7章
〈紙背〉に表示された衣空の目がこちらを見つめている。
薄暗いホテルの部屋のような一室で、はだかの衣空が首輪を付けられ、複数の男に囲まれて、そのうちの一人にまたがっている。これ以上の描写は控えさせてほしい。吐き気を催すような不快感だけがあった。
カッと頭に血が上って、反対に手足はすーっと冷えていく。怒りとも困惑ともちがう、どちらかといえば不安と言うべき落ち着かなさ。
言葉が口から出る寸前で干からびる。瞬きをしようとしたら、そのまま目を開けられなくなった。
「じろじろ見ないでくださいよ、安心してください。この写真の子はわたしじゃないですから」
衣空はそう言って端末をぼくの目の前から下ろすと、コーヒーをすすった。「え?」
「そっくりさんってこと? ……じゃないよね、ってことはコラージュか」
すぐに察しはついた。ぼくはすこし冷静さを取り戻した。
「さすがですね。そうです、わたしもこんなひどいことはされたおぼえがないですし」
彼女は〈紙背〉をまたのぞきこんで、今度は匿名掲示板の画面を表示した。「このとおりです。あの人たち、今度はこういう方向で来るとは思ってませんでした」
うちの学校の話題について立てられたスレッドに、例の画像を伴った投稿があった。おそらく、というか確実に、衣空をいじめているグループの人間が投稿したのだろう。
「信じられない……だってこれ、衣空の名前まで出てるじゃん」
――一年B組の佐伯衣空ちゃん、学校ではぱっとしない彼女の放課後のひそやかなアソビ
――え? これほんとにうちのクラスにいるんだけど
それらの投稿の日付はおととい。と、いうことは、
「……衣空、昨日学校行ったの?」
この投稿を見た人間もクラスにはいたはずだ。むしろ、そのいじめている側が率先してみんなにその掲示板の画面を見せ、笑いあっていたのだろう。
「行きましたよ」
衣空の語尾が震えている。「ご、ご親切にもホワイトボードにQRコードが書いてあって、その下に『衣空ちゃん必見』って書いてあるんです。無視して消すとそれはそれで、文句を言われるから、そのコードを読み取ったら、こ、この投稿へのリンクになってたんです」
朝、教室に入って、黒板に自分の名前が書かれていることの恐怖は、想像するだけでも首筋がちりちりするような焦燥を思い起こさせた。まるで罠をしかけた猟師のように、反応をうかがっているクラスメート。指示通りにコードを読み取っても、躍起になって消そうとしても、両方笑われる。かといって、強がって無視して残しておけば、ホームルームで教室に入ってきた教師にそれを見られてしまう。
衣空はそのときのことを思い出したのか、うつむいて肩を震わせている。やっぱり、泣くのだろうか。目の前で昂ぶる感情と比較して急によそよそしい感情が溢れてきた。
「あ、明日からどんな顔して学校行けばいいんですか? きょうだって一日中、散々ひどいこと言われたんですよ、顔も知らない人に!」
じゃあ、行かなければいいよ。そう言ってあげるのは簡単だったけど。なんでわたしがあんなやつらのために学校に行くのを諦めなきゃいけないの? あいつらが学校やめればいいんじゃん。大体、親にはどうやって説明するの? ほうっておいてほしいだけなのになんでわたしがなにかをしないといけないの? 理不尽とかそういう簡単な言葉でまとめられないような痛みを伴った倦怠感は、たぶんどんな言葉をかけられても腹立たしいだけだ。
こうやって勝手にこころの中を想像するのが一番無礼だということもまたわかるんだけど。
不思議に思ってしまう。なんで、目の前のこの無力そうな女の子が苦しんでいるのか、そしてなんでぼくは無傷のまま取り残されているのか。
痛みを分け合おうとするのすらおこがましいような、やっぱり倦怠感としか言いようがないほどに気詰まりで、喉が締め付けられて、なにも知らなかったころに帰りたくなって、衣空に対する怒りだけがこころの隅に確かに根を下ろす重さを感じる。
黙り込んでしまった衣空の肩に手をかけようとする。しかし、ちょっと予想もかけない強さでその手は振り払われた。
「……泣く、とでも思いましたか。残念なことに、わたしはけして泣かないんです」
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