第28話 図書館と記憶

 図書館の入口に着き、自動ドアが開く。

中に入ると館長らしき人がいて、悠希と悠希のお付きの男性が挨拶をすると、貴也とゆりかも紹介され、お辞儀をした。

 「今日は朝から多くの関係者に来ていただいてるんですよ。

これから係りの者が案内するので、待っていてくださいね」

そう言われるとゆりかたちは来訪者用のカードを渡され、首にかけた。


 「さすが新しいだけあって綺麗ですね。

それに現代的な作りで立派ですね」

悠希が館長に話している。


 図書館は公立図書館だけれど、今回の建て替えでは奇蔵書だけではなく、寄付金も地元の有力者たちからかなり受けていたらしい。

この地に縁がある和田財閥はもちろん、相馬グループからも寄付があったようだ。

 え?高円寺グループはって?

大人の事情があるのでしょう。

帰ったらパパに聞いてみます。


 古い図書館にゆりかは来たことがなかったが、今度からここに来てみるのもいいかもしれない。

学校の図書館も蔵書がいっぱいあっていいが、ただ暇をつぶすなら、目新しいとこも楽しそうだ。

 そんなことをゆりかが考えながら、建物を眺めていると、首から来訪者カードを下げた一行がエレベーターからおりて来た。


 「あ、係りの者が来ましたよ。

あの者がご案内します」

そう館長がゆりかたち一行に言うと、係りの人のもとへ話しに向かう。


 館長の姿を見ていたゆりかは、視界の中に見知った姿があることに気付いた。

ハッと我に返り、思わず後ずさる。

その瞬間相手と目が合った。


「ゆりかお嬢様」

相手はゆりかに気付くと、にこやかに営業スマイルを見せ、ぺこりを頭を下げた。


 私服姿の真島司だった。


 げげ…!

なんなんだ。

この浮気現場に旦那が鉢合わせたような気分。

いや、本命といるところを元彼に見られた?

いやいや、そんなのどうでもいい。


 あまりのハプニングにゆりかの顔がひきつる。

逃げようと後ずさったものの、周囲には貴也も悠希もいてゆりかは逃げ出せなかった。

仕方がないので、一呼吸し覚悟を決めて、近づいてきた真島と向き合う。


 「こんにちは、真島さん」

ゆりかは丁寧にお辞儀をした。

「偶然ですね。

まさかこんなところで会うと思いませんでした」

真島がははっと笑う。

「ええ、本当に。

今日は友人のたちのお家が寄付をしていて、それで見学会に呼ばれて。

私はその付き添いです。

真島さんは?」

「私も知り合いに呼ばれて来たんです。

ここの図書館は家から近くて若い頃よく通ってたから、どんな風に変わったのか気になってたんです。

今見終わったんですけど、ずいぶん近代的な図書館になっていましたよ」


 若い頃によく通っていた図書館?

ゆりかの中で真島との思い出の図書館が頭に浮かぶ。

まさかここのこと……?


 ふと真島の顔を見上げようとしたとき、真島の着ているワイシャツが目に入った。

今日の真島はいつものスーツ姿とは違い、私服だった。

水色のカジュアルなワイシャツにベージュのスラックス姿で、腕に濃紺のジャケットを引っ掛けて持っている。

50代男性らしく落ち着いた格好だった。


 あれ、このワイシャツ……。

どこかで見覚えがある。

ゆりかが真島のワイシャツをマジマジと見ていると、胸元のボタンが取れかけているのに気づいた。


 「ボタン……取れそうですね」

真島の胸元のゆるんでいるボタンにゆりかの指が自然と伸びて触れた。

「ああ、本当だ。

随分昔に買った服だからかな」

真島は少し困ったように笑った。


 「…ボタンつけしてくれる方は?」

「お嬢様のところのようにやってくれる使用人はいないですからね。

自分でやりますよ」

真島は冗談めいたように笑って言ったが、真島の言葉にゆりかの心臓がトクンとなる。

「独り身なんですか?」

「ええ、この間話した通り妻が亡くなってから一人です。

だから家事は一通りこなせますよ」

「料理も掃除も洗濯も……?」

昔は何もできなかったのに?

