1章
ぼくと衣空が出会ったのは一か月と半分くらい前のことになる。
AI研の部室でぼくが次のコンペに出すはずのパッチを作って……いなければいけないところを、なんとなくやる気にならず、こっそり持ち込んだスナックを食べていたところ、唐突にその子はドアを開けて入ってきた。
肩で息をするその女の子は、どうやら思わぬ先客だったらしいぼくを驚いたように一瞥すると、それでも謝るより先にドアを閉めて、自分の
「すいません、怪しいものじゃないんです」
「怪しいかどうかはぼくが決めることだよね」
ユーモアのつもりで言ったんだけど、どうやら本当に切羽詰っている様子のその子はぼくのこの言葉にすら怯えて、それを感じたぼくは慌てて顔の前で両手を振る。「いや、その。だから、きみはそんなに怪しそうな人間には見えないってこと。産業スパイとも思えないし」
スパイされるようなソフトウェアは作っていないっていうのが耳に痛いが。
「えと、その」とかなんとか口ごもりながら、ドア上部の擦りガラスから廊下の様子をうかがっている。廊下からは、思春期の女の子特有の甲高い声が近づいてくるのが聞こえた。
外から見えないようにそっと屈む彼女。
「もしかして、追われてるの?」もしかしてもなにもない。
やっかいだとかそういうのはあんまり思わなくて、むしろ、突然イレギュラーなことが起こって、ちょっと興奮していたのかもしれない。今になって思えば、どこまでも能天気だったとしか言いようがなくて。
「残念ながら、その通りのようです」
見てみれば、その子の髪はぐちゃぐちゃにほつれていて、あたかも今の今までひっぱりまわされてどつかれていたかのよう。そして、髪も服も濡れている。
ここまでくれば、いかにぼくといえども事情は想像がつく。いじめだ。
軽いものなら、文房具を隠されたり、あからさまに無視されたり。でも、なんとなく勘で、この子が受けてるいじめはもうそういうレベルじゃないんだろうな、というのはわかる。水を使うのは、一つの境界だ。
水を使った〝いたずら〟は、相手を濡らすからだ。濡れたまま日常生活を送るわけにはいかないから、相手は着替えなければいけない。体操服なりなんなり、着替えたその服を着ている間、その子はずっと自分がなぜこんな恰好をしていなければいけないのか、否応なく意識し続ける羽目になる。拘束時間の長いいやがらせは、明確に遊びではなく、攻撃の段階に入っている。
おまけに、だいたいのものは濡れると壊れる。それに、直接手で教科書を破り捨てるのと、水に濡らしてダメにするのでは、なぜか後者の方が大人に咎められないし、罪悪感も薄いらしいのだ。
「あっ……ごめん、その」
タオルを探そうとするも、当然体育会系でもないこの部室にそんなものがあるはずもなかった。なんとなく彼女から目をそらす。「保健室行ってタオル借りてくるね」
「だいじょうぶです。タオルは常備してますんで」
取り繕った冷静さで、年頃の女学生のものにしては膨らんだ鞄からかなりしっかりとしたタオルを出して、髪を包んで叩くように水気を取る。「床とか濡らしちゃったらごめんなさい……もう濡れてますけど」
ン年前の設備だから防水してないし配線が濡れたら困るなぁとかぼんやり考えていた。「あとで床拭きますね。雑巾もあるので」
毎朝鞄に、タオルや雑巾をつめながらこの子はなにを考えてるんだろうなと思うと、喉にごろごろしたものがつまったような錯覚を覚えた。義憤だろうか?
