第7話 出発
「ミント、朝よ。」
パジャマを着て布団に横たわる私を母親が起こしに来た。
私はたった今目が覚めたかのように、ゆっくりと身体を起こす。
それから家を出るまで、何事もなく過ごすことができた。
裏庭での発掘作業を咎められる事は無かった。抜け殻のまま朝食を済ませ身支度を整えると、普段より早く家を出た。林間学校へ出掛ける私を見送るため、両親も一緒に。
小学校の校庭には既に大きな貸切バスが二台停まっている。登校した順番に点呼を取り、簡単な朝礼を終えると荷物を預けてバスに乗り込む。事前に決められた座席に着くと窓から両親が見えた。見下ろすような形だ。
「気を付けて、楽しんでおいで。」
笑顔で手を振る。
バスに乗った生徒たちはめいめいに自分の身内に“いってきます”を告げる。
私は、心の中で“さよなら”を告げる。
扉が閉まり、エンジンがかかる。
バスはゆっくりと走り出す。
両親が見えなくなると、ようやくシートに深くもたれる。
「みなさん、おはようございます!」
陽気なバスガイドの声がマイクを通して聞こえる。
「昨日はぐっすり眠れましたかー?」
いいえ、と心の中で答える。私は誰よりも異常な体験をして来たのだ。
裏庭を見に行った事がばれていないのは不幸中の幸いだったけれど、だからといって純粋に楽しめるわけなどない。
道中のレクリエーションもほとんど耳に入らず、明け方に見た母子手帳のことが離れない。
おそらくあの両親は、卯年に生まれた娘に“美兎”と名付けた。
そして…今は、母子手帳と共に裏庭の土の中に埋められている。
病気や事故で亡くなったのであれば、病院から死亡診断書が出る。葬儀と埋葬の手続きを経てお墓に納められるのが通常であるはず。
何らかの理由で亡くなった美兎の死は、あの両親しか知らないのだろう。
別の可能性を考えようとしても、どうしてもその答えに辿り着いてしまう。
恐怖心が消えて無くなった訳ではないけれど、脱出のための第一歩を踏み出せたことで私は幾分か落ち着きを取り戻していた。
小学校で初めて泊まりのイベントを体験する同級生たちは明らかに浮かれていた。私が一人複雑な面持ちでいる事なんて気付かないほどに。
先生の後をぞろぞろと並んで歩き、ガイドさんの話を聞き、集合写真を撮る。
初日の夜はお決まりの肝試しだ。墓地に面した広い公園の決められたコースを辿って歩くだけのものだったが、設置されたぼんやりとした灯りの中を進むのは小学生には勇気が要る。中には泣き出してしまう女の子もいたけれど、私にとっては今朝の出来事の方が何倍も恐怖だった。
私は墓地を眺めながら、庭の片隅に埋められた美兎のことを思った。お墓に入れなかった可哀想な少女のことを。
就寝前の自由時間は、家に電話をかけたり売店に行ったり各々好きなことをしていた。
私は何もする気になれず、手持ち無沙汰に林間学校のしおりを開く。
表紙の裏には母親の字で緊急連絡先が書いてある。前に記入してもらったものだ。
その几帳面で丁寧な文字で、欄外に一文、何か書かれていた。
『土いじりをしたら手を洗うこと。』
瞬間、目の前が真っ暗になった。
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