交差
放課後に再び理科準備室を訪ねる。手に握られたのは今朝、渡し損ねたクッキーの入った袋。
荒くなる鼓動を、ひとつ深呼吸して落ち着かせ、扉を震える手でノックした。
だが、いくら待っても返答はない。それどころか人の気配がしなかった。
おずおずと扉に手をかけて引くと、そこに彼の姿はなかった。
❇︎
廊下を駆ける足音が響く。
一旦、教室に戻っても彼の姿はない。だが、手掛かりは見つかった。彼の席にカバンは掛けられたままだ。
まだ、学校のどこかにいる。そう確信してまつりはまた走り出した。
まつりは、隈なくあちこちを見て回った。
友達に出くわせば、隠さずに彼の行き先を尋ねた。
友達は始め、冷やかしたり囃し立てたりもしたのだが、まつりの真剣さに気圧され応えてくれた。
「さっき、数人の男子たちと花壇付近で話してるの見掛けたかな」
私は友達に礼を言うと、一目散に駆け出した。
友達の言う通り、数人の男子が彼を取り囲むように話している。
「そんなところで何してるの?」
まつりは男子たちに向かって声を発する。
一人の大柄な男子が振り向いた。よくサッカーで遊ぶ
「なんだ、まつりか。お前には関係ないよ」
そう、ぶっきらぼうな返答に、思わず苛立ちを覚える。
大隈を筆頭に彼を取り囲むのはみんな、サッカーで遊ぶクラスメイトだった。
当人の彼ですら、まつりを見るや否やいつもの微笑みを浮かべて、
「心配しないで。彼らは僕に用がある」
そう言うと大隈へと向き直った。
対峙して硬直する二人。
まつりはと言えば、その場のただならぬ不穏な空気に立ち竦んだ。
その時、クラスメイトの一人が花壇に植わっている花を踏みしめた。
怒気を顔に表した彼が花を踏みしめた男子に飛びかかりそうな勢いを、大隈の巨体が制する。
「植物は関係ないだろ! 言いたいことは直接言えばいい。だけど、さっきも言ったが僕は聞く気はない」
そう言うや否や、大隈は顎で合図を他のクラスメイトにも送る。
次々と花壇に入り、丹精込めて育てていた植物たちを蹂躙していく。
「お前が悪いんだよ。月下と仲良くなんてするから」
固唾を飲んで見守っていた私は、急に名前を呼ばれて耳を疑った。
肩を押さえつけられていたのを振りほどいた彼は、花壇の中で暴れる男子たちを突き飛ばすが、非力なため拳が飛んできても回避できずに腹で受ける。
蹲りながら最後に残った紫の花穂を守る。
「好きなら、好きって本人に言え! 月下もいる。絶好の機会だろ」
彼は高らかに叫んだ。
びっくりしたまつりは、彼と大隈の顔を交互に見る。
すると、みる見るの内に大隈の顔は真っ赤になった。
どんなに鈍いまつりでも合点がいった。そして、沸々と怒りが込み上げてきた。
私は脱兎のごとく、花壇の前で蹲る彼と大隈の間に入り、彼を守るように両手を広げていた。
「私は、そもそもこんな陰険な手段で人を貶めるような人は大嫌い! 彼だけじゃなく彼の大切なものを壊すなんて最低よ」
巨体を揺らしながら、怒りに震えているのか。大隈は顔を引きつらせている。
暫し、まつりと大隈は睨み合っていた。
周囲の男子たちはと言うと、どうでもいい。早く帰りたい。今日の飯何かな?
といった考えが浮かぶほど、この茶番とも言える状況に飽きている。
その時、蹲っていた彼が立ち上がる気配がして、まつりは肩越しに彼をみた。
彼はおもむろに懐から取り出した遮光瓶の蓋を開け、大隈に向かって浴びせかけた。
大隈の制服に数滴、掛かった液体はすぐに蒸発したかに見えた。
が、途端、あまりの絶叫に私は耳を覆う。
「クセーーーー! 臭い。クサイ。クサイ!!」
大隈は巨体を揺らし涙目になりながら、七転八倒している。
確かに大隈からはなんとも言えない悪臭が漂ってきていた。
周囲の男子たちも鼻を抑えながらしかめっ面。逃げ出す者すらいた。
大隈もまた、涙目になりながら呪いの言葉を発して、その場から逃げるように立ち去った。
だが呪いの言葉は鼻と口を手で覆っていたようで、何をいっていたかさっぱりである。
兎角、脅威は去ったのである。
その場に残ったのは、無残に荒らされた花壇とそれを手入れする彼。
居た堪れないまつりは彼の傍に座り、作業を手伝う。
元はと言えば、まつりが招いた種だ。ちゃんと責任を取りたかった。
だがまつりは言葉を詰まらせて胸が痛くなった。
自分が殴られて怪我を負っても泣かなかった彼が、静かに泣いている。
まつりに気を使っているのか「大丈夫。なんでもない」そう呟きながら笑みまで浮かべて。
それでも彼の目から涙が、滝のように止め処なく流れていた。
☆
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