第3話、進展され始めた関係
私は動揺した。自分でもびっくりするくらい動揺した。何故か足が震え出した。と同時に不思議に思った。朝方、彼はこの駅で降りない。何処で降りるかは不明だが、何でここにいるんだろう。もしかして、別人⁉よく似たそっくりさん⁉でもそんなに顔とかきちんと見てないし、制服は彼と一緒だけど、ただ彼と同じ学校の人なだけとかかもしれないし…
声、かけちゃいなよ。
悪魔の声が聞こえた。誰に言われたのでもない。自分の心の声だ。それなのに、何故か多佳羅ボイスで再生されていた。小悪魔な囁きが、彼女とリンクしたのだろう。
いやいや、相手にとって私は他人もいいとこ、面識なんてないんだし。変な女だって思われるかもだし。大体、話しかけたところで何を話すんだよ。私は雑談が3分も続かないコミュ障寸前人間なのに。つうか、この人が愛しの彼とは断定できないし。別人だったら恥ずかしいことこの上ないし…
下世話な多佳羅ボイスを必死に否定しても、悪魔の囁きは一向に消えなかった。いや、否定するたびに、その音量は大きくなる気すらした。
と、とりあえず…近づいてみようかな?
これもこれで怪しい行動だと、冷静に考えればそう思うのだが。私はこれぞ名案と言わんがばかりに賞賛し、さりげなく彼に近づいてみることにした。一度置いた鞄を再び肩にかける。足はまだ震えていたが、ぎこちなくとも必死に歩を進めた。
車両一つ分歩いただろうか。私は彼の後ろに立つ。気を紛らすためにスマホを開いた。彼は少しだけ、そわそわしている気がした。どうしたのだろう?誰かと待ち合わせしているのだろうか?そもそも、なんでこの駅にいるのだろう?
悪魔の囁きは、輪をかけて大きくなっていった。君のこと、もっと知りたい。見ているだけで終わる恋なんて、したくない。
「あ、あの…」
私の声に、彼は少しだけ驚いた顔をして振り向いた。私は動揺する。ノープランだった。何を話すか決める前に声をかけてしまったのだ。
刹那、彼のエナメル鞄に、筆記体で高校名が書いてあることに気づいた。その金色の文字は、博正社と読めた。博正社とは、この辺りにある私立高校だ。
「博正社の人?」
私がこう聞くのも、自然の摂理だった。渡りに船とはこのことだ。
「そうだけど…どうしたの?」
彼にそう聞かれ、私は一瞬言葉に詰まった。ここで即座に話を繋げない所が私のコミュ障たる所以なのかもしれない。
それでもここで言葉を発しなければ、私の評価は変人確定だ。
「博正社の最寄り駅って、この駅だっけ?もうちょっと先じゃなかったかな?」
「や、今日は急いで帰らなきゃいけなかったのに、スクールバス乗り遅れちゃってさ。吹越行きを待つよりこっち来ちゃったほうが近いかな?って」
「あ、そうなんだ」
吹越とはこの駅の一つ先にある、普通しか止まらない駅だ。私は今日習った授業内容を押しのけ、その情報をインプットした。
彼は精悍な顔立ちをしている。スポーツマンのような短い髪が、風に少しだけ靡いていた。身長は、遠目からみていたからわからなかったが、結構背が高い。その割に顔立ちは若干童顔で、そのギャップがまた私の鼓動を早くさせた。
普通電車が滑り込んでくる。私達は無言のまま乗り込んだ。電車の中は平日にもかかわらず混んでいて、空いている席はすべて優先座席だった。私達は何の申し合わせもなく、ドアに寄りかかって立っていた。
「そっちは…大学生?」
「え、何で⁉」
「いや、私服だし、そこに大学あるし…」
そう言って窓の外を指差す君。確かにこの駅の周りには某私立大のキャンパスがある。
「君と同じ、高校生だよ。残念ながら」
私、そんなに大人っぽくみえたのかな?と心を弾ませてみる。ちょっと上目遣いで彼を見てみるが、彼は意識的にこっちを見ないようにしているみたいだった。
「私服の高校なんて、あるもんなんだ」
彼は反対側のプラットホームを見たまま話しかけてくる。
「う、うん、そうだよ。藤ヶ丘ってとこなんだけどね。この駅のすぐ近くにあるの。大学とは反対側だけどね」
「ふーん」
彼がそう言うと、話題が途切れた。私はあたふたした。ヤバイ、このままじゃ相変わらず変質者のままだ。