「ええ。妻がいなくなってからは全部。

子供たちの分もやっていましたよ」

「子供たち……真島さんのお子さんは今おいくつなんですか?」

ゆりかから珍しく次から次に質問を投げ付けられて、妙に感じたのか、真島が不思議そうな顔をする。

「長男は28で、次男は26です。

もう良い年ですよ」

「そう……」


 ゆりかの顔が思いつめた表情になった。

ゆりかが亡くなったとき、息子たちは18歳と16歳だった。

今のゆりかの年齢が10歳、あれからちょうど10年経っているようだ。

 生前はずっとずっと子供のことだけを考えて生きてきたゆりかにとって、息子たちは特別な存在だった。

息子たちはどんな姿になったのだろう。


 そう思った瞬間、走馬灯のように記憶が頭の中を巡る。

以前真島の記憶を思い出した時と同じだった。


 『お母さん、大好きだよー』

小さな子供たちが母親に抱きつく。


 『お母さん!痛いよー!!痛いー!』

オデコから血を流しタオルで抑えている子どもの手を引き、赤ちゃんを抱っこしながら必死で病院へ向かう姿。


 『お母さんみたいにピアノ弾きたいな』

ピアノを弾く自分の周りをまとわりつく子供たち。


 ――あの子たち……


 「お嬢様どうかしましたか?」

真島が心配そうにゆりかの肩に手を回し、ゆりかの顔を覗き込んだ。


 「……!」

ゆりかの目に真島の顔が映る。

するとゆりかは驚きのあまり、ビクリと肩を揺らした。

「…あ…つかさ……」

昔の呼び方で、口から漏れる。

ゆりかの言葉に今度は真島が目を見開いた。


 目の前にいる人物は……自分の夫……?


 ゆりかは混乱していた。

今の自分が誰なのかわからなくなっていた。

『真島ゆりか』なのか『高円寺ゆりか』なのか…


 その時、「ゆりか!」と後ろから声をかけられた。

気づくとすぐそばに悠希と貴也がいた。


「どうかしたのか?」

悠希が真島から引き剥がすかのように、ゆりかの肩を引き寄せる。

すぐ近くに悠希の顔を見たことで、ゆりかは現実を思い出した。

「…悠希君……」

「顔色が悪いけど大丈夫?」

貴也も心配そうにゆりかの顔を覗く。

「貴也君……」


 ああ、私は『高円寺ゆりか』だ……。

心の中で呟き、再確認する。


 「ゆりかお嬢様のお友達ですか?」

真島が話しかけると、悠希が真島を睨みつけたが、悠希がなにかを言い出す前に、貴也が悠希を制した。

「相馬貴也といいます。

ゆりかさんの友人で今日一緒に来ました。

彼女の体調が悪いみたいなので、あちらで休ませてください」

そう貴也が艶やかな笑顔で真島に言うと、悠希とお付きの人に壁際にあるベンチにゆりかを連れて行くよう指示をした。


 ゆりかはふらつく足で、2人に連れられ、なんとかベンチまでたどり着く。

 「ゆりかお嬢様、大丈夫ですか?」

お付きの人が心配そうに尋ねるのに対し、ゆりかはコクリと頷いた。

「どうしたんだよ?あのおっさんになにか言われたのか?」

悠希が心配している。

「違います。

話してたら急に気分が悪くなったんです。

たぶん貧血だと思います」

ゆりかは適当に答えた。

半分は本当。半分はウソだ。

 「しばらく休んでいた方がいいですね。

運転手をよんで、ゆりかお嬢様は先に車に戻りましょうか?」

 お付きの人の提案は心底ありがたかった。

こんな気分のまま、見学会なんて参加できない。

「…じゃあ、お言葉に甘えさせてください」

 ゆりかがそう答えると、悠希は力強く「うん」と頭を縦にふり、頷いた。


 その後ゆりかの元にはすぐに運転手が来てくれた。

貴也は真島となにか話していたようだった。

何を話していたんだろう。


 運転手と入れ替わるように、悠希と貴也、そしてお付きの人は見学会の係りの人に呼ばれて行ってしまった。

行く途中、悠希が何度もこちらを気にかけてチラチラ見ていたので、ゆりかがまだ白い顔で手を振ってみたら、怪訝な顔をされた。

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