ぼくが身振りで示した椅子に腰かけて、その子はようやっと安堵の息をついた。「ほんとはこうやって逃げたりしてると、あとでまたそのことでからかわれるんですけどね」
「でも、だからって」こんなことを言ったらおせっかいかな、とは思った。「黙ってやられっぱなしってのは」
「先輩のなかの義侠心みたいなのが認めませんか?」
食ったタイミングでそうかぶされて、言葉につまってしまう。気楽な傍観者の立場で、いくら不正義を指摘したところで、そんなことはもう彼女にとっては百回くらい頭の中で繰り返されつくした議論なのだ。ぼくが目を伏せてそんなことを思ったことを読み取ったのか、彼女はすぐに気付いて続けた。
「あ……別に、先輩を責めようっていうんじゃないんです。でも、あきらめてますから。それに、今のだって、バケツで水を上からぶっかけられたとかじゃなくて、水鉄砲で囲まれて濡らされただけですからね」
飛び道具を持った集団に責められる屈辱は想像もつかなかった。立ち向かおうとすれば距離を取って水をかけられ、逃げれば追い立てられながら後ろを狙われて。それはおよそ人間に対する扱いではない。
沈黙が降りた。こう言われたあとは同情の言葉も出てこない。濡れた服にタオルをあてている彼女を見ているのも不自然な気がして、ぼくは窓の外を見る。低くならされたビル群の上をぐるりと何段かに分けられたモノレールが網の目のようにおおっていて、西日を複雑に切り取り、奇妙な形の影を地面に映している。夕方の五時、立っているその場所から眺めた景色に、どんな形の影が含まれるか、というので運勢を占うっていうやり方があるんだけども、少なくともいま、ぼくの部室から見える影には、不吉な形の影しか含まれていなかった。
「そろそろ四時半になるし、あの子たちも諦めて帰ったでしょう。お邪魔しました。わたしも帰りますね。……知ってましたか? いじめをする子って、余分な時間は使ってくれないんですよ。学校にいる間の暇つぶしってだけで、放課後とか、休日はけっこう放っておいてくれるんです」
女の子は荷物をまとめて、軽く頭を下げる。
「ちょっと待ってよ……」横顔に声をかけてから、このあとどう言葉がつながるのか分らなくなる。「……まだ名前も訊いてないのに」
そんなことですか、とばかりに女の子は眉根を下げる。「連絡先でも訊きだしたいんですか?」
いいですよ、と言って胸ポケットから〈紙背〉を取り出すその子につられて、ぼくも端末を用意する。別に連絡先まで交換するつもりはなかったんだけど。
ディスプレイに彼女のアドレスと氏名が表示される。衣空。いまどきの名前としてはそう変じゃない、けど。
「へえ、先輩の名前、
親近感湧きますね、と衣空は言う。なにが?
なにげなく、画面に表示されたままのアドレスの文字を見て、ちょっと引っ掛かった。PaulandArt……。
「もしかしてこのアドレス」
「そうですよ、サイモン&ガーファンクルです」
知ってるんですか、といわんばかりに嬉しそうな顔になる。初めて見る笑顔だった。
「知ってるっていうかまあ……音楽の時間に、『明日に架ける橋』とか『サウンド・オブ・サイレンス』は習うじゃん」
「ああ……伝統音楽の扱いで、ですけどね……。しかも、サウンド・オブ・サイレンスをあんな再生方法で聴くなんて」と、衣空は横に顔をぶるぶると振る。「ありえないですよ」
「? なんで?」
「実際に聴いたらすぐわかりますよ」
そう言って、衣空は一度浮かせた腰をまた降ろす。すこし逡巡して、鞄からイヤフォンを取り出して、プレイヤーと結線する。「き、聴いてみますか?」おずおずとそう述べる。聴かせてくれるらしい。
「すごいね、コードがついてるんだ……」
「数十年前まで電化製品のほとんどはコードで電源を供給してデータをやり取りしてたんですよ」