彼は電車の窓から外の景色見ていた。私もつられて、さりげなく君に寄り添って、外の世界を垣間見る。相変わらずの晴天。外にいる人達も長袖を捲っている人が多かった。彼もその一人で、シャツの袖を捲り、ネクタイを緩めていた。肘から先の腕を見るだけで、この人は筋肉があるなぁと実感できた。わたしの視線は、徐々に外の景色より彼の男らしい腕毛の方へと転換していた。
「今って、梅雨なんだよな」
彼は何の脈絡もなく呟いた。私はびっくりしつつも、必死に彼の目を見る。
「う、うん。そうだね」
「あれってどうやって決めてんのかな?毎年ちょい疑問だったんだけども…」
そう聞いて、私も同調した。今年は何十年ぶりの早さで梅雨入りが発表された。それが昨日かそこらだったと思う。その割に本日はまさしく晴天で、汗をかく程の暑さであった。
「あ、あのさ。調べようか?」
「何を?」
「さっきの話。梅雨って打ったらネットに載ってるかも…」
「や、そんなことしないでいいよ!そんな単なる世間話で聞いただけだから」
彼は半分笑いながら、スマホを見ようとする私を静止させた。私は若干怯えた目つきで君を見る。
「君、律儀だね」
彼の言葉に、私は同調しつつも動揺した。本心では何て思われたのだろう、そんなくだらないことを許さないかのように、彼はもう私から視線を外していた。
彼は再び窓の外を見ていた。私は外に何かあるのだろうかと視線を移したが、眼前に広がるのは見慣れた町並みだった。
私達の住む街を電車から覗いてみると、意外と綺麗だった。線路のすぐそばこそ国道が通り、街が発展しているが、少し遠くに目をやると、県境にある山々が堂々としている。名前も知らない、大して高くもない山なのに、何処か立派で神々しく思えた。
沈黙が続き、私は耐えられなくなって声を上げた。
「け、景色見るの、好きなの?」
「電車の中って、他にやることないじゃん」
私はスマホ弄ってることが多いなあ、と心の中で思う。
「それに、この後一仕事あるから、ちょっとは気を落ち着かせようかな?ていう」
一仕事の内容が少し気になったものの、深く詮索はしなかった。代わりに私のことも、話さないといけないと思ったから。
「優しいね、君は」
「や、優しい、のかな?」
「うん、何というか、心が優しい」
私自身、何でこんな言葉を言ったのかわからなかった。さっきの彼の言葉のお返しだったのかもしれないが、頭がショートした結果出てきた言葉だったのだろう。もっと上手く言えただろうと今になって思う。私がもしも同じ言葉を他人に言われたら……変人確定だな。その人は。
彼は、それを聞くとふふ、と笑った。控えめな笑いだった。苦笑と取られてもおかしくないほどの微笑だった。
「面白いね、君」
そして私に、こんな言葉をプレゼントした。褒められているのか呆れられているのか、正直不明だ。それでも少し嬉しかった。彼の笑顔は、私の笑顔とは比べ物にならないほど済んでいて、煌めいて見えた。
私はこの時、二つの事に気づいた。彼が私の名前を知らないこと、そして、もう電車は、彼の降りる駅に近づいていること。
アナウンスが流れた。もうすぐ彼の降りる駅に到着してしまう。
「あ、俺ここで降りるから」
そう言って、彼はドアの開く方向へと歩いていく。このままじゃだめだ。せめて名前ぐらいは、覚えてもらわないと……
「附田優美!」
大きな声だった。自分の声に、まず自分で驚いていた。彼も、周りの人も、勿論驚いていただろう。
私は必死になって言葉を繋ぐ。
「私の名前。ほら、ここで出会ったのも何かの縁だしさ。よかったら、名前覚えてくれると、嬉しいな、なんて」
喋るにつれて、どんどんと声のボリュームが下がっていった。恥ずかしくて、最早下を向く余裕すらなかった。そしてじっと、唇を噛んで君を見つめ続けていた。自分の顔がどんどんと赤くなっていくのがわかった。耳元まで、熟れたトマトのように鮮やかだっただろう。
彼の顔は、少しキョトンとしていたが、ゆっくりと笑顔に変わっていった。
「俺は、佐伯俊一。てか、ご縁っつうか、良く見かけたよ。行きしの電車で壁にもたれかかっている君」
予想外の言葉だ。
「前から、ちょっと話したいなって思ってたから。今日は楽しかったよ。ありがとう」
完全に予想外の言葉だった。私の思考回路はショートして、脳が溶け出しそうな程発熱した。ボンという効果音が聞こえる程赤面した。
