第2話 向こう側
目を開けると、明るい部屋に豆電球だけ点いた蛍光灯が見える。
眠い頭で、意識が朦朧としていた。
そうでなければ正気を失っていたかも知れない。
一生懸命に自分の記憶を辿る。
保健室で仮眠をとろうとした私は、いつもは気を付けていたのに、うっかり足首を布団から出して寝てしまったんだ。そして気付いた時には、何かに足首を掴まれて、引きずり込まれた。
引きずり込まれた?どこに?
硬くて冷たいシーツに擦すれる感触や、一気に噴き出た汗の感覚まで覚えている。
何が起きたの?
それとも夢を見ているの?
夢の中で、夢である事を自覚することもある。きっとその類だ。
そうであって欲しい。
私の身体は明らかに小さくなっていた。
小学生くらいだろうか。
ベッドから出て部屋の中を見渡す。子供部屋のようだった。
見覚えのない場所だし、鏡を覗き込んでも知らない女の子が映っているだけだった。
この子は誰なの?
異常事態を身体中で感じながら鏡を見つめる。
「あら、ミント。早起きね。」
母親らしき女性が部屋に入ってきた。
ミントと呼ばれたのは、おそらく私の事だろう。正確には、私の“外身”の。
「汗をかいているわね。エアコンの効きが悪かったのかしら?」
見知らぬ母親に促されてリビングへ行くと、父親らしき男性が既に席についていた。
食卓には朝食の準備がされている。
壁に掛けられた時計を見ると、六時半を過ぎたところだった。
「おはよう、ミント。」
知らない名前で呼ばれる私。
一瞬迷い、朝食の置かれた空席におそるおそる腰を下ろした。
知らない家で、知らない両親と囲むテーブル。
何もかもがわからないけど、どれから確認したらいいのか、混乱していた。
だからと言って、私をミントと呼ぶこの夫婦に質問をするのは躊躇われる。愛娘の人格が知らない女子高生に代わっているなんて、とてもじゃないけど信じられないだろう。卒倒してしまうかも知れないし、あるいは私が病院や然るべきところに連れて行かれるかも知れない。
私は自分の置かれた状況を考える。これから朝食を摂って学校に行かなくてはならない、ということは推測できたけど、もちろん土地勘なんてないから、学校の場所はわからない。
食べたくもない朝食をむりやり喉に流し込み、空になった食器をキッチンへ運んだ。
「あら珍しい、ミントが片付けするなんて。」
優しい声で話し掛けられ、どきりとする。
まずい。
「たまには、ね。」
そそくさと子供部屋へ撤収し、学校へ行く準備をする。準備と言っても今の私にはランドセルに入っているものを確認する事しかできない。
教科書の表紙には“五年”の文字。ミントは小学校五年生だった。
ほどなくして玄関のチャイムが鳴り、友達が迎えに来てくれたことを伝えられる。
良かった、これで学校への道のりを迷うことは無い。
だけど、その友達も私…美羽にとっては知らない女の子たち。名前も性格も知らない。どう接したらいいのかわからない。ミントの事だって何一つ知らないんだから当然だ。
いつもは、なんて挨拶をしていたの?
いつもは、どんな話をしていたの?
ボロが出ない様に発言に気を付けながら慎重に受け答えをしなくてはいけない。
私だけ緊張感に包まれながら、女の子二人の後をついて歩き始める。
「あれ持ってきた?」
くるっと振り向いた女の子が私に話しかける。
「えっ?」
「あれだよ、あれ。」
「えーと…どうだったかな。」
友達二人が、じっと私を見つめる。
沈黙。小学生の女の子二人の視線が怖い。
「しょうがないなぁ、見てあげる。」
一人が私の後ろに回りランドセルを開けた。
「あ、ちゃんと入ってるよ!」
すっと抜いたのは交換日記だった。
二人はきゃっきゃと笑いながらノートを広げ再び歩き始めた。
ミントの番のページが埋められているのか心配したのも束の間、ちゃんと昨日の日付で書かれていたらしかった。
安心した私はふぅっとため息を吐く。
へぇ、今の小学生たちも交換日記なんてやるんだ。
それにしても随分、長い夢だ。
…。
と思いながらも、これが夢でない事には薄々気が付いていた。
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