えるのならば、すこしでも罪悪感が軽いだろうと見込んで。

 でも、その結果、メールの返信を催促するみたいな文章になっちゃってることに気付いていない。必死だからなんだろうけど、だからこそのうかつさがちょっと微笑ましい。

 そして、十五歳の少女にそんな配慮をさせている状況が、すこし悲しくもあった。

〔気にしないで。CDプレイヤーは自分で買ったけど、安物買いの銭失いって感じだった。〕

〔ってことはもう聴いたんですか?〕

 ぜんぶ聴いたよ、と返すと、すぐに質問が返ってきた。

〔どの曲が一番嫌いでしたか?〕

 ちょっと考え込む。そして、ぼくはけっきょく、一番好きだった曲の名前を答えることにした。すこし間をおいて、衣空から返信が返ってきた。

〔気が合いますね。わたしも、アイ・アム・ア・ロックが一番嫌いなんです。〕

 どうやら、テストには合格したらしい。

 ほうっとため息をつく。

〔……あんまりしつこくても迷惑でしょうから、そろそろ寝ますね。おやすみなさい。あした、部室の鍵を閉めとかないでくださいね。〕

 寝ますね、とは言っているが、寝たら朝が来る。朝が来たら学校に行かなくちゃならない。たぶん、衣空はろくに眠れもしないんだろうな。そして、眠れない夜には、後ろ向きなことしか考えられない。

 そう考えただけで、ぼくが無邪気に睡眠することが、なにかの罪のように思えてきた。もちろん、ばかげている。他人の苦悩を勝手に私物化するなんて、おこがましい、ただのヒロイズムだ、自分の無力を直視していないだけだ、おためごかしだ、なんとでも言える。実際、それらの言葉は全く正しい。

 でも、だからといって、理屈をつけて、強がって、ぐーすか寝るのが正しいとはまったく思えなかった。

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