自分の(ちょっとマイナーな)趣味をひけらかす機会がうれしいのか、浮いた口調で取り出した端末をいろいろと操作する。曲ひとつ聴くのにも面倒な手順が必要らしい。
知識としては知ってるけど、やっぱり実物として動作するイヤフォンとか、MP3プレイヤーというものを見るのは初めてなので、興味津々な目つきになってしまう。
「ほら、耳貸してください」貸すってどういう。そう思ってると、衣空が体を乗り出してきて、両方の耳の穴にイヤフォンの先を突っ込まれる。ちょっとどきどきして、でも平気な顔をする。
「こうやって使うものなんだ」
なんだか違和感がある。
「そのイヤフォンがスピーカーになってて、そこから出た音を鼓膜が聴くんです」
「ずいぶん迂遠な仕組みだね……」
いまどきは物理的な、磁石で作られたスピーカーを介さないで、骨伝導で……なんというか、実際の音を聴いたときとまったく同じ体験が得られるようになっている。
「迂遠っちゃ迂遠ですけど、当時はこういうふうに再生されることを想定して作ってたわけですから、こういうふうに聞かないといけないんですよ。ネットにあるリマスタリング版は、パンポットをご丁寧にも再編集していて、たとえば定位が右、中央、左の三種類しかない時代の曲のはずなのに、ライブで中央の席に座ったときに感じるようなパンの振られ方になってたりして、でもその曲を作ったとき、ポールがレコーディングしたときにはそういうふうに〝再生〟されることを考えてはいなかったはずなんですよ」
突然饒舌に語り出す衣空の表情をいぶかしげに眺める。まあ、それはどうでもよくて、と再生ボタンに手をかける。
「だいじょうぶ? 大きな音出たりしない?」
「怖がりですね……そんなわけないじゃないですか」
昔の人はみんなこうやって音楽を聴いてたんですから。衣空の言葉にかぶさって、右の耳からギターのアルペジオが流れ出す……。
突然、どこかに移動してしまったのかと思って、あたりを見回した。もちろんそんなことはなくて、流れ出した曲の音質が、まるでもやがかかっているようで、それを体がなにかほかの感覚の混乱と勘ちがいしたらしい。
信じられないほど不鮮明な音(あとで聴いたところによると、たった44.1kHzのサンプリングレートだという)、不自然なまでにくっきりと左右に分かれた人間の声……。授業で一度聞いた『サウンド・オブ・サイレンス』とはまるっきりちがう曲だった。あ、いい曲だな。授業で聴いたときとはシチュエーションがちがうからかもしれないが、すなおにそう思えた。
衣空がイヤフォンで聴けと言った意味はすぐわかった。左の耳から〝のみ〟ガーファンクルの歌は聴こえ、右の耳から〝のみ〟サイモンの声が聴こえる。イヤフォン、ヘッドフォンという形でしかこんなステレオは実現できない。
一番の歌詞が終わり、間奏に入ったところで、衣空がぼくの片方のイヤフォンを外す。
「先輩、自動翻訳機つけてるでしょ」
それもダメです、と言ってぼくの端末を手に取って、勝手に自動翻訳アプリを落とす。頭のなかで、ガーファンクルの声にかぶさって聴こえていた和訳が途切れる。衣空がまたイヤフォンをぼくの耳に差すと、二番の歌詞が続いて流れてきた。
すっかり意味の分からなくなった歌詞を、ぼくの意識は追うことを諦める。気のせいというか、思い込みかもしれないけど――おかげで、すこしだけ全体が耳に入ってきた。
「……どうです? いい曲だったでしょう。自動翻訳なんて当時はなかったんだから、そんなのに頼っちゃダメですよ」
それに、翻訳じゃ意味が伝わりませんから。……衣空のその発言の意味をぼくはもう少し考えるべきだったのかもしれない。
くるくると手際よくぼくの耳から取り外したイヤフォンを片づけながら、今度こそ衣空は退出するそぶりを見せる。
「その……なかなかいいな、と思ったよ。そもそもぼくが音楽に詳しいわけじゃないから、レトロなところがいいみたいな、下らない感想しか思いつかないけど……」
衣空はくくっと笑ってわたしも最初はそうでしたから、と言う。
「この時代の音楽は、毎月大量にプレスされるCDのなかで目立たなきゃいけないから、とにかく耳に引っ掛かるような個性が強く出てるんです。音楽的に優れていることよりも、個性が重視されて……というより、個性の存在こそが音楽的に優れていることの証明になってたのかな? そういうところが気に入ったのかもしれません。……まあ、あとは単純に、CDをいっぱい持ってると所有欲が満たされるんですけどね」
楽しげに話す衣空は、鞄の中から古びて黄ばんだCDケースを取り出す。「これ、よかったら貸してあげます。今の曲の別バージョンの録音とかも入ってますよ」
そういって渡されたアルバムの名は、『サウンド・オブ・サイレンス』。
「え、じゃあいま聴いたのは……」
「いま先輩が聴いたのは、『水曜の朝、午前3時』のほうの「サウンド・オブ・サイレンス」です。『サウンド・オブ・サイレンス』に入ってる「サウンド・オブ・サイレンス」はもうちょっとロック調ですね。今聴いてもらったオリジナル版にそのままドラムとかをオーバーダブして……」
ぼくの戸惑いに、衣空はすぐに気が付いた。
「すいません、おかしいですよね、初対面でこんなおしつけがましい真似したりして」
「別に気にはならないけど……」
正直なところ、意外というか拍子抜けではあった。こう言ったらまずいのはわかってるのだが……いじめられっ子特有の翳、みたいなものを、感じないのだ。初対面の女の子と、ここまで会話をつづけられているのは、べつにぼくが努力しているわけでもなんでもなく、衣空がどんどんコミュニケーションの穂を継いでいるからにすぎない。その積極性は、髪を濡れさせて部屋に飛び込んできた女の子とは結びつかなかった。
「いま、拍子抜けとか思いました? いじめられっ子のくせに元気だなこいつって」
「そんなことは、」ないとは口にすることができなかった。
今から考えても、衣空はぼくの表情を読むのが不自然に上手だった。優しく微笑んで続ける。
「先輩、そんな同情とかしようとしてくれなくていいですから、なんにも気を使わないでくれなくていいですから……話し相手になってくださいよ」
「話し相手?」
「そうですよ。わたしだっていつもこんなうるさいわけじゃないんですよ……場面緘黙っていうんですかね、教室の中ではもう二か月くらい、一言も自分からは口をきいてないんです」
今までと変わらない、微笑とも無表情ともつかない顔が、突然ぞっとして見えた。
場面緘黙――ある特定の場面でのみ、全く言葉を発することの出来なくなる症状のことだ。
「なにか口に出そうと思っても、そのセリフに相手がどう返すかとか、そのセリフをまわりがどう解釈するのかとか、考えが止まらなくなるんです。負のフィードバック? ちがうかな」
「でも、いまはふつうに会話できてるじゃん」
「これをふつうだと思ってくれるんですか? 優しいですね。よく思い返してくださいよ、先輩の反応とか意見をわたしが少しでも待ちましたか?」
それは……。
「ないでしょう? それはそうですよ。だって、わかんないんですもん。人がなにを考えてるのか、わかんないから、相手の反応を勝手に決めちゃうんです。その予想した反応とわたしは会話してるだけなんですよ」
そして、そういう会話の中で、ぼくはあとから衣空の予想した反応を自分の自由意思が作り出したと思い込んでいる……。
「もちろん、こんなことができるのは、相手が家族みたいに親しい人か、見知らぬ他人か、よほどのお人よしの場合かですけど」
もちろん、とっても怖いですよ。ニコニコ笑いながら衣空は続ける。でも、誰とも会話もどきすらできないのはもっと怖いです。
失礼極まりない発言だとも思ったけど、怒る気にもなれない。悪気がないからだろうか、でも、悪気があったら怒るんだろうか?
「だから、話し相手になってくれって?」
「なんだかやですね、契約みたいで。なんでこんな言い方しかできないんでしょうね。……ふつうに話し相手っていうか、友だちがほしかっただけですから」
あっ、そうだ。と手を打つ衣空。わたしがこの部活に入ればいいんですね。
「AI研……ってなにやってるんですか?」
「まあ、部員はひとりしかいないから入ってくれるのはありがたい、けど」
そういって、ぼくはスリープ状態になっていたディスプレイを起動する。「うわ、懐かしいですね、なんですかこれ? もしかして手続き型?」
その通りです……。
画面にはエディタ画面が広がっていて、昔ながらのテキストプログラミングの途中だということがわかる。
「へえー、絵とか図とか使わないプログラミングやってる人ひさびさに見ました。ってことは、プログラミングとかやる部活ってことですか?」
「ちがうちがう、コンピュータ研はほかにあるから……うちでやってるのは、ロボットに関係するようなプログラミング」
まあ、ロボットばっかりじゃなくて、人工知能に関することだけど。
「つまり……?」
そりゃ、詳しくない人からしたらなにがなんだかわからないかもしれない。
「人間が使うためのアプリケーションじゃなくて、ロボットが使う……というか、ロボットを動かしているソフトウェアを書くのがうちのやること。ゲームとか、地図アプリとか……そういうのを作るのは、コンピ研のやってること」
「それって、いっしょじゃだめだったんですか? っていうか、コンピ研って、ここの部室のとなりでやってるんですよね?」
薄い壁をとおしてとなりの部室からは和気藹々と活動している様子が聴こえる。……コンピ研の部員は一八名。「……昔はいっしょだったんだけどね」
喧嘩別れした。仕様も考えずに、親切なビジュアルの補佐を受けて、いきあたりばったりで作れちゃうようなゲームをぼくはプログラミングとして認めたくなかったのだ。そんな過去はもちろん教えてあげない。
「ふうん……。で、先輩はいまなにを作ってるんですか?」
「いまは、再来月のコンペに向けて、教員ロボットAIの追加パッチを書いてるんだけど……」
まったくうまくいかない……というか、まともに実用に足るプログラムを書けたことがないのは内緒だ。シューティングゲームだとか、SNS用のブラウザだとか、そういうものは書けたんだけど、なぜか人工知能に絡むものはいつも失敗してしまう。だから、挑戦し続けているというのもあるのかもしれないけど。
「え、教員って
アンディーというのは、アンドロイドを呼ぶ通称のようなものだった。女性型のアンドロイド、つまりガイノイドは、レナ、と呼ばれている。こちらは、男性アンドロイドの通称、アンディー、つまりアンドリューの女性形、アンドレアの愛称系から取られている。ややこしい。
「全員じゃないけどね」
よくある誤解なのだが、ほかの領域でロボットが労働力として人類とほとんど変わらない立ち位置を得ているのに、教育現場でロボットが導入されていないはずがないのだ。
「それで、教諭ロボットに必要な、生徒の評価基準をもう少しアップデートできないかなって。評価っていっても、成績評価とかじゃなくて、生徒個別の性格とかおかれた環境を総合的に評価して、生徒指導とかをもっとスムーズにできるようにっていうことなんだけどね」
「ははあ……なるほど。よくわかんないですけど。よくわかんないし、やっぱ入るのやめたほうがよさそうですね……」
眉間にしわを寄せてわざとらしく作った思案顔で衣空は言う。次第に豊かになる表情を見ていると少し安心する。と、安心したところで、ぼくはなにを人のことを逐一値踏みしてるんだろう、と自分の傲慢さに胃の腑が少し冷えた。相手がいじめられっ子って認識した瞬間にこの上から目線?
「でも、部室に遊びに来るのはいいでしょ?」
今度ははっきりそれとわかる笑みを浮かべて衣空が訊いてくる。先に彼女が言ったようなコミュニケーション方法を実現しているのならば、ここでぼくが断るという予想は立てていないはずで、ぼくの反応を聞かずにその前提で話を勝手に進めるのだろう。
それでも、衣空はまっすぐとぼくを――というより、ぼくのネクタイの結び目を――見つめ、言葉を待っている。
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