第1話 臆病の国のマウス


 「ふえぇん、またこの夢だぁ…。」

雑談を交わしつつ、しばらく歩いた先には湖があった。その淵に立つ水着姿の少女は、浮き輪を抱えながら水面を見つめていた。


 「伏木さん、あの人は知り合いですか?」

2つのおだんごヘアに、比較的露出の少ない水着。夢にしては現実的な気もする。夢なんだから、もっと、こう…露出が多くてもいいのではないでしょうか!

 「知らない。あまり狂っているようには見えないけど。」

「声、かけてみますか?」

「まあ…、そうね。」

少し迷った様子を見せてから、伏木さんは少女の方へ足を進めた。


 「はじめまして。私はアリス。あなたの役は?」

「ぅひゃあぁぁぁ!」

―どぼん。


 想像以上に壮大に驚かれてしまった。驚いたあまり、バランスを崩して湖に落ちてしまうとは・・・。なんかゴメン。

「大丈夫…?あ、俺はハッター。よろしくね。」

手を伸ばす。俺より少し歳が低そうだ。中学生かな。

「え、はいっ。えっと、マウスですっ。私の役…。」

おそるおそる伸ばされた手を掴んだ少女は、小さな声で答えた。警戒されてるかな。


 「マウス、少し聞きたいことがあるの。いい?」

伏木さんは、マウスの濡れた身体を心配する素振りもなく話を進めた。

 狂人のこと、だろうか。この子が狂っているようには見えないけど。


 「白ウサギを知らない?」


 予想に反した質問。はじめて聞く“白ウサギ”という単語。

 ・・・アリスの物語は、小学1年生くらいの頃に絵本で読んだくらいの知識しかないけれど。たしかアリスは懐中時計を持ったウサギを追っていたんだっけ?その白ウサギだろうか。


 「ウサギですか…?」

マウスはしばらく黙って、しばらくした後に何かを思い出したような顔をした。

「ウサギなら見ました!明るい色をしたウサギが、対岸の方に。」

 あっさり。

 伏木さんの顔が一瞬明るくなった気がする。給食のデザートにプリンが出た日の小学生みたいな笑顔。久しぶりに見るタイプのやつだ。

 「そう、ありがとう。もう一つ、質問をいい?」

「はい。私なんかでよければ…。」

マウスが申し訳なさそうに言った。もう少しシャンとしても良いと思うけど。


 「あなたはいつ、この世界へ招かれた?」

「えっと・・・はじめてこの夢を見た日ですか?7日前、でしょうか…。」

伏木さんと同じ日だ。

「原因は分かる?」

死にかけた理由、ということだろうか。この世界は現実と天国の間みたいだし。

「ちなみに俺は熱中症。」

もっとカッコよく死にかけたかった。

 「えっと、私は…気絶、ですかね?」

気絶?

「えっと…。ね、ネコに噛まれて、気絶しました…。怖くて、つい。」

恥ずかしそうにマウスは言った。ナニソレかわいい。つい気絶してしまった、なんて初めて聞くけど。


 「ふぅん。ありがとう。それじゃあ私は失礼するね。」

伏木さんが何事もないように回れ右する。

「お、おう。ちょっと待って。これからドコ行くんですか?」

「どこって…ウサギ探し。ついでに狂人も。」

ああ、そうだった。というか、狂人探しは“ついで”なんですね・・・?


 「じゃあ、マウス。また会おうな。」

「は、はいっ。」

手を振ると、マウスはペコペコと頭を下げた。ナニコレかわいい。動画で撮って連続再生したい。



 「ハッター。これからウサギ探しの冒険が!って思ってる?」

違うの?

 伏木さんが、こちらに懐中時計をこちらに向けた。短針が指しているのは、わかりやすい大きな文字で書かれた6を少し過ぎたところ。長針は9を指していた。

「6時45分?」

「朝の、ね。」

・・・あ。

 平日のあさ7時。いつも起きてる時間だ。

「おはよう。遅刻しないように。」


 その言葉と共に、足元の感覚が消えた気がする。そこに目をやると、足がない。どうやら、下から徐々に体が消えているらしい。

「え、あ、もしかして成仏…?」

 伏木さんがフフっと笑った。

「そんなわけ―



ないでしょ!遅刻するよ、お兄ちゃん。」

 腹部に衝撃。妹が乗っかってきたらしい。

「起きてるよ…ただいま。」

「おはようだよ!寝ぼけてるの?」

痛。寝ぼけてない。そんなことよりも、枕を投げるな、妹よ。

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