第8話 現実の国の白ウサギ

どうしようかな。

 昨日と同じように、放課後、病院の辺りをアテも無く歩いている。


 土佐川 悠。彼の病室を訪れたいが、現実では会ったことがないし、夢の中の白ウサギが本当に彼かもハッキリしていない。勇気が出ないのだ。なにかキッカケがあればいいが、それもない。


 「あの。」

ふいに、後ろから声がした。聞き慣れたような、あまり聞いたことがないような女の子の声。

「アリサさんの彼氏。」

「違うよ?!」

中学生くらいの、一度しか会ったことのない女の子。土佐川 悠の妹。名前は…聞いていなかったはずだ。

「土佐川さん、だよね。俺はハッタ…じゃなかった、秦 花月。」

つい、夢の中で自己紹介することが多かったので間違えかけた。

「カヅキさんですか。紹介が遅れました、土佐川 卯月です。うさぎの月と書いて、ウヅキ。」

ああ、4月の旧暦の。4月生まれなのかな。


 「…これから、お兄ちゃんの病室に行きますが…一緒にどうですか?今日はアリサさん来ないし、一人ですから…。」

「お兄さんとの大切な時間は、邪魔できないよ。」

本当はチャンスなんだけど、年下に気を遣わせるわけにもいかないからな。

「来たら、分かります。カヅキさんとも話がしたいですし、行きましょう。」

そう言って、俺の手を引く。ここで手を払うわけにもいかないし、仕方なく着いて行くことにした。

 仕方なく、だからな。




 「失礼します…。」

恐る恐る、病室に足を踏み入れる。緊張するよなぁ…。

 病室は一人部屋で、ベッドには俺と同じくらいの歳に見える少年が寝ていた。

「眠っているのかな…。」

そう呟くと、俺の手を取っていた小さな腕に、力が入ったのを感じた。

「まだ、目を覚まさないんです…。」


 あまり医療に詳しくはないが、特に危険そうな状態ではない。呼吸の音と、モニターに映る波は規則的だ。目は開いていないが、顔は夢の中の白ウサギと同じ。優しそうな顔をしている。

 「ごめんなさい。一人だと心細くて、お兄ちゃんがどこか行ってしまうんじゃないかって怖くて…。でも、やっぱり様子を見たくて、カヅキさんを利用するみたいになってしまいました…。」

卯月はキュッと下唇を噛み、軽く目元を拭うと、椅子を二つ用意した。


 「すみません。えっと…何か聞きたいこと、ありますか?」

落ち着いたらしく、向かい合うように座った卯月はそう聞いた。

「伏木さんと、彼について、どういう関係なのか知りたいかな。」

他にも知りたいことはあるけれど。一番はこれだ。


 「えっと…アリサさんとお兄ちゃんは同じ学校に通っていて、その、いわゆる恋仲ってやつですね。」

ああ、やっぱり。

 「ショック、ですか?」

「いや、なんで?」

「アリサさんのことを気にかけているみたいだったから。」

「いや、特別なことは何もないよ。…今日はありがとう。また来てもいい?」

「どうぞ。こちらこそ、ありがとうございました。」


 そう言って、俺は病室を出る。

 あんなことを言ったが、もう二度と、この病院に入ることはなかった。

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