嬉しかったし、恥ずかしかった。相反するようでしない二つの感情が混ざり合い、化学反応を起こしていた。彼も、私と話したがっていたのだ。いや、もう彼じゃない。佐伯俊一だ。佐伯君も、私のことを気にしてくれていたのだ。
叫びたいほどの衝動と、これまでかつてない幸福感に苛まれた。そのまま時が止まればいいのにとさえ思った。列車のドアなど開かずに、一生このままでいい、なんてふざけたことさえ考えた。本当に列車のドアが開くまでは。
佐伯君は振り返り、私に向けて手を振った。佐伯君は少しだけ頬を赤く染めていた。でも多分、私はもっと赤くなっているんだろうな。
私も呼応して手を振った。
「じゃあね、佐伯君」
「うん、バイバイ附田さん」
そして佐伯君の背後のドアが開いたその時だった。
バイブレーションが鳴った。
私のポケットの中で、ブーという鈍い音が鳴り響いた。その瞬間に私の心は動揺し、私の体は硬直した。最早ディスプレイを見る必要すらなかった。このバイブ音。もう毎日嫌になるほど聞いた音。全く嬉しくない神様からの招待状。
え⁉何で?いつもはこんな時間に通知なんて来ないでしょ。何で今、しかも電車に乗っている時に…
佐伯君はもうとっくに手を振り終えていて、私から背を向けて下車していた。続いて数人の人々が乗車してくる。私は慌てた。
ヤバイ、このままあの世界に引き摺り込まれたら、電車からしばらく降りれなくなっちゃう!
私はとっさの判断で硬直した体を動かし、電車のドアをくぐった。乗ってくる人々を真っ正面から突っ切った。その駅は、私の降りる駅の一つ前だった。
バイブ音が鳴り響いた後、大まかに言って20秒前後経ってアイコンにタップされなければ強制的に転送されてしまう。そうなると、二時間近くその場でじっとしてスマホを見つめる私の姿が出現してしまう。これはこのゲームに巻き込まれた最初期、なんとかしてこのゲームから逃れようとして試行錯誤した結果起こったことである。それだけは避けなければいけなかった。
私は電車を降りても油断せず、そのまま階段まで走って行った。運動部など一度として入ったことのない私だ。たった数秒のダッシュで息が上がっていた。それでも、スピードだけは落とさずに階段を駆け上がった。
途中で佐伯君を追い越した。
「あれ?附田さんどうしたの?」
佐伯君はやけに呑気な声で背後から声を掛けた。
ど、どうしよう。なんて答えたらいいんだろう?神様の落し物のことなんて説明する暇もないし…だからって無視するのは…
「トイレ!」
私は多分、全選択肢の中でもトップクラスにひどい答えを選んだのだと思う。私はもう佐伯君の方を振り向かなかった。振り向きたくもなかった。ただひたすら、女性用トイレへと全速力で走っていく。
その途中、泣きそうになった。世の高校生男子から見て、トイレまで全力疾走する少女など、許容されるものだろうか?答えはノーだ。十中八九より高い割合でドン引きするだろう。ましては先程まで仲良く雑談していた他校女子だとしたら、がっかりするに決まっている。
何か、幻滅したな。附田さん。
佐伯君の声で脳内された、この言葉。何度も頭の中でループされた末に、私の涙腺を刺激した。瞼に涙が溜まり始めた。泣きながらトイレへと全力疾走する女子高生。最悪だ。さいてーだ。さっきまでの幸福感など塵と消え、残るは悲しみと憤りだった。色んな意味で、胃が痛かった。私の恋は始まって3分も経たずに終焉したのだ。あの忌々しいゲームのせいで。
トイレは一番奥の個室が空いていた。そこへ目掛けて最後のスパートをかけた。鏡の前でメイクを直す女性の背後を駆け抜け、一直線に走っていく。ドアを開け、鍵を掛けるとこっちのものだ。後は勝手にゲームの世界へと落ちていく。
もうスマホを見る気すら起きなかった。むしろ、このまま連れ去ってくれなくても構わなかった。そしてこのゲームから逸脱できるのならば、私の心はどれだけ晴れるのであろう。しかし、やはり現実とは冷酷非情なものなのだ。ドアの鍵を閉めて、約二秒。体はもう逆さへと向いていた